前日譚2:理子が希に惚れた理由―火薬のにおい
「ねーえ、理子」
詩織に声をかけられ顔を上げる。
作業に没頭してて気づかなかったが、もう終業10分前だった。
「明日休みだし、今日みんなで焼肉行こうって話ししてんだけどー」
「んー、同期のみんな?」
「もちろん」
仕事はもうほぼ片付いた。付き合ってもいいが、デスクワークが祟ってか最近は身体の節々が痛んでいたので、このまま家に帰って休みたい気持ちもある。
と、
「お先失礼します。おつかれさまでした」
ちょっと遠くから彼女の声が聞こえてくる。明坂の声だ。
帰り支度を済ませてさっさと帰ろうとオフィスの出入り口へと向かってゆく。
「ちょっと待って」
理子は明坂に声をかけた。呼び止められて明坂はこちらの方を見る。
「……あ、清算書どこか間違ってました?」
「ああいや、そうじゃないんだけどね。明坂さん、今日これからヒマ?」
「え?」
と、明坂と詩織は同時に疑問の声を上げた。
「みんなで焼肉行こうって話してんだけど、明坂さんも来ない? 親睦会? みたいなものってことで」
「うーん……」
拒絶されるかなと思ったが、明坂は存外すんなり首を縦に振った。
「じゃあ、行こうかな」
「オッケ。じゃあ、私たちも支度するからその辺でちょっと待ってて」
理子は手元の書類を手際よく片付け始める。詩織が明坂に聴こえないくらいのヒソヒソ声で尋ねてきた。
「ちょっと、どうしてあの子に声かけたの?」
「同期の女子みんな誘ってるんでしょ? あの子だけ一人じゃかわいそうだし」
「でも」
「いいじゃん。私も明坂ちゃんとプライベートな話してみたかったし」
そう会話に横やりを入れてきたのは、同じく同期で総務の林田恵(はやしだめぐみ)だった。
恵は詩織と対照的に、興味深そうな眼差しを明坂に向けている。
「意外と面白い人かもしれないよ」
「そうかなぁ……」
二人の会話は相手にせず、理子はカバンに荷物を入れて立ち上がった。
「じゃあ行こうか」
同期6人で近くの焼肉屋に移動する。
6人はちょっと多いかなと思ったのだが、存外すんなり個室が取れた。
「じゃあカンパーイ」
そう言って各々飲み始める。理子は呑めないのでウーロン茶だ。隣に座った明坂は生ビールを飲んでいた。
「明坂さんは飲めるんだ、お酒?」
「少しくらいですけど」
「あ、別に私にはタメ口でいいよ。同期だし。遠慮しなくていいから」
まだ言葉に丁寧さが残っている明坂に、理子はそう言った。
「そ、そう?」
「私はお酒、全然ダメ。ハタチになったときに一回だけ梅酒飲んだんだけど、もうそれから記憶無くしちゃってさ。もうそれ以来飲んでないわー」
「別に良いんじゃないの? アタシも機会飲酒あるかなって思って呑めるようにしただけだから」
二人で話していると対面に座っている恵が話に割り込んできた。
「明坂さんって痩せてるけど焼肉屋って良く来たりする?」
「まぁちょくちょく、親父の知り合いがやってるお店あってさ。林田さんは――」
話しているうちに、明坂は存外ちゃんと話せる奴だなと理子は思った。受け答えもしっかりしてるし、人見知りってわけでは無そうである。
運ばれてきたカルビやタンを焼きながら各々つまんでいく。まぁまぁの旨さだ。
「どう? 仕事楽しい?」
理子は突然明坂にそんな話を振ってみた。
「え?」
案の定明坂はきょとんとしてしまう。
「いや、私はぶっちゃけ経理の仕事とか退屈でさ。こんなことするために大学で頑張ってきたんだっけかなぁって……」
「……大学では何を勉強してたの?」
「政経学部で経済とか経営関連とかの勉強してたよ。まぁ今の仕事にはあまり役に立ってないかな」
「アタシも別に、学校で学んだことはあまり役になってない」
「二人とも仕事交換したら? その方があってると思うよ」
和気あいあいとした理子と明坂の話に、今度は詩織が割り込んできた。
「理子は営業の方が向いていると思うし、明坂さんは経理の方が気楽なんじゃない?」
そう言ってくる詩織の声にはトゲがあった。やはり内心明坂に対してあまり良い印象は抱いていないようだ。
「営業かぁ……。まぁそっちも面白そうだよね。実際どうなの詩ぃちゃん? ぶっちゃけ今って、何が売れてるの?」
「定番はゲーセンとかに卸すものなんだけど、売れ筋的には……キャラものとかは相変わらず人気だね。ほら今って不景気じゃん。だから子供向けの商品とかも高いモノは売れないし、だからウチの販売しているおもちゃを買っていく人は多いみたいだね」
