前日譚3:理子が希に惚れた理由―カミングアウト

 焼肉屋を出ると、詩織と恵は他の人たちと一緒にカラオケに行くと言い、明坂はその場を後にした。

「理子も来るでしょカラオケ?」

「うーん、ごめん、ちょっと疲れが回ってきたからまた今度ね」

 そう言ってみんなと別れると、理子は明坂の姿が見えなくなる前に彼女を呼び止めた。

 明坂はびっくりした様だった。

「あれ? カラオケ行ったんじゃないの?」

「ううん。行かない。それよりもう少しだけ明坂さんとお話したいし、どっか寄っていかない?」

「別にいいけど、どっかって? どこ?」

「なんかいいお店知らない?」

 時計を見ると時間は20時を回っていた。

「もう結構夜も深いし、手近な所と言えば隣駅にあるボーリング場くらいだけど……」

「じゃあそこにしようか?」

 そう言って二人は歩き出した。

「今日は付き合ってくれてありがとね」

 理子がそういうと、明坂がこちらを見つめてきた。

「こっちこそ、悪かったわ。空気壊して」

 詩織との言い合いの事を気にしているようだ。

「別にいいよ」と言って理子は笑った。

「あんまり踏み込まれたくないこと詩織に言われちゃったんでしょ? まぁあの子もあけすけと言いたいこと言うところあるし、無神経だったかなぁ」

「あとアタシ、あんまり早沢さんのこと好きじゃないから」

「アンタも正直だねぇ」

 理子は声に出して笑った。

「ほんとはね、私、明坂さんと色々話したくて声かけたの。でも6人もいるとなかなかじっくり話はできないよね」

「アタシに何か用でもあったの?」

「そういうことじゃないよ。ただ明坂さんと話したかっただけ。他の同期はみんな仲いいのに、明坂さんだけ違うんだもん」

「別に同期だからって仲良くしなきゃいけないわけじゃないでしょ?」

「明坂さん誰とも仲良くないじゃん。同期だけじゃなくてさ」

「それ心配してるつもり? なら余計なお世話だけど」

「いやいや、そうじゃないって。ただ女の子で一匹狼って珍しいし、面白い子だなって思って」

 一拍間をおいて続ける。

「でも今日はどうして付き合ったくれたの? 断られると思ってたわ」

「皆がどう思ってるか本音が聞きたかったから。トイックスの事を」

「ふーん」

 意味深な言葉である。明坂の顔には陰りが見えた。

「さっき明坂さん、子供たちを笑顔にする仕事がしたいって言ってたじゃん。かっこいいね!」

 明坂はからかわれていると感じたのかもしれない。

 ただ理子に悪意はないと察したのか、明坂はふくれっ面だけ理子に返した。

「あ、その顔かわいい♪」

「うっさい!」

 明坂は理子の腕を肘でつついた。


 ガターンと軽快な音がしてピンは全て倒れた。

「お見事ー」

 理子は明坂にパチパチと拍手した。

「ボーリング上手だね。ここにはよく来るの?」

「たまにだよ。この辺で夜中まで暇つぶしできるのってここくらいしかないからね」

 金曜日の深夜ということもあり、ボーリング場はそこそこ人が多かった。

 明坂はストライクを連発し、理子はほとんどミスか、何本か倒す程度だった。

 一息つくために明坂はコーラを口にする。

「明坂さん、ちょっと手おっきいね」

 突然そんなことを言われて明坂はきょとんとする。

「そう?」

「ちょっと手、見せて」

 明坂が返事をする前に理子はその手を取った。

「ほら、私より少し大きいわ。それになんかちょっと骨が太いっていうか……」

「そ、そう?」

「明坂さんってピアノとかそういうのやってたりする?」

「別にそんなこともないけど……」

「ふーん」

 理子は丹念に明坂の手の平に触れる。

「……あの、守谷さん」

「ああ、私の事、理子でいいから」

「それはいいんだけど、やめてくれない?」

「んー?」

 自覚がないのか理子は首を傾げた。

「てか、アンタの触り方、ちょっと気持ち悪い」

「あー、酷いなぁ」

 そう笑いつつ理子は明坂の手を離した。

 明坂は半笑いで尋ねてくる。

「理子さんって、もしかしてレズとか?」

「バレた?」

 希は冗談のつもりで言ったのだろう。

 あまりにあっさりと肯定したものだから、明坂は目を点にしていた。

 その呆気にとられた顔に、思わず理子は腹を抱えて笑ってしまう。

「あはははは。何よその顔ー!」

「な、なに、ウソ?」

「さあねぇ、どっちかなぁー」

 からかうような理子の口ぶりに、明坂は困ったような顔になる。

「希ちゃんのそういう顔もかわいいね。もっとからかいたくなっちゃうわ」

「理子さんって本当にそういう趣味の人なの?」

「だとしても今時珍しい話でもないでしょ?」

 唐突なカミングアウトに驚いた明坂だが、要するに理子は明坂に少し気があるということなのだろうか。

 だがその割に理子の様子はあっけらかんとしたものである。

 冗談だと明坂は解釈した……のだが、

「希ちゃんはどうなの? 男と女どっちが好き?」

