第八章 紅玉は輝くため鍛える④

 ルチルちゃんの予告通りになった。


 どうやらあの記事の他にも、平坂さんは自分のブログやツイッターの投稿をいくつか消していたみたいだ。たぶん、コハクちゃんとのつながりが匂う内容だったんだろう。

 でも、削除に気付いた平坂さんの女性ファンの人達が、何かあったのかとSNS上で情報交換をし始めた。その結果、双方のファンが互いの騒ぎに気付き、しばらくしてコハクちゃんの疑惑の彼が平坂さんであることが特定された。「やまだはなこ」が出していた男側のブログキャプチャと、平坂さんの消された記事のキャッシュを誰かが比較検証した結果、黒確定とされたみたいだ。平坂さんはブログ記事を削除すればデータがすべて消えると思っていたのかもしれない。


 二人のSNSはさらに比較されて、おそろいのアクセサリーや雑貨、同じ部屋で撮られた写真がいくつか発掘された。結果、わたし達のライブが開場される時間には炎上状態になっていた。



 わたしとルチルちゃんが状況を報告すると、ラピスちゃんは取り急ぎ、今日のライブにお呼びしたアイドルや関係者の皆さんに騒動を謝って回った。ひととおり謝罪を終えて楽屋に帰って来たラピスちゃんは、コハクちゃんの正面に座って言った。


「コハク、どうする? もうアイドル辞める?」


 いきなりそんなことを言うから、わたしはびっくりした。でも、コハクちゃんは予想していたようで、静かに首を横に振った。


「……やめたくねえ」

「でも今日の出演はやめとく? 特典会も」

「やだ、やめたくねえ! うちは全部ちゃんとやる!」


 コハクちゃんはまっすぐにラピスちゃんの顔を見据えた。ラピスちゃんもコハクちゃんを真剣な顔で見つめ返す。


「コハク。アイドルを続けたら、これから何度もネットに『アイツはあのモデル男と付き合った奴』って書かれて、あの写真を貼られたり色々書かれたりするよ。それでもやるの?」

「それでも、うちはアイドル続けたい。あんなクソ野郎のせいでやめたくない! うちはバカだったよ。けどさ、でも、やだ。このままやめるなんて、悔しすぎんだろ!」

「ファンの声を正面から受けることになるよ。それはすごく辛いかもしれないよ。わたしはコハクが心配なんだよ」


 ラピスちゃんが表情を緩めながら言った。


「ラピスちゃん……」


 コハクちゃんの瞳が揺れて、でも、すぐにいつもの強い視線に戻った。


「うちが悪いんだ。だから、報いを受けるのも当然だと思ってる。メンバーには迷惑かけて、わるいけどさ……」


 その言葉に、一つ息を吐き出したラピスちゃんはコハクちゃんに向かって微笑んだ。


「わかった。じゃあ、みんなで一緒に行こう」


 ラピスちゃんはコハクちゃんの肩を優しくポンと叩きながら立ち上がって、楽屋の扉に向かう。コハクちゃんはその後ろに続いて、ルチルちゃんはコハクちゃんと腕を組んで、わたしとヒスイちゃんでコハクちゃんの肩を押しながら、ファンのみんながいるフロアに向かった。



 今日は開場時間から開演時間までの間が特典会の時間として割り振られていた。ハピプリも予定通り特典会を開いたけれど、ファンの反応はいつもより冷めたものだった。コハクちゃん以外のメンバーにはみんな普通だけど、コハクちゃんを無視する人や冷たい視線を向ける人、コハクちゃんを見ながらひそひそ話す人もいた。当然、コハクちゃんとチェキを撮りたい人という人もほとんどいない。


