初めての委員活動

「はぁ、あなたが、内田くんね」

期末考査の問題は、テスト範囲を知っていたからといって、山を張れるようなものではなかった。数学であれば、基礎問題五〇問五〇点。応用問題一問「今学期中に解いた問題の内、一番難しいと感じたものを挙げよ。またその解法を解説すること」の構成であった。その応用問題の点数が青天井であり、基礎満点を目指さなくても、一〇〇点をとれる努力評価型の仕組みだと気づかなかった事が、内田に現在の指導を受ける事態を招いたのだった。常識的な範囲で学習した内容を示せれば、赤点を取るようなことはない。入学一発目の実力考査にて、大概の生徒が陥る失態であったのであるが。内田明臣の答案用紙には、示さなければいけない、悪足掻きが欠如していた。また裏返すと、予めそれらの知識を取り入れていれば、済む話だったのだ。だから、溜息から始まった指導の担当が、スクールカウンセラーという肩書をぶら下げていたのだった。

 「今回の件について、問題とされるのは、内田くんが、なぜ、『考査に真剣に取り組まなかったか?』という授業方針どうのではなく。個人の姿勢の問題なんだよね」

テスト週間に入り、キョウコに出会い。書庫に通うようになった。その流れの中で、考査を諦めたのだ。何も努力しなかったわけではない。ただ、誰も教えてくれなかった。そのような思いが内田の胸には渦巻いていた。

「なぜテスト範囲を先生方に訊きに行かなかったのか? どんな問題が出るか知らずに対処は出来ないでしょうに……」

カウンセラーの話はわかる。だって、あの時、キョウコが教えてくれなかったから……。未熟な心が、他人のせいにしてしまおうと、囁き始めた時。一週間前の言葉が鮮やかに蘇った。「餅は餅屋というし……」それは、キョウコの的確なアドバイスだった。しかし彼は、何も理解していなかったのだ。あの時点で、数学教師の元を訪れていたならば。他の科目についても、訊いて周ったならば、まずもってこんな話し合いの時間は要らないはずだった。いちいち回りくどい行動をして、成果が得られぬまま、拗ねた。へそを曲げた。で、テストを放棄したのは、新湯学院の生徒としては、些か、幼稚な行為だった。内田明臣は己を恥じた。様々な学校を経験してきて、同世代の中では見聞の広いほうだと自負していた部分もあった為に、なおの事、メッキが剥がれた途端の狼狽は酷かった。その感情は、涙の筋を作っていた。

 その変化に気づき、カウンセラーの話は尻切れ蜻蛉で終わった。厳しく怒鳴りつけるわけでもなく。ただ、単調に語っていただけの言葉に、理解を示したのならば、少年には、まだ見込があるとカウンセラーは思った。また、涙を流す姿に、素直な心を忘れていない中学生の清らかさを感じた。もし、今この学院で受け持っているもう一件の事案もこんな風に簡単に解決出来たらどんなにいいか。スクールカウンセラーとして赴任しながら、今までに、それといった成果を挙げられなかった彼女に、欲が芽生えたのだった。

 「内田くん、あなたが今おかれている状態は、赤点を受けた落第者だ。このままでいい訳はないよね。だから、名誉挽回をしてみないかい?」

カウンセラーの提案は怪しいものであった。「いま、私が受け持っている不登校児に、同級生として働きかけて欲しいのさ。なにぶん、優秀な生徒を育てるという方針を掲げている以上、あまり、この様なお願いを教師からすることは禁じられていて、自主的に申し出があっても、個人情報の保護があるから難しんだ……」彼女の話を注意深く聴くと、不登校児の個人情報を内田に知らせるのだから、彼に信頼を寄せるに至った判断経緯を伝える必要がありそうな気もする。提案を持ちかけられた内田本人も、その点は不審に思ったし、戸惑った。しかし、彼は、一三歳が抱える心の問題に向き合う事で、自分自身が強くなれるような夢を抱いたのだ。そして提案に対する答えは縦に頷き成立した。


 黒井はる。この学院独特の学力考査において、常時首位の成績を残す生徒。その姿は、考査当日しか見ることは出来ず。特別の配慮の元、テストは保健室で行われている。つまり、カウンセラーの話していた不登校児が、内田とは真逆の有能な生徒だった。「対人恐怖症なのではないか?」「その優秀さに嫉妬した生徒にいじめを受けていたのではないか?」生徒が語る噂話には、どれも確証がなく。入学当初から一貫して、現在の奇行を続けているので、有名ではあるが、話題に上ることの殆ど無い生徒だった。

 内田が、その生徒について、調べようとした結果。皆、口を揃えて「わからない」と言った。そこで体育会系よろしく、「一緒に学校生活をしたくないのか?」と問いかけたところで、反応は鈍かった。その反応に内田は、私設書庫に通い始めて内装について語られ時の言葉を思い出していた。

――人の理性は、本物の価値を知るために、知識を得なければいけない。見たこともないモノに対して判断や評価を求められると、自ずと蓄積された価値観の真価が見えてくる。どこぞの鑑定士が、「偽物と判ずるのは容易いが。本物と見極めるのは難しい」と語っていた。それは、前例からの見劣りに気づくのは容易だが。本物を実証するのは、石の上にも三年で誰もが出来るようになる。そんな技術ではない。だからこそ、上質な空間に拘り、そこで得られる情報に何かしらの価値があると思わせる事で、より多くの知識を身につけさせようと試みている。人は、判断出来ず。他人の言葉や感情に思考を停止して流される。そんな弱い生き物だ。

 実際に館長がどの様に言葉を選んだかは、忘れてしまったが、内田がその話を聞いた時、何か自分自身の弱い部分を指摘されたような気がした。そう、だから決して、エリート中学生にその他の生徒が薄情な態度を執ったのではなかった。内田自身が、抱いている感情も彼らと同じ薄っぺらいものだっただけなのだ。

 この学院には、不登校児が居る。その子と普通に授業が受けられるようになったのなら、その功績は大きいだろう。しかし、そうしなければいけない必要はない。ただ、期末考査を落第した内田は、夏季休業中に行う課題として、カウンセラーに指示されたのだ。利害関係の一致があって、内田明臣は、彼女のもとを訪れる事になったのだ。それが、彼が初めて請け負った委員活動だった。

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