episode4-5:起業とその原点―理子の希への本音

 優奈と理子は遊び疲れ南越谷駅へと戻ってきた。

 最近は内勤ばかりで人の多いところに行く機会のなかった優奈は、夕方頃には人込みのおかげてけっこうへとへとになってしまい。夕食はとりあえず静かなところでという話になり、南越谷にまで戻った。その後、理子が前々から行ってみたいと言っていたカフェに向かった。

「うわあ、すっごいところですね」

 優奈が店内に入って驚きの声を上げる。外観もまるで子供が遊ぶミニチュアハウスさながらの派手な店だったが、店内にはアメリカのおもちゃが壁いっぱいに飾られている。まるでアメリカのお店をそのまま日本に持ってきたようなカフェである。

「ついこの前このお店のこと知ってさ。一度来てみたかったのよ」

 二人はアボガドバーガーと、お店オススメのバナナシェイクを頼んだ。先に運ばれてきたバナナシェイクを飲みながら、二人は今日見た映画やショッピングの事を振り返る。

「本当に久しぶりに遊んだわー。優奈、誘ってくれてありがとうね」

「いえ、私も楽しかったですから。久しぶりに大学時代に戻ったみたいで」

「そうね。私も仕事のこと忘れてリフレッシュできたわ」

 理子はふと思い出したかのようにスマホを見る。希に送ったラインの件が気になったのだ。まだ最後のメッセージに既読はついていない。

 その理子の表情の陰りから、「希さんの事を気にしてるんだろうな」と優奈は思った。それとなく話してみる。

「希さんは今頃どうしてるんでしょうね?」

「さあね。まだ父さんとどこかで遊んでるんじゃないの?」

「でも良かったですね。あの調子なら週明けには機嫌直っているんじゃないですか?」

「そうだといいんだけどねぇ……」

 スマホをテーブルに置き、天井を仰ぐ。今日一日遊びまわったおかげで良いリフレッシュになったものの、結局例の件をどうするべきか、その答えを出せずにいた。

「ほんと、どうしようかなぁ……」

「あ、すみません。余計なこと訊いちゃったせいで」

 今日一日は仕事から離れよう。そういうつもりで過ごしていたはずなのに。

「良いのよ。充分楽しめたし、いつまでもほったらかしにしていちゃ駄目だからね」

 おかげで昨日までの陰鬱な気分はすっかり晴れた。素直に優奈に感謝である。

 だが、改めて思い返しても、なにをどうすればいいのか全くわからない。

 希が例の件をすごく真剣に考えているのは良く分かる。できればその気持ちにこたえてあげたいと思う

(それにしても、いま考えても、あれは私らしくないこと言っちゃったなぁ……)

 醜い言い争いになる予感は最初からあった。だから優奈を早めに返したのである。

 どんなことを希が言っても、落ち着いて冷静に、粘り強く説得して諦めさせようとした。その覚悟も固めていたはずなのに……。

『お願いだから、ちょっとくらい、私の事も考えてよ……』

 あの時は自分でも意図せずに感情が爆発し、もう涙が抑えきれなくなってしまったのだ。

 その時に抱いた感情を、口で説明しろと言われてもできっこない。

 本当に優奈がいなくて助かった。あんな姿、誰にも見られたくなったから。

「先輩?」

 はっとなる。しばらく黙りこくってしまったことに気づいた。

 そのタイミングでハンバーガーが運ばれ、二人でそれを食べた。

 食事の最中は適当な世間話をしていたが、食事を終えて一息つくと、自然と仕事の方に再び話題が移った。

「あの、希さんとケンカになったのって、やっぱりあの『さくらの園』の件ですよね?」

 優奈は自分からその件を切り出すべきか、かなり迷っていた。しかし理子先輩の真面目な性格からして、優奈を困らせてしまうようなこの一件について自分からは切り出さないだろうなと思った。

