第四章 紅玉は外界を覗く

第四章 紅玉は外界を覗く①

 最近の泉ちゃんはライブのブッキングやリハーサルスタジオの予約まで全部を自分でやっている。家にいても、泉ちゃんの個人携帯にイベンターや他の事務所の人から仕事の電話がかかってくることがあった。


「はい。はい。確認してまたご連絡差し上げますので。はい、失礼します」


 何もない空間に頭を下げた泉ちゃんは、ふうと溜息をつきながら電話を切った。


「ね、ねえ、泉ちゃん……大丈夫……?」


 目をパチクリさせてわたしを見つめ返した泉ちゃんは、にっこりと微笑む。


「大丈夫! ハピプリのことは何も心配いらないよ。ちーちゃんはステージやイベントのことだけに集中していればいいからね」


 泉ちゃんはそう言うと、個人のスケジュール帳とグループのスケジュール帳を見比べながらうんうん唸り始めた。


「そ、そうじゃ……なくて……」


 泉ちゃんが無理してるみたいで心配なんだ。

 わたしがそう言う前に、泉ちゃんは手帳からパッと顔を上げ、時計を見ながら言った。


「あ! もうこんな時間! ちーちゃんはもう寝ないとダメだよ」

「え、え……?」


 泉ちゃんは後ろからわたしの肩が掴むと、電車ごっこみたいな格好でわたしを寝室に連れていく。


「ほらほら、若い子は早寝早起きが大事!」


 ベッドの中に押し込まれ、掛け布団を顎の上まで引き上げられる。


「い、泉ちゃん……!」

「なあに? 眠れない? 眠れるまで傍にいてあげようか」


 ベッドサイドに腰かけて、泉ちゃんはわたしの頭を撫でた。優しく微笑みながら、額にかかった髪をそっとよけてくれる。物心つくかつかないかの昔の、今はいなくなってしまったわたしの大切な人達の面影が重なって見えた気がした。


「おやすみ、ちーちゃん」


 ずるい。泉ちゃんはずるい。

 心がぎゅーっとしてなんにも言えなくなる。

 頭を撫でられているうちにウトウトしてきてしまって、わたしは泉ちゃんに見守られながら眠りに落ちた。



 今日もわたしは泉ちゃんのヘアメイクで千沙子からルビーになってステージに立つ。


「久々のライブになっちゃったけど、みんな、元気だった~?」


 フロアに問いかけると、元気な声が返って来る。


『イエ~イ!』

『元気~!』


 それだけで、全身の毛が逆立つような感覚があった。心が震えた。


「ルビーはみんなが大好きだよ~!」

『俺達も~!』


 わたしの言葉一つ一つを聞いてくれて、一言一言、心のこもった返事をしてくれる。それが泣きたくなるくらい嬉しい。わたしにはもったいない言葉ばかりで、こんな風に言ってもらえることが今でも信じられない。


 曲が始まる。音が鳴る。歌う。踊る。

 ファンのみんなも踊る。みんなの歓声が聞こえる。


 この感覚をなんて言えばいいんだろう。毛穴の一つ一つが開いて、心が空の上のさらに上まで駆け上っていくような感覚。


 わたしは笑う。全開の笑顔を浮かべながら、全身のエネルギーを絞り出して歌って踊る。


 握手会やSNSでみんながルビーの笑顔や全力のダンスが好きと言ってくれるから、ステージに立つわたしはみんなの大好きな「ルビー」になる。みんながいるから、わたしは理想の女の子「ルビー」になれる。


 熱い。心も体もすごく熱い。

 ダンスが激しい曲だからかな。でも、それだけじゃない気がする。


 もっともっと熱さが欲しい。炎みたいな熱が欲しい。かまどに薪をくべて、風を送り込んで、今よりもっと大きな火にしたい。わたし自身を焼き尽くすくらい、もっともっと熱くなって、わたしはみんなの大好きな可愛いルビーになれたらと、いつも思っている。



 特典会でファンのみんなと楽しくおしゃべりをして、写真を撮って、他のグループのアイドルさん達ともおしゃべりをして。


 でも、衣装を脱いでキャップとマスクをつける頃には、わたしの中のルビーが消えていく。興奮していた心が残り香みたいに漂っているけど、ダウンしていく心とのギャップで、この時間はいつも少しぼんやりしてしまう。


 今日も一人で荷物を事務所まで戻しに行く泉ちゃんを、わたしは何も言えずに見送った。役には立たないかもしれないけど本当は一緒に行きたいし、前までみたいに手をつないで帰りたい。でも、ぼやぼやしているわたしはそれをうまく泉ちゃんに伝えられなかった。


 そんなわたしに、ライブハウスの外でルチルちゃんが声を掛けてきた。


「ねえ、ルビにゃん、ちょこっとお話できるかニャ?」


 私服もアイドルの衣装に負けないくらいファンシーで個性的なルチルちゃんは、夜の闇の中でもキラキラしている。実はわたしは泉ちゃん以外のメンバーとは二人きりで話したことがほとんどなくて、少し戸惑った。


