episode3-3:無茶な依頼と無茶する職人―貴理子おばさんの助言と別の道
理子が見抜いている通り、希は深く思い悩んでいた。そこら辺にある道具を投げつけたい気分である。
理子と優奈が帰っても、希は工房に引き込りつづけていた。そばには受注したポラリスメイデンの素体が陳列されている。
ひとまず受注分の素体は全て完成するところまできた。あともう一息で完成するし、スケジュール通り配送できる見込みだった。
一息つくために、希は事務所の冷蔵庫から缶コーヒーを取り出した。
事務所の窓から外を見下ろしながら、希は先ほどの理子との会話を思い出す。
クリエイター向けに3Dプリンタを販売するという理子の案に反対するつもりはなかった。
付加価値さえちゃんと考えればの話だ。
だが、現状、ポラリスメイデンや自分自身の製造でそれを使う気にはならなかった。
3Dプリンタ自体もまだまだ登場したばかりの技術だし、そのプリントした造形を完成品にまで近づける関連道具も発展途上だと思っているからだ。自宅にも3Dプリンタがあるにはあるのだが、結局活用の機会はなく眠っている。
……実は希は、理子に話したさらに一歩先の方法を考えていた。
バーチャルリアリティーによる3Dドールの製作だった。
希はこの夏、最先端技術を披露するイベントに参加し、VRの技術を体験してきた。
それは確かに驚嘆する技術だった。現実のサイズにとらわれず、自由自在にオブジェクトを造形することは、普段の人形作りとはまた異なる意味で新鮮で、なかなか楽しめるものだった。
3Dプリントの元となる3Dデータを、VR技術で作る。それを3Dプリンタで造形する。
その体験は恐らく、子供たちのために開いた例のワークショップに勝るとも劣らない素晴らしい体験になると感じた。
が、一方で様々な障壁があることも感じた。
価格の壁もあるし、まだ解像度も満足できるレベルにないというものもある。
なによりも希が一番障壁と思ったのは、コントローラーの問題だ。
既存のコントローラーでは、普段の人形作りなら容易に作り込めるような細部へのアプローチができず、かなり歯がゆい思いをした。
過去、パソコンでのスカルプトでもかなり苦戦した。一応相応のモノは作れるが、やはりデバイスやコントローラーに造形の精度が左右されてしまうのだ。
こうした様々な問題が解消されない限り、他の造形ならともかく人形に応用するのは無理。それが希の結論だ。
とはいえ、大雑把な造形のレベルなら3Dプリンタでも十分だ。
ただ、その程度の用途であれば、3Dプリンタに頼る必要はない。何せ自分の手で簡単に作れるし、型取りすればそれこそ3Dプリンタとは比較にならない速度で作れるのだから、導入の意味はほぼなかった。
なにより3Dプリンタには大きな欠点がある。一つの造形に時間がかかりすぎるという問題だ。
もっとも、アイファンシーの客の中に、3Dプリンタに興味を持つ人たちがいるのは確かだ。クリエイターの中には3Dモデルで自在に造形をする者もおり、その試作品づくりのために3Dプリンタを求める者たちも多いに違いない。
ただしそれも付加価値をうまくつけなければ、顧客の信用を勝ち取れない。アニマ合同会社オリジナルの付加価値が必要だ。
そして理子に対して言った通り、その付加価値を検討する時間はない。
そこまで分かっていながら3Dプリンタの事を考えてしまうのは、つまるところ希自身が、壁にぶち当たってしまっているからだ。
ちょうど今、理子と優奈が話し合っている通り、希は生産能力の限界を感じていた。
そのきっかけとなったのは、例のオークションの一件だ。
あの時は心が引き裂かれるような悲しみで一時は打ちひしがれていた希だったが、その後ある程度落ち着きを取り戻し、改めて例の件を真剣に考えてみた。
何故売られてしまい、何故高値で取引されてしまったのか、である。
子供が一生懸命作った人形をオークションに出品する親の神経はまったく理解に苦しむが、逆に、そのドールを買おうと思った買い手の方は、いったいどうして高値で買おうと思ったのだろうか?
