第七章 瑠璃は惑いの中で踊る③

 翌朝、昨日とはまた別のCDショップでリリースイベントがあり、開店時間前のお店にお邪魔した。お店の方との段取り確認後、控室で着替えて待っていたのだけれど、どうにもルチルの様子がおかしく見えた。口数がやけに少ないし、表情も暗い。


「ルチル、どうかした? 昨日、叔母さんと何かあったの?」


 わたしの問いに、ルチルが口をすぼませる。


「里奈叔母ちゃんとは楽しくお食事したナリ。けど、ルチルがアイドルしてること、家族にバレたみたいなんだニャ」

「あれ、お前、アイドルやってるってこと、親に言ってなかったのかよ?」


 目を丸くするコハクに、ルチルがさらに表情を険しくさせた。


「というか、そもそも東京行くのも、大学行くのも、親とか親戚は大反対だったんだニャ。けど、親戚の女性の中で唯一大卒でキャリアウーマンしてる里奈叔母ちゃんがお金出して大学に行かせてくれたナリ。だから、半分家出みたいな進学だったんだニャ」

「そうだったのかよ」

「だから、親とはもう二年近く会ってもいなかったんだニャ。けど、里奈叔母ちゃんの話だと、この前のラピスちゃんのネット記事を見つけた親戚がいたらしくて、親バレしたニャ。なんだこれって激怒したみたいナリ」


 わたしは目を見開く。


「わたし、余計なことしちゃった?」

「ラピスちゃんのせいじゃないナリ。遅かれ早かれ、いつかはバレるの覚悟してたニャ」


 ルチルは力なく笑った。


「里奈叔母ちゃん、詳しくは話してくれなかったけど、絶対、うちの親に相当しぼられたはずだニャ。『お前の影響であの娘は変な方向に行った』とかって。叔母ちゃんに迷惑かけたと思うと、胸が痛いナリ……」

「ルチルちゃん……」


 肩を落とすルチルを、ルビーもヒスイも心配そうに見つめている。でも、コハクはルチルの金髪の頭を強めにバシッとはたいた。


「痛いニャ! 何するニャ!」

「お前らしくねーよ!」


 コハクがルチルを睨みつける。


「そんな状態でも叔母さんはお前のこと応援してくれてるんだろ?」

「そうだけどニャ、でも……」

「なら、うだうだ言ってねえで笑えよ。いつもみてーに。それがお前だろーが」


 コハクは真っ直ぐルチルを見据える。ルチルはハッとしたように目を見開き、それから拗ねるように口を尖らせた。


「コハクに説教されると、それが正論っぽくてもなんかムカつくニャ」

「なんだよ、それ!」

「コハクのバーカ、アーホ」

「ガキかよ、お前は!」

「コハクは鳥頭のくせに生意気だニャ」

「それ以上うちの悪口やめろ!」

「ありがとニャ、コハク」

「だから、うちの悪口はもうやめろ……って、『ありがと』? はあ?」


 面食らうコハクに背を向けて、ルチルは深呼吸をする。


「よーし! ルチルは今日も一日がんばるニャ!」


 元気いっぱいにガッツポーズを作るルチルに、コハクは「めんどくせーやつ」と文句を垂れつつ、口元は嬉しそうに笑っていた。



 午後はすぐにライブハウスに移動してリハーサルを始める。今回はハピプリ主催のライブイベントのため、チケットの捌け具合やら、段取りやら、諸々の責任に緊張しつつ、準備の時間はあっという間に過ぎていった。


「ラピスちゃん、久々やね」


 リハーサルの合間に、心斎橋乙女組のララちゃんが話しかけてくれた。


「久しぶり! 今日は出演ありがとう」

「いやいや、ハピプリさんからの依頼は断れへんもん」


 今回のライブツアーは「ハピプリ☆突撃☆東名阪の旅!」と称して、大阪と名古屋では地元のアイドルさん達を招いている。

 大阪でのイベントのゲストは心斎橋乙女組さんを始め、過去に共演経験のある関西アイドルさん達だ。彼女達も運営さん達もハピプリの独立を心配してくれていて、出演オファーには二つ返事で了承してくれた。とても嬉しくて、ありがたいことだった。


