第八章 紅玉は輝くため鍛える③

 イベントが終わって、お店の人達に騒がせてしまったことを謝った後、わたし達は衣装のまま車でライブハウスに向かった。


 幸いといってもいいのか、SNS上での話題はリリースイベントのストーカー男に集中した。でも、イベント中のコハクちゃんの表情が強張っていたとか、握手拒否のファンがいて微妙な空気だったという報告もいくつか書かれていた。



 今、ラピスちゃんとヒスイちゃんはライブハウスのスタッフさん達と音響関係の確認作業をしている。その間に、わたしとルチルちゃんで、例の写真を公開したアカウントを調べてみることにした。

 そのアカウントは「やまだはなこ」と名乗っていた。ハピプリファンやアイドルファンからの「写真は本物?」「相手は誰?」「こんなアイドル最低ですね」などのリプライにいくつか返信もしている。ただ、写真の男については「知らない」と言い張っていた。


「うにゃ? おかしいニャ……?」


 ノートパソコンに表示された、とある検索結果を見てルチルちゃんが首を傾げた。


「どうしたの、ルチルちゃん?」

「平山柊太のブログから、あの記事が削除されてるナリ」


 「やまだはなこ」が出してきたブログのキャプチャ画像から読み取れるいくつかの言葉と「平坂柊太」の名前で検索すると、検索結果をクリックしても「該当の記事は削除されました」と表示される。ただ、キャッシュデータは残っているから、その記事が数日前までは確かに存在していたことはわかった。


 わたしとルチルちゃんは顔を見合わせる。


「とりあえず『やまだはなこ』さんに接触してみようかニャ?」

「うん、そうだね」


 わたし達は新しいアカウント「たろうくん」を作り、「やまだはなこ」をフォローしてリプライを送ってみた。


たろうくん『おもしろい写真ですね! アイドルがこんなことして神経疑う(笑)』


 すると、すぐに返信が来た。


やまだはなこ『だよね』


 何回か友好的にやりとりした後、ルチルちゃんは不敵にニヤリと笑う。


「嘘も交えつつ、思い切って核心を突いてみようかニャ?」


たろうくん『ちょっと確認したいことがあるんで、ここからはDMでお願いします!』


 ツイッターの通常のメッセージは誰からでも見えるようになっているけど、DM――ダイレクトメッセージは相手と自分にしか見えない。ここからは「やまだはなこ」と「たろうくん」二人きりの会話になる。


たろうくん『相手の男って誰ですか?』

やまだはなこ『知らない』

たろうくん『あの裸っぽい写真、どうやって手に入れたんですか?』

やまだはなこ『友達にもらった』

たろうくん『その友達って信用できる人? コラ画像だって言ってる人もいますよ』

やまだはなこ『本物だよ!』

たろうくん『男の方のブログのキャプチャも偽物っぽくないですか? コハクのブログを元に捏造したとか?』

やまだはなこ『ぜんぶ本物だよ! さっきから何言ってんの?』

たろうくん『ブログのキャプチャもその友達にもらったんですか? その人あやしくありませんか?』

やまだはなこ『ブログは自分でキャプチャしたから本当に本物』

たろうくん『それって平坂柊太のブログから?』


 さすがに衆人環視の元でこの名前は出せない。相手からは少し遅れて返事が来た。


やまだはなこ『誰それ。知らない』

たろうくん『でも、あのブログ記事、平坂柊太のブログにあったみたいですよ。今は消されちゃってるみたいだけど』

やまだはなこ『意味わからん。アンタ何言ってんの?』

たろうくん『やまださん、平坂柊太のブログに行ってあれを見つけたんでしょ。なら、男のこと、知ってるんですよね?』

やまだはなこ『キャプチャは友達からもらったから知らない』

たろうくん『さっきと言ってること違くないですか?』

やまだはなこ『意味わからん。消えろ』


 その言葉と共に「たろうくん」は「やまだはなこ」からブロックされてしまった。なんだかいやな感じがした。ルチルちゃんも首を傾げている。


「うー、これはもしかしてだけどニャ……」


 一方、楽屋の隅で不安そうにスマートフォンを弄っているコハクちゃんは、まだ平坂さんと連絡がつかないみたいだった。そのこともなんだか、すごくいやな感じがした。ルチルちゃんとわたしは、コハクちゃんに聞こえないように小さな声で話し合ってから、コハクちゃんのそばに移動した。


「ねえ、コハクちゃん。相手が出てくれないなら、ルビーのスマホから電話してみる?」

「は?」


 コハクちゃんの顔が不機嫌そうに歪んだ。


「ルビー、オメー、うちがあいつに避けられてるって言いてえのかよ!」


 コハクちゃんはわたしに怒鳴りながらも、その顔は傷ついた顔をしていた。わたしは怒鳴られたことよりも、その顔を見て言い方を後悔した。でも、コハクちゃんは唇を噛んで、すぐにわたしに頭を下げる。


「怒鳴っちまって、わりぃ。やっぱスマホ貸してくれ。試してみる」


 コハクちゃんはわたしのスマートフォンに番号を打ち込む。それを耳に当てると何コール目かで相手が出たみたいで、コハクちゃんは悔しそうに唇を噛んだ。


「お前、なんなんだよ! なんでうちの電話は出なくて、別の番号は出るんだよ! うちだよ、衣緒菜! 怒ってねえよ。なんか、うちとシューちゃんの写真がツイッターに出てて。シューちゃんに迷惑かけたんじゃって、心配だったんだよ……」


