episode4-4:起業とその原点―偉大? な父のビジネス談義

 希がうたた寝しているうちに、車は町田に入った。

 越谷から町田へと向かうルートを通るのは初めてで、知らない街並みではあるものの、やはり市にはその市なりの色合いというものがある。坂道の数や道路の広さ、ガードレールの数、行き交う人々の雰囲気、田んぼや畑……初めて見る町田の街並みでも、懐かしい何かを感じずにはいられなかった。

 夕暮れ時。本当に知ってる町へとやってきた。希の住んでいた地元だ。

 信号機の前で停まる。すると懐かしい建物が目に入った。小学校だった。

「アタシの小学校の友だち、今どこで何やってるんだろうね?」

「は? お前、小学生の時に友達いたの?」

「うるせー!」

 父の背もたれをグーで叩く。

 そして小学校を通り過ぎ、5分ほどで『炭火焼肉 筒井』の店に到着した。

「あー、疲れた。やっぱり長時間の運転は身体に堪えるぜ」

 父は年寄りくさいため息をつきながら、首を左右に振った。

 そして店に入る。見知った顔が出迎えてくれた。筒井おじさんだ。

「よ、あれ? きみ希ちゃん?」

「あ、お久しぶりです。おじさん、お元気でしたか?」

「おおー元気元気。希ちゃんも元気そうでよかったよ! 大きくなったなぁー」

 開けた座敷の方に案内される。店内は結構人が多く、そこそこに繁盛している様だった。

「パパから聞いてるよー。会社立ち上げたんだってね? 子供向けの玩具とか作ってるって」

「ええまぁ……」

 微妙に違うのだが説明が難しく、あいまいに返事をした。

「今度さ、孫が生まれるんだよ。もし女の子だったら希ちゃんの作るお人形プレゼントしようとおもうから、その時はよろしくね!」

「はい、分かりました。お孫さん生まれるんですね。おめでとうございます」

 孫、か。

 筒井おじさんと親父は確か同い年だったはずだ。詳しくは知らないが、筒井はそこそこ早く結婚したらしく、子供も三人くらいいた。逆に父はそんなに早く結婚したわけではなく、そして希が5歳になったころに母が死んだ。

 考えてもみなかったが、自分も24歳。結婚を意識しても遅くない年齢であり、父からしても娘が結婚したり子供を産んだりすることを考えるような年代のはずだ。

 だが希は仕事、というより人形作りに夢中で、結婚は愚か恋人もいないありさまだ。たしか理子もそうだったはず。優奈は知らない。貴理子おばさんも結婚とは縁がなかったようだ。

 どうでもいいことだと思っていたのに、すこし気になるとなんだか急に気になってくる。

 明坂の血筋はまさか希の代でついえるのでは? と、思わずにはいられなかった。

 一方で父はどう思っているのだろうか?

 孫が出来たら? いや、それ以前に手塩にかけて育てた娘が結婚したら、どう思うんだろうか?

 喜ぶだろうか? 悲しむだろうか?

 どっちもいまいちピンとこない。

 親父はさっきから頼まれた肉を焼いてばかりで、何も考えていないように見えた。

 今日からかわれつづけた腹いせに、この辺りで逆襲してやろうかなと思い、意地悪く聞いてみる。

「親父はアタシが結婚して孫が生まれたら、筒井おじさんみたいに喜んでくれる?」

「さあ? お前の人生だろ?」

「実はアタシいま付き合ってる人がいてね、親父には内緒にしてたけどそろそろ結婚しようかなと思ってんだよねぇー」

「へぇそれはめでたいじゃない!」

 横やりが入る。おじさんではなく、おばさんの方の筒井さんだった。

「ねぇとーちゃん! 聞いてよ! 希ちゃんも今度結婚す――」

「まてまてまって! ごめんウソ! じょーだんだから!」

「なぁんだウソか」

 つまらなさそうに厨房へと戻る筒井おばさん。親父はケラケラと笑った。

「くだらん嘘をつくとこうなるということか」

「チッ」

 希は軽く舌打ちした。親父は希のグラスにコーラを注ぐ。

「まぁ好きにしろよ。結婚してもしなくてもお前の人生だ」

「前から思ってたけど、親父ってさ、自分の子供にこうなって欲しいとか、こういう人生を送ってくれとか、そういうこと言わないよね? どうして?」

「それはお前が俺の子供だからだ」

「意味わかんない。自分の子供なのに大事じゃないって意味?」

「ちげぇよ。俺の子供だから、親にああしろこうしろって言われるの、嫌がるだろうと思ったんだよ。ぶっちゃけ俺がそうだったからな」

 父も自分のグラスにコーラを注ぎ、それを口に含む。

「俺は自分の両親がウザくてたまらなかったんだ。俺がガキの頃からいろいろ口やかましくてな、かなり面倒くさかったよ。で、大人になったら半ば故郷を捨てるつもりで出て行った。そんな俺が、自分の子供に自分がされてムカついたことなんかしたくなかった。それだけだ」