 でも、特典会の途中、待機列に常連のコハクファンの人が並んだのが見えた。その人の番になって、チェキ券の確認を担当していたラピスちゃんが声をかける。


「あ、ヒロキさん……? こんにちは! 大阪にも来てましたよね?」

「はい……」


 ヒロキさんというらしいそのファンの方は、やっぱり元気がなかった。


「名古屋にも来てくださって、ありがとうございます。今日はチェキどうしますか?」

「あの……コーちゃん……で」


 俯きながら答えたヒロキさんの発言に、待機列のファンのみんながざわついた。ラピスちゃんがコハクちゃんを呼び、ルチルちゃんが構えるチェキカメラの前に緊張気味の表情で二人が並ぶ。


「あのさ、アンタさ、いつも来てくれてんだよな。なんか……ありがとな!」

「え!」


 少し言いにくそうに感謝の言葉を口にしたコハクちゃんを、ヒロキさんが驚いたように見返した。


「うちはさ、頭も態度も悪い奴じゃん。いつも雑な態度しててごめんな」


 頭を下げたコハクちゃんに、ヒロキさんは顔を強張らせた。


「あんなことがあったから……リップサービスのつもり?」


 コハクちゃんはびっくりしたように目を見開いた。


「違う! そんなんじゃなくて……」

「そうとしか思えないよ」

「ごめん……。ごめんしか言えない」

「そういうのずるいと思わないですか?」

「ホントにごめん。もう、うちのこと嫌いになってくれていいから……」

「嫌いになんてなれないから、辛いんだろ!」


 ヒロキさんは叫んで、強い視線でコハクちゃんを睨むように見つめた。コハクちゃんは張りつめたように顔を強張らせる。


「ごめん。ごめんな……」


 コハクちゃんは謝りながら力なく項垂れた。ヒロキさんも唇を噛んで俯く。


「やっぱり……やっぱり、今日はチェキいらないです! すみません!」


 居たたまれなくなったのかもしれない。ヒロキさんは俯きながら逃げるように去っていった。コハクちゃんは顔を上げられずにずっと下を向いていた。


 特典会を終えても、楽屋で膝を抱えて座るコハクちゃんには誰も声を掛けられなかった。でも、ライブの出順が来て楽屋を出る時には、コハクちゃんはキッと前を見据えて立ち上がり、わたし達と一緒にステージに向かった。



 主催ツアーではライブのトリはわたし達だ。


 名古屋公演ではその一曲目が「ロリポップ・キャンディ・ディスコ」だった。セクシーでクールなミクスチャー・ダンスロックで、コハクちゃんの長身を生かしたダイナミックなダンスがよく似合う。

 特に、イントロのコハクちゃんはすごくかっこいい。ステージ後方で俯いて立つわたし達の前で、ひとりスポットライトを浴びて踊るコハクちゃんのソロダンスが見せ場の一つなんだ。アイドルのステージであまりないことだと思うけど、そのソロダンスパートではフロアからコハクちゃんコールがかかるようになっていた。


 でも、今日はしんとして声が上がらない。嫌な緊張感がステージにもフロアにも広がっていた。

 コハクちゃんはそれも覚悟していたみたいだ。いつも以上の鬼気迫るオーラを纏ってひとり踊り続けた。恵まれた長い手足の先の先にまで神経を行き届かせたしなやかな動き。その一挙手一投足に気持ちが込められたダンスだった。


 その時。


「コーちゃん! コーちゃん!」


 フロア前方にいるファンの一人が叫んだ。その人はコハクちゃんの担当カラーであるオレンジのペンライトを懸命に振っている。わたしの立ち位置からはっきりとは見えないけど、その顔はヒロキさんに似ていた。


 コールは少しずつ、さざ波のように広がっていく。フロア中がコールを送ってくれるようになり、コハクちゃんはダンスの合間に手の甲で目元を拭っていた。

 そこから全六曲、アンコールでさらに一曲を披露してわたし達のステージは終わった。


「色々と心配かけてすみませんでした。メンバーとして自覚をもって努力します。うちのこと、見ていてくれたら嬉しいです」


 最後にコハクちゃんはそう言って、深く頭を下げてからステージを後にした。

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