1-3話 掛け軸裏の世界


「誰にも話したことはありませんが、きっと貴女なら信じてくれますよね。

 私がとある友人と出会ったこと、過ごした日々のすべてを話します」


 そして私は目を閉じて、あの日に戻るようにひとつひとつ思い出しながら二人に話し出す。

 不思議と今でも鮮明に思い出せるようで、始めはおぼろげだった記憶の輪郭がしっかりと縁どられていくのを感じた。



***



 友人と出会ったのは今から十年ほど前、私が小学校に入ったばかりのころだったと思う。

 私は小さなときから大勢と騒いで過ごすというのが苦手だった。一人っ子な上、両親が共働きだったことも関係しているかもしれない。とにかく、静かに一人遊びをしている方が楽しかった。なので日々学校から家へまっすぐ帰っては本を読み漁ったり、絵を描いたり、ぬいぐるみ遊びをして両親が帰ってくるのを待っていた。


 あの日も、私はそうやって家で過ごしていた。

 一人遊びにも疲れて気付けばうたた寝をしていた。そう、今日この日みたいなうららかな春の陽気だったから。

 私は目を覚ました時「しまった」と思いがっかりした。やりかけだった何かは寝跡でぐちゃぐちゃになってしまったようだ。そっと証拠隠滅をして立ち上がった。


(のどが渇いた)


 私は二階の自室から一階のキッチンへと降りていく。まだ目は覚めきっておらず、ぼうっとしたままふらふらと危ない足取りだった。

 やっとの思いでたどり着き、コップに水を注ぎのどを潤したところで、何か違和感がした。


(どこからか風が吹いている……)


 家の中なのに風の流れを感じたのだった。微かだが、途切れることなく私の体を撫ででいく。お母さん、戸締りを忘れたな。

 そう思った私は一階をくまなく見て回り、風の出所を探した。


 しばらく歩き回るうち、和室から風が吹いているのに気づいた私は自然と駆け足になりながら部屋に入った。もう眠気はどこかにいってしまった。

 そうやって意気揚々と入っていったのはいいが、和室の窓はすべて閉じていて、隙間風が入ることない状態だったのだ。けれど風は吹いている。私はおかしいと思い、ぐるりと部屋を見渡した。こうなったら確かめてやろうという思いでいっぱいだった。気分は冒険家である。


 くまなく隅々まで見て回った結果、ようやくある場所を見つけたのだった。普通の常識ではありえない、信じられない場所。私はわくわくしながらそこを覗き込んだ。


 和室の床の間にある掛け軸、正確にはその裏からこの風は吹いていたのである。


 ほんの少しの身の危険は本能的に感じていたのだが、結局好奇心には勝てなかった。私はその掛け軸に手を伸ばしてつまみ上げた。そしてその裏をめくった瞬間、目を開けていられないほどの突風に見舞われ思わず小さく悲鳴をあげてしまう。

 ついでに耐えきれず尻もちまでついてしまった。あまりに勢いよく着地したせいでお尻に衝撃が走った。


「いったたた……」


 涙目になりながらお尻をさすった。まったくひどい目にあった。一体どうしてこんなことが…

 私はゆっくりと立ち上がり、付いた砂埃を叩いて払った。と、ここで何はおかしいことに気付いた。


「砂……?」


 私が尻もちをついたのは畳の和室のはずだ。しかし、明らかに今は土の地面の上に立っている。私は恐怖におののきながらうつむいていた顔を上げ、周りを確認する。

 そこにあったのは今の今までいた和室ではなく、かといって自分が知っている場所でもなかった。


「神社、だ」


 私はなぜか神社の社の真正面、鳥居の前に立っていたのだ。鳥居の先から石畳になっており、奥に二体の狛犬と、ここからでも分かるほど大きな社が見えた。けれど少し霧が出ているのだろう。視界はほんの少しぼやけて、ひんやりとした空気が肺を満たしていく。


「どうして、」


 あまりに静かすぎて恐ろしい。思わず声を出して恐怖をごまかした。

 引き返せるかと思い後ろを振り返りさらに絶望した。何もない。正確には、何も見えない。

 背後の方が霧が濃く、一歩先も見えないようになっていた。そして辺りを見回しても鳥はおろか虫一匹見当たらない。あんなに吹いていた風もぴたりと止んでいて、静かすぎて耳鳴りがするくらいだった。