 ライブの観客は関西のファンだけでなく、遠征してくれた常連ファンの方を何人も見かけた。どのファンの方にもありがたいという言葉しか出てこない。

 ライブはどのグループも盛り上がり、特典会も滞りなく終了した。わたしは主催としての肩の荷が一つ降りて、ほっと息をついた。



 ライブ終了後、ルチルの叔母さんがわたし達の楽屋を訪ねてきてくださった。


「真希絵ちゃんが楽しそうでよかった。あなたのことを大切にしてくれる仲間ができて、わたしも本当に嬉しいわ」


 里奈さんはいかにも仕事のできそうな大人の女性という雰囲気だったけれど、チャーミングな笑顔はルチルにそっくりだった。


 そんな和やかな時間を破るように、楽屋のドアがノックされる。「どうぞ」と言うと、ライブハウスのスタッフさんが困惑気味の表情で入ってきた。


「あんな、今、受付んとこにルチルちゃんの両親やいう人達が来てんねんけど。なんや興奮してはって、とにかくルチルちゃんと話したいんやて。どないする?」


 その言葉に、ルチルと里奈さんが驚いたように目を見開いた。



 ルチルのご両親はグループの責任者とも話したいということだったので、ルチルと里奈さんと一緒にわたしも対応することにした。撤収作業は残りのメンバーに頼んで、わたし達はライブハウスを出て近場のファミリーレストランに向かった。


「お前は我が家の恥だ!」


 開口一番、ルチルのお父さんが怒鳴った。


「女のくせに、大学に行くだけでもありえんのに、アイドルなんぞ、ふざけてるのか!」

「でも……!」

「アイドルなんぞ、男に媚びを売る下賤の女のすることだ。しかも、あんな狭くて汚らしい会場でいかがわしい。尻軽女や水商売、風俗と変わらん!」

「そんな言い方……!」

「だいたいお前は、うちにいた頃からおかしな格好をして、言葉遣いも気違いじみていた。どうしてそんなに馬鹿なんだ!」


 お父さんはルチルに反論する暇を与えず、次々と彼女を否定する言葉を吐き出し続けた。見かねて、里奈さんが少し強引に話に割って入る。


「兄さん、今の時代、女性だって大学くらい出て当たり前なんだから……」

「そもそも、お前がいかんのだ!」


 お父さんの矛先は里奈さんに向かう。


「お前が下手にコイツを庇うからこんなになってしまったんだ! お前も女だてらに大学なんぞ、分不相応。しかも、その年で子供がいないどころか、結婚もしてないなんて、女として失格、親族の恥だ!」

「兄さん……!」


 絶句してしまった理奈さんを無視して、お父さんはルチルを睨み付ける。


「下賤な仕事からは足を洗え。大学もやめて、うちへ帰れ!」

「いやだニャ! やりたいことを自分の責任でやるのは悪いことじゃないはずだニャ」


 険しい顔でルチルははっきりと反論した。すると、それまで黙っていたお母さんが、ハンカチを目にあてながら悲しげに言う。


「真希絵、あんたは小さな頃から変なことばかりして。なんでお父さんの言うことがきけないの。周りの子はみんな、普通に育ってるのに、どうしてあんただけ……。里奈さんの影響というなら、わたしは里奈さんのこと、心底恨みますよ」


 ルチルのお母さんはハンカチの隙間から理奈さんを恨めしい目付きで睨んだ。理奈さんは顔を強張らせ、ルチルは一瞬怯むように唇を噛んだけれど、すぐに両親を睨み返す。


「パパ、ママ、何度言われても、無駄だニャ。たとえ理奈叔母ちゃんの応援がなくても、真希絵はあの家にはもう帰らないナリ」

「なんて親不孝な娘だ!」


 そんなやりとりが一時間ほど繰り返された。怒鳴り疲れたのか、ルチルのお父さんがやっと口を閉ざした瞬間、ルチルはテーブルに擦り付けるように頭を下げた。


「パパ、ママ。認めてくれとは言いません。わたしの進む道に不安を覚えるのもわかります。でも、どうか、わたしがわたしの道を進むことを許してください。お願いします」


 落ち着いた丁寧な口調だった。こんな風に話すルチルは見たことがなくて、隣では理奈さんもびっくりした顔をしていた。でも、お父さんは顔をさらに強張らせ、頬をヒクヒクと痙攣させながら言う。


「これだけ言っても、わからんのか! お前みたいな娘は勘当だ!」

「わかりました」


 ルチルは顔を伏せたまま静かに言った。


「もうここを出るニャ、理奈叔母ちゃん。ラピスちゃんも」


 顔を上げて席を立ったルチルに続き、理奈さんも伝票を持って立ち上がる。わたしもそれに続こうとしかけて、やめた。よその家族に口を出すなんてと思っていたけれど、どうしても一言言わずにいられなかったのだ。わたしはルチルのご両親にカバンから取り出したものを差し出した。


「先日発売したわたし達のCDです。パッケージのデザインはルチル……真希絵さんです。ファンにも好評で、特に初回限定版は特殊な仕様で苦労していましたが、アイデア出しから業者さんとの調整まで、真希絵さんは粘り強く取り組んでくれました」


