第八章 紅玉は輝くため鍛える②
名古屋には予定より早く着いた。高速を下りたわたし達は車でイベント会場であるCDショップに向かう。コハクちゃんはその道中で、とにかく今日は出ると宣言した。
リリースイベントの会場はお店の一角を区切って設けられたスペースだ。衣装に着替え、ラピスちゃんのメイクでルビーになったわたしは、控室を抜け出して扉の隙間からイベント会場をそっと覗いてみた。
いつもは楽しそうにそわそわしているファンのみんなが、今日は複雑な表情でそわそわしていた。あのアカウントのツイートは少しずつ拡散しているから、既に知っている人も多いんだと思う。
控室に戻ると、コハクちゃんが彼氏の平坂さんに連絡を取ろうとしていた。でも、なぜかSNSも電話も反応がないみたいで、コハクちゃんは憔悴とイライラを溜めていた。そこへ、わたしの後で会場の様子を見に行ったルチルちゃんが慌てた様子で戻って来る。
「大変だニャ! あいつが来てるナリ!」
「あいつって?」
「ヒーちゃまのストーカーだニャ!」
「え!」
メンバー全員が顔を強張らせた。特にヒスイちゃんの顔は真っ青で、体を微かに震わせている。
「どうしてこうも次々と……」
衣装姿のラピスちゃんが、頭を抱えた。
「帰らせよう。とにかく、ストーカーに話しに行かないと……」
「うちも行く!」
コハクちゃんが勢いよく主張したけど、ラピスちゃんは首を横に振った。
「コハクはだめ。今はファンのみんながいる場所で目立つ行動はしない方がいいと思う」
ラピスちゃんの冷静な声に、コハクちゃんは悔しそうに唇を噛みながら下を向いた。
わたし達のアテンドをしてくださっている店員さんに事情を説明すると、すぐに追い出そうということに決まった。でも、わたしは不安になる。前にあのストーカー男に出入り禁止を通達した時には、ラピスちゃんとコハクちゃんの他に、体格のいいライブハウスの店長さんが付き添ってくれた。今回も店員さんが一緒に対応すると言ってくれたけど、華奢な女性だった。
わたしは決心して椅子から立ち上がる。
「ルビーも行くよ!」
ラピスちゃんは驚いたようにわたしを見た。
「ルビーが?」
「今のルビーなら大丈夫だから。連れて行って! お願い!」
わたしがお願いのポーズで頼むと、ラピスちゃんは少し考えてから頷いた。
「わかった。それじゃあ、お願い」
「うん!」
わたしは隣のヒスイちゃんの手をギュッと握る。
「ヒスイちゃん、心配ないよ! 大丈夫だからね」
「ルビーちゃん……ありがとう」
涙目のヒスイちゃんに笑顔で頷きながら、わたしはラピスちゃんの隣に行く。ラピスちゃんは少しだけ表情を緩めて、ナイショ話のようにわたしに耳打ちした。
「実はちょっと心細かったの。ルビーが一緒に来てくれて助かるよ」
わたし達は頷き合って、店員さんと一緒に会場に向かった。
※
こういう時にはやっぱりマネージャーさんがいてくれたらと思う。でも、これも自分達で選んだ道。
まずは店員さんがストーカー男に声をかけてくれた。でも、相手は「ちゃんとおたくでCDを買ったんだからイベントに参加させろ」と、まったく聞く耳を持たない。しかも大声で怒鳴り散らすから、ハピプリファンだけでなく、普通の買い物客の人達もチラチラとこっちを窺っている。
これ以上お店に迷惑をかけるわけにはいかないと、ラピスちゃんとわたしもストーカー男に声をかけることにした。衣装着用済みのわたし達が会場に入ったことでファンのみんなが少し驚いていたけど、今は気にしている暇がない。
「すみません。ちょっと話があるので、裏に来て頂いていいですか?」
厳しい顔で話しかけたラピスちゃんに、ストーカー男はなぜか満面の笑みを返した。
「ヒスイに会えるのか!」
「そんなわけないでしょう。あなたのヒスイへの執着は迷惑です。そのことについて話し合いたいので、人がいない場所に移りましょうと言っているんです」
この言葉を聞いて、ストーカー男が顔を真っ赤にしながら叫ぶ。
「ヒスイに会うまで俺はここから動かないぞ! 絶対にここを動ない!」
腕を振り回しながら叫ぶ男から、波が引くようにファンの人達が遠ざかった。ラピスちゃんは警戒と困惑の顔で言葉を続ける。
「そういう態度は困ります。そもそもわたし達のライブやイベントには一切出入り禁止だとお伝えしたはずです」
「でも、俺はCD買ったぞ! イベント参加券もある!」
「わたし達から払い戻し金を出します。だから、どうかお引き取りください」
そう言ってラピスちゃんが差し出した封筒にはCD代相当額が入っていたけど、ストーカー男はそれを振り払った。
「うるさい! うるさい! うるさい! ヒスイに会わせろ!」
