第八章 紅玉は輝くため鍛える

第八章 紅玉は輝くため鍛える①

 大阪のライブの翌朝、わたし達はビジネスホテルのロビーに集合することになっていた。時刻は朝六時半を少し過ぎたところ。


「コハクちゃんとルチルちゃん、大丈夫かな?」


 ヒスイちゃんが不安そうに首を傾げている。大阪では、わたしとヒスイちゃん、コハクちゃんとルチルちゃんでそれぞれツインの部屋、泉ちゃんがシングルの部屋に泊まっていたのだけど、コハクちゃんとルチルちゃんは集合時間になっても降りて来なかった。今日は午前中早めの時間に名古屋へ移動して、昼にリリースイベント、夜にライブというスケジュールになっているのに。


「電話してみようか」


 泉ちゃんがスマートフォンを取り出そうとしたところで、エレベーターが降りてきた。


「もー、このアホをどうにかしてくれニャ!」


 エレベーターから降りてきたルチルちゃんは、呆れ顔でコハクちゃんを指差した。いつもお洒落でお化粧もきちんとしているコハクちゃんが、今日は着崩した服にすっぴんの辛そうな顔で立っている。


「やべー、うち、昨日飲みすぎたかも……」

「コハク、もしかして二日酔い?」


 泉ちゃんの質問に、コハクちゃんはグロッキーな顔で頷く。その隣でルチルちゃんが溜息をついた。


「だから昨日、途中でソフトドリンクにしろって言ったんだニャ」

「うちは、お前に付き合って飲んでやったんだろ! うぅ、気持ちわりぃ……」


 ルチルちゃんとのケンカ的なおしゃべりに、いつもの勢いがないコハクちゃん。ルチルちゃんが何度目かの溜息をつく。


「顔に似合わずコハクはお酒弱いナリ。無理しなきゃよかったニャ」

「だってよ……!」

「仕方ないニャ。ほら、ルチルが支えてあげるナリ。荷物も渡すニャ」

「わりぃ」


 甲斐甲斐しく世話をするルチルちゃんと、されるがままのコハクちゃんの姿は新鮮で、わたしと泉ちゃんとヒスイちゃんは顔を見合わせて笑った。



「今日の運転はわたしとルチルでするから、コハクは寝てなよ」

「サンキュ。マジごめんな」


 ミニバンの二列目シートで、コハクちゃんは窓に頭を預けながら目を閉じる。そんなコハクちゃんを気遣ってか、みんな、初日みたいにはあまり騒がないで、イヤホンで音楽を聴いたり、お菓子を食べたりしながら静かに過ごしていた。わたしも一番後ろの三列目シートで静かにスマートフォンを見ていた。


 あの日から同級生からラインがたくさん来るようになった。来たものを既読にする作業を黙々と続ける。あの頃の嫌な思い出、あの頃に撮られた思い出したくもない写真、アイドルのわたしを貶す悪口が、どんどん画面を流れていく。

 指が震える。気持ちが悪くなる。

 でも、既読にしないと、あの時の写真をどこかにうっかり出しちゃうかもと同級生に言われていたから、見るしかなかった。


 前の席のメンバーに気付かれないように溜息をついてアプリを閉じ、わたしは頭を振って気分を入れ替えた。今度はハピプリ☆シンドロームの公式アカウントで今日のイベントとライブの告知を呟く。


 それも終わると暇になってしまったので、エゴサ―チをしてみることにした。グループ名を検索すると、今日のイベントや週末のライブを楽しみにしているファンのみんなの言葉、ミニアルバムの感想がたくさん並んでいる。読んでいると、心がふわふわと浮かんできて明るくなれた。


 でも、流れていく言葉の中に、一つおかしなものを見つける。


「あ……れ……?」


 それはどうやらコハクちゃんのことが書かれているみたいだった。

『ハピプリ☆シンドロームのコハクとかいうやつ? アイドルのくせにこの写真まじか』

 添付された画像のサムネイルに肌色が多くて嫌な予感がした。震える指でそれをタップして、息が止まる。


「コ、コハクちゃん……」


 わたしの声は声になっていなかったみたいだ。前席のメンバーは誰も気付いてくれない。


「コハクちゃん……!」

「んー……?」


 もう一度、今度はがんばって少し大きな声を出したら、コハクちゃんから生返事があった。わたしはシートから立ち上がり、「見て」と無理矢理スマートフォンを押し付ける。


「なんだよ、ルビー。寝かしてくれよー」


 目を擦りながら画面を覗き込んだコハクちゃんは、見た瞬間に目を大きく見開いた。


「なんだよ、これ!」


 叫んだコハクちゃんを、ハンドルを握る泉ちゃん以外のメンバーが驚いて振り返る。


「はあ? ふざけんな、誰だよ、これ!」

「どうしたの?」


 ルームミラー越しに、泉ちゃんが心配そうに様子を窺っている。コハクちゃんは頭を抱えて黙り込んでしまい、答えられる状況ではないみたいだったから、わたしは遠慮がちに口を開いた。