 この状況を踏まえて、私の中にある一つの単語が頭によぎった。いや、もうそれしか思いつかない。そうとしか思えない。


「……かみかくし」


 神隠し。

 現実味がない風景、生き物が感じられない空気、そして神社。

 今自分が置かれている状況を理解すればするほど、ぞわぞわと背中に冷たいものが走っていった。


 怖い。


 だが、いくらここで立ち呆けていても何も変わることは無かった。

 どのくらい立ち尽くしていただろう。私は意を決して前へ、社のある方へ歩いてみることにした。何の見えない後方よりは、何があるか見えている前方の方が少しだけ安心できたからだ。

 勇気を出して一歩。ざり。また一歩。ざり。と、鳥居をくぐる前に母の言葉を思い出した。


“鳥居をくぐって中に入る時は真ん中を歩いてはいけません。真ん中は神様の通り道なのだから”


 はっとして私はその言葉通りに左端に寄って道を歩いた。どんどん社に近づいてきた。近くで見るとさらに大きく見えた。そこで私は社の前に誰かがいることに気が付いた。後姿だ。

 人、と言っても良いのだろうか。高価そうな紅白の巫女服に揺れる金糸の髪、そしてその髪と同じ色の何かの動物の耳が頭上に付いていた。尻尾も見える。


(ど、どうしよう)


 けっこう近づいてしまったが、どうやらまだ気付かれてはいないようだった。

 どうしよう。安全な人物なのだろうか。逃げられるだろうか。怖い顔をしていたらどうしよう。もしや食べられてしまうのでは…?そう悩みに悩んでいたせいで、すり足になってしまったようだ。ざり、と音を立ててしまい先ほどの人物がびくっと体を震わせた。


 その人が振り返った時、私は思わず息を呑んだ。端的に言えば、人間離れした美しさだったからだ。

 その顔立ちは整いすぎていて恐ろしいほどだった。しかし、今はそんな美しい顔立ちが台無しになるくらい歪められていた。それは私への疑念から生まれてくるものだと悟った。いかにも怪しいといった目つきで私を上から下まで眺めた後、ゆっくりと口を開いた。


「誰だ。一体どうやってここまで来た」


 発せられた声は鈴を転がしたような清らかなものだったが、冷たさをはらんでいた。彼女があまりにも睨むので、私は縮こまりながら恐る恐る言葉を紡いだ。


「わ、からな、くて家から急に、ここに着いて」


 やっとのことで出た声は息も絶え絶えでどもってしまった。落ち着かせるように胸に手を当てて深呼吸をする。その間も彼女は待っていてくれているようだ。ただ黙って話を聞いてくれた。


