episode3-4:無茶な依頼と無茶する職人―カネにならない案件と理子の涙

 その翌日。午前中に希、理子、優奈の三人で会議をした。

 希は受注したポラリスメイデンの納品の目途を優奈に伝え、そして受注再開を来週からと伝える。結局ポラリスメイデンの生産に関する問題は、一応希が受注再開を指示したことで棚上げとなった。

 また、ハンドメイドの素材販売については契約の話が進展し次第進めるということになり、3Dプリンタの販売はひとまず見送りになった。

 一時間ほどで話は終わり、その後は各々の作業に取り掛かる。

 理子は午後から打ち合わせが入っていたため、12時には会社を出た。

 ――そして、アイファンシーにその問い合わせメールが優奈の元に届いたのは、休憩時間がそろそろ終わろうかとしているイミングだった。

「なにこれ?」

 問い合わせの種別が【注文前のお問い合わせ】だったため、てっきりポラリスメイデンの受注予定などを聞く問い合わせかと思った。

 だが、本文にはその種別には合わない内容が記載されており、優奈は目を丸くした。

 それは明坂希宛てのメールだった。


◆ ◆ ◆

 アイファンシー 明坂希さま


 初めまして、私、児童養護施設「さくらの園」の竹原ひとみです。

 明坂様にご相談があってメールしました。


 この度は明坂様にご相談したいことがあります。

 私は50人の子供たちがいる児童養護施設「さくらの園」に入所している児童の一人です。

 私は今年で18歳になるため、今いる施設を来年の三月には巣立たなければなりません。

 そのため、皆で迎える最後のクリスマスを、みんなで最高の思い出にしたいと思っています。


 最初私は、みんなのために素敵なクリスマスプレゼントを用意しようと思ってました。

 そしてオークションでプレゼントを探していたところ、ポラリスメイデンを見ました。

 とても素敵な人形で、一目見て感動いたしました。

 結局それは買えませんでしたが、そこから色々調べてアイファンシーにたどり着きました。


 ポラリスメイデンは今作っていないようでしたので、

 私は何とか手に入れる方法はないかと思い、色々調べました。


 そして、明坂様がドールイベントにて、格安の参加費で、

 子供たちのためにお人形作りのワークショップを開いたと知りました。

 その様子の写真も拝見しましたが、子供たちの素敵な笑顔に感動しました。


 それでご相談なのですが、

 できれば「さくらの園」のクリスマス会のために、

 子供たちのために同じようなワークショップを

 開いていただけませんでしょうか?


 人形一つ満足に買えるお金もないのですが、

 子供たちのためにお力を貸していただけないでしょうか?

 みんなで最高の思い出を作りたいのです。

 明坂さんのお力をお貸しください。

 よろしくお願い致します。

◆ ◆ ◆


 こういう無茶ぶりをするような個人の問い合わせはたまにくる。

 基本的に注文関連以外の問い合わせについては、全て理子に一回話を回すのがルールだ。

 ただ、このメールは明坂希宛てに来ているもの。こういうケースは優奈には初めてだった。

 ただ、希も現在仕事に没頭中だ。理子も現在は打ち合わせ中だろう。

(ひとまず、メールだけ理子先輩に転送して、その後の判断は任せたほうがいいかな……)

 そう考え、優奈はメールを理子に転送した。

 理子から電話がかかってきたのは、それから二時間後の事だった。

『優奈、これまだ希には見せてない?』

「あ、はい。希さんはずっと工房にこもりきりですし……」

『分かった。まだ希には見せないで。希には私から言う。あなたも返信とかしなくていいから』

 そういう理子の声は、どことなく沈んでいた。


 その日は結局理子は外回りで戻らず、希も作業に追い込みでもかけているのか、結局問い合わせの件の対応はその日のうちにはされなかった。

 その翌日の木曜日。始業時間になった時の事だ。

 理子と優奈が出社し、希も目の下にクマを作りつつも、なんとか作業を終えたらしく、缶コーヒーを飲んで一息ついていた。

 希の姿を見て、優奈の脳裏に昨日の問い合わせの件がチラつく。

 しかし理子といえば、希の方を見ることもなく自分の作業に没頭していた。希からすればなんてことはない普段の様子に見えるだろうが、優奈からすれば理子があえてあの話をするのを避けている風にも見える。