もろもろ理由はあるのだろうが、一番の要因は、ポラリスメイデンの需要に対し、適切な供給ができていない、ということだった。
もし、適切な価格で適切な数の人形を販売できているのであれば、理解不能なプレミア価値などつくことなく、買い手もわざわざオークションなんかで入手しようとなんかしないはずだ。
今の希のやり方では、買い手が求めるだけの数を作ることはできない。事実今も受注を止めてしまっているのだから……。
その現実を目の当たりにして、再び希は落ち込んだ。
その解決方法の一つとして目を向けたのが、実は、くだんの3Dプリンタ、そしてVR技術だったのだ。
もし、デジタル上とはいえ自分のモデリングしたドールに魂が宿るのであれば、造形は3Dプリンタに任せても良いのかもしれない。そう希は考えた。
だが現実には魂を宿すどころか、デジタル上で造形そのものが思ったように作れず、それどころか人形に向き合っているときに感じる手ごたえすらなかった。
これは感情論ではなく、工学的な命題だと感じた。
過去に希は、人形作りをするにあたり、関節や可動性、自立性などを求める過程で、人体の構造についての書籍をあたったことがある。人間の体の仕組みを理解することで人形のポーズや自立性を高められると考えたからだ。
その過程で得た知識であるが、生物の身体というのは進化と自然淘汰によって設計される、肉できた精密機械なのである。人間でいえば手先指先のギミックなど最たる例だろう。
当時はあくまで人形のコンセプトの肉付けとしてたまたま行き着いた知識だったわけだが、普段使っている自分の手先指先がどれほどありがたいものなのかということを、VRコントローラーの体験を介して気付かされた次第である。
とどのつまり、自分についているこの手は、3DやVRのテクノロジーなんかよりも、はるかに先を行くハイテクマシンなのだ。
さらに言えば、道具というのは本来、手だけではできないことを補うためのものだ。
しかし機械というものは往々にして、手と道具の本来の関係性を逆転させてしまいがちである。実際VR体験でも、コントローラーという不完全なデバイスの操作性を、手先の器用さでなんとか補っているような感覚もあった。これではとても人形に魂を宿すどころではない。
もしこの工学的課題を突破して、3Dのドールに魂を宿せたとしても、新たな課題として実際に使う3Dプリンタの精度の問題もある。デジタルのドールが本物でも、プリントが偽物では話にならない。
3D分野はどの技術も、工学的には発展途上にある。
自分の悩みの解決手段にはならないというのが結論だった。
「量産化か……」
わざわざ3DプリンタやVRという変化球まで検討したのは、つまるところ希からして既存のアプローチに納得できない物を感じていたからだ。
仮に、人形に魂を込めるという信念を脇に置いたとしても、量産化に問題は必ず発生する。
樹脂の成形などを行う会社へのアウトソーシング。これが一番簡単で安価な方法であろう。
だがそれによって製品の中には必ず不良品が生じる。もし素体以外のメイクやオプションなども他の人に任せることになれば、その不良に気づかず出荷されてしまうことは必ずある。
せっかく念願かなって手に入れたドールが不良品だったら、子供たちはいったいどんな顔をするだろう。そう思うと、量産化そのものをためらってしまう。
だから希は、自分の手で作れてなおかつ生産数を上げられる手段を模索し、わざわざ3Dプリンタなどの新規な技術まであれこれリサーチしていたのである。
しかしどの方法も空振り。結果、希の思考は行き詰まってしまい、堂々巡りしていたのである。
と、突然事務所の鍵がガチャリと音を立てた。そして見知った顔の人物が入ってくる。
「あれ? 貴理子おばさん」
「ああ、やっぱりいたね」
「帰ったんじゃないんですか?」
「うん。帰ったよ。はいこれ」
そう言って、持ってきたタッパーをこちらに渡す。包みを開けると中には唐揚げとおにぎりが入っていた。
貴理子おばさんはたまにこうやって気を使って差し入れを持ってくる。
「お腹すいてると思ったからね。ていうかアンタ、やせ過ぎよ」
「すみません」
つい謝ってしまった。
ありがたく貴理子おばさんのから揚げを食べはじめる。
貴理子は事務所に備えてあるテレビを付けた。希が食べ終わるまで待つつもりらしい。
もくもくと食べている側で、貴理子はぼそりとつぶやいた。
「本当、アンタは父親にそっくりだよ」
貴理子おばさんは突然そんなことを言う。
「親父にですか?」
「こうと決めたら真剣に物事に取り組むところがそっくり。深く悩み過ぎたり、誰が相手でも妥協しないところもね」
「本当ですか? 親父の真剣な様子なんか見たことないんですけど」
「そりゃ、アンタが父親の仕事をちゃんと見たことが無いからだろう」
カラカラと笑う。
確かに、希は父の仕事ぶりを見たことなんかない。
子供の頃を改めて思い出すが、父は家に居るときは大抵希と一緒になってふざけてばかりで、希の学校のテストや成績や進路にも、そこまで関心を示したことがない。
そういうところに無関心なのは、目的意識が強く他人にあれこれ言われるのが嫌いな希にとってはありがたかったものの、もしかしてそれは父親が似たような性格だから、希の心情を慮ってそうしていたのだろうか?