 お父さんは二種類のミニアルバムを汚らわしいもののように弾いたが、わたしはもう一度それをお父さんの前に差し出した。


 ルチルは二種類買ってくれるファンにも満足してもらいたいと、普通のプラスチックケースの通常盤に対して、初回限定盤は特殊加工の紙ジャケットとピクチャーレーベルにし、歌詞カードも変形型を採用した。もちろん、通常盤のジャケットも手を抜いていない。両方ともルチルの拘りが詰まった仕様になっていた。


「お父さん、お母さん。真希絵さんはアイドル活動も、大学の勉強もとてもがんばって取り組んでいます。わたし達の活動のためにも惜しまず努力してくれます」


 不機嫌そうに顔を歪ませるお父さんと、不満そうに眉間に皺を寄せるお母さんに気圧されないよう、わたしは心を奮い立たせながら二人をじっと見つめた。


「いつか真希絵さんの素敵なところがご両親に伝わるといいなと思います」


 わたしはそれだけ伝えて頭を下げて、ルチルのあとを追いかけた。



「理奈叔母ちゃん、ごめんニャ」

「え?」

「ルチルの……真希絵のせいで理奈叔母ちゃんもパパ達に怒られちゃったナリ」


 暗い顔で俯くルチルの頭を、里奈さんは優しくポンポンと叩いた。


「なーに言ってるの。わたしが大学行くときなんか、兄さんと父さんと母さん――真希絵のパパとじいじとばあばのトリプルにやられたんだから、慣れてるわよ、こういうのは。だから真希絵ちゃんは気にしなくていいの。もちろん支援も続けるわ」


 それでも様子を窺うようなルチルに、里奈さんはにっこりと笑ってみせる。


「それだけ真希絵ちゃんの才能に期待してるってこと。わたしは投資対象の選定には目が利くつもりよ」


 それを聞いて、猫がねこじゃらしに反応するみたいに、ルチルがパッと身を起こした。


「うニャ! 約束するニャ! 里奈叔母ちゃんへのご恩は倍にして返すナリよ!」

「期待してるわ」


 にや~と、二人はそっくりな笑顔を交わし合う。次にルチルはわたしの方を向いた。


「ラピスちゃんも、ありがとニャ」

「え? わたしは特に何も……」

「帰る前にラピスちゃんがパパとママに言ってくれたこと、ルチルは嬉しかったニャ」

「ただ思ったことを言っただけだよ」


 ルチルは頭を横にブンブンと振る。


「ラピスちゃんは……メンバーとファンのみんなもだけどニャ、いつもルチルのこと受け入れて、認めてくれて、ルチルはいっつも嬉しいって思ってるナリよ」

「わたしからもお礼を言うわ、ラピスちゃん。これからも、どうか真希絵を……ルチルをよろしくお願いします」


 里奈さんにまで頭を下げられてしまって、わたしは恐縮してどう反応していいかわからなくなってしまう。


「そんな……わたしは――。とにかく、今日はもういい時間ですし、そろそろ」

「そうね」


 久々の再会の時間があっという間に終わってしまった叔母と姪は、惜しみつつ、互いの幸福を願いながら別れの挨拶を交わす。


「なんでも楽しんで生きなさい。でも、健康にだけは気を付けてね」

「里奈叔母ちゃんも、お仕事無理しすぎちゃダメナリよ」

「ええ。じゃあ、みなさんにもよろしく」


 わたしとルチルは手を振って里奈さんと別れ、メンバーの元に向かった。



「よっしゃ、食おうぜ! いただきまーす!」


 夕飯はだいぶ遅くなってしまったけれど、それに対して文句を言うメンバーはいなかった。お酒も飲める洋食レストランで、みんなが思い思いのメニューを口に運ぶ。


「よーし、今日はお酒飲んじゃうナリよ!」

「おう、じゃんじゃん飲め飲め。ルビーとヒスイも今日は飲むか!?」

「もう、コハクちゃんってばそんなこと言って。わたし達は飲めないよ。ねえ、ルビーちゃん?」


 千沙子がコクリと頷く。


「これだからヤンキー上りは嫌ナリよ」

「なんだとー!」


 他愛のない話にルチルはいつもの笑顔で加わりながら、グラスを空けていく。


「親は嫌いだけど……やっぱり、わかってほしいって思っちゃうナリよ。ルチルの気持ち、ちょっとでも届けば嬉しかったニャ。けど、人生、全部がうまくはいかないナリね」


 何杯目かのカシスソーダのグラスを傾けた時、複雑な表情の混じった笑顔でルチルはそう言った。隣のコハクが少し強めにポンポンとルチルの肩を叩くと、彼女はコテンとコハクに寄りかかる。コハクは少し驚いた顔をしたけれど、フッと笑ってそのままにした。


「でも、ルチルはルチルでいるって決めたからニャ。ルチルは笑顔を続けるニャ!」


 お酒の影響で少し頬の赤いルチルは、コハクの肩に頭を預けながら微笑んだ。

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