 始めは強い調子だったコハクちゃんだけど、どんどん声のトーンが落ちていった。


「は? 気にするなって何? こっちはファンにもバレたし、メンバーにも迷惑かけて……関係ないって、なんだよそれ!」


 再びコハクちゃんが声を荒げた。あまり相手を刺激すると電話を切られてしまうのではと心配になる。ルチルちゃんからも目配せされたから、わたしは興奮するコハクちゃんの手からスマートフォンを奪い取った。


「あの、この電話の持ち主の、コハクのグループの運営スタッフです。はじめまして」


 呆気にとられるコハクちゃんを前に、わたしは落ち着いた声が出るように気を付けながら電話越しの平坂さんに話しかけた。メンバーと名乗ると舐められそうな気がしたから、スタッフと名乗ってみた。ルビーになっている今のわたしならうまくやれるはず。そう自分に言い聞かせながら言葉を続ける。


「ちょっと確認したいことがあるんですけど、いいですか?」

「なんすか? 商品に手を出したから訴えるとかですか? 面倒くさ……」

「いえ、もっと大変なことです」

「え?」

「あの写真を流出させた『やまだはなこ』、もしかしてあなたじゃないですか?」


 平坂さんからの返事が来るまで、不自然な間が開いた。


「は? なんすか? 意味わからん」


 平坂さんの声は少し上ずっていた。そういえば、あのアカウントも「意味わからん」という言葉を使っていた気がする。


「タレコミがあって。『たろうくん』というアカウントなんですけど。『やまだはなこ』と平坂さんは関係あるんじゃないかって」


 はじめは、例えば、平坂さんに近い誰かが平坂さんの端末から不正に裸の画像を手に入れて、面白半分に拡散させたのかとも考えた。でも、平坂さんだけ顔も名前も隠されていて、キャプチャされた記事もすでに削除されているというのは少し不自然に思えた。そんなことを指摘すると、平坂さんが吼えた。


「アイツ! 『たろうくん』とかいう奴、チクりやがったのか!」


 あっさり認めてしまった平坂さんに内心でびっくりしつつ、わたしは低い声で電話越しに問いかける。


「やっぱりあなたなんですね。どうしてそんなことしたんですか?」

「くそ、なんでバレんだよ! あの『たろうくん』とかいう奴、ぶっ殺してやる!」


 平坂さんは冷静さを失っているようだ。ここからどう対応すればいいのか困っていると、コハクちゃんに肩を叩かれた。


「貸してくれ」


 わたしの目をまっすぐに見据えてコハクちゃんが言った。きれいに手入れされた栗色の髪の下で、切れ長の美しい瞳がギラギラと輝いている。わたしは黙ってスマートフォンを差し出すことしかできなかった。


「どういうつもりなのか、ちゃんと説明してほしい。とにかくハッキリ知りてえ」


 電話口に語りかけるコハクちゃんは、落ち着いた口調だった。でも、その指先と口元は微かに震えているようにも見えた。

 何度か電話越しにやりとりをしたコハクちゃんは、最後に「クソ野郎!」と怒鳴りつけて電話を切る。それからしばらくは呆然とスマートフォンの画面が暗転する様子を眺めていた。


「コハク……大丈夫ナリか……?」


 ルチルちゃんが遠慮がちに尋ねると、コハクちゃんはやっと顔を上げて息を吐いた。


「なんかさ、本命彼女がいるんだってよ」


 投げやりな顔のコハクちゃんは、焦点のぼやけた視線部屋の隅を見つめた。


「ゲーノーカイとかにも顔が利くお金持ち一族のご令嬢なんだとよ。しかも、それ以外にもいろんな女に手ぇ出しててさ。それがその本命にバレたらしいんだ」


 コハクちゃんはシニカルと呼ぶにはあまりにも力のない笑みを浮かべた。ルチルちゃんは心配と困惑の混じった表情で様子を窺う。


「まさかだけどニャ……コハクとの関係を清算するためにわざわざあんな写真を流したわけじゃないナリね?」

「どうもそうらしーぜ」

「えええ!」


 ルチルちゃんもわたしも目が点になる。


「とりあえずアイドルとか面倒くせーから、手始めに処理してやろうって思ったんだってよ。男関係のスキャンダル流せば炎上して勝手に離れるだろって考えたんだと」

「バカすぎて笑えてくるニャ、その男……」


 言葉とは裏腹に、ルチルちゃんの顔は怒っているように見えた。


「あいつはバカ野郎だよ。そのバカ野郎のせいでうちは……。なのに、あのバカ野郎だけ高見の見物でよぉ……ムカつく!」


 コハクちゃんは悔しそうに唇を噛みながら目を伏せた。


「でも、そのクソ野郎を選んで、なんも考えないで浮かれてたうちが一番バカだよ!」


 悔しそうなコハクちゃんにわたしは何も言えなかったけど、ルチルちゃんは大きく頷いていた。


「そのとおりだニャ、コハクはめちゃくちゃバカな考えなしだニャ」


 コハクちゃんは反論できないで項垂れるだけだった。でも、ルチルちゃんは背伸びをして、優しい顔でコハクちゃんの頭を撫でた。


「だけどニャ、相手の男はもっとクソバカだニャ。当然の報いは受けるはずナリよ」


 首を傾げるコハクちゃんに、ルチルちゃんはニヤリと笑う。


「こんな杜撰な計画で自分だけきれいな場所にいられるわけがないんだニャ。男側の素性がみんなにバレるのも時間の問題ナリよ」

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