 だがこれまでの一連の様子を見る限り、理子の苦悩はかなり深いことがうかがえた。

 優奈は、先輩の力になりたくてこの会社に入った。だからこそ、こちらから積極的に切り出すことにしたのだ。

「……うん、まぁね」

 目線はそらしたまま、理子は肯定した。

「結局、希さんとはどういう話し合いで終わったんでしたっけ?」

 しばらく考える様子を見せたのち、理子はぽつぽつと話し始める。

「まぁ、優奈も察しているとは思うんだけどさ、アイツはやるって言ってるんだよ」

「でも、ワークショップって言っても、子供たちのために人形を50人分用意するって、費用バカになりませんよね? 即売会の時のワークショップだって、不良品を寄せ集めたから何とかなったわけですし、先方は人形一個買うお金がないって書いてませんでしたっけ?」

「アイツは、自分が費用を依頼主の代わりに肩代わりしてでもやると言ったの」

 そんなことを言ったのか。一応は上司である希だが、その発言にはさすがに少々呆れた。

「で、私はさすがに反対したんだけど、私も言い方をマズってね。そこからはただの泥仕合になって、それで結論が出ないまま話は終わっちゃった」

 なるほど、そう考えると理子の深刻な様子にも納得がいく。

 無茶を言う依頼人と、そんな無茶な依頼に応えようとする無茶な職人に、そうとう神経をすり減らしたに違いない。

 しばし優奈は考え込む。そして顔を上げた。

「……あの、その件について私から意見言ってもいいですか?」

「うん。幹部候補の意見も欲しいかな」

 よほどあの冗談がツボだっのだろうか? 苦笑いしつつ自分の考えを述べる優奈。

「やっぱり見送った方が良いと思います。あくまでこれは仕事ですから、採算の合わないことはするべきじゃないかと。ポラリスメイデン一つ買えないくらいのお金だけで、50人分の人形を作るとか、さすがにちょっとあり得ないなって思いますよ」

 一拍だけ間をおいて、続ける。

「ただ、そのまま何もしませんとか突き返したりすると、たぶんあの竹原さんという人も希さんも気が済まないでしょうから、折衷案として、人形を一個だけ作ってタダでプレゼントするしかないかなって。そのくらいすれば、先方もそれ以上何も言ってこないでしょうし……」

 しばらく理子は考え込み、そして頷く。

「うん、そうだね。その折衷案、なかなかいいアイデアかな……」

 間を埋めるように、バナナシェイクに口を付けた。

「それで希の気が済むかはわからないけど、とりあえずそういう方法で説得してみる」

 それでその話は終わった。結局大した方法は思い浮かばないが、そもそも希の思い入れが無ければ本来ならスルーするような滅茶苦茶な依頼である。

 希を説得できれば、これ以上話す意味のないものだと思った。

「希さんって、本当に面白い人ですよね」

 つい、そう言ってしまった。

「人形作りへの情熱ももちろんですけど、子供のころから人形が好きで、大人になった今も子供たちの笑顔を見たいがために人形作りに打ち込むって、すごく突き抜けたエネルギーだと思います。ふつうそんな十何年も同じ夢もてないし、ましてやそれを実現させるって本当にすごいです。でも、それだけじゃなくて、そういう職人肌な気質の割に、商売に対する造詣もかなりありますよね。3Dプリンタのこととか、アイファンシーの顧客観とか、意外と商売の事もしっかり考えてるんだなって、珍しいなって思います」

 そこが不思議な点だった。職人気質な人間はいくらでもいるが、商売やビジネスにも理解の及ぶ人間というのはそうそういないと思う。

「そりゃそうよ。だってアイファンシーの通販、アイツが作ったんだもん」

 その理子の言葉に呆気にとられる。

「アイツの父さん、自分一人で通販サイト作れるくらいシステムについて詳しいんだって。だから希も父から作り方、教えてもらったそうよ。一応あり物のフレームワークつかってるんだけど、通販システムなんかは自分で一から設計して構築したらしいわ」

