第九章 輝く貴石達の中で瑠璃は唄う
第九章 輝く貴石達の中で瑠璃は唄う①
とにかく、色々とあった大阪・名古屋遠征だった。それももう終わる。わたしは足柄SAでコハクから引き継いだハンドルを握りながら、後席に話しかけた。
「インター下りて先にヒスイの家に寄って、その後でみんなを新宿駅に降ろせばいい?」
「そうナリね」
同意しれたみんなに、ヒスイが申し訳なさそうな顔で俯く。
「わざわざごめんね……」
「遠慮する必要なんかねーよ。悪いのはあの野郎なんだから!」
ヒスイの隣に座るコハクは、勇気づけるようにヒスイの肩をバシバシと叩いた。
「そういえば、あのストーカー男、名古屋のライブには来なかったナリね。リリイベの後、素直に帰ったのかニャ?」
「うーん……」
ライブに現れなかったのは喜ばしいことだが、なんとも言えない違和感が胸の中に残っていた。
(やめよう。悪く考えるのは)
わたしは嫌な予感を振り払って運転に集中し直した。
※
途中、軽めの渋滞に三十分ほど引っ掛かりはしたけれど、わたし達のミニバンは無事にヒスイの自宅マンション前に到着した。
「ラピスちゃん、みんな、ありがとう。じゃあまたね!」
「おう、気を付けてな!」
自分の荷物を担いだヒスイを、車の中からみんなで手を振って見送る。彼女が降り立った歩道とマンションのエントランス扉までは五メートルもない。なんとか無事にヒスイを守りきれたと、みんながほっと息をついた。
その時だった。突然、脇道から不気味な影が現れたのだ。
男だった。見たことのある顔。ヒスイに付き纏って、出入り禁止を通告したのにも関わらず、名古屋のリリースイベントにまで来たあのストーカー。
「ぎいずういいいいいいいいい!」
黒いボストンバッグを胸元に抱えたその男は、言葉にならない声で叫びながらヒスイに向かって走り寄る。異様にギラついた目はヒスイ以外何も映っていない様子で、誰がどう見ても「危険人物」としか形容できない雰囲気だった。その姿にはなぜか現実感がなくて、ドラマでも見ているように錯覚させる。ヒスイ自身、あまりのことに歩道の上で固まってしまっていた。
「ヒスイ!」
わたし達の中でいち早く正気に返ったのはコハクだった。素早く車のドアを開け、ヒスイの腕を引っ張って車内に引き入れる。
「テメー!」
コハクは恐怖と驚愕に固まって声も出せないヒスイを自分の体で庇いながら、ヒスイを追って車の中に乗り込もうとするストーカー男を足蹴りする。
「うひひひ、うひゃあああ!」
男はそれでも侵入を諦めず、悲鳴のような歓声のような声を上げた。コハクはヒールのついた靴でストーカー男の腹を胸を顔を何度も蹴り続けた。助手席のルチルもバッグで頭を叩く。だが、興奮状態にあるらしい男はまったく怯まなかった。股間を蹴り上げてようやく蹲った男を、コハクは外に蹴り出すことに成功する。
わたしは慌ててドアロックを掛けた。だが、ストーカー男はショックに震えながらも起き上がり、尚も車体に取り縋る。
「いつ帰ってくるかわからないから、名古屋のライブを諦めてここでずっと待ってたんだ。ねえ、ヒスイ、結婚しよう! 明日結婚式を挙げよう! それが僕達の運命なんだよ! 僕達の運命は神様がお決めになったんだ。神様が僕にそう言うんだから絶対だよ。ねえ、ヒスイ、子供は何人がいい? ヒスイの生んだ娘はきっと可愛いね。その子も僕のお嫁さんにしてみんなで幸せに暮らすんだ。だから、ねえ、出てきてよ、ヒスイ!」
わけのわからないことを叫びながら、男は車体をバンバンと叩く。
わたしは車を発進させた。ストーカー男は車にしがみ付こうとしたが、わたしは最悪引き摺り殺してしまっても仕方ないと思いながらアクセルを踏み込んだ。幸い、男は何かに躓いたのか、転んで歩道に投げ出されたのを置いていくことに成功した。
しばらく走り続けた後、やっと安心できたのか、ヒスイの目から涙が零れた。
「う、うぅぅ、うわあああああ!」
「ヒスイ、もう大丈夫だ!」
泣きじゃくるヒスイをコハクがしっかりと抱きしめる。
ヒスイの泣き声が胸に響いて痛かった。怒りがふつふつと湧いてくる。あの男、どうせなら轢き殺してしまえばよかった。
「と、とにかく、通報するニャ!」
ルチルが慌てて警察に電話してくれた。
※
