万年草

 万年草と呼ばれる植物がある。年中通して美しい花をつけ、季節ごとに花弁の色を変える。この領地の数少ない特産品の一つで象徴とも呼べるものだ。

 この領地は時期によって気候が大きく変わる。暑い時期は熱帯の地域のごとく暑くなり、寒い時期は寒帯のごとく寒くなる。そのため短期間で育つものなら時期に合わせて様々な地域の農作物を育てることができるが、成長に長期間かかる植物はあまり育てることができない。なので年中採れるものはこの万年草か味気ない芋くらいだ。

 季節ごとに色を変えるこの珍しい花は貿易に使える数少ない品だった。また花畑は観光名所ともなっており、領主の自分としてはこれほどありがたい物はない。

 しかし今ではこの世から消し去ってしまいたいと思うほどに疎ましく思っている。

例の官能小説、その中で時間経過を示すものが万年草なのだ。章の冒頭のほとんどには「万年草が~色になったころ」とつづられている。

 もしかするとこれが自分がこの役目に選ばれた要因の一つかもしれない。万年草が育つ環境の領地と言えばここを除けいて3カ所しかない。そのうち男の領主で適齢、かつ一人身となると自分と「吾妻」の領主のみだ。

 しかし彼は噂によるとひどく頭の固い男で融通が利かないという。このような役目には適さないだろう。そう考えると実質一択だったのかもしれない。

疎ましく思う理由はそれだけではない。

 小説内の時間が進めば物語も進む。それはつまりあのエルフと行為をする瞬間が迫ってきているということだ。

 あの花が赤色に染まりきったとき小説の中の領主は初めてエルフを抱いた。

まだ花弁は薄い黄色だが気温が高くなるにつれ赤らむ。例年通りならばあと1カ月ほどで鮮やかな赤色に染まるはずだ。

 赤に染まりきったときというが、そうなったかどうかという判断は自分に託されている。小説内で明確な日時が指定されていない。つまりアレを抱く時を大雑把な期間が決められているとはいえ、自分で決めなければならないということだ。

 そのことが余計に気分を陰鬱とさせた。

そもそも、あのエルフとそういうことができるとは思えない。エルフというだけでただの人である自分には手に負えない恐ろしいものだ。

 最終的には薬か魔術に頼ることになりそうだが、あまり強力なものは使えない。下手に理性を欠くと脚本通りにできなくなってしまう。

 官能小説だけあって情事の描写は事細かに書かれている。そのため可能な限り書かれている通りに行う必要がある。しかし生理現象に関わることのため書かれている通りに出来るとは限らないのが不安要素だ。

 別の不安もある。そもそも自分はそういった経験がない。いくら脚本があるからと言ってうまくできるとは思えない。

 童貞と言うのは領主としてはかなり稀な方だろう。

 前領主である父が優秀すぎたため少しでも近づけるよう後継ぎである自分は、学生のころから常に必死に励まねばならず暇がなかったというのもある。

 だが最大の理由は自分が恋愛等に興味がなかったことだ。世継ぎを作らねばならない身としては良いこととは言えない。

 恋愛をしなくとも見合いという形で結婚をしてもよいのだが、親としては心から好いた相手と一緒になってほしかったのだろう。生前の父はやたらと自分に相手ができないことを案じていた。