 言われてみればその通りで、おそらく親父がもし勉強や進路に口をはさんできたらかなり鬱陶しく思っただろう。

 そういえば希は親父の親、つまり父方の祖父母とさほど面識がなかった。母方の祖父母は健在で、母が死んでからも結構な頻度で会っていたのにだ。

 こうして考えると、親父は希と同じかそれ以上に気難しく、どこか他の人たちとは感性が異なるかもしれない。幼いころには父の存在が当たり前だったのでそんな風に感じなかったが、今こうして改めて向き合ったからこそ、そう感じられる希だった。

「それに、本当に大事なことっていうのは、人から教わらなくても本人が学ぶ」

「……そうかなぁ。意外に気付けない奴は気づけないと思うよ」

「そりゃ自分で学ぶ努力を怠っている人間の事だ。お前は違うだろ。お前はいつも、必要なことは自分で頑張って学んできただろーが」

 そう言って真っ先に思い浮かぶのは、理子の泣き顔だ。

 今日一日が楽しかったのですっかり忘れていたが、今、アニマ合同会社は希の所為で大荒れしている。

(そうだ。アタシが学ばないでどうするんだよ。まだまだこれから、もっともっと皆でやってかなきゃいけないんだから)

 父は貴理子おばさんからある程度事情を聴いているはずだ。希が起業においてこれまでにない大きな壁にぶつかって悩んでいると知っている。

 だからカナエも一緒に連れてこいと言い、自分の過去、夢の原点に回帰させるような時間をくれたのだ。

 少し俯き加減になり、やおら顔を上げて話し始める。

「あの、親父、実はちょっと悩んでるんだ」

 そう言って、希はここ最近の出来事を話し始めた。

 ポラリスメイデンの事。人形への思い入れ。優奈という新入社員の事。夏にあったワークショップとオークションの事件。

 そして児童養護施設の女の子から届いたメール。理子との喧嘩。

 父は一連の話を聴き、スマホでそのメールを眺めながら考え込んでいた。

 やがてぶっきらぼうな質問を返してくる。

「で、お前はどうしたいんだ?」

「そりゃ、その子供たちのために人形を作ってやりたいよ。親父がクリスマスに、私にカナエをプレゼントして笑顔にしてくれたみたいにさ。私もこの子たちのために、笑顔を届けたい」

「だけど、これはビジネスだろ? 俺とお前のクリスマスの時とは違う。カナエはいわば道楽で作ったもんだが、ビジネスは道楽でもボランティアでもないんだ。夢もわかるし、やりたいのは結構だが、それならビジネスとしての答えを探す必要があるぞ」

「それはちゃんとカネを取れっていうこと?」

「安易に考えるなよ、希。基本的なことだが、そもそもカネってなんのためにあるか分かってるか?」

「そりゃ、物を買ったりサービスを受けたりで……」

「違う。それはカネというかたちでなくたって、物々交換でも成立するだろ。だけど、なんでカネっていうかたちで表さなければいけないか、それを考えてみろ」

「そんなこと言われも困るわよ。いったい何が言いたいわけ?」

「カネってのはな、信用なんだ。信用をカタチにしたものなんだよ。お客にとって、カネをサービスや商品に払うのは、客がその会社を信用しているという証拠になる。お前だって信用のならないモノやサービスにカネは払わないだろ? つまり信用のないところにカネはないし、客がカネを払わないってのは信用されていない証拠でもある」

 父の話は抽象的で、希にはいまいち飲み込みづらい話だった。

 信用信用と言われても困る。

「今のは『ビジネスはカネと信用なしで語れない』って話しだから、とりあえず後で考えておけ。……まぁ俺が言いたいのはだ、もしその子供たちや依頼主が、お前の事を本当の意味で信用しているのなら、つべこべ言わずに必要なカネを用意するはずだってことだよ。それを惜しんでいるってことは、まだその依頼主は、お前もお前の作る人形も全面的に信用していないからだと思うね。なにせまだ顧客でもないし」

