episode3-2:無茶な依頼と無茶する職人―コップの水と消化不良

 その日の仕事が終わると、優奈から理子に食事に行かないかと誘った。

 本当は希も貴理子おばさんも誘ったのだが、二人は断ってきた。希もたいがいだが、貴理子おばさんも思っていた以上に付き合いの悪い人だった。

 二人は会社と優奈の家の間にある和食レストランに入った。

 理子も優奈もトンカツ定食を頼む。

 軽い世間話をしながら食べる二人。やがて話は仕事に変わる。

「それにしても、結構色々なこと考えてるんですね、希さんって」

 さきほどの希の話は、二人にとって思いがけない、意外な切り返しであった。

「もし拒絶するにしても、人形に3Dプリンタなんか邪道だとか、手作りにこそ意味があるとか、そういうことなら言いそうなのに……」

 優奈が見る限り、希は基本的に自分が何かを作ることしかしていない。

 緻密なビジネスプランを考えるのはすべて理子の仕事で、希は商売についておしなべて無頓着だと思った。

「意外としっかり考えてるんだよ、希は……」

 こと自分の人形作りだけは採算もビジネスも度外視した行為をする希だが、それ以外については思いのほか冷静で、「価値のあるものを売る」ということの意味を真剣に考える人間なのだ。

「私も確かに拙速だったわ。3Dプリンタがなかなか一般消費者に普及しない原因は、単純に値段が高いからだとしか思ってなかった」

 3Dプリンタを右から左に流す販売代理店はごまんといる。

 しかし、自分たちのようにクリエイターたちを支える裏方の立場にある会社が取り扱うのであれば、顧客となるクリエイターにとって、その製品がどんな価値があるのかを考えるのは当たり前なのだ。

 3万円払うなら3万円以上のリターンを考える。それが売る側の責任でもある。

 そうでなければ顧客となるクリエイターたちの信頼は得られない。

 希の話しは、理子の考えの浅さをズバリと指摘し、「もっとしっかり考えろ」と遠回しに言われたようなものだった。

 理子も、確かにちょっと前のめりになりすぎた、詰めが甘かったと感じていた。

 理子からふてくされたような空気を感じ取った優奈は、フォローの言葉をかける。

「仕方ないですよ。最近あちこちに引っ張りだこだったじゃないですか」

 色々な営業に引っ張り回されて、アイファンシーでの具体的な販売プランまで考えが及ばない。それは何も理子の所為ではないと思う。

 しばらくして、理子はぼそりという。

「機会の消化不良か……」

「え?」

「覚えてる? 大学で勉強してた時に話題にしたでしょ?」

 政経学部で色々なベンチャー企業を研究していた時のことだ。

「一度、成長軌道に乗った会社が、まず最初にぶち当たる壁でしたよね」

「そう。会社の売り上げ上昇やニーズの拡大という成長要因に比べ、それを担う社内の人材の人数や成長が不足している場合、成長要因をうまく消化できずに苦しむハメになる」

 理子は冷水の入ったピッチャーを手にして、自分のコップに水をそそぐ。

「会社の人材をコップ、成長要因というものを水に例えると分かりやすいわね」

 コップが水で満たされる。ピッチャーにはまだまだ水が残っていた。

 ちょっとだけコップから水がこぼれてしまい、理子はフキンでテーブルを拭く。

「こんな風にね、どれだけ成長要因という水が大量に注がれても、人材というコップが無ければ水を受け止めることはできない。多すぎる成長要因はコップからこぼれてしまう」

「そうならないためには新しいコップ、つまり人材が必要ってことですか?」

「ところが水がこぼれないようにするには、どんなコップでもいいわけじゃない。例えば、底に穴が開いているようなコップじゃ、結局水はこぼれてしまう。その仕事を担う、適切なコップが必要なのよ」

 おおむね企業の大小問わずそうした問題は起きうるのだが、ニーズやチャンスが多すぎて消化不良を起こす事態は、成長軌道に乗ったばかりの零細企業にとって、乗り越えなければならない壁なのである。