ストーカー男は歩道で暴れているのを確保された。千沙子が一部始終をスマートフォンで動画撮影していたのに加え、男のカバンにナイフとスタンガンが入っていたことから、男は逮捕された。
ストーカー男は二十四歳の大学生だった。逮捕の報せに、彼の地元から弁護士が飛んできて諸々の対応がとられた。男の両親は地方でそれなりの地位を築いている人達のようで、アイドルに対して起こした今回の件が下手に拡散されるのを恐れたようだ。ヒスイのご両親と我々に慰謝料を提示し、「男の詳細情報を被害者側が公にしない代わり、今後一切、綾原怜美(綾原ヒスイ)には男を近づかせない。釈放後は男を故郷に連れ戻し、親族で監視する」という念書を作成した。それらの手配が随分手慣れている様子だったのは、ストーカー男は故郷でも同じような騒ぎを何回か起こしていたかららしい。
そんな形で、一応、ストーカー男の件は解決したと言える。でも、わたしの頭の隅からは気持ちの悪い違和感が消えなかった。何かが腑に落ちないのだ。
※
後日、メンバーと集まったファミリーレストランで、わたしは首を傾げていた。
「一つわからないことがあるんだよね」
「なんナリか?」
「誰かがヒスイの住所をあの男に教えたんじゃないのかな?」
ギョッとした顔でみんながわたしを見た。
「確かに、奴がヒーちゃまのうちにまで押し掛けたのは、あの時が初めてだったナリね」
ルチルの言葉にヒスイが頷く。
「そうだね。いつもは、みんながあの人がついて来てないことを確認しながら送ってくれてたもんね」
そうだ。逆に言えば、そのためにストーカー男がヒスイに近寄れず、結果、警察が本格的に動くトリガーが生まれなかった。
「誰がわたしの住所を教えたんだろう?」
不安げに震えるヒスイの手を千沙子が握った。その隣でコハクが首を傾げる。
「でもよお、興信所っつうの? 人の住所調べる探偵とかもいるわけだろ? そういうやつに頼んだんじゃねえの?」
「そういう手配が自分で出来る人って印象じゃなかったけど」
「じゃあ、いってえ誰がヒスイの住所をバラしやがったんだ。絶対タダじゃおかねえ!」
「でも、ヒスイの自宅を知ってるのなんて、ご家族、ご親族、お友達、わたし達――あとは、前の事務所の……」
わたしの言葉にみんなの顔が引き攣った。
「いや、まさか……ねえ?」
「そうだニャ。仙崎社長も、鈴本さんも、そんなことするわけないナリ」
「そうだね」
「おう。そんなことする人達じゃねえよ」
ルチルもヒスイもコハクも引き攣った笑顔を浮かべながら前の事務所が関与した可能性を否定する。そんな中、それまでドリンクバーから取ってきたジンジャエールを黙って啜っていた千沙子が口を開いた。
「ふ、副社長……は……?」
その言葉に、みんなの動きが静止した。コハクが思いきり不機嫌そうに顔を歪める。
「あの野郎、もしそうなら乗り込んでってブチのめしてやる!」
鼻息を荒くしているコハクを見て、わたしの中である一つの考えが浮かんだ。でも、それは普通に考えると適切ではない考えで、口にすべきではない気もした。
「ラピスちゃん、難しい顔して、どうしたんだニャ?」
「うーん……わたし今、よくないこと考えてる。ヒスイにとっては納得できないかもしれないこと」
ヒスイが首を傾げつつ「聞いてみたい」と言ったので、わたしは口を開いた。
「もし如月さんが本当にヒスイの個人情報を流したんだとしたら、わたし達には二つ対応方法があると思うんだ」
「うん」
「一つは正式に訴えて刑罰を受けてもらう」
「それが普通の対応ニャ」
「もう一つは……」
わたしが口にするのを躊躇っていると、コハクが身を乗り出してきた。
「殴り込みか!」
「うーん……それに近いね」
『え!』
わたしの答えが予想外だったのか、四人とも驚きの顔で固まっている。
「いや、本当の殴り込みじゃなくてね、それをネタにちょっと脅すというか……」
わたしはどういう計画かを説明した。最終的には「どうしたいかはヒスイが決めるべき」ということになり、ヒスイが「それがハピプリの役に立つならそうしてほしい」と言ったので、わたしは「殴り込みに近い」方の対応を実行することにした。
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