 そこは一理あると思った。もし仮に自分が依頼主の立場で、本当にポラリスメイデンが欲しいと思うなら、必要なカネは必死にバイトしてでも貯めるはずだ。

 その苦労を厭っているということは、ポラリスメイデンにそこまでの価値を感じていないという証拠なのかもしれない。

 努力も苦労もせずに、最初から安くしてくれというのは、まだ先方がこちらの事を理解しておらず、ましてや信用もなにもしていないからなのだろう。

 そう思うと肩から力が落ち、しゅんとなってしまう。

「やっぱり、受けない方が良いってことかな、この依頼」

「おいおい、もうあきらめるのかよ? 夢なのに早すぎるだろ?」

「は? だって親父がそう言ったんじゃん。信用されてないんだから仕事にならないって」

「それは顧客として成立したあとの話だよ」

 またしても父の話は謎めいていた。

「確かに、顧客という位置づけにある人間が値切りをしてくるというのは、信用されていないか、信用のつり合いがとれていないっていう証拠になる。だけど、この子供たちはお前にとって、そもそもまだ顧客になってないじゃないか。なにせお前は、彼らにどんな価値を提供するのがベストか、考えつくしていないだろ?」

「アタシ、すごく真剣に悩んでるんだけど」

「じゃあ、この子供たちが何をしてもらったら喜ぶのか、お前分かってるのか?」

「それは……」

 言われてみれば確かにその通りだ。希も理子も、直接子供たちを見て彼らが何をしてもらえれば喜ぶのか、全く知らないのだ。もし人形を作っても、彼らが喜ばなければ意味がない。

「お前はクリスマスにカナエを貰って喜んだ。でもそれは、人形が欲しかったからだったか? 違うだろ? お前のノゾミが、人形を通じてカナエられたからだ」

 ハッとする。

(アタシは、『妹が欲しい』と望み、それを人形というかたちで叶えてもらったから、喜んだんだんじゃないか……)

 なんでそんな当たり前のことを、忘れてしまっていたのだろう。

 人形作りに熱中するあまり、いつの間にかこんな大事なことを背景に追いやってしまっていたとは。

「なら最初にやるべきことは、子供たちが何を望んでいるか、それを知るところから始めることだろう」

「そうするにはどうすればいいのかな?」

「まず話すことに尽きる」

 きっぱりと、そう言った。

「そして、知恵を絞れ。知恵はカネに勝る」

「最初からそれだけ言えよ……」

 ぼそりと文句を言う。

「信用だの顧客だの、変な話しで煙に巻きがって」

 もしかして父があまり希の教育やしつけに厳しくなかったのは、説明が下手なのを自覚しているからではないのか。

 だが、父は苦笑して否定してくる。

「言っとくが煙になんか巻いてないぞ。お前があくまでビジネスをしている以上、その作法として、顧客や信用やカネが何なのか、真剣に考える必要はある。お前にとってはむしろ、それを学ぶことの方が大事だ。いいか希――」

 すこし前のめりになって父は言う。

「カネを貰わずに子供たちのために頑張るってのは、自己犠牲っぽくて素晴らしく見えるが、結局それはただの逃げだ。子供たちから本当の信用を得るという一番大事な努力から逃げたことになるんだ。だからこの相談を引き受けるなら、真剣に子供たちと向き合って、お前に価値があると認めさせて、本当の信用を得る努力をしろ。対価を求めるに値する様な信用を得るのが、本当の努力だ」

 その言葉の意味を、希はかみしめる。

 やがて満腹になり、父は会計を済ませる。それを傍らで見つめる希。

(親父がおじさんにカネを払うのは、おじさんの事を信用しているからだ)

 筒井おじさんの提供する、おいしい食事ともてなしを信用しているのだ。だからカネを払うのを惜しまないのである。

 希は筒井おじさんにぺこりとお辞儀をした。

「ごちそうさまでした。おじさん。久しぶりでしたけど、とてもおいしかったです」

「おう! 希ちゃん、また来てくれよな! おじさんいつでも待ってるからな!」

「はい。今度は私の友達も連れてきますから」

「本当かい! おい達郎! お前の子供は本当にやさしいよな!」

「おいもう行くぞ、夜も遅いし、今日は家に泊まっていけよ」

 筒井の話を無視してそそくさと出て行こうとする。それに希も追随する。

 筒井のおじさんは何かとおしゃべりしながら店の外にまでついてくる。

 そして車に乗った父に明るい声で別れの声をかける。

「絶対死ぬなよ! ガンなんかに負けんじゃねぇぞ! いやお前は負けないか!」

「おいとーちゃん! 早く店に戻って手伝ってくれよ!」

 おばさんだった。筒井のおじさんは強引に店に引きずられていく。

 その言葉が何を意味するのか、希はすぐに理解できずにいた。

 父はこれまでにないしかめっ面をしている。

 言葉が出ない。ただ、なんとか、その言葉だけは口にできた。

「癌?」

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