 これにはさすがに優奈も驚きを隠せなかった。

 あれだけ複雑なモール型のショッピングサイトである。てっきり外注で作ったものだと思っていた。

 だが、まさか希が独力で作ったなんて。

「優奈ってさ、アイツをカテゴリするとしたらどういうタイプの人間だと思う?」

「え? そりゃクリエイターですよね? 職人さんというか、熟練工というか……」

「そう思うよね。でもそれ実は違うと思う」

「えっ?」

 優奈は目を見開く。

「誤解されがちなんだけどさ、希って職人気質に見えて、本当の素顔は学究肌というか、研究者気質なんだと思う。発明家タイプと言ってもいいかもしれないけど……。探究心が強くて、気になることがあれば自分で満足するまで調べて考え抜くし、目的意識がはっきりしていると、とことん追求しないと気が済まない。そんなだから、人形作り以外にもいろいろなことができる。人形への思い入れが無ければ完全無欠なんじゃないかしら。アイツ、絶対人形に呪われてるよ……」

 理子がむくれたような顔で投げやりにそう言って見せる。

 技術力もあり、情熱もあり、商売への造詣も深い。

 なのに、その割には商売に対する思い入れは薄く、今回の様に暴走したりもする。

 それらの源泉は、なにより必要なことを進んで学ぶという彼女の探究心にあるということだろうか。

(職人のような研究者か……)

 そう考えるとしっくりくる。本当に変わった人だなと思った。

 ふと疑問がわく。この会社に入ったときに思った、とある疑問が、再び息を吹き返したのだ。

「あのぅ、訊いても良いかわからないんですが……」

「なに?」

「どうして理子先輩は、希さんと一緒に起業しようって思ったんですか? 誘ったの多分、理子さんの方ですよね?」

「やっぱ気になる?」

 理子の顔が、面白いものでも見るかのようなものに変わった。

「人形なんて言うマイナー分野をメインにするの、そもそも違和感というか……。理子さんならもっと良いビジネスができたと思うんです」

「そうね。まぁ確かに起業したい願望は昔からあったし、大学時代から別のビジネスプランは考えてたわよ。貯金がたまったら、あの玩具メーカーやめて立ち上げようって計画はしてた」

 ふと遠くを見るような目になる。

「思えば、希のおかげで私の人生滅茶苦茶ね」

 冗談のつもりだったのか、理子は一人で笑っていた。

 そして馴れ初めを話し出す。

「アイツが、以前勤めてた玩具メーカーで上司とやり合った話はしたでしょ?」

「はい」

 希と理子が勤めていた玩具メーカーは、大手の作る人気商品の劣化版のようなものばかり手掛けていた。それに腹を立てた希が上司に食って掛かったのである。

「その喧嘩があった後、私、希を誘ったのよ。それまで大して付き合いなかったんだけど、一緒にご飯食べないって、ね。ぶっちゃけ私は、入社当時から希はすごい仕事ができる奴って感じてたから、もし起業したらアイツを誘おうと思ってたのよ。だからちょうどいいかなと思って話をしてみた。彼女を飲み込んでやろうと思ったのに、逆に私が飲み込まれちゃったわね」

 冗談めかした言い方に優奈は思わず笑ってしまう。

「希に、アイツがこれまでどんなことをしてて、そしてどんな気持ちで仕事をしているのかあれこれ聞いたのよ。そんでもってアイツの家に行ってさ、アイツの作った人形を見せてもらった。そこで確信したの。コイツは本物だってね」

 バナナシェイクは空になっていた。理子はそのグラスの縁をなぞりながら言う。

「で、私がいったの。あなたの人形を売る会社をやりたい。一緒に会社を立てようって。最初はアイツも渋ってたんだけど、いろいろなビジネスプランを一緒に考えてあいつの気分を乗せて、どうにか起業に漕ぎ着けたってわけよ。あの時の私はどうかしてたな。希の実力と技術力を、どうにか世間に広めてやろうって、そのために起業しようって、そんな風に思っちゃった。あ――」

 突然、理子の顔が呆けたものになる。なんの脈絡もなく呆然とした理子に、優奈は首を傾げた。

「先輩?」

 理子はしばらく俯き、やがて真剣な面持ちになって口を開いた。

「優奈」

「はい?」

「さっきの件、やっぱりもう少し真剣に考えてみようと思う……」

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