第六章 紅玉は砕けても輝く⑤

「うーん。難しいなあ……」


 ライブの翌日、わたし達の部屋でパソコンを覗いていた泉ちゃんは、眉間に皺を寄せていた。わたしは泉ちゃんの眉間を撫でてみる。


「あはは。皺が増えちゃうね」


 泉ちゃんは苦笑して、一旦ブラウザを閉じた。

 でも、泉ちゃんが考え込むのもわかる。ネット上ではファンのみんなからのわたし達を応援する言葉の他に、色々な人からの厳しい言葉も並んでいたから。


「ハピプリが乞食行為を始めました」

「売れなさ過ぎてエンジェルハートに捨てられたらしい」

「ハピプリ、オリジナル曲の権利を奪われた説。これ詰んでない?」


 カバー曲は来てくださったファンの人達には楽しんでもらえたみたいだけど、「オリジナル曲はもう歌えないってこと?」と、みんなを不安にもさせてしまったみたいだ。直後にミニアルバム製作に関連したクラウドファンディングの告知を出したこともあって、ファン以外の人達も騒ぎ始めていた。


「でも、やってくしかないよ。うん」


 自分に言い聞かせるみたいに呟く泉ちゃん。でも、きっと心配事はそれだけじゃないんだ。

 ヒスイちゃんのストーカー男がまたいつ突撃してくるかわからないし、CD製作や今後のライブの予定ついても考えないといけない。当然、お金のやりくりも。


 そういうものが全部泉ちゃんの肩に乗っている。もちろん、メンバーで役割分担はしているけど、泉ちゃんはリーダーとして責任を感じて、神経を張り詰めているみたいだった。


「ああ、ちーちゃん、ごめんごめん。実家に帰るの引き止めちゃったね」


 泉ちゃんが少し無理して笑っているのがわかった。でも、わたしは泉ちゃんを慰めるための上手な言葉が思いつかない。


「ほらほら、早くしないと日が暮れちゃうよ。おばあちゃんによろしく伝えてね」


 泉ちゃんに背中を押されて玄関に出される。泉ちゃんはニッコリ笑顔で手を振った。やっぱりわたしはうまく言葉が出てこない。むず痒い思いを抱えたまま、わたしはキャップとマスクを被ってマンションを出た。



 わたしはひと月に二、三回は実家のおばあちゃんのところに帰るようにしている。おばあちゃんはまだまだ元気でパートに出ているくらいだけど、それでも家に一人というのはちょっと心配だから。


「ちーちゃん!」


 市営団地の扉を開けると、満面の笑みを浮かべたおばあちゃんが出迎えてくれた。


「なんだか大変みたいだけど、大丈夫かい?」


 おばあちゃんはわたしが家を出るのを機にスマートフォンを買い、今ではすっかり使いこなして情報収集している。わたしが「大丈夫」と頷いて今の状況を説明すると、ほっとしたように笑ってくれた。


「泉ちゃんは元気かい? 仲良くやってるかい?」

「うん」

「そうかい。よかった」

「おばあちゃんに……よ、よろしくって」

「あの子はいい子だねえ。おばあちゃんからもよろしくって言ってたって伝えておくれ。さて、それじゃあ、ご飯にしようかね」


 おばあちゃんはわたしが帰る時はいつもわたしの好きなご飯を用意してくれる。今日は炊き込みご飯と豚汁と焼き鮭だった。


「たくさんお食べ」


 わたしが頷きながらパクパク食べるのを、おばあちゃんはにこにこ笑って見ている。


 部屋の角にはハピプリのグッズやポスター、CDを飾るコーナーがあった。少し大きな会場で関係者席を確保できるライブには、おばあちゃんを招待するようにしている。いつも楽しそうに見てくれて、ちょっと恥ずかしいけど、嬉しかった。


「そういえば、ちょっと前に事務所の人から緊急でちーちゃんの連絡先をどうしても知りたいって連絡があったけど、なんだったんだろうね?」


 なんだろう。独立する前のことかな。

 不思議には思ったけど、ご飯に夢中ですぐにそんな話題のことは忘れてしまった。



 実家に一泊した翌日、わたしは団地を出てバス停に向かって歩いていた。その途中、ある人達と対面して、わたしは足を止める。


「あれ、千沙子じゃん」

「噂になってるよ。アンタ、地下アイドルやってるらしいね。ネットで見たよ」


 体温が二、三度下がった気がした。胃の中がチリチリ痛む。

 絶対に会いたくない人達が目の前にいた。同じ小学校・中学校に通っていた人達。わたしにとても酷いことをした人達。


 ハピプリのオーディションをわたしに受けさせたこの人達に、わたしは落選したと嘘をついていた。笑われたけど、アイドルのことで何か言われるのはその一回で済んだから、それでいいと思った。中学校を卒業する時には、泉ちゃんと仙崎社長が「アイドル活動も忙しくなるし、これからは泉とルームシェアして東京で暮らしたらどうか」とわたしとおばあちゃんに言ってくれた。二人はわたしの学校での状況をいくらか察していたんだと思う。わたしはその言葉に甘えて、東京の通信制高校に通うことにしたから、それ以降はこの人達とは会っていない。


「やっとアンタの電話番号手に入れて掛けたのにさ、なんで無視するの?」


 わたしはハッとする。

 もしかして、前に知らない番号から掛かって来たのはこの人達からだったのか。あれからも何回か掛かって来たけど、タイミング悪く出られなかった。でも、どうしてわたしの番号を知っているんだろう。


「アンタんとこのバアさんから聞き出したの。事務所の人間ですけど連絡取りたいんでって。オレオレ詐欺的な感じ? あのバアさん、簡単に引っ掛かってさ。ウケるよね。今度マジで詐欺ってやろうか?」


 彼女達が嫌な声で笑った。気付いたら、わたしはすごい顔で相手を見ていたみたいだ。


「なに、その顔。千沙子のくせに、生意気なんですけど~」

「アイドルやって、気が大きくなってるんじゃない? 身の程知らず、ウケるし」


 彼女達は可笑しそうに大きな声で笑った。昔と同じような笑い方。神経がチクチクする。胃の中身が蠢く。汗が吹き出す。わたしは硬い顔をさらに強張らせて彼女達を見る。


「そんな態度していいのかな~。うちら、アンタの色々な写真、まだ持ってるし~」

「これ晒したら面白いよね」


 彼女達の中の一人が画面の割れたスマートフォンを取り出して、わたしにある画像を見せた。わたしはそれを直視できなくて、下を向く。


「反抗するならするば? でもそしたら、これネットに出すよ~。オタどもの反応、楽しみじゃね?」

「あんたのバアさんにも言うよ。バアさんが間抜けだから、孫の番号がうちらにバレて、またイジメが始めましたよ~って!」

「学校でイジメられてたのにも気付かなかったんですか~? 保護者失格ですね~って! お宅が貧乏だったせいですね~って!」


 心の中の、柔らかい部分を乱暴に握りつぶされたような感覚があった。彼女達は満足げに笑いながら、わたしの横を通り過ぎていく。


「というわけで、千沙子とまた遊んであげるからね~」

「相変わらず雰囲気悪い女だよね。あんなんで本当にアイドルなわけ?」

「単なる遊びなのに、マジでびびっててウケる」


 彼女達の声を聞いているうちに、最近は思い出すことも少なくなっていたあの頃の記憶が、頭の中にどんどん再生されていった。心臓が嫌な音でバクバク言う。気持ちが悪い。わたしは拳を握りしめながら、彼女達の後ろ姿か見えなくなるまでその場で固まっていた。


 彼女達はどこまで本気なんだろう。わたしはどうすればいいんだろう。


 泉ちゃんに相談する?

 でも、苦しくて恥ずかしい記憶を、たぶんわたしは口にできない。それに、あんなにたくさんのことを抱えた泉ちゃんに、これ以上心配をかけることなんてできない。おばあちゃんを巻き込むのもごめんだ。


 でも、もう情けない思いをするのは嫌だ。負けたくない。

 わたしはどう行動するのが正しい?

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