episode4-3:起業とその原点―子供の頃へ回帰する
そして土曜日の朝を向かえる。希は父がやってくるのを待つため家の外に出ていた。
天気は晴れだが今日はやたら空気が冷え込んでいる。9月の越谷はまだ暑いはずなのだが、今日はなんだか秋を通り過ぎて冬の到来さえ感じそうな気温であった。
父――明坂達郎が希の住む家に車で来たのは十時を回った頃だった。
親を久しぶりに見ると小さくなって見えるとよく聞くが、少なくても希にはそんな風には感じない。逆に――、
「希、背縮んだんじゃねぇの?」
そんなことを言われてしまった。
「違うか? 痩せただけか? 髪の毛もパサパサだなぁ」
「相変わらずうぜーな」
この無神経な物言いが中学生の頃は不愉快で仕方がなかった。だがそれも結局、同族嫌悪だと気付いたのはいつの頃だったろうか?
とりあえず希は車に乗ろうとした。すると、父が問いかけてきた。
「カナエは持ってこないのかよ?」
「今日はいいよ。ていうか、大人がお人形抱えて出かけてるってすごい痛いヤツみたいじゃんか」
「お前がチビの時は、出かけるときいつもそいつを持ってきていたのにな。お前も偉くなったもんだよマジで」
「いつの話よマジで……」
「俺もあいつは娘だと思ってるからな。持ってこいよ。カナエにも町田の空気を吸わせてやれ」
まさか父親に促されるとは思わなかった。
でも、言われてみれば確かにそうだ。昔はお出かけの時、カナエも一緒に連れてきていた。
家に戻り、カナエを抱きかかえ、再び車に乗る。一応キャリーバッグも一緒にひっつかむ。
車に向かっている最中、一瞬だけ通りすがりの人に人形を抱えているところを見られ、やはりちょっと恥ずかしくなってしまった。
(大人になったんだな、アタシ……)
何故かこんなタイミングでそれを感じてしまう。
だが、大人になってから人形と一緒に遊ぶことが無くなってしまったのは事実だ。
この親父とカナエの三人だ。もういっそ、子供に戻ってはしゃぐのもいいかもしれない。
「これからどこ行くの? このまま町田に行く?」
「いや、とりあえず越谷を軽く見ようと思う。どこか面白そうなところあるか?」
「レイクタウンとかしか知らない。あ、でも、八潮の方にめっちゃくちゃでかいクリームソーダが飲める喫茶店があるらしいんだよ。そこ行ってみたい」
「じゃあ軽くレイクタウン見てから、八潮行って、それで町田だな」
父はさっそく車を発進させた。
「映画久しぶりー。あーあ、時代の進歩ってすごいのねぇ……」
理子と優奈がレイクタウンに到着して最初に向かったのは映画館だった。レイクタウンには4DXのシアターがあり、理子も優奈もはじめてそれを体験してきたのだ。
「確かにすごかったけど映画に集中できなかったですね……」
「ね、意外と臨場感なかったし、シート揺さぶられるのがキツかっただけね」
優奈はぐったりとしながらそう答えた。
国内最大級のショッピングモールというだけあり、レイクタウンは人でごった返していた。アミューズメント施設もあればレストランや家電、雑貨、アパレルとなんでもそろっていた。一日で回れないほど広いのである。
「さて、ちょっと早いけどご飯にしようか。この込み具合だと、あまりドンピシャの時間に入ろうとしたらどこにも入れなくなっちゃうわ」
「そうですね。なに食べましょっか?」
「んー、とりあえずうろつきながら良さそうな店、探そうかな」
二人はモール内を適当に散策し始めた。
「でも、本当は希さんも連れてきたかったですね」
「……まぁ、そうねぇ」
「結局ラインも既読にならなかったんですか?」
「うん」
優奈と遊びに出かけようという話になり、理子は少し迷ったが、今日の朝早く希にラインで「優奈と遊びに行くんだけど、アンタも来ない?」と送った。が、結局希から返事はなく、それどころか既読の形跡もなかった。
「まぁアイツはアイツで予定があるんじゃない? 電源切ってると思うわ」
「そうかもしれないですね。……って、あ、あれ? え?」
と、突然優奈が素っ頓狂な声を上げる。
「どうしたのよ?」
首をかしげる理子に、優奈は声を潜めていった。
「あれ、希さんじゃないですか?」
「え?」
彼女の指さす方を見る。前を歩いている女性だ。
後姿しか見えないが、たしかにそれは希だった。
「一緒にいるあの人、だれだろう?」
希の隣には、背の高い初老の男がいた。
「あれ、希のお父さんだ」
一度だけだが会ったことがある。二人の横顔が見え。間違いなく明坂親子であると気づいた。
だが彼女の父は町田に住んでいると聞く。さほど遠いところではないが、希のためにわざわざこっちまで来たのだろうか?
「親子で遊びに来てたんだ……」
二人の様子を、理子はついぼんやりと眺めてしまう。二人は雑貨店に入り、とても楽しそうに話していた。
(希さん、なんかすごく楽しそう)
優奈はついほほえましくなった。
いつもの、眉間にしわを刻んで深刻に悩んでいる彼女の姿はそこにはなく、まるで親とのショッピングを楽しんでいる小さな子供のように無邪気だった。
理子も同じ感想を抱いていた。だが、優奈に比べると、理子の心境はなんだか複雑なもので、モヤモヤとしたものが湧き上がるのを感じた。
そして半ば逃げるような心持で背を向け、優奈の手を引っ張った。
「行こう。二人の邪魔しちゃ悪いし」
「あ、はい」
そういって二人はその場を後にした。
希と達郎とカナエは、レイクタウンでめぼしい雑貨店やアパレルを見て回ったのち、希が言っていた八潮の喫茶店に向かった。
その喫茶店は最寄駅からも少し離れた辺鄙なところにあるにもかかわらず、大盛スイーツで有名なお店であり結構繁盛していた。親子連れや女子校生なんかが多い。
そこで希が言うところのでっかいクリームソーダを注文し、どちらが早く食べられるのかを競走した。悔しいことに父親の圧勝で、希はメロンソーダを飲み切ることもできなかった。
「胃袋縮んだんじゃねぇの?」
と、父にからかわれた。
そして一息ついたのち、ようやく二人は町田へと向かい始めた。結構遠いから、家に着くのはたぶん夕方くらいになるだろう。晩飯を食べるならちょうどいい頃合いに到着するだろう。
車から眺める景色に懐かしさを覚える。父が運転していて、側にカナエがいるので、懐かしさもひとしおだった。
「……昔からちょくちょく行ってた焼肉屋な、まだあるぞ。晩飯はそこにするか」
「あれ? 親父が飯つくってるくれんじゃないの? てっきりそう思ってたんだけど」
「そんなこといったっけ? 俺はどっちでもいいが、どうする?」
「んー、じゃあ焼肉屋で。筒井おじさん、元気にしてる?」
筒井とはその馴染みの焼肉屋を経営している店主の名前だ。父親とも仲が良く、おいしいビビンバを食べさせてもらったことが記憶にあった。
「相変わらずだよ。言っておくが、二年程度で町田の様子なんか変わってないから」
「ふーん」
生返事だけする。ちょっと眠たくなったので、希はまぶたを閉じ、眠った。
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