「ツ、ツイッター……に、写真。男の人……と、コハクちゃん、裸で、ベ、ベッドに、いる……みたいな……写真が……」

「ほえ!?」


 ルチルちゃんが素っ頓狂な声を上げた。ヒスイちゃんはびっくりした顔のまま固まって、鏡越しに見える泉ちゃんは少しだけ目を見開いたけど、すぐに厳しい表情になった。


「そのツイート、拡散しちゃってる?」

「ちょ、ちょっと、ずつ……」

「うーん……」


 ハンドルを握ったまま唸る泉ちゃんの代わりに、助手席のルチルちゃんがコハクちゃんを睨んだ。


「コハクのアホ! どういうことナリか!」

「いや……いや、でもよ! あんなの、あんな写真、うちは知らねえよ!」


 コハクちゃんは体を起こして、叫んだ。


「そりゃ、うちはアホかもだけどよ、はしたねえ真似はしねーよ! 頼まれても裸の写真なんて許したことねーし!」

「頼まれても、ねえ……。ふむん。ちょっと見てもいいナリか?」


 コハクちゃんがわたしのスマートフォンをルチルちゃんに渡した。


「うーん。コハクが寝てる時に相手の男が勝手に撮っちゃった感じかニャ?」


 わたしもルチルちゃんの言うとおりだと思う。写真にはベッドに寝転んでいるコハクちゃんと男の人が写っているけど、男の人に腕枕されたコハクちゃんは目を閉じていた。ただ、胸元まで布団で隠れてはいるけれど、二人とも少なくとも上半身は裸なのがわかる構図だった。


「この男、顔は隠れてるけど、コハクの何なんだニャ?」


 写真では男の人だけ、笑顔マークのイラストスタンプで顔を隠されていた。冷たい目をしたルチルちゃんから、コハクちゃんは気まずそうに目を逸らす。


「もしかしてコハクの彼氏ナリか?」


 さらなる追求に諦めたのか、コハクちゃんは項垂れながら絞り出すような声で答えた。


「ああ……そうだよ……。顔隠してあるけど、たぶん」

「まさかファンに手を出したとかじゃないナリね?」

「ちっげーよ! 撮影で会った、モデルしてる人だよ!」

「名前は?」

「平坂柊太……」


 知らない名前だけど、たぶん、この前コハクちゃんと一緒にいた人なのかなとわたしは思った。他のメンバーもピンと来ていないようだから、有名な人ではないのかもしれない。

 ルチルちゃんはさらに疑り深い視線をコハクちゃんに投げる。


「コハク……まさかだけどニャ、コハクは……わわぁ! やっぱり来たニャ!」

「あ? なんだよ?」

「いわゆる『匂わせ』発掘だニャ」


 ルチルちゃんが翳したスマートフォンの画面を見ると、さっきの裸写真を出したアカウントの新しいツイートが表示されていた。それはハピプリファンの「この写真、本当に本物ですか? メンバーの迷惑になるのでこういう嘘とかコラ画像やめてください」というリプライに返されたものだった。


「比較画像」として、コハクちゃんのブログのある記事をキャプチャーした画像と、相手男性のブログからキャプチャーしたという画像が二つ並べてあった。さっきと同じで男の人のブログだけは顔と名前が特定できないように加工されていたけど、それぞれの自撮り写真の背景はまったく同じインテリアだった。


「まさか、同棲してるナリか!」

「ち、違げーよ! そんなわけねえだろ! ただ……たまたま、遊びに行ったときに……撮っただけだよ……」


 コハクちゃんの言葉のトーンが尻すぼみになっていく。ルチルちゃんは溜息をついた。


「匂わせとか、一番頭悪い手法だニャ」

「そんなつもりじゃなかったし……」


 下を向くコハクちゃんに、ルチルちゃんが何度目かわからない溜息をついた。


「まー、頭空っぽなコハクはなーんにも考えないで写真撮っただけかもだけどニャ。でも、下手すると、そのモデルさんも特定されるナリよ。そうすると、さらに面倒臭そうだニャ。ラピスちゃん、どうするナリか?」


 泉ちゃんはハンドルを握ったまま、硬い表情で口を開いた。


「その写真を出したアカウントがどういうつもりなのか気になるなあ……」

「どういうことナリか?」

「そのアカウント、コハクだけを攻撃しようとしてるみたいだから。ちょっと変な感じがする。男性の方を隠してるのはどうして? その人がモデルだって知らないのかな?」

「ふむん……文面読むと、この人、ハピプリのファンってわけでもなさそうナリね」

「じゃあ、なんでコハクを攻撃してるのかな。男性のリアルの知り合いとか? そうじゃないとそんな写真、入手できないし。その写真、彼氏しか持ってないわけでしょ?」


 コハクちゃんが不本意そうに頷く。


「でも、顔はちゃんと隠して、男性側を困らせるつもりはなさそうだし。愉快犯なのかな?」

「ふ~む」


 ルチルちゃんは助手席で腕組みして考え込んでしまった。泉ちゃんはルームミラー越しにコハクちゃんに視線を投げる。


「コハク、今日は休もうか?」

「へ? 今更、歌割りもダンスも変えられねえじゃん。そんなんしたら、みんなに迷惑かけるどころの話じゃねえし、ちゃんとやるよ! こんな写真、うちは気にしねーし!」


 コハクちゃんの強気な反応にわたしは驚く。同級生からの暴露が怖いわたしとは正反対な心の強さが衝撃だった。でも、泉ちゃんは厳しい表情をコハクちゃんに返す。


「あのね、コハク。こういう写真で一番ショックを受けるのはファンのみなさんだよ。そんなこともわからないの? コハクの顔なんかもう見たくないって人も出てくるかもしれない。事務所にいた頃だったら、強制的に脱退させられてもおかしくない状況だよ」


 今まで見たことないくらい淡々とした泉ちゃんの声に、コハクちゃんの顔が青白くなっていく。わたしも自分の状況と相まって、冷水を浴びせられたような気がした。


「コハクがそれでも出たいって言うなら止めない。でも、よく考えて決めて」

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