「ルビにゃん、疲れたナリか? 今はお話が難しいかニャ? でも、もし大丈夫なら、ラピスちゃんのことを相談したいナリよ」


 その言葉で、わたしの頭の一部が目覚めた。


「だ、大丈夫……話せる……!」

「よかったナリ! 近くにおススメのカフェがあるから、そこでどうかニャ?」


 ルチルちゃんおススメのカフェは、原色ばかりのサイケデリックな内装に、現代アート風の作品がたくさん展示された不思議なお店だった。わたしの頼んだカフェラテはファンキーなイラストの描かれたカップで、ルチルちゃんのトロピカルフルーツジュースはカラフルでいびつな形のグラスで出された。


「ねえ、ルビにゃん、最近のラピスちゃん、無理しすぎてないかニャ?」


 わたしはコクンと頷きながらカップに口を付ける。


「やっぱりニャ~。ホントは事務所がやんなきゃいけないこと、ラピスちゃん、た~くさんやらされてないかニャ?」


 もう一度わたしは頷く。ルチルちゃんは虹色のストローから口を外して溜息をついた。


「や~っぱりニャ。それって、社長が入院しちゃった後から酷くなったナリか?」


 また頷くと、ルチルちゃんが唸る。


「きっと、副社長あたりに『ハピプリみたいに売れないアイドルにこれ以上は事務所の稼働は割けない。グループを続けたいなら自分で勝手にやってくれ』みたいなパワハラ受けてるんだニャ。それなのに、ハピプリの売上げの何割かは管理費として事務所にいってるナリよ。ムカつくニャ!」


 ルチルちゃんは口を尖らせながらテーブルに突っ伏した。今日は灰色をしたルチルちゃんの瞳が、かすかに揺れるジュースの水面を考え込むように見つめる。


「鈴本さんも副社長には逆らえないんだろうニャ。そうすると、仙崎社長が休養している今、ハピプリは孤立無援状態ナリよ」


 無理をしている様子の泉ちゃんにはわたしも不安を感じていたけど、ルチルちゃんに具体的に説明されて暗い気持ちが増えた。


「でも、ラピスちゃんはそれを一人で抱え込もうとしてるナリ。しょうがない人だニャ」


 ルチルちゃんはもう一度溜息をつくと、わたしの顔を覗き込む。


「ラピスちゃんの様子はどうかニャ?」

「すごく……む、無理してそう……。だ、大丈夫なのって、訊いたけど……」

「ラピスちゃん、なんか答えたかニャ?」

「ううん……。な、なにも、言ってくれない……」


 わたしの言葉を聞いたルチルちゃんは、可愛い顔を顰めっ面にしてしまう。


「ふーむ。『ちーちゃん』でもだめナリか」


 顰めっ面から真剣な表情に変わったラピスちゃんが、真っ直ぐにわたしを見つめた。


「ねえ、ルビにゃん。ラピスちゃんのこと、しっかり見ててほしいナリよ。それで、これはマズイって思ったらすぐルチルに連絡してほしいんだニャ。ラピスちゃん、いい人だけど、真面目すぎてちょっと心配ナリよ」


 ルチルちゃんの言葉を、わたしはすごく嬉しく感じた。


「ルチルちゃんも……い、いい人、だね」

「ニャハハハ! ルチルは自分を表現したいって欲求が高いナリ。で、ハピプリはルチルにとってはルチルを表現できる貴重な場所なんだニャ。それを守らなきゃっていう利己的理由ナリよ」


 ルチルちゃんは顔をくしゃっとさせて、ちょっと照れ隠しみたいに笑った。


「でも、ルチルのそういう心、ルビにゃんはわかってくれるって思うんだニャ」


 ルチルちゃんの言葉にわたしはハッとした。

 そうか。ルチルちゃんはいつも自由で、いつでも自分でいられる人なんだと思っていたけど、ルチルちゃんにとってもハピプリは自分であるために大切な場所だったんだ。


 わたしが頷き返すと、ルチルちゃんは嬉しそうに笑った。


「よろしくナリよ」

「うん……!」

「今日のお話は以上だニャ。ルビにゃんはもう帰るナリか?」


 わたしが頷くと、ルチルちゃんは不思議なイラストの描かれた大きなトートバッグからスケッチブックとペンケースを取り出した。


「ルチルはここでちょっと作業してから帰るニャ」


 わたしは頷き、自分のリュックからお財布を取り出そうとして、首を傾げた。


「あ、あれ……? これ……?」

「それ、ヒーちゃまのポーチだニャ」


 なぜかわたしのリュックの中にヒスイちゃんのメイクポーチが入っていた。可愛いカエルのキャラクターが描かれたもの。私服に着替える時のぼーっとした状態の時に間違えてリュックに入れてしまったのかもしれない。


「ヒーちゃま、まだそんなに遠くに行ってないかもナリよ? 連絡してみるニャ」


 ラインを送ると、ヒスイちゃんからの返事はすぐに来た。


「まだ、え、駅……だって」


 ヒスイちゃんは駅前で待っていてくれるので、わたしはルチルちゃんに自分の分のドリンク代を渡して、急いでカフェを出た。

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