1-4話 神葬る


 そう言って彼女が私たちに差し出してきたのは一つの小さな石ころでした。そこら辺の物と何ら変わりないように見えますが、確かに形はきれいに整っているようです。

 ミコト様も興味津々のようで顎に手を当てまじまじと眺めています。


「ほほう…確かに、ほんの微かじゃが力の名残を感じるのう」

「そうですか」

「お主に感じた気配は間違いなくこれじゃな、少しばかり借りても良いか」


 彼女はためらいながらミコト様にその石を手渡しました。すると、ミコト様は御自分の池にそれを沈めてしまったではありませんか。


「なっ…!」

「案ずるな、少し待っておれ」


 しばらくすると沈んでいた石がひとりでに浮かんできました。…しかし、先ほどまでの石ころではありませんでした。

 紅く、透き通るようでいて妖しい色。


“私、もうすぐ引越しするんだ”


 どこからともなく声が聞こえます。もしかしたら、私の心の中で響いているのかもしれません。


“本当のお別れだね”


 これは石の記憶である、とそう思いました。


“石はちゃんと持っていくからね

 忘れないからね”


「さよなら…私の大切な友だち」


 ミコト様はその紅い石を拾い上げ、再び彼女の手に収めた。


「なるほど綺麗な色じゃ、わらわの力で色味だけでも取り戻してやった」


 彼女は何を言うわけでもなくただその石を見つめていました。その顔は探し求めた懐かしい友にやっと会えたような、深い慈愛と哀しみに満ちているようでした。

 ミコト様はその頭をそっと撫でました。


「その石はこれからもお主を守り続けてくれるじゃろうて。良い出逢いをしたな」

「…本当に、良かったのでしょうか」


 一呼吸おいて彼女は痛そうに顔を歪めながらミコト様に詰め寄りました。痛いのは心でしょう。それはもうズキズキと彼女を責め苛んでいるようでした。


「私ができることは何もなかったのでしょうか、もっと何か…」

「無いな」


 きっぱりと言い放つミコト様に彼女はビクンと驚き、泣きそうになりました。どうしよう、私がおろおろしているとミコト様は溜息をついて付け加えたのでした。


「もう十分すぎるほどじゃったと思うぞ、わらわにはな」

「そんな、」

「…お主は、“神葬かむはぶる”という言葉を知っているか」


 いきなりの問いに私と彼女はそろって首を傾げました。その様子にくすりと笑ったあと、ミコト様は遠い目をしたのでした。


「神が力を失うということは、信者も社も失い、人々から忘れ去られたということじゃ。おそらくその者は崇める民も住処の社も失ったから、自分だけの聖域を作り完全に自身が塵と化すまでひっそり暮らそうと思ったのじゃろうなあ。…そこに、お主が来た」

「あ…」

「もうその姿そのものは無くなってしまったようじゃが、その石の中の力だけは残っておるようじゃ。お主のために使った力じゃからかのう」

「私のために…」

「お主が忘れない限り、お主と共にあるじゃろうて」


 緩やかな風が吹きました。それはあたたかで優しい風で、まるで彼女の涙をそっと撫でていくようでした。


「ありがとうございます。私、この神社に来てよかった」





「…考え事ですか、ミコト様」

「んん…まあ、」


 あの後彼女はあの紅い石を大事そうにしまってこの神社を去ってゆきました。それからというものの、ミコト様は呆けたように遠くを見つめたまま溜息ばかりついています。


「自分の行く末を考えてしまってのう…」


 私たちはまたいつもの位置―賽銭箱の後ろ―に座り、再び人気ひとけが増した境内を見渡しています。


「ミコト様は大丈夫ですよ、ほら参拝者もいることですし」

「しかし明日は我が身じゃぞ。傲りは大敵じゃ」


 そういって私の髪をくるくるして遊びだしたので、くすぐったくて仕方ありません。身じろぎすると楽しそうな声で笑いました。


「結局“神葬る”とはどういうことだったのですか」

「なに、そのままの意味じゃよ」


 にこやかに笑ってはいますが、本心はよく分からない顔をしています。私は首を傾げました。


「神が神として葬られるのは実は難しい事なのじゃよ。先にも言ったように神が死ぬということは信心も居場所も無くなり存在意義がなくなったときじゃからな。通常、神の最期とは寂しいものなのじゃ。

 …わらわもあのように誰かに惜しまれながら朽ちていきたいものよ」

「ミコト様は朽ちません!」


 ミコト様があまりにらしくないことをいうものですから、私はミコト様に覆い被さんばかりに詰め寄り大きな声を出してしまいました。ミコト様は驚いていましたが、すぐに笑顔になり、笑いながら私を抱きしめたのでした。


「そうかそうか」

「まだ私は貴女に御仕えしたばっかりです。それで朽ちられたら困ります」

「そうじゃったなあ。まあ、わらわはまだまだ現役じゃて。これからもよろしく頼むぞ、可愛い百舌鳥や」


 4月も終わり、もうすぐ初夏がやってきます。暖かさは暑さに変わり、木々も生き物も力強く生き抜いてゆくことでしょう。

 私は夏は初めてです。この先も様々なことを目にしてゆくのでしょう。なにせこの社での物語は始まったばかりなのですから。

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