第1章 如月

1-1話 言ノ葉

 ついこの間までは境内の桜の花が咲き乱れていたというのに、今ではすっかり青々とした葉が生い茂り、虫たちが嬉しそうにそれを齧っています。ミコト様は、咲いたかと思えばすぐ散りゆく桜がこの現世うつしよという儚さを体現しているようで大層お気に召しているそうです。なので、花の姿のない今の桜をどこか詰まらなさそうに見つめていました。


「また来年の楽しみじゃの」


 思えば私もつい先日まではこの桜の木のように現世を儚く生きる一つでした。

 私のように現世の肉体がありながら神のご加護を受け、使える存在をミコト様は“生き神使しんし”と呼んでいるようです。まあ、神の力によって普通の鳥よりは長く生きるそうですが、いずれは私も他の生き物のように土に還ることになります。

 ちなみに、私は普段神使として人型をしていますが、どうやら“あやかし”を見る力の無い普通の人間には何の変哲もない鳥の姿に見えているようです。


「桜は春に花咲き、夏に茂る…では秋はどうなるのでしょうか」

「その目で確かめると良い。幸運にもそなたにはその機会があるのじゃからな」


 私は冬の終わりに生まれたので、秋という季節を知りません。気になりますが、それは今後の楽しみといたしましょう。生き急ぐ人生ではないのだし、生きていれば必ず出会うものですから。


「そういえばずっと気になっていたのですが」

「どうした」


 私は桜を見るために上げていた顔を下げ、地面へと視線を這わせました。


「神使になってから見えるようになったのですが、地面で鳴いている者たちは一体何者なのでしょう」


 社には人の掌ほどもない様な小さき者たちが住み着いているようで、特に何をするでもなくうろうろしているのでした。時折キイキイと小さく声を上げたり、参拝する人に引っ付いたりしているようなのですが、私にはその生態が分かりません。

 それも黒い玉のような見た目で、寝ぼけているような目が一つ中央にあり、細い四本足がくねくねと優雅に動き歩いているのです。あまりかわいい部類の者ではありません。


「ああ、あれは言ノ葉じゃよ」

「コトノハ、ですか?」


 名を口にした途端、うっかり目が合ってしまいました。キイ、と挨拶をされた気がしたのでとりあえず会釈をしておきます。


「その名の通り、あやつらは人の言の葉によって生まれた者じゃ。ここに来る人間の願いや想い、念といったものが集まり形を成したもの、といったところじゃのう」

「危険なものでは…」

「いやいや、無害じゃよ。この社に多くの人が祈りに来ている証みたいなものじゃ。ただ感情表現が意外と豊かで分かりやすいぞ、可愛いものよ」

「か、かわいいですか」


 ミコト様と雑談をしていると、再び一組の男女が賽銭箱の前へと歩いてきました。


「ほれ丁度良い、あやつらをよく見るのじゃ」


 ほれほれと急かされてとりあえず言うとおりに見てみると、いつも通り言ノ葉たちが二人に引っ付き始めました。けれど今回は違いがあるようなのです。

 一方には肩に二体ほど付いてキイキイ鳴いているだけですが、もう一方には数えきれないほどの言ノ葉たちが体中しがみつき、どこか嬉しそうな高い声でキキキキと細かく鳴いているのです。

 私が不思議に思って首を傾げていると、ミコト様はくすくすと笑いながら教えてくださいました。


「あやつらの数が少ない方はおそらく付き添いでここに来たのじゃろなあ、あまり気持ちが入っていないように見える。それとは反対にもう一方からはとても強い感情がこもっておるから、ああやって言ノ葉たちも引き寄せられるのじゃ」

「なるほど」

「依然この者の願いが無事聞き届けられて、めでたし縁が結ばれたからのう。感謝の礼を忘れない良い人間にはさらに加護をつけてやろうかのう」

「ああ、この男女はミコト様の計らいだったのですね」


 なるほど。人が込める想いが強ければ強いほど、言ノ葉たちはその思いに引き寄せられ喜ぶらしい。


「こやつらは喜怒哀楽がはっきりしておってな、ここへ来る人間の想いに共鳴するようになっているのじゃ。怒りや憎しみを込めた祈りをする輩も稀におるが、そういったものが来たときはまた反応が変わってくるぞ」

「前向きな願いだけではないのですね」

「それが人間というものじゃよ。わらわは縁切りも受け付けておるからのう」


 今もちらほらと見える皆が同じように参拝をしていても、同じ神に祈っていても、全く違う願いや想いを抱えている。そのことがとても不思議で、けれど当たり前のことなのだとミコト様は言葉を付け足しました。