 と、電話が鳴った。取引先向けの電話ではなく、アイファンシーのサポート用の電話の方だった。

 優奈が電話を取る。

「お待たせしました。アイファンシーサポートセンターです」

『明坂さんですか!?』

 急な大きな声にビックリする。声が漏れたらしく、理子も希も目を見開いてこちらを見た。

「……あ、いえ、こちらはアイファンシーのサポート窓口でして」

『明坂さんとお話させてください!』

 優奈はその大声というか金切り声にドギマギしながらも応対する。

「あの、失礼ですが、まずお名前とお問い合わせの内容お伺いできませんか?」

『あ、すみません。私、竹原ひとみです。昨日メールした者なのですが、お返事まだかなと思って、もしよければ明坂さんとお話したいなと思いました!』

 電話口の相手が明坂明坂と大声で連呼するものだから、希は怪訝な顔をこちらに向けている。

「申し訳ございませんが、明坂は終日不在でして、お取り次ぎなどはできないのですが……」

『じゃあ、昨日の件どうなってますか! 明坂さんはメール見てくれましたか!?』

「すみません、本人にちゃんとお伝えしますので……今しばらく――」

『じゃあまだメール見てもらえてないんですか? 早くお返事が欲しいのですが!?』

 優奈はしつこい問答にあたふたした。たまに面倒な問い合わせは来るのだが、これは相当厄介な部類に入ると感じた。

 すったもんだが続きそうだったため、見かねた理子が「保留にして」とメモを回してきた。

「すみません、ただいま状況を確認するので、いったん保留にさせてください」

 そういって保留ボタンを押した。

 心臓の鼓動を抑えるように、優奈は胸を上下に動かす。

 状況を理解できない希は、怪しいものでも見るような顔つきになる。

「なに? どうしたの? アタシの名前言ってなかった?」

「その話はあとでするから」

 そういって、理子は優奈に回答内容を指示する。とりあえずこの場で結論は出さず、相手との電話を打ち切るための言い回しだった。

 優奈は改めて電話を取る。

「お待たせいたしました。本人にメールの方は届いているようです。現在検討中とのことなので、追ってお返事させていただきます」

『それって明坂さんから直接お返事いただけますか!? できれば電話で話したいです! いつまでにお返事くれるのでしょうか!?』

 なおも食い下がってくる。予想以上にしつこい相手だった。

 こういう場合、あまり弱腰な対応をするとかえって厄介になることを、優奈はこの数か月の経験で理解していた。

「かしこまりました。竹原様のお話は全て明坂に伝えます。来週の月曜日にはお返事いたしますので、それまでお待ちください」

 あえてやや強い言い方をすることで打ち切る。先方もそれ以上はしつこくせず、一応は納得してくれたのか電話を切った。

 受話器を置き、ため息をつく。今日一日分のエネルギーをいまの電話で使い果たした気分である。

「優奈」

 希の声だった。鋭い響きに一瞬だけ背筋が凍り付く。

「いまの話、結局なんなの? メールで問合せ? アタシに?」

 相変わらずぼさぼさ頭で目の下にクマまで作っている顔は、別に怒っていないのだとしてもかなりの迫力があった。さすがはオオカミというあだ名で通っているだけりことはある。

「ああー、それは私が預かっててね。私から説明するわ」

 そう言って理子が希の前に立つ。

「でも、後でいい? いま私も忙しいし、説明のヒマが無いし」

「メールで質問は来てるんでしょ? なら別に今アタシが見れば済むことじゃない」

「だから後にしてって。結構込み入った内容だから」

 優奈の角度からは理子の顔は見えなかったが、理子の態度には少し、苛立ちの気配があった。

 希は納得しかねているようだったが、理子の態度に奇妙なものを感じ取ったらしく、押し黙った。

「とりあえず仮眠でも取りなよ。クマ、酷いよ」

 そう言われ、希は工房にこもって横になった。

 希が寝ている間、理子はこの件については一言も発さなかった。

 ただならない雰囲気を感じて、優奈もその話にはあえて触れない。ただ――

「今日なんだけどさ、優奈、ちょっとだけ早めに上がってくれる? 希が起きる前に……」

 と、優奈にそう言ってきた。


 優奈は理子の指示通り、いつもより少し早めに退勤した。貴理子おばさんにも早引きしてもらった。

 一人きりになった理子は深くため息をつき、眉間に親指を押し付けてぐりぐりと揉んだ。

 やがて終業時間が回るころに希は工房から出てくる。さほど休めたようには見えなかった。

「もういいでしょ? さっきのことが気になって全然休めないわ」

「…………」

 理子はやおらノートパソコンを希に手渡す。

 パソコンに写されたメールを見る希の顔は、一気に真剣なものになった。

 しばらくして理子にノートパソコンを返す。

「こんな大事なメール、なんで後回しにしたわけ?」

 だが、希の真剣な表情に比べ、理子の方は諦念でも抱いているかのように白けて冷たいものになっている。

「昨日は私も営業で忙しかった。メールちゃんと読んだのも今日だったしね」

「最初からアタシに回せば良かった話でしょ?」

「アンタだって四六時中工房にこもってて、それどころじゃなかったでしょ? これでもアンタが集中できるように配慮しているんですけど、察してくれない?」

 理子の様子には突き放す態度がある。二人の態度の落差は、このメールに対する心象が正反対であることを表している。

 お互いにしばしにらみ合いが続く。そして理子が断じるような声音で言った。

「分かってると思うけど、こんな滅茶苦茶なお願いは聞かないからね。こんなことに時間もカネも使えないわ」

「勝手に決めないで! これはアタシ宛に来た依頼なのよ! 理子一人の判断でどうして決めちゃうの!」

 その反論に理子は沈黙で答えた。有無を言わせないとでも言わんばかりの態度だった。

「アタシはやるよ。アタシが一人でやる」

「お願いだから落ち着いてよ。もし私が一方的に決めたことが不快だったなら謝るから」

「そういう問題じゃない。アンタも知ってるでしょ? アタシがドールを作っているのは、こういう子供たちを笑顔にするためなの! ビジネスで人形をやっていれば、いつかこういうチャンスに巡り合えると思ってた。なによりクリスマスよ! アンタもアタシの思い出の話は知ってるでしょ!? こういう子供たちのためにアタシが人形を作らないと、なんのためにここまで努力してきたかわからないじゃない!」