「どうしたらいいのか分からないんです。気が付いたら……だから、お家に帰りたい」


 そこまで聞いて、彼女は長い溜息を吐いた。彼女も緊張していたのだろうか、もう今の顔には敵意の色はなかった。


「……そうか、迷い込んでしまったのだな。そして帰りたいと」


 私はこくこくと勢い良く首を縦に振った。その必死さがおかしかったのか吹き出されてしまった。


「すまん、私の結界が甘かったようだな。隙間から迷い込んでしまったのだろう」

「結界……」

「本当は誰にも入らせないようにしていたのだ。怖かったろう。大丈夫だ、帰してやるさ」


 そう言って彼女は私に握った手を差し出してきた。「受け取れ」と言うのでとりあえず信じてそのこぶしの下に両手を差し出してみると、コロンと何かが手の上に乗った。


「きれい……」


 それはビー玉くらいの大きさの丸い小さな石だった。

 宝石のように紅く光沢があり、向こうの景色が透けて見えた。


「失くすんじゃあないぞ。それを持って鳥居をくぐれば帰れるだろう。

 礼儀正しい幼子への褒美だ」


 ふわりと優しい笑顔になった彼女に思わず見とれたが、ひとつ引っかかるものがあった。

 礼儀正しい。先ほどの鳥居の件を思い出した。あれはやはり正しい選択だったのだ。きちんと道の端を通ってよかったと心底思った。

 もし間違ってど真ん中を歩いていたら、もしかしたら彼女の怒りに触れて帰れなくなっていたかもしれない。


「あ、ありがとう」


 もしものことを考えるのはよそう。確かに私は正解の道を選んだのだから。


 私は彼女から目を反らしてうつむき、その小さな石をまじまじと見つめた。手の中で転がしてみたり、指でつまんで向こう側の景色を眺めたりもした。

 磨かれたように滑らかで丸く、色も単純な紅色というわけでもなさそうだ。石の中で色の濃淡が揺らめいているように思える。


「気に入ったか」


 こくん、と頷いて返事をすると、微笑みを返された。それに私も笑みで返す。先ほどまでの恐怖はすっかり消え失せていた。きれいなものを貰ったこともあり、幼い私は彼女にすっかり心を開いていた。


「これは宝石?」

「いや、私の念で出来た石だ。その色も私の力の色なのだろう」


 気軽に答えてくれるようなので、彼女への疑問を一通りぶつけてみることにした。


「ここはどこなの?」

「私の秘密の隠れ家だ」

「夢の中にあるの?」

「いわゆる空間の狭間だ。まあ、理解できなくていい」

「ふうん。じゃあ、貴女の名前を教えて? 私は×××」

「名前など無いな。……名乗ろうとも思ったことはない」


 名前がない。重要なことなのに、当たり前のように無いと言ってしまう彼女に困惑した。

 じゃあ、どうやって呼べばいいのだろう。


「あなたは、神様?」


 ぴくんと彼女の動物の耳が動いた。そこで、その耳が飾りの偽物ではないことを改めて知った。彼女は何か言いたげに口を開きかけてやめた。そして小さな溜息の後、笑って答え直した。


「そうだな。神社にいるのだから、神だろう」

「……」


 何か腑に落ちなかったが、これ以上聞くのはやめることにした。


「私のことを聞いたのだから、お前のことを聞いても構わないだろう。お前は何者なのか、教えてくれないか」


 それからしばらく彼女との会話は続いた。この女の人が怖くないと分かった私は思ったこと、話したいことをためらわず口にしたのだった。彼女も暇つぶしだといって色々と答えてくれた。


「それにしてもお前は幼子のくせにやけに態度がいいな。調子が狂う」

「だめ?」

「駄目ではないが、今からそのように振る舞ってばかりでは人生苦労するぞ」

「よく分からない」

「まあいずれ嫌でも分かるさ」


 この神様は当時の私には理解しかねる発言も多かったが、今思い出してみればなるほどと思うことばかりだったように感じる。

 一通り話し終え話題も無くなってきた頃、彼女の「そろそろ帰ったらどうだ」の一言で我に返った。私は心からこの会話を楽しんでいたのだ。無性に寂しくなった。

 誰かと、しかも今日初めて会ったばかりの人とこんなに長く話したのは初めてのことだった。

 現実味のないこの空間が私を積極的にさせたのかもしれない。もしくは、彼女が今までのどんな人間より大人びていて貫禄のある立ち振る舞いをしていたからだろうか。嘘か本当かは分からないが、何百年と生きているらしいその姿はやはり人の域を超えた気高さのようなものがあった。


「神様、また会えるかな」

「仕方ないな、気が向いたらまた呼んでやろう。だから今は帰るがいい」


 別れは名残惜しい。しかし約束をしてもらったことで私は嬉しくなり、手を振って鳥居へと向かった。


「生身のお前がこんな所に長居したら大変なことになりそうだからな」


 背後に投げかけられた独り言のような寂しげな声に振り返った。彼女は再び口を開くことは無く、ただ手を振った。それに答えるようにこちらも振り返して私はまた歩き出した。

 なんでもない、という意味だったのだろう。

 あの言葉は、その時の私には意味が分からずそのまま流してしまったのだった。




 これが、私と彼女の出会いだ。その後、しばらく私たち二人の交流は続いたのだった。といっても毎日ではなく、本当に彼女の気の向いた時だけ、初めての時と同じように風で呼ばれた。偶然かは分からないがその時は必ず、家に誰もいない、私が一人きりでいる時だった。

 それで良かった。私はあの場所を彼女との秘密基地のように思っていたからだ。誰も知らないことを知っている、という優越感もあった。

 彼女にもあの場所のことは他言無用だと言われていたが、無論そのつもりだった。


「今日は何かいい事でもあったのか」


 そして遊びに行ったときには、その日にあったことを報告したり感想を伝えたりした。


「今日は変わった格好をしているようだが…ほう、わんぴーすというのか、なかなか華やかだな」


 彼女は現代の文化に非常に疎かった。なので私は現代のこと、常識など知っていることはすべて教えた。とはいえ幼い私の知識など大したものではなかったが。


「お前はその歳で色々なことを知り得ているな。書物は好きか」

「うん。図鑑も、お話の本も好き」

「そうかそうか。では、昔話も好きか? 暇つぶしに聞かせてやろう」


 その代わりに色々な昔話を聞かせてもらったのだ。それは絵本で読んだことがあるような内容であったり、中には身震いがするようなおぞましい妖怪の話だったりした。そしてそんな怖い話の時に決まって私が本当にぶるぶると身震いをするので、彼女は面白がってさらに怖い話を持ち込むのだった。


「騙された人間はそのまま足の先から……」

「ううううう」

「ぷっ。すまんすまん、お前には少し刺激が強かったなあ」


 話題がなくなれば二人でぼうっと景色を眺めた。何か遊びを思いつくこともあった。彼女の持つものであやとりやおはじきをしたりと少し古風な遊びが主だ。鬼ごっこをしたこともあったが、いつも一瞬で追いつかれて勝負にならないのでつまらなかった。


 期間にしてみればそう長くないものだった。けれど、二人で過ごした時間は私にとってどんな本を読むより刺激的で楽しいものだった。彼女もそう、思っていてくれていたのだろうか。


「将来が楽しみだな」


 そう言ってほほ笑む彼女は私にとって姉のような母のような安心感があり、他のどんな人の友人より身近な存在になっていた。




 しかし、ある時を境に彼女に異変が訪れ始めた。それは夏が終わり、秋特有の冷たい長雨で嫌気がさしていたころだったと思う。そういえば、この年はいつもより雨ばかり降っていた。

 日を追うごとに彼女の顔色が悪くなっていったのだった。疲れているのか、はたまたどこか調子が悪いのか。いつもは鳥居をくぐってから彼女の下にたどり着くまで微笑みながら待っていてくれたのに、その時には目の前に立って声をかけるまで気付かないほどだった。

 話の途中で意識がぷつんと途切れたように動かずじっとこちらを見つめてくることもあった。

 そんな彼女に私は心配で顔を覗き込むことしかできなかった。


「なんだ、案じてくれるのか」

「つらそうだから」

「なんでもない。さて、今日は何を話そうか」

「……」

「私は何百年と生きてきたからな、話題はまだまだ尽きぬぞ。お前が喜ぶと私も嬉しい」

「……」

「だから、ほら。笑うがいい」


 私はただただ悲しかった。だんだんと彼女の顔色が悪くなっていっているのが。そして、何も言わずそのことを隠されてしまうことが。


 そしてその時はやってきた。




 その日もいつものように家でうたた寝をしていた。一人で遊び疲れていつのまにか寝るのは日課のようになっていたのだ。彼女に会えるのは日が沈み始めるころなので学校から帰ってしばらくはいつも暇を持て余していた。あの時間帯は“逢魔が時”だと気付いたのは後で思い返したときだ。


(そろそろ、あの場所に行けるかな)


 私は眠い目をこすり、のそのそと立ち上がった。紅い石を握りしめるのを忘れずに。


(前もつらそうだった。本当に、大丈夫なのかな)


 幸いこの日も風が吹いていた。掛け軸をめくり、あの世界に飛び込んだ。



 自分の目を疑った。寝ぼけ眼で来たからだろうか?目を閉じて思い切り首を振り眠気を取ってから再び目を開けた。が、変わることは無かった。


「なに、これ」


 鳥居がぐにゃりと歪んでいた。いや、鳥居だけではない。周りの景色も地面も、その後ろの社までが歪んでいる。急いで奥へ行こうとしても平衡感覚がおかしくなっており、時折しゃがみこんで休憩しながらでないと吐きそうになるほどだった。

 ある程度進むと歪みだけではない異変にも遭遇した。小さな蒼い炎がそこら辺を漂っているのだ。数は計り知れない。よろめいてその一つにぶつかってしまったが、熱くはなかった。なんの感触もなく炎は霧散し、しばらくするとまた再生した。