 そして、もし乗り越えられなければ、その消化不良に苦しみながら働いてしまうと、場合によっては人もシステムも疲弊して追い込まれることもある。いわゆる空中分解というやつだ。

「3Dプリンタのことだけじゃなくて、今の会社全体の状況がそれに当てはまるわ。まさに今ウチが直面している壁よ」

「たしかにそうですね」

 理子の抱えている営業周りの仕事は、一見、現在のアニマのビジネスモデルにそぐわないものだ。

 しかしその一方で、数多くの取引のチャンスを内在していると言える。

 一言でいえば、現在のアイファンシー以外の新しいビジネスモデルを生み出すチャンスでもあるのだ。

 もし理子の他に営業や実務を担える人間がいれば、それらのチャンスを効率よく活かし、さらなる成長につなげることもできたであろう。

 だが理子一人ではそれらのチャンスを生かしきれず、現に今めぐってきているチャンスを上手く消化できずに苦しんでいるのだ。

 そして、理子以上に消化不良に苦しんでいるのが、希だ。

「ポラリスメイデンの受注、いつから再開できるのやら……」

 現在、ポラリスメイデンは8月の注文を最後に受注を止めている。

 例のオークションをきっかけにアイファンシーと明坂希の認知度が上がったことで、その注文数は希の生産能力をオーバーしてしまったためである。「人形のクオリティが保てないから販売を止めて欲しい」と、そう言ってきたのだ。

 これまた、機会の消化不良に当てはまる問題だ。

 希一人で作り続ける限り、お客がどれだけ増えても、生産量を底上げすることができないのだ。

 ポラリスメイデン自体は、アニマ合同会社の目玉商品である。売り上げ規模はともかくとして、アニマ合同会社の顧客を支えるのは、ポラリスメイデンのもつ魅力が背景にあると言っていい。だからこそ、ポラリスメイデンがオークションで売られただけでアイファンシーに客が流入したのだ。

 しかしその客が増えたことで、今のビジネスモデルの欠点が浮き彫りとなった。

 明坂希個人が、人形作りを抱えているという事だ。

「顧客の期待が、希の人形作りの能力にあるとしたら、これ以上会社が伸びなくなる」

「伸び悩むどころか、このままだと顧客を維持できなくなるかもしれません」

「その通り」

 理子も優奈も最近ひしひしと感じていた。

 希の精神が限界に達しつつあることを。

 あのオークションの一件以来、希はひどく懊悩していて、人形作りを会社としてやることに疑問を抱き始めているように感じた。

 仕事そのものは熱心で、手抜きは一切ない。相変わらずの鉄人ぶりだ。

 だが、ポラリスメイデン受注再開の目途について尋ねてみても、希は「まだ無理」としか言わず、人形作り以外の仕事をするときはかなり雑で投げやりな印象すら受ける。

 彼女が仕事を投げ出す姿など、優奈にも理子にも想像できなかった。いや、本人ですら仕事を投げ出すなんて発想は持ち合わせてはいないだろう。

 しかし彼女は以前にもまして痩せていた。

 精神的な苦悩が、すでに身体に影響を与える次元にまで到達しているように思えた。あのままではいずれ消耗し、身体を壊すのは目に見えていた。

 そうなればポラリスメイデンの受注再開は暗礁に乗り上げる。

「でも、どうすればいいんでしょうね? もし他の人にドールを作らせるとしても、あんな熱意、他の人は誰も持てないですよ」

「いくつか対策は考えてるんだけどね……」

 理子は頭をぼりぼりと掻く。

「真っ先に考えたのは、数量を限定するってこと。希が一月に一人で作れる範囲でポラリスメイデンを継続する。次に、価格の変更。オークションであの金額で売れたなら、もっと高くしても売れると思うし。後は……分業かな? 素体の造形はともかく、他のメイクや衣装なんかの作業については内職やバイトに回す方法はあると思う。要するにポラリスメイデンの製造を、希一人じゃなくