第七章 瑠璃は惑いの中で踊る
第七章 瑠璃は惑いの中で踊る①
「結局のところ、世の中、金か……」
「ラピスちゃん、アイドルがそんなこと言っちゃだめだニャ!」
わたしの独り言にルチルからツッコミが入った。
今日はわたしと千沙子の住むマンションにハピプリ☆シンドロームの全員で集まって作業していた。わたしは来月始まる東名阪ツアーの移動・宿泊手段の確保と旅費計算。ルチルはそのツアーで販売するグッズについて、発注先との調整。千沙子は収支関係の帳簿整理。コハクはレコーディングの終わった新曲を聞きながらダンスを考え中。ヒスイはパソコンを持ち込んで、明後日歌入れ予定の自作曲の最終調整。わたし達は互いに適宜確認し合いながら作業を進めていく。
結果、ダイニングチェアもクッションも満員で、狭い我が家がさらに狭く感じられた。
「しばらくはみんなにお金を還元できないから……お金を使わないで済むようにうちに集まってもらったけど、狭くてごめんね」
「大丈夫だよ。こっちこそ、場所を占領しちゃってごめんね」
ヒスイがヘッドフォンを外しながら言った。
「それにしても、ファンのみんな、心配してるみたい。ネット上、ちょっと荒れてるね」
「でもよ、何があっても応援するって言ってくれてる奴はいっぱいいるじゃん。うちらはさ、そいつら信じてやってこうぜ!」
コハクの言葉に、ルチルがニヤリと笑う。
「コハクのくせに、いいこと言うナリね」
「うっせ。コハクのくせにってなんだよ」
「ニャハハハ。残りの曲のダンスもいいやつ期待してるニャ!」
「ふん。わかってんよ!」
コハクは怒っているような、照れているような顔をして言った。
「じゃあ、この前話したとおり、次のライブから少しずつ新曲やっていこうか。ミニアルバム発売日の告知も忘れずにしないとね」
「やったニャ! って言いたいとこだけど、頭がぐるぐるするナリ~」
「うん。おさらいが大変!」
ルチルとヒスイが顔を顰めた。
ハピプリ☆シンドロームになってからは、昔の曲が使えない代わりに他のアイドルさん達の曲を歌わせてもらっている。飽きられないよう、そして、オリジナル曲を届けられないお詫びに、レパートリーをどんどん増やしていった。48グループさん、坂道シリーズさん、ハロー!プロジェクトさん、スターダストのグループさんなどの他、まねきケチャさんやBiSHさんの曲も歌わせてもらっている。おかげ様で歌とダンスが今も頭の中が飽和状態だ。
今後は新曲も体に入れていかないといけないわけで、それを考えるとなかなかきつい状況には違いない。
「でも……やる」
千沙子の呟きに、みんなの視線が集まった。
「必ず、ライブ……せ、成功、させる……」
領収書を整理しながら言う千沙子に、コハクがニヤリと笑いながら拳を突き上げる。
「あったり前だろーが!」
他のメンバーも次々とガッツポーズを作る。
「そうナリね」
「うん!」
「そうだね。一つ一つ取り組んでいこう」
頷き合ったわたし達は、再びそれぞれの作業に没頭した。
ただ、わたしは千沙子の様子に少し不安を感じていた。アイドルとしてのステージや日々の作業に真剣に取り組んでいるのはわかる。でも、一心不乱にがんばりすぎて、それはどこか頑なすぎるようにも見えた。
※
みんなが帰った夕方、わたしはお化粧をしていた。今日は由香里とやっとスケジュールが合って、ご飯の約束ができたのだ。千沙子も誘ったが、首を横に振られてしまった。
「今日は行かなくていいの?」
もう一度訊いてみても、ハピプリ公式とヒスイのSNSをチェックしている千沙子は、スマートフォンを見つめたままコクリと頷く。
「そっか……」
わたしはお化粧を終えて、千沙子の隣のクッションに座る。彼女はそれでやっと顔を上げ、黒目がちの瞳でわたしを見た。
「ねえ、ちーちゃん。なんかあった?」
わたしが言うと、千沙子はパチリと大きな瞬きをした。それからすぐに目線を逸らせる。わたしは千沙子の肩に手を回して、彼女の目を覗き込む。
「ちーちゃん?」
「う、うー……え、えーと……」
口をもごもごさせた千沙子は、隠し事を白状する子供みたいに、呻くように言った。
「同級生に……あ、会った……」
その苦しげな姿に、胸を爪で引っ掻かれたような気がした。わたしは具体的に彼女の学生時代がどんな風だったかということを聞いたことはない。でも、なんとなくは察せられる。察することしかできないけれど。
「そっか。何かされた?」
「ううん……でも、わ、わたしが、アイドルしてること、し、知ってた。わたし……あの頃、あの頃の、わたし、を……誰かに、言うか、写真を……出す、つもりかも……?」
「そっか」
千沙子は小さく首を傾げる。
「ね、なんで……わ、わかっちゃうの?」
「ん?」
「な、何か……あったこと。い、泉ちゃんに、言えずに、いたこと……」
「なんでだろうねえ?」
わたしも首を傾げて笑いながら、千沙子の少しごわごわした髪を撫でた。
「ちーちゃんが実家に帰った日から、今まで以上にお仕事がんばってるのはわかったの。でも、なんだか無理してる感じもしたから」
「ふうん……」
千沙子はわたしにだけわかるくらい、少しだけ頬を赤らめて俯いた。
「ちーちゃん、大丈夫だよ。その人達にはわたしから一度……」
「わ、わたしが、じ、自分で、対応する!」
「でも、ちーちゃんはそういうの不得意でしょ?」
「わたしの、こ、個人のこと、で、迷惑……か、かけられない」
「迷惑なんてそんな。わたしはちーちゃんにはなんだってしてあげ……」
「い、いつまでも、わ、わたし、こ、こ、子供じゃ、ない……!」
千沙子の真っ直ぐな瞳が矢を射るような鋭さでわたしを見た。ドキッとした。同時に、なぜか無性にショックを受けている自分がいた。
「ゆ、由香里ちゃん、待ってる。早く……い、行きなよ」
「でも」
「と、とりあえず、今日は、この話……も、もう、いいでしょ。は、早く!」
「ちーちゃん……」
再びスマートフォンに顔を向けた千沙子は、それ以上話す気はないようだった。わたしは胸の中にじわじわと広がっていくショックの余韻を感じながら、後ろ髪を引かれる気持ちでマンションを出た。
※
由香里のセレクトしたお店は、ワインの品揃えが豊富な欧州料理のレストランだった。仕事終わりのスーツ姿の由香里と合流したわたしは、小さなキャンドルに火が灯されたテーブル席に着く。
「Cheers!」
細長いグラスにスパークリングワインが注がれ、由香里の乾杯の合図で二人きりの食事会が始まった。
「あれ、泉、暗くない? なんかあった?」
「うん……ちーちゃんとちょっと……」
「珍しい。昔から二人でベッタリしてて、喧嘩らしい喧嘩もしたことないのに」
「そうだったかな?」
「そうだよ。あの子がアイドルになったのも、泉がいたからでしょ」
由香里の言葉に、わたしはびっくりして首を横に振る。
「違うよ。ちーちゃんは由香里のステージを見てアイドルになりたいって思ったんだよ。尊敬してるんだよ、由香里を」
「えー、だって千沙子、ステージ以外だとわたしとは全然話してくれなかったけど?」
「それはあの子が緊張してたから。憧れの人を前に、うまく話せなかったんだよ」
「うそ。そうだったんだ?」
由香里が目を丸くしている。アイドル活動でも学生生活でも、何に対しても自信を持って取り組んで、きちんと結果も出して来た由香里が、実は近場の尊敬の眼差しに気づいていなかったなんて。少し面白い気がした。
「泉はよく見てるよねえ」
「そうかな」
「でもね、もっと大事なものを見ないとダメだよ」
首を傾げるわたしに、由香里は人差し指を向けてくる。
「前も言ったけど、アイドルなんていつまで続けるつもりなの?」
「あー……」
口籠りながら前菜にフォークを刺すわたしに、由香里は遠慮なく言葉を続ける。
「そもそもの話、ハピプリは大丈夫なの? 最近の動向調べたけど、かなりヤバくない? 無理してるんじゃないの?」
「いやいや。そこまで無理はしてないよ」
わたしは前菜を口に運びながら苦笑した。由香里はグラスに残ったスパークリングワインをぐいっと飲み干しながら、わたしを呆れたような顔で見る。
「ちゃんと考えなさいよ。収支計画はちゃんと立ててるの? 投資と労働とリスクに見合ったリターンは見込めるの?」
「まあ……そういうことはある程度考えてるよ。大学の経営関係の授業もちょっと役に立ってるし」
「学問と実際の経済活動は違うものでしょ」
「いや、だって、ちゃんと考えてるのかって聞かれたから……」
由香里が溜息をついたところで、追加で頼んだ赤ワインのボトルをウェイターが運んできてくれた。彼女は新しいグラスに注がれたワインを口に運ぶ。
「超大手の選ばれた子を除けば、ほとんどのアイドルなんて使い捨てでしょ。そんなものに拘って、いつまでも子供のみたいでいるのはちょっとどうかと思うよ、泉」
「由香里、もしかしてもう酔ってる?」
わたしは苦笑いしながら、グラスに残っているスパークリングワインを一口飲み込んだ。一口目ほど甘く感じないのはなぜだろう。
わたしは話題を変えることにした。
「それより、由香里の話を聞きたいな。今、どんな仕事してるの?」
「ん? わたし? うちの会社のニュースサイトをいくつか担当してる」
サイト名を聞くと、わたしの知っているものもあった。
「それ見たことあるよ。すごいね!」
「ふふふ。あのね……」
そこからは、由香里の話の聞き役に回った。仕事の内容や面白み、上司の愚痴を「うんうん」と頷きながら聞く。二人でワインボトルを空けているうちに話は飛び、同僚の人達と参加する合コンの話になったり、そこで出会った彼氏とのノロケ話になったりもした。
「泉も合コン来る?」
「いやいや、いいよ。そういうの興味ない」
「相変わらず固いよね。ファンへの義理? そんなんで人生楽しい?」
「いや、あの……」
「あ、そうだ! うちのニュースサイトに連載もつ?」
「え?」
話題の飛躍に戸惑うわたしに、少し顔の赤くなった由香里が陽気な調子で言う。
「さっきも言ったでしょ。ニュースサイトの運営してるって。その中で一つ、サブカル系を扱うサイトがあるんだけど、音楽の記事が弱いからどうしようかなって思っててさ」
「うん」
「泉、書く?」
「書くって何を?」
「うーん。地下アイドルの実情とか? アイドルの最新トレンドとか?」
「はあ……」
「あれ、本気にしてないな? わたしは結構本気だよ。上司に話す! お酒のせいで忘れてなければだけど!」
そう言って、由香里は赤い顔で楽しそうに笑った。本気にしていいのか、冗談にとっていいのか、わたしは困ってしまう。
「感謝しなさいよ、泉。こんなオファー、わたしというコネでもない限り、今のハピプリレベルのグループには来ないんだから。頼りない泉を心配してあげてるの、わたしは」
「う、うん……そっか、うん……そうだね、ありがとう……」
なぜか笑顔で感謝の言葉を伝えるのが辛い気持ちがあった。
由香里が勝ち気な発言をするのは昔と変わらないし、今までそういう彼女といて嫌な気持ちになることはなかった。だけど、今日は微かな苛立ちがお腹のあたりに溜まっていくのを感じる。わたしも酔っぱらって気持ちが変になっているのだろうか。
※
「うわー、文・月岡ラピス(ハピプリ☆シンドローム)だってよ!」
うちのダイニングテーブルに置かれたノートパソコンを覗いて、コハクが嬉しそうな声を上げた。その隣で、ルチルもしげしげと画面に見入っている。
「今時の会社は決定が早いナリね」
なんと、由香里はお酒の席での約束を覚えていて、それをすぐに実現させてしまった。とりあえずわたしの連載一回目はメンバーとの対談形式の記事にして、ハピプリの独立経緯を「地下アイドルのちょっと悲惨で、それでも楽しい現場事情」として、一部の事情を省略しつつコミカルに味付けして書いた。
「次からは色々なアイドルさん達をインタビューして、ライブアイドルのシーンを紹介していくつもり。アイドル界隈がちょっとでも盛り上がればいいなあって」
「えー、ハピプリの宣伝だけすればいいのにニャ」
「でも、ラピスちゃんらしくていいと思う」
にこにこしながらヒスイがそう言ってくれた。
「とはいえ、実際、原稿料は地味に助かるよ。由香里に感謝しないと」
「……貧乏は辛えよな」
ふぅとコハクが溜息をついた。事務所を出てからライブでの収益はそのままわたし達に入るようにはなったけれども、忙しさが増したせいで、わたしと千沙子はバイトのシフトを減らさざるをえなかった。高校生で実家住みのヒスイはともかく、限られた仕送りで美大生をするルチルと、不定期なモデル仕事との兼業のコハクはなんとか遣り繰りしている状態のようだ。ちなみに、コハクはエンジェルハート所属時代から別のモデル事務所さんと業務提携することでお仕事を頂いていて、幸いなことに今もその関係を続けさせてもらっている。
「お金のことといえば、とりあえず、クラウドファンディングが成功してよかったナリ」
「そうだね」
結局、CD製作費自体はわたしからハピプリ運営への出資額を大きくすること、当面のライブ収益の何割かを製作費に充てることで捻出した。わたし個人の貯金を切り崩すことはみんなに反対されたけれど、そうでもしないと「ミニアルバム発売決定に伴うライブツアー開催」の告知と整合性がとれないからと押しきった。
それと並行して、わたし達はミニアルバム収録曲のミュージックビデオ撮影費用の調達を目的としたクラウドファンディングを実施した。出資者への見返りは、ミュージックビデオの他、ダンスやメイキング映像を収めた非売品DVD(サイン入り)のお渡しだ。
「流通するCDはミュージックビデオ収録DVD付きの初回限定盤と、CDのみの通常盤の二種売りナリね。ライブツアーと一緒にリリイベで各店舗回るニャ!」
CD一枚購入でリリースイベント参加券をプレゼントし、その券で店舗でのミニライブと握手会に参加可能。二枚同時購入でツーショットチェキ&私物サイン券も配布ということでCDショップとは調整している。
「結局ファンの皆さんに負担かけちゃうね」
わたしの溜息に、コハクが口を尖らせた。
「だって、早くラピスちゃんへの借金返さねーといけねえし、もっと多種売りでもいいくらいだろ」
「借金なんて……そんなの別にいいのに」
大学生時代、わたしは親から十分な額の仕送りをもらっていたので、アイドルとしての収入は全部貯金していた。自分としては、あぶく銭みたいなそれを新生ハピプリのために放出するのは何の躊躇いもなかった。
「よくはないよ、ラピスちゃん。お金のことはちゃんとしないと」
「コハクとヒーちゃまの言うとおりだニャ。如月さんみたいになるつもりはないけど、お金の管理は大切ナリよ」
「そーそー。別に多種売りなんてみんなやってることだしよ、悪いことしてるわけじゃねーんだから。なあ、ヒスイ?」
コハクの問いかけに、ヒスイは首を縦に振りつつも、少し表情を曇らせる。
「うん……でも、わたしもラピスちゃんみたいにたまに考えるよ。CDの全種買いしてもらうのっていいのかな、とか」
「ヒスイ……」
みんな、答えに困って黙りこんでしまう。その時、リリースイベントの告知文章をパソコンで作っていた千沙子が顔を上げた。
「わ、わたし達は、応援、ないと……アイドルで、いれない。ファンの人達、いないと……わ、わたし、ルビーに……なれない。ファンの、み、みんなには……感謝しか、ない」
つっかえながらの言葉だけれど、不思議な引力を感じる声で、メンバーはみんな、彼女の方に体を向けた。
「でも、ア、アイドルとしてしか、わたし、感謝の気持ち……つ、伝えられない。応援された分、アイドル、として……ちゃんとパフォーマンス、き、気持ち、返す。あ、ありがとう、する。それが、すべて……」
たどたどしく語った千沙子は、照れたように顔を俯かせて、わたしにパソコンの画面を指差した。
「い、泉ちゃん……これ、チェック……お、お願い」
わたしは千沙子の髪を撫でながら、画面を覗いた。リリースイベントの告知文章はきちんとしていたので、OKを伝えると、千沙子はまた少し照れたような表情で頷いた。
そんなわたしと千沙子を、残りの三人がなぜかじっと見つめている。
「え、なに?」
「二人、仲直りしたんだニャ?」
「なんか最近、ちょっとよそよそしかったもんな?」
「そうだね」
わたしは少しギクリとした。
「なにそれ。別に普通だよ。ねえ?」
千沙子もコクリと頷く。
家事もアイドル運営の作業も、千沙子とは今までと同じように分担してやっている。でも、彼女の同級生についての話を聞いた日から、たまにギクシャクした空気になっていたのは事実だ。あれから千沙子に同級生のことを訊いてもはぐらかされるだけだった。千沙子は一人で立ち向かおうとしている。
もちろん助けてあげたい。でも、彼女が一人でがんばろうと決めたことに他人のわたしが手を出すのは正しくないような気もした。だから、余計なことはしないと決めたけれど、胸の奥に不安と寂しさは常に感じていた。見守るという行為には心の強さが要るのだとわたしは知った。
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