 だんだんと希がヒートアップしてくる。それにつられて、理子もつい語気を荒げてしまう。

「だからって採算の合わない仕事はできないわよ。まさかアンタ、子供たちの笑顔とやらのために、この50人いる子供たち一人一人に人形を作ってやろうなんて馬鹿なこと言うつもり? ドールイベントの時のワークショップみたいに? 50体の人形と、しかも今度は衣装とかのオプションも負担するんだよ。そんなの材料費だけで一体いくらになると思ってるのよ」

「アンタはカネのために子供たちを見捨てろっていうの!?」

「見捨てるって……」

 希の大袈裟な表現に、理子はさすがに呆れ、うんざりしてしまう。

 正直、このメールを見た時から、覚悟はしていた。

 もちろん、希のもっている「カナエ」という人形のことは知っている。それにどれだけの思い入れがあり、そしてそれが希の人形作りへの原点であるのか、理子はすべて承知していた。

 この明坂宛のメールは、希がやりたいこと、目標、夢が全て詰まっていると言える。

 それだけに、「人形一体分の金も用意できない」旨の内容は致命的だった。

 これが潤沢な予算ありきの話なら、理子は前向きに検討できた。希とこんな不毛な言い合いをするハメにはならなかっただろう。

 しかし、アニマ合同会社は、少しは軌道に乗ったものの零細企業であることに変わりはない。まだまだ成長軌道に乗るためにやらなければならないことは山積みで、ボランティアや社会貢献を前提にした相談のために時間やカネを使うなんて論外なのだ。

 理子は頭を抱えて、あからさまにため息をついた。

「ああ、そういうと思ったよ。希は絶対そういうと思った。だから、もっと慎重に話をしようと思ったのにさぁ……」

「慎重もクソもないわ。アタシはやる。子供たちのためよ」

 一歩も譲ろうとしない希に、理子は訪ね返す。

「で、カネはどうするの? 言っとくけど私はこんなものに材料費の負担を認めたりしないわ」

「会社からカネなんか出してもらわなくて構わない」

 決然とした態度で希は言う。

「アタシが全部カネを出してでもやるわ」

「…………」

 何を言ってるんだ、お前は――。思わずそう口から出かかった。

 理子はこの言い合いがだんだん馬鹿馬鹿しくなってきた。それでも会話を続けなければならないこの状況にもイラついてくる。

「……もうそこまで言うなら、気が済むようにして。ただ、もう一つ訊かせて。仕事しながらそんなことできるの?」

「どういう意味?」

「50体分の素体やらウィッグやら衣装やらを、あなたが一人が個人で作るってんでしょ? でも状況を考えてよ。来週からポラリスメイデンの受注を再開するのよ? ポラリスメイデンは人気が出つつあって、たぶん再開すれば結構な注文が入ると思う。それをこなしながら50体分の人形を用意するなんて、冷静に考えればどだい無理なことくらいわかるでしょ?」

 いまは九月の半ばが見え、クリスマスまで残り三か月ちょっとというところだ。オプションまでこだわる希の製造ペースは月に10個が限度な上に、ここ最近過労がたたって希は心身ともに疲れ果てている。とても、仕事でポラリスメイデンを作りながら、50体分のドールの製造なんか不可能なのだ。

 が、希は意外な提案をしてみせた。

「ポラリスメイデンの受注再開、年内は見送るわ」

 希の返答に、理子は頭が真っ白になった。

「どうせポラリスメイデンを通販で買いにくるのは、子供以外のドール愛好家たちでしょ。アタシはね、そもそもポラリスメイデンは子供たちのために作っているの。本来のターゲットから逸れている今、この依頼をないがしろにしてまでポラリスメイデンの受注を再開する意味はない。本末転倒も良いところだわ」

「本末転倒してんのはアンタよ!」

 とうとう理子の怒りが爆発した。

「自分勝手なことばかり言うのもいい加減にしてよね! 私はね、この三年間、アンタが夢に近づけるようにずっと色々なことを我慢してきたわ! でもそればかりじゃあ会社はやっていけないの! 会社はね、アンタだけのためにあるわけじゃないのよ! アニマはアンタの私物じゃないの! いい加減そのくらいのこと分かってちょうだいよ!」

 本筋から離れたことを言ってしまったのは、理子も自覚していた。だがここまで、感情をぐっと押し殺してきたせいで、一度怒りの火が付くとおさまりがつかなくなってしまった。

 だがそこからはあまりの怒りで言葉が詰まって出なくなってしまう。そして理子は震えながら、怒りと悔しさでうっすらと涙を浮かべていた。 

「お願いだから、ちょっとくらい、私の事も考えてよ……」

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