転校生を使った学院紹介

 彼は季節外れの転校生だった。長引く梅雨が、いつまでも夏を遠ざけていた平成二〇年。六月も下旬に入った時期に内田明臣はやってきた。中学生の転校というのは親の転勤に伴うことが多い。普通であれば、四月か、その半年後の十月に異動が起こるもの。会社がどんな不祥事に遭ったのか知らないが、組織を刷新しなければいけない事態に巻き込まれた親を持つのであれば、準備不足の引っ越しに伴う彼らの生活を少しは想像できるだろう。

 中学校も、春から始まった新学級の絆が芽生え、集団としての棲み分けが終わりつつある夏を迎えていた。そこにポッと入り込んだ彼は、春同席の転校生より物珍しく、秋のそれより間が悪かった。それは荒湯学院の固有のものかもしれないが、七月の二週目に行われる期末考査に向けて、学業成績の芳しくない生徒達の部活動が活発化し始める時期であった為なおさら間が悪かったのだ。

 その学院は中高一貫の利点を活かし、優秀な生徒を育てると掲げた私立の学校だった。そこでは考査前の一週間の部活動を原則禁止していながら、対外的に秀でた成績を示すことで、一部の学業不振に目を瞑る方針も採っていた。それは、頭脳の発達と、肉体の発育のバランスが違うとしても、六年間のカリキュラムの中で、必要な処置さえ取れれば、誰もが成長する年頃だと信じた創始者の意思と、その実現に適う環境を整えようとする指導者達と、理想の教育現場を信じた親達の合意の元で示された条件であった。それは少なからず生徒に希望を与えていた。考査に失敗して落ちこぼれ始める事態が少なくなり、何かしら一つでも取り柄を見つけることから、個々の自信を育む。やがては、苦手な事も人並みに出来るようになっていく。一部の勉強が苦手だった親からは教育革命と崇めた祀られるほどに、特殊な教育理念を取り入れた学院が、季節外れの彼に、向かい風を送ったのだった。


 「はじめまして、内田明臣といいます。ウッチーとか、アッキーとか、トミーとか、呼ばれてきましたが、まだこの学校に同じあだ名がいないなら、使ってやってください」

彼の自己紹介は、手馴れていた。それは、何度も繰り返した行為だった。脳内で反復練習したという意味ではなく。彼の生い立ちはどういうわけか、引っ越しが多かったのだ。その回数は小学生の頃に七度だった。「アキくん」なんて呼ばれていた覚えもあるけれど、歳と共に、呼び方が記号的になり、新参者が遠慮する形で、名前に含まれる三種類のコードネームが普及するようになっていた。正直、いつまた転校するかわからないなら、どんな呼ばれ方をされても構わないと思っていた。ただ、本名以上に親しみを込めて呼ばれるあだ名に、本名を呼ばれ続けられないことで発生する疎遠な関係性を求めたりもしていた。それは、属さない生き方をカッコイイと思う中学生にありがちな思考の一端だったのかもしれない。もし、はっきり大人のカウンセリングをするなら、まだ、中学生のガキなのだから、しっかりした意思は固まっておらず。「何となく面白いから、そんな自分がいいと思うから」といった不安定で、未熟な感情があった。それは彼の根無し草な転校生活を余儀なくされて得た振る舞いだった。「使ってやってください」とどうでもいい風を装いつつ、選択肢を三つに限定する。予想外の事態を回避しようとする外部に対するささやかな防衛活動を含めて、孤独を好む性格と、それでいて少しぐらいは受け入れられたいという二律背反的な気難しい性分を露わにしていた。しかし、周りの中学生がそれに気づく訳もなく、彼が提示したコミュニケーション手段に「変わった奴だな」という認識が広まったくらいだった。

 期末考査の影に怯える中学二年生にとって、内田というイレギュラーは、歓迎されなかった。ちょうど十三歳を過ぎた頃が肉体的、技術的に中学生という枠の中で成長が著しくなる時期であり。能力優秀な三年生が早々に高等部に合流しつつある運動部において、入学から一年間を経た自身の適性を示す絶好の機会に、突然の部外者の乱入は遠慮したい思いがあった。また、若すぎる彼らは、それをそのまま態度で顕わしていた。大会成績は、動員されるであろう先輩方に埋められてしまう。ならば、それ以外で、招致される対外試合で、少しでも目立たなければいけない。純粋な競争が、部活動を活発化させていた。

 転校を繰り返し、その中で得た能力が、何でも屋という助っ人稼業だった内田は、その時点で頓いていた。人気者を目指しているわけではないが、頭数を揃える関係から始まる付き合い。そんなルーチンが、父の「恥ずかしくない生き方をしろ」という意を汲んだ満足な体に身に染みついていた。それは、練習試合には重宝するものであったはずであり、学習の進み具合がまちまちな環境に馴染むのには、手っ取り早く堅実な処世術だった。だから、内田は頓きにより少なからず挫折を味わったのだった。