わたし達のやり取りに、ファンのみんながザワザワし始めた。その中には「あいつ、前のライブにいたっていう、やばい奴じゃないのか?」と囁き合う人達もいた。
「あまりしつこいようですと警察を呼びますよ。ヒスイへの付き纏いについては既に警察にも相談しているんです。大事になる前にお帰りください。このとおりです」
頭を下げたラピスちゃんの隣で、わたしも頭を下げた。
「お願いです。帰ってください!」
「いやだ! 俺とヒスイは運命で結ばれてるのに、なんで邪魔するんだ! 俺達二人を引き裂こうとするなんて、お前らは悪魔だ!」
「痛!」
思わずわたしは叫んだ。ストーカー男がわたしのポニーテールを掴んで引っ張ったんだ。慌ててラピスちゃんが男の手を放そうと掴みかかるけど、相手はそれを振り払い、わたしの髪飾りを掴んで引きちぎった。
「き、貴様ぁ! ルビにゃんとラピちゃんに何をするんだ!」
「その汚い手をすぐ離したまえ!」
近くのファンの人達が勇気を出して男を取り押さえてくれた。
「か、え、れ! か、え、れ!」
ファンの誰かが「帰れ」コールを始めると、それは会場中にどんどん広まっていく。ストーカー男は取り押さえたファンの人達によって会場の外に連れていかれたが、悔しそうに顔を歪めて叫んだ。
「お前ら、いい気になるなよ!」
ストーカー男は手に持ったままだったわたしの髪飾りに唾を吐きかけて投げ捨てると、店の外に向かって走っていった。わたしはほっと胸を撫でおろす。ただ、会場には何とも言えない重苦しい空気が残ってしまった。
「皆さん、助けてくれてありがとうございました。変なところを見せちゃって、本当にごめんなさい」
ラピスちゃんが頭を下げると、「ラピちゃんは悪くないよ」「頭を上げて!」と声がかかるけれど、まだ重い空気は拭えない。
わたしは一歩前に出た。
「ねえねえ、この中で今日のライブにも来てくれる人、いる~?」
わたしは場違いなくらい明るい声で会場に訊いてみた。でも、反応は小さくまばら。
「え~、あんまり来てくれる人いないのなぁ? 来てくれる人~?」
小首を傾げながらもう一度問いかけると、パタパタと手が挙がり始めて、最終的には会場にいるほとんどの人が手を挙げてくれた。
「わ~、みんな来てくれるんだ! ルビー、嬉しいなぁ! 今日はみんなといっぱい、い~っぱい会えるね! ルビー達とたくさん会えるの、楽しみな人~?」
今度はみんなが「は~い!」という大きな返事をくれた。
「えへへ! ルビーもすっごく楽しみ。イベントはもうすぐ始まるから、ちょっとだけ待っててね。イベントもライブも一緒に楽しもうね! じゃあ、また後でね!」
わたしとラピスちゃんで大きく手を振りながら控室に戻る。ファンのみんなも手を振りながら見送ってくれた。
「ルビー、ありがとう。ルビーのおかげで、いい空気でイベント始められそうだね」
「えへへ!」
「でも、髪を直さないと」
どうやらストーカー男のせいで、せっかくラピスちゃんに結ってもらったポニーテールがぐちゃぐちゃになってしまったみたいだ。控室に入るなり、顔を強張らせたメンバー三人がすっ飛んできてくれた。
「ルビーちゃん、髪、どうしたの!」
「ルビにゃん、大丈夫ナリか?」
「ルビー、まさか怪我してねえよな?」
わたしは笑顔で小首を傾げる。
「大丈夫だよ! ちょっと髪が崩れただけ」
「ごめんねごめんね、ルビーちゃん。わたしのせいで……」
「も~、ヒスイちゃん、これから本番なのに泣いちゃだめだよ。それにヒスイちゃんのせいじゃないよぉ」
わたしは涙ぐむヒスイちゃんの目元をハンカチで拭いてあげた。
「ルビー、お前、本当に大丈夫か? 殴られたりしなかったか? 痛いとこ、ねえか?」
「全然大丈夫だよ!」
わたしが笑っても、コハクちゃんは心配そうな顔でわたしの頬をぺたぺたと触る。
「ごめんな、ルビー。そういう役回りはうちがやるべきなのに……」
「なあにそれ~? メンバーはもちつもたれつ! ね、そうでしょ、コハクちゃん?」
わたしが言うと、コハクちゃんは自嘲気味な笑顔を浮かべた。
「お前、つえーんだな」
「そんなことないよ!」
本当にそんなことはない。普段のわたしは弱くて何もできない人間だから。アイドルでいる時はちょっとだけお話ができるようになるというだけだから。
「じゃあ、わたしがルビーの髪を直したら、イベント始めようか」
「はーい!」
ストーカー男のせいで汚れた髪飾りは諦めて、コハクちゃんの私物の飾りを代わりにつけてもらって、わたし達は会場に向かった。
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