父親も自分くらいの歳の時には、同じように仕事に打ち込み、そして壁にぶつかって悩んでいたのかもしれない。
「で、仕事はどうなの? なんかいい案浮かんだわけ?」
思い出話に浸かるのかと思いきや、だしぬけにそんなことを言ってくる。
「色々考えたんですけど、いい方法はないですね。やっぱりポラリスメイデンの量産はしばらく考えないようにしようと思います」
「理子ちゃんも結構悩んでるみたいよ。ビジネスを考えたらやっぱりどういう形でもいいから、生産数を増やしたいってね。あんたも分かってると思うけど」
希ですら量産を考える以上、理子が考えていないはずがない。それでも希にその話をしないのは、希の人形作りの信念を知ってるから、遠慮しているか禁忌に触れると思って、切り出せないでいるのだろう。
あえて聞いてみることにする。
「貴理子おばさんはどう思いますか? 量産……」
「バイトの私の身からすれば、仕事が増えるのは面倒くさいかなぁ」
思わず苦笑いしてしまう。皮肉な言い方がそれこそ父親に似ていたためだ。
「でもまぁ、作り手のアンタが嫌なら量産なんかしなくていいんじゃないの? ポラリスメイデンの価値はアンタの魂にあるんだから」
自然と、ディスプレイの人形たちに目が向いた。
「ていうかさ、もういっそのこと、これでビジネスやるの諦めたら?」
「えっ?」
思わず希は目を見開いた。貴理子の様子は、それまでのふざけた態度から微妙に変わっているように感じた。
「この事務所借りて仕事を始めてからずっと見てきたけど、希ちゃん、とても辛そうに見えるわ。そんなになって思い詰めてまで、商売でやる必要なんかないんじゃない?」
「でも私は、ポラリスメイデンを子供たちのために作りたいんです」
「商売じゃないと希ちゃんはお人形を作れないの? そんなことないでしょ。道楽でやってる人たちなんか、それこそたくさんいるじゃないの。むしろ道楽の方が、自分で好き勝手に、自由にやれるじゃない。子供に人形を上げたければ自分一人で作ってタダで上げればいい。なんでわざわざ商売でやる必要がある?」
それに関しては、実のところ希も考えていた。が、あえてそれには見てみぬふりをしていた。
人形をオーダーメイドで作り、売る。それをアイファンシーの一つのサービスとして組み込んだ当時、今ほど真剣には考えていなかった。というより、どちらかというと甘く見ていたと言っていいのかもしれない。
あれこれと様々な問題に苦悩してきたが、元をたどれば、よく考えず安易に人形作りを事業化したことが、最大の原因なのだ。
今苦悩するハメになっているのは、とどのつまりその考えの甘さのツケといえた。
あえて考えてこなかったが、希のこだわりが、そもそもビジネスと相いれないものなのである。
仕事は客のためにするもので、自己満足のためにやるものではない。
そして人形へのこだわりは、あくまで希の自己満足なのだ。
だから貴理子おばさんは、それを仕事として続けるべきじゃないと、そう言っているのである。
「いいじゃない。アイファンシーでは通販でモノを売ることだけやって、希ちゃんはヒマな時間に道楽で人形を作っていれば。そのくらい理子ちゃんだって大目に見てくれるでしょ。何も悩む必要はなし。めでたしめでたしじゃない」
普段は仕事に口を挟まない彼女が、ここまで踏み込んだことを言うのはとても珍しい。
わざわざそんなことを言うために、貴理子おばさんは来たのだろうか?
貴理子おばさんがそこまで言いたくなるくらい、今の希の様子は悲惨に見えるのか?
そして、貴理子おばさんのその話に、希の気持ちは揺さぶられていた。
本音を言えば、貴理子おばさんの言う通りにするのが一番気楽だ。会社で人形作りはせず、通販や流通で金を稼ぐ。そして自分は余暇を利用して自由気ままに人形を作る。理子も優奈も、希の機嫌に振り回されずに安心して仕事ができる。三方丸く収まるという寸法だ。
(それも、有りかな?)
思わず納得しかける自分がいた。
――が、そんな気持ちに、強いブレーキがかかるのを感じて、希は俯いた。
その気持ちをどう表現したらいいかわからない。
この場ですぐいい答えが見つかる気もしない。
希はとりあえず、間を持たせるために貴理子おばさんにこういうしかなかった。
「まあ、もう少し考えてみるから……」
希にしてはあいまいな返事だ。
「ほかにいい方法があるかもしれないし」
「そう? まぁすぐに出す結論じゃないもんね」
いつの間にか唐揚げを全部食べていた。
貴理子おばさんはタッパーを手に取り、もう用はないと言わんばかりにそそくさと出て行こうとしていた。
「じゃ、私帰るわ」
「うん、ごちそうさま」
短い挨拶をして、貴理子は出て行った。
ひとりになり、先ほどの話を回想する。
人形を商売でやらずに道楽でやる。その貴理子おばさんの提案は、いま希が抱える全ての悩みを払拭する最善策のはずだった。
けど、それを受け入れることのできない自分がいた。
(なんでだろう。その方が絶対に良いと思えるのに……)
だが、それは、本当の意味での解決策なのだろうか?
何か、本当に大事なものを置き去りにしてしまっている。そんな思いがふつふつと湧いていたのだった。
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