episode4-2:起業とその原点―希の偉大? な父

 希は薄暗い部屋の中、床に仰向けになってひたすら眠り続けていた。

 人形を作る気にもなれず、「カナエ」を抱きかかえて、ただひたすらぼんやりと天井を眺めていた。

 カナエを見つめながら、ぼやく。

「カナエ、アタシ、もうどうすればいいかわかんなくなっちゃったよ」

 実際に口を開けて返事をしてくれなくても、カナエはちゃんと希の話に耳を傾けている。そう思えた。

「理子があんなこと言うとは思わなかった。アタシ、いつも自分の事しか考えてなかったよ」

 理子の剣幕に驚いたわけではない。あのくらいの言い合いは、日常茶飯事とは言わないまでも何度か経験してきた。

 むしろ、彼女が涙を浮かべながら言ったあの言葉に、希は理子の本当の心情に気づいたのだ。

「アタシ。一番身近な人の気持ちもわかってなかった。そんなアタシが、子供たちのために魂のこもった人形をつくってあげるなんて、無理なのかも」

 この数か月間いつも悩み続けていた問題。それははるか遠くにある課題だと思っていたが、もしかしたらただ単に自分が肝心なことを疎かにしていただけなのかもしれない。

 身近にいる人たちの事を思いやる気持ちを忘れていた。周りや環境や成り行きのせいにして、自分の根本的な過ちを認めずにいた。

 振り返れば希はいつも独善的だった。もちろん理子の話はできる限り尊重してきたし、彼女の意見に耳を傾けていなかったわけではない。だが、それもあくまで一緒に会社をやってるという立場からくる義務感で聞いていただけに過ぎず、心の底から理子の事を考えていたわけではなかった。

 しかし理子の方はそうじゃない。ドールを主軸にした会社を作ったのも、全ては希の熱意を尊重してくれたからこそなのだ。理子は希のため、全身全霊でぶつかっている。

(なのにアタシは何だ。いつも人形を作ることしか考えず、一緒に頑張ってきた仲間を正面から見ることもしてこなかったじゃないか)

『お願いだから、ちょっとくらい、私の事も考えてよ……』

 その一言に、理子の寂しさ、辛さ、哀しさが詰まっていた。これまで耳にしてきた理子の言葉の中で、これほど心を抉られたことはなかった。

 あのときの理子の顔が脳裏に焼き付いて離れない。彼女の事ばかり考えてしまい、ドールづくりどころではなくなってしまった。

「カナエ、アタシ、どうしたらいいかな……」

 カナエはいつものように優しい微笑みをこちらに向けている。しかし部屋が真っ暗なためか、その笑みは暗く、とても寂しい表情に見えた。

 同じ表情なのに光の具合でこんなにも違うものに見えるのか。希はそう思った。


 気づけはもう夜だ。

 さすがに窮屈な気分になって、希は部屋の電気を付けた。

 時間を確認しようとおもってスマホを見ると、電話が鳴っていた。

 父だった。

「……はい」

『希か?』

「そうだよ」

 暗く沈んだ自分の声と、どこか呑気な父親の声がなんとも対照的だった。

『連絡しろとは言わんが、フェイスブックくらい更新しろよ。死んだと思ったぜ』

「うるさいなぁ。フェイスブックはウザいから見ないようにしてんだよ」

『確かにな。俺も最近全然見とらん』

 なんともくだらないことばかり言う。自然と希の話し方もくだけたものに変わっていた。

 希の口の悪さは父親譲りである。

 ついでに貴理子おばさんもあんな感じだし、思えば身内には口の悪い連中しかいないと、希は苦笑いした。

『まあいい。それより最近どうなんだ? そろそろ壁にぶち当たって、偉大な父の話が聞きたいに違いないと思って電話したんだがな』

「どうせ貴理子おばさんから聞いただけだろ?」

『そりゃそうだろ。俺がお前の状況を逐一見てるわけじゃないんだから』


 父も昔は会社を立ち上げてさまざまな仕事をこなしてきた経験があると、貴理子おばさんが言っていた。だが詳細は貴理子おばさんも知らないし、父もあまりどんな仕事をしているか希に話してくれたことはない。

 人形専門のベンチャー企業を立ち上げる。

 そう父に行った時も、淡々としたもので、

「そうか。借金はするなよ。やるなら自分のカネでやれ」

 とだけ言われた。


「親父はどうなの? 元気してるの?」

『普通だ。言っとくがお前よりかは健康的な生活してるぞ』

「ああそう」

『お前が埼玉に引っ越してから結構経つな。久しぶりにこっちに来いよ。お前がいつも食ってるものよりかは、まともな飯食わせてやる』

「飯食うためだけに戻らないといけないわけ? めんどくせー」

 父親が住んでいるのは東京の町田市だ。車で片道2時間はかかる距離なので、希は引っ越して以来、一度も町田に帰ったことがない。

 だが久しぶりに聴いた父の声に、懐かしさを感じた希は、憎まれ口をたたきつつも帰ろうと思った。

『いや、俺から迎えに行ってやるよ。越谷がどんなところかも見てみたかったしな』

 そう言って、二言三言話したのち、父との電話を終えた。

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