 まさかその相手がエルフで、しかもこんな状況になるとはいくら賢者と呼ばれた父でも予想できなかっただろう。

 「失礼します」

 ノックもなしに一人の女中が入ってくる。

 名は知らない。国が寄越した使用人役の一人だ。声を聴いたのすらこれが初めてかもしれない。

 恰好こそ女中のそれだが、立ち振る舞いは兵士に近い。歩き方は背を伸ばし大股で堂々としており、動作の一つ一つが区切られているかのようにはっきりとしている。

 不自然さのない男勝りな動きから見るに元が兵士だったとしたらそれなりに経験を積んだ者なのだろう。

 そして自分に敬意を払う様子がないところを見るとこの役目に不満を持っているらしい。不機嫌そうな表情からもそれが読み取れる。

 「何か用か」と私が聞くと、女中は幾つかの小瓶が入った箱を差し出し、これから毎週一本ずつ飲むようにと言う。

 瓶の中には薄赤い液体が入っている。飲め、ということは薬物であることは確かだ。

 「何の薬だ?」

 得体のしれないものを飲むのは躊躇われた。

 「…性的興奮を促す薬です。特定の人物に対して」

 一瞬ためらったが様子だったが案外あっさりと教えてくれた。つまりは惚れ薬のようなものか。

 しかしそうなると尚更飲むのを躊躇してしまう。精神に影響を及ぼす薬は大きく分けて2種類ある。恒久的に精神を変質させるものか、一時的な洗脳効果を持つものかだ。

後者は媚薬、自白剤、興奮剤、鎮静剤など一時出来に精神に異常をきたす物。一部禁止されているものもあるが、市場に出回っているものも多い。

 一方前者はどのようなものだろうと現在では製造・所持を禁止されている。そして薬により一度変質した精神は2度と元には戻らない。

 基本的には少量を一定期間、服用し続ける必要がある。それは短期間に価値観が変容してしまうと以前の自分との差異に苦しみ精神を病んでしまうためだとか。

 渡された薬は恒久的に精神を変質させるものだ。

 彼女がをためらったのは私が難色を示すと思ったからだろうか。それなのに話してくれたのは自分がこれを拒否できる立場にないからだろう。

 「一つ、よろしいでしょうか」

 小瓶を眺めていると意外なことに話しかけてきた。今までの様子から自分には極力関わらないものだと思っていた。

 「あなたはこの役目について、どう思われているのですか」

 どう答えるべきか迷う。彼女がどういう意図でそんなことを聞いてきたのかが分からない。

 正直に言ってしまえばうんざりしている、辞めれるなら辞めたい、ふざけている。

そう本音を言っていい相手なのだろうか。

 相手は国に直接通じている人間だ。私がこの任務にあからさまな不満を抱いていると知れれば何かしら干渉をしてくるかもしれない。

 「このような任務を、…納得しているのですか」

 しびれを切らし畳みかけるように問われる。声が若干震えている。怒りと不安が混じったような声色。なんとなくだが彼女の意図が伝わった。

 自分はこの状況に納得がいっていない、ならお前はどうだ。もしかしたらこの状況を楽しんでいるのではないか。本当はそう問いたいのだろう。

 こんな任務に就いているのだ。国に忠実で命令とあらば何でもするような者ばかり選ばれていたのだと思っていた。こうも感情的な者もいるのは意外だ。

 聞いたところでどうにかなる話でもないのだが、なにかしら思うところがあり我慢が出来なかったのだろう。

 「私も納得はできてはいない。だが意味もなくこのようなことを国が認めるとは思えない。事情がどうあれ、私にやらないという選択肢はないよ」

 本音を交えつつ出来るだけきれいに形作ろった返答をする。無骨な物言いを避けるのは領主としての癖だ。

 政から切り離された身では、いまさら領主という肩書も意味をなさないのだが…。

 彼女は顔を伏せ「そうですか」とだけ言い退室の挨拶もなしに足早に部屋を出て行った。

 あの様子は自分への哀れみ故いたたまれなくなったからだろうか。それとも同じ感情を抱いてることを知って歓喜したのだろうか。

 どちらでもいいことだ。何が変わるでもないし、あの女中と今後関わることもあまりないだろう。

 与えられた小瓶を一つ取り出しを眺める。これから自分は今までの自分と決別しなければならない。瓶を軽く揺らすと中の赤い液体も揺らめく。その赤は1月後に万年草が見せるであろう色とよく似ていた。


 

 

 

 


 

 


 

 

 

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奴隷の主人 みじんこしろいな @sankasatetu

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