 転校生という肩書がしっくり来る。年に一度以上の転校を経験している計算になる転校生は、転入一週間で、挫けてしまった無様さに気づいていた。その身の芯まで重くなるような空振り疲れの彼の前に、キョウコは現れたのだった。

 キョウコは同級生であった。しかしながら、出会いと別れが多い内田にとって、級友ひとりひとりを覚えるのは、些か億劫であり、声を掛けられ、話をしたら、意識する。それくらいでしか親睦を深めようという行動はしていなかった。それは、自己紹介時に蒔いた種が芽を出すかどうかは、他人任せという、わかり易い無関心からも伺える挙動であり、部活動で除外された彼にとって、話をする為に話しかけてきたキョウコは、稀な存在だった。

「内田くんはじめまして、保健委員とかしてるキョウコです」

保健委員。この学院の委員活動がどのような分業をされているのか知らない内田は、「委員会活動のなかで、直接生徒に関わろうとする奴って言ったらこの手の類か」と何となく思考を巡らせていた。

「いままで、ごめんね。部活動が活発なこの時期だと、どうしても時間がとれなくて、もしかして、まだ校舎内を案内されていないよね」

ぎこちなさ漂う問いかけの後、キョウコは、いままで一週間も職務放棄をし続けてきた新入生への学院施設の案内を始めたのだった。

 内田の経験から転入すると、好奇の目を向けられて、質問攻めにあったり、我先に恩を売ろうと親切心を振りまく生徒が居るものだが、考査二週間前の部員達の置かれたもう一つの査定期間が、大幅な好奇心の削減に加担していたのだった。というよりも、学院の抱える生徒達の質がもともと高いので、悪足掻きと思しき集中力が発揮された一定期間は、のめり込みが著しかったのだった。普通ならば生徒の視野が狭くなることについて、危惧するところだろうが、熱中の後に訪れる一週間の休養期間を考えれば、体力勝負はここ一番の踏ん張りが大切という。何となく理解しつつも、なかなか慢性的な活動に慣れてしまう部活動の空洞化を阻止している構造があった。

 誰でも、永続的に頑張れるものではない。質の良い環境は、質の良いサイクルの中にある。その行程を考えだした者が誰であるとは、明言されていないが。教育という現場だけでなく、学院全体が、人を育てる為に存在している揺るがない部分が、学費云々を度外視して、親を虜にしていた。また、教師陣もその部分に惚れていた。そういう学院というのは一般的な公立規格で部屋割りをされているはずもなく。校舎内の案内は、それはそれは、時間を費やすものになった。

 「やったー遂に昨日。最終日になって顧問が上申書を認めたみたい」「上申書じゃなくて、特例認可申請書でしょ。その場合は規則に則っているから上申ではないよ」

廊下で騒ぐ女生徒を脇目に歩く。チラホラと周囲の雑談内で聞こえていた話題である。大人になろうと躍起になる中学生にとって、書面のやり取りが及ぼす実益を体験させるのは……つまりは、そういうことで。入学したての一年生は、二年生の姿を見て、来年は自分も認められるように頑張ろうと決意し。二年生は、三年生の陰で中だるみをするなんてことをせず。三年生は、高等部の同世代との背比べから抜けた進路を意識した活動に感化される。中高一貫という受験が一回抜けてしまった環境が及ぼす弊害をものの見事に解消した手続きが、そこにはあった。

 そんな学院であるから、転校生は戸惑うし、馴染めない空気が漂いもしていた。生徒達の名誉の為にいうならば、エリート志向の偏ったプライドがあったわけではない。ただ、私立として、選択される側の学院は説明会を開き、様々な意味で納得されて行動していた。それは、ある意味では、規格外の活動も多く。不満が溜まれば、国からの規制対象扱いを間逃れる事が出来なかろうと慎重であった。慎重であるが大胆でもあった。教師が、生徒に関わりを持つ時でさえ、親鳥が雛に餌を与えるような過保護な扱いはしなかった。慣れ合いや友達的な感覚で年齢差を忘れて付き合いたいのなら、学院の外で、ゲーセンにでも通えばいい。教師は、生徒の自主性を重んじていた。だから、無理に教師の好みに合わせないといけないなどという暗黙の了解が敷かれることはなかった。

 つまり、先の保健委員の職務放棄は、実際の委員として任された仕事内容が、『生徒の健康のため必要とされる補助活動を実践すること』であり、掲示物や、構内活動のあれこれを指図されては居なかったのだから、任意の活動において、キョウコは内田を案内していた。それについて、学生手帳を隅々まで読んでいるわけではない内田は、前も後ろもわからない子供のようにただ、従っただけなのだった。おそらく、私立の学院に編入してくる生徒は例外的な者であるから。彼女が挨拶の後交わした「部活の活発な……」というのは、言い訳だったのかもしれない。ただ、「私は、保健委員だから、困った時は助けに行くからね」と締めくくった彼女は、孤独を感じ行き先が不明瞭になりつつあった彼に、絶妙な機転を利かせたのだった。