「いや、アタシは、あんまり恋愛自体興味ないし……」

「そうなんだ。まぁ私も似たようなもんよ」

「実際に同性の恋人いたことあるの?」

「いや。誰とも付き合ったことない。学生時代は勉強ばっかりしてたし、自分が同性愛者かなって気づいたのも結構最近だったから」

「……えらく簡単にカミングアウトしてきたけど、そういうのってあまり言いたくないもんじゃないの」

「誰かに行ったの初めてよ。親も知らないし。バラしたの希ちゃんが初めてかな」

 希は頭を掻いていた。

「どう反応していいかわからないんだけど……」

「別に気にしなくていいわよ。でも希ちゃんは凄くかわいいよね。ほっぺでいいからチューしていい?」

「もう帰ろっかなぁ……」

「じょーだんじょーだん! まだ話したいこと話せてないし」

「今のカミングアウトがしたかったんじゃないの?」

「違う違う」

 手を軽く振って理子は否定する。

「本当はもっと別の事を話したかったんだけど」

「そうなの?」

「うん、人数が多い方が話しやすいかなぁって思って声かけたんだけど、かえって喋りにくそうだったし」

 理子はその先を続ける。

「希ちゃん、もう辞めようと思ってたんじゃない? 会社」

「…………」

 希は押し黙る。

 理子は少しだけコーラを口に含み、間を持たせた。

 希が問うてくる。

「どうしてそう思ったの?」

「まぁなんとなくよ。実際どうなの? 辞めるつもりなの?」

「正直、考えてないと言えばウソになるれけど、辞めた後の事とかも考えてないし……」

「まぁこのご時世、再就職も難しいしねぇ」

「そうだね。今アタシ実家暮らしなんだけど、経済的にちゃんとはしてたいから、安易に辞められないし」

「実家暮らしなんだ。まぁ私もだけど。なかなか女の子が一人で暮らすってのは大変だもんね」

「正直この仕事は嫌い。早沢さんの言ってたことで共感できたのはそこだけだわ」

「詩織ちゃんの訊き方がアレだったからその先、聞けなかったんだけど……、希ちゃんは子供たちを喜ばせる仕事したいんだよね」

「……そう」

「トイックスの仕事はダメなの? 子供向けのおもちゃ作ってるじゃん。それじゃダメなの?」

「…………」

 再び希は黙り込んでしまう。

 だが、その沈黙は先ほど以上に重く暗いものを感じさせた。

 そして希はこう訪ね返してきた。

「この会社の商品、子供たちはどう受け止めてるか知ってる?」

「んー……?」

 意味が分からず首をかしげてしまう。

「喜んでるから買ってるんじゃないの?」

「違う」

 希の態度は、これまでになく厳しいものに変貌した。

「アレは親が金をケチりたいがために、粗末なおもちゃを子供に買い与えてるだけ。あんなものを買い与えられている子供たちがかわいそうだわ」

 突然辛辣な意見を口にした希に、理子は内心驚いた。

「実際に見たみたいに言うわね」

「実際に見たんだよ。あと、私も売られている商品を買って使ってみたけど、凄くちゃっちくて、壊れやすい。正直三か月遊んでればそれですぐ壊れちゃうような脆いものなの」

 そう言って、希はカバンから何かを取り出した。最近販売したキャラクターものの電動ロボットの玩具だ。2000円以下で買える商品である。

「これもそう。大して使ってもいないうちにもう誤作動するようになった。結局これって、どこか別の会社が作っている良い物を模倣して、廉価なものを作っているに過ぎない。文字通り子供だましだわ」

「ちょっと貸して」

 希からその玩具を受け取る。子供の手の平にすっぽり収まるような小さいおもちゃだ。

 価格帯が価格帯なので仕方がないとは思うが、作りといい手触りといい、確かにチャチだった。

「なるほど、親が子供にプレゼントするにしても、これはあまり喜ばれないわね。私も貰う側ならがっかりするかも」

 理子はこれまでトイックスが実際にどんな製品を手掛けているか、さほど興味は持っていなかった。経理の仕事は、何にどんな費用がかかっているのかさえ把握していれば良いのだから。

「要するに希ちゃんはそれが気に入らないんだね」

「まぁね。この会社には、子供たちが何が好きなのか、何をしてあげたら喜ぶのかを知りたくて入社した。営業に入ったのもそのためだし。おもちゃの会社ならどこでもいいかなって思ったんだけど……」

「希ちゃん、もともとおもちゃ作りに興味あったの?」

「……まぁそんなところ」

 と、突然ブブーというバイブ音。理子のスマホだ。

 母親からのメッセージだ。もう22時を回っていたので心配になって連絡してきたのだろう。まったくもって過保護なものだ。

 理子は腰を上げた。

「母さんからだわ。もう帰ってこいって言われちゃった」

「もう帰る?」

「そうだね。……あ、なんならホテルに泊まっちゃう?」

「アホ」

 希は軽く笑って理子の肩を小突いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る