「人の世は、理解しかねます。けれどそれが面白いのでしょう」

「そうじゃ。そなたもわらわと一緒に見守っていくのじゃよ」


 何の前触れもなくパシャリとカメラの瞬く音がして反射的にその方向を向くと、先ほどの男女が賽銭箱の横に回り込んで、私の横顔を写真に収めていました。

 そして偶然カメラ目線になったところをまたパシャリ。


「私なぞどこにでもいる鳥でしょうに」

「人間たちには、可愛い百舌鳥もずが行儀良く参拝者の目の前にいてその様子を見守っているのが珍しいのじゃよ。大人しいと写真も撮りやすいしの」


 そう仰ってミコト様も男女に向かってひらひらと手を振って悪戯っぽく笑って見せました。当然二人には見えやしないのですから、意味はありません。私はこんなに美しい御神が見えないとはなんて人間は憐れなのだと心の底から思いました。


「まあ、わらわにも見えるぞ。神使になりたての可愛らしい小さな少女の姿をした百舌鳥がな」

「大変言いにくいのですが、私はオスです…」

「……すまん。ま、まあ、鳥はオスの方が見目鮮やかというからの」


 ミコト様はごまかすように笑った後、少し困ったそぶりを見せました。


「しまった。それではせっかく服も宮司ぐうじ殿にあつらえてもらったが、巫女服のままではちと可哀想じゃのう」

「…まあ、最初に言わなかった私の責任ですし、貴女様とお揃いの服なので悪い気はしませんよ」

「そうかそうか、それは助かる!」


 人型の姿はミコト様に与えていただいた姿ですが、本来の鳥の姿でも私は巫女服というものを着ております。なんでもこの社の宮司様が特別に鳥用の小さな巫女服を仕立ててくださったものだそうです。

 私はこの服が女性の着るものだと薄々気づいていたのですが、わざわざ皆様が用意してくださったのですし、おかしな見た目でないのならこのままでも良いかと思っていたところでした。


「一度こうだと姿を形作ってしまうと、また新たに作り変えるのがなかなか難儀でな」

「いえいえ」


 ミコト様は人のあれこれに関しては詳しいですが、他の動物となるととんと疎いようです。特に鳥や虫などはオスメスの区別もつかない始末でした。


「…………」


 先の件で少し気まずくなってしまいました。私たちの間に沈黙が降り、再び木々を揺らす風の音のみが私の鼓膜を揺らしています。風はだんだんと弱まっているようでした。

 ちょうど世間は昼飯時なのでしょう。訪れる人もいなくなって言ノ葉たちも散り散りになり、がらんどうになってしまいました。

 春の温い陽気にまぶたが重くなるのを感じながら私はぼうっと境内を見渡しました。

 …誰かが、鳥居をくぐるのが見えます。

 その誰かはみんなと同じように手水舎で手や口を漱ぎ、きょろきょろと辺りを見回しながらこちらへ来ます。


 カランコロンと小気味いい音を立てて賽銭箱に小銭が数枚落ちました。ガラガラと鈴を鳴らし、手拍子二回。そこで私ははっとしました。

 ―…私と目が合っている。人には見えないはずの人型としての私の双眼を彼女は捕えていたのです。

 けれどすぐその目は閉じられ、祈りを捧げてしまいました。歳は十代後半といったところでしょうか。ミコト様ほどの長さはないですが、背中まで伸びた髪が風に揺らめいていました。その髪が彼女の鼻や口元をくすぐってもかまうことなく熱心に祈りを捧げる姿は、どこか切なく、それでいて近寄りがたいほど真摯なものでした。


 しかしミコト様はおかまいなしに彼女の顔を覗き込んでふむふむと一人で感心し、おどけた口調で話を切り出しました。


「この女子おなご、かすかに“あやかし”の匂いがするな」

「えっ」

「なにかゆかりがあると見える。久しぶりに面白そうじゃ、話を聞いてみるか」


 私は少し呆れながら彼女とミコト様を交互に見ました。住む世界が違う者同士、どうやって言葉を交わすというのでしょう。


「聞くといってもどうやって…」

「よいか百舌鳥よ。こういう見る力のある人間は、ちっとわらわが力を使えば姿を見つけてくれるようになるのじゃよ」

「そもそも神であらせられる貴女がそう簡単に姿を現してよいのですか」

「真面目すぎる神使も扱いが難儀じゃの。まあ、わらわは縁を司る神じゃ。

 その神が誰とも関わらず内に引きこもってばかりではいかんというものじゃよ」


 そう私をたしなめた後、ミコト様はくるくると言ノ葉たちに合図を送りました。するとその通りにぐるぐると彼女の周りを囲み始めたのです。かと思えば、ひとかたまりになってどこかへ飛び去ってしまいました。方向からして境内の隅にある小さな池でしょうか。

 そんな言ノ葉たちに導かれるようにして、彼女もまた同じ方へと歩みを進めたではありませんか。


 私がその一連の様子に驚いていると、いきなり肩をぽんぽんと叩かれました。我に返り振り向くとミコト様のいたずらっぽい目と目が合いました。


「そなたも付いてくるがいい。何か訳ありの話を一緒に聞いてやろうではないか」


 これも仕事の一つだという割には、ミコト様はどこか楽しそうに軽い足取りで彼女の後を付いて行くのでした。

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