 昨日までの部活動の声が消え去り。いつもより早い終業のベルが鳴る。下校を勧めるアナウンスが流れ去った後の学院内は、静寂が満ちていた。内田は、ふと、「テスト勉強はどこでしているのだろう?」と疑問を抱いた。少なくとも、キョウコと周った特別教室に、図書室はなかった。時間の制約がある放課後では、すべてを教えるのは無理なのだろう。それだけ学院は広かった。「テストの準備期間中なのに肝心な所が抜けているな」と苦笑しながら、彼はそのまま帰路についた。


 内田明臣は一人暮らしをしていた。それは、引っ越しを繰り返してきた彼にとって、初めての事であった。今までの引っ越しの経験では、季節外れで引っ越しをしようとも、ある程度のことは親父が熟していた。中学生という事で自立を促したのかもしれないが、新しい学校環境の様子見などをしていた彼の部屋は、まだダンボールが積み上げられている状態だった。「ただいま」と誰もいない部屋に帰る。


 一週間後のテスト範囲が知らされた状況でありながら、内田は勉強に取り組む用意が出来ていなかった。それは、転入初日から続いている授業進度の異常さにあった。着いていけないのではなく。自分の学力が何処にあるのか? やるべきことの方法論を見失っていたのである。最悪、暗記教科の社会くらいは付いていけるだろうという思惑も外れていた。

 中高一貫であるから、重複する歴史の授業を整理して、独自の教材を取り入れた学習がなされていたのだった。社会総合という時限の中で、世界地図を広げたかとおもえば、一八八〇年代の世界情勢の講釈を始めて、生徒に必要な内容はメモを取るように促したのだった。その後、メモの見せ合いを通じて、わからないことを論議していく。気候の変化で不作が起き、貧困の中で戦争の火種が灯る。世の中に蔓延る悪循環と、法整備の進行を理解してこそ、社会を識った事になる。難くいえば堅いが、語呂合わせ以上に頭の中に刷り込まれる内容は、一般社会が必要と感じた理想が、立法され成立するまでの長い期間を知らせていた。

 まだ中学生にはわからないことであるが、たった四年で変えられる社会なら、たった一度の失敗で崩されてしまうほど脆いものだ。そんな危うい橋ばかりを国家が選び続ける訳もなく。選択は必然的であるが、各局面において、興味深い個人の判断が存在すると訴えるのだった。それが偉人と呼ばれる者達であり、発言をするまでの長い地盤強化の下積みが説かれて行くと、忘れがたい出会いになっていく。

教育者の考えを代弁するなら、六年間あるのなら、前半部分は、授業に対する旨味を覚えさせる時間に割いても良いではないか。大学受験に向けた知識の均一化を図るタイミングは高等部が十分に心得ているのだから、焦らずゆとりをもって教育を取り仕切っていく。

 教師たるプライドに懸けて彼らは常に就学生の好奇心の的になっていた。幅を持たせた自由な発言を許す以上、解らないは通用しない。熟練した知識が、激しい攻防を繰り広げていた。それが社会の授業だった。生徒が遥かに年上の教師と意見交換をする。感情論ではなく。史実上いかなる選択がなされたのか。その社会で蔓延っていた他の問題はどの様に関わっていたのか。質問者が、予備的に知識を持ち込んでいる事に気づくと、すかさずに褒めた教師が、ある時は丁寧に解説し、またある時は、「次回はその部分を取り上げようか」と、用意のない事を素直に認める。潔癖とした姿勢が、心の発達途中の少年たちの素直な成長を選択させていた。

教室に満ちた、授業は楽しいもの。という感触を転校生は理解出来なかった。いや、解っては居たが、考査にどの様な設問で表れるのか想像ができなかった。未知数の敵と戦うために、RPG風にいえば、仲間が欲しかった。もっとも賢者が居てくれたのなら、いいのであるが、今の学院の中では、部活で得られる免罪符のためか、学力が高い者からの著しいテスト前活動が見られなかった。

 おそらく、動き出すなら今日あたりである。そう読んでいたテスト週間始まりの日に、彼、内田明臣は、キョウコとの散策をしただけで下校してしまったのだった。


 明らかな誤算に、気が滅入るのを感じながら、フライパンを火に掛け、夕食の準備をする。彼一人の部屋に漂うのは、苦痛を伴うストレスだった。意識が執拗に警鐘を撞き続けている。しかし、彼は勉強を頭の隅に追いやるように、現実逃避気味に、丁寧な料理を作っていた。

 ベテラン料理人は、新生活で作る量の減るはずだった食事を、日増しに元に戻し始めていた。蝕まれる何かが、彼の歯止めに作用し始めていた。食事を終えたら、彼はまた鍛錬を始めるだろう。健全な肉体に健全な精神が宿るのが好ましい。理想は、実現しそうに見えるが、物事には個人差が必ず生じるものである。個のばらつきが著しい反抗期に入りかけの中学生に、自由を与え続ける問題は、長期的な指導監督がなされなければ、機能しないものなのかも知れなかった。それが、例外中の例外である転校生に伺える兆候だった。

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