「かみさま、どこ」


 ついに私は社の前までたどり着くことができず中間地点でうずくまってしまった。もうこうなっては進むことも引き返すことも出来ない。止めどない吐き気の嵐を必死に抑えながら見えない姿の名を必死に呼んだ。


「かみさま」


 何度目かの呼びかけの後、私に影が降りてきた。誰かが私を見下ろしていた。きっと彼女だ、と思ったが顔を上げる元気はなかった。

 その誰かはふわりと膝をつき私を抱きしめてくれた。


「どうして来てしまったんだ」

「なんで、ここ」

「もう、限界だ。お前も早く帰れ」


 限界?そう尋ねようと顔を上げようとしたら制止された。頭を押さえつけられ、彼女の腕の力がもっと強くなった。


「今の私の顔は見るな」

「どうして」

「お前の、ためだ」


 彼女の腕の中は涼しかった。人の体温はなく、深呼吸をすると微かに森の中にいるような木々の匂いがした。


「お前に、別れを言わなければな」

「え」

「なに、力を保てなくなってしまったのはずいぶん前、お前に会う前からだ」

「そんな……」


 背中をさすられて幾分か気分が良くなってきた。彼女はしばらく考えていたのか、長い沈黙の後ぽつりと呟いた。


「もう長くないと悟った私はひっそり雲隠れしようと思っていたんだ。こうして一人きりになって、結界を張って。

 自分の生き方に少し疲れていたのだ。これでいいと思っていた。

 ……お前に会うまでは」


 何も言葉が出てこなかった。そんな私にはかまわず彼女は言葉を続けた。


「そこにお前が迷い込んできた…結界もまともに張れん程弱っていたのだな

 でも、それで良かった。こんなに楽しかったのは初めてだ。

 礼を言うぞ、人の子よ。さあ、もう行くがよい。私の力ももう風前の灯だ、その石もすぐに風化してしまうだろう。そうなると帰れなくなるぞ。

 ささ、行った行った」


 まくし立てられるように肩を叩かれ立ち上がるよう促された。もう私の体調は十分良くなっていたが、その気にはなれなかった。

 立ち上がろうと離れる彼女にすがり、いやいやと首を振った。


「こら駄々をこねるな。仕方のない娘だな、道連れにしたくはないというのに」


 無理矢理私を立たせるとくるりと私の向きを逆方向に変えた。そうして彼女に背中を向ける形になって手で目隠しをされたのだった。後ろに彼女の息遣いを感じた。


「もう会えないの?」

「そうだな、これが最期だろう」


 そんな急に言われても心の準備ができない。いや、急ではない。なんとなく分かってはいたのだ。しかし認めたくなくてお互い触れないようにしてしまった。思い返せば何度も危うい場面はあったはずなのに。


「いやだ!」


 今ここを出ればもう二度と会えない。そうなれば、ここであったこともすべて無かった事になってしまうのだろうか。

 目隠しが外れ背中をトン、と軽く押された。空間の歪みは先ほどより軽く、歩き易くなっていた。これは彼女の最後の優しさだったのだろう。


「そのまま真っ直ぐ進め。決して、振り返るなよ」


 その言葉は有無を言わさぬ重みがあった。私は我が儘を言うのをやめ、静かに頷いた。


「ありがとう、楽しかった。私、忘れないからね」


 視界が滲んで声も上ずってしまったが、何とか振り絞ってそれだけ伝えた。

 一歩、一歩。なかなか歩みが捗らなかった。


「別れが惜しいか。案ずるな、人の子の一生は目まぐるしいと聞く。いずれ忘れ去ってしまうだろう。

 ……それでも、」


 ゆっくり歩いたはずが、気が付けば鳥居の目の前まで来ていた。これも見納めだ。仰ぎ見て、深呼吸する。


「それでも思い出してくれるならば」


 最期の言葉は風の音に掻き消えてきちんと聞き取れなかった。だが、微かに

「ありがとう」

 と言われた気がした。





 家に戻ってすぐに“神様の石”はただの石ころになり、もう二度と掛け軸の裏から風が吹くことは無かった。

 そして、高校に入学する際引っ越すに至る。




「私と彼女については以上です。

 ……そして、これがその石です。もうただの石ころですが、今でも真ん丸で形だけはビー玉みたいでしょう」

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