トイックスの主な販売戦略は、知名度の高い人気コンテンツとコラボした玩具を企画・製造し、それを手ごろな価格設定で販売するというものだ。
この値段のつけ方がかなり絶妙で、ライセンス費用などで高くなりがちなキャラもの玩具としては、かなり良心的な価格設定である。ただし主な生産は中国やタイに委託しているので、悪く言えば安かろう悪かろうという製品だ。
とはいえ、今は不景気で円高なので、輸入も安くできる分だけ利益率が良い。
とりわけトイックスはもっぱら国内がメインの市場なので、海外で安く作ったものを国内でそこそこの値段で売るだけでも十分に収益となっていた。
「あと、じわじわとだけど、あっちも良い感じかなぁ」
「あっち?」
「ほら、ウチが仲介して卸売りしている商品あるじゃん」
「ああ、あっちってその話か」
詩織の話に理子が頷いて見せた。
トイックスは自社企画で製造販売している製品の他、他メーカーが手掛けた製品を仕入れて自社で開拓した流通網へ流している。いわゆる問屋のような仕事もしていた。
メーカーが直接小売り業者へ販売する方が手っ取り早く感じるだろうが、メーカーは小売り業者と直接結びついていることは多くなく、トイックスが独自に開拓した販路・流通網にあやかりたいと思うメーカーは存外多いらしい。
特にトイックスは、売れ筋商品に限ってメーカーから大量ロットで仕入れる代わりに、単価を値切って利益を増やしていた。この辺りは下久部長の手腕であると、人づてに理子は聞かされていた。
「なんだっけ? 最近はアレが結構売れ行きが良いんだよね。ほら、完成品のおもちゃじゃなくてさ、なんか人形の素体みたいなやつ?」
「可動型フィギュアボディ」
ぼそりと呟いたのは明坂だった。詩織がちょっと目を見開いた。
「ああそれよそれ。なぜかあれが結構売れてんのよね。ってか、良く知ってるねアンタ」
「まぁ、ね」
不愛想に明坂はそう返した。さっきまでは流暢だったのに詩織に対してつっけんどんな様子を見る限り、明坂も詩織に対してあまり良い印象はないようだ。
「まぁなんにしても良い事よね。この不景気のおかげでウチらにとっては逆に追い風になってるわけだしさ」
「なんにも良くないわよ」
詩織はグイっと酒を煽って愚痴った。
「おかげで私は入りたかった会社に入り損ねたし」
「詩織ちゃんって本当は化粧品の会社に入りたかったんでしょ?」
「そーよ。なのに就活うまくいかないし、挙句の果てに結局興味も大してない子供用の玩具の営業なんかやることになっちゃってさ」
空になったジョッキをドンと置く。
「みんなだってそうなんじゃないの? やりたい仕事じゃないでしょ、おもちゃなんか」
理子も含め、みんなで苦笑して誤魔化した。
それについてはその通りだ。理子も恵も詩織も、他のみんなも、ほとんどが不景気で就活に失敗した挙句に、この不景気を逆手にとって成長したトイックスに拾われたようなものだったのだ。
だがその苦笑いに混ざらない人間が一人だけいた。
明坂だけが、暗い顔で下を向いていた。
「明坂さんは何がしたかったのよ?」
無遠慮に、詩織がそう尋ねた。
「営業だって大してやる気ないじゃん。やりたいことできてるわけじゃないでしょ? 本当は何がしたかったの?」
「アタシ、は……」
しばらくためらって、明坂は答えた。
「子供たちを笑顔にする仕事がやりたかった」
予想外の言葉に皆がポカンとする。
「ふーん。なら希望の職につけてよかったわね。ちょうど子供向けのおもちゃばっかり作ってるわけだし」
皮肉を感じさせる声音で詩織がそういうと、明坂は、はぁ、とため息をついた。
「なによ? 言いたいことがあるならはっきり言えば?」
「別に。アンタに分かってもらえるとは思ってないから」
詩織の言葉も強かったが、それに負けないくらいに明坂の言葉には冷たさがあった。
詩織の目に怒りの火が付く。
「なんですって?」
「あーあーあー! みんなビビンバ食べない! ここの滅茶苦茶うまいってさ!」
恵が二人の間に割って入った。
その後はずっと世間話を続けていたが詩織も明坂もほとんど無口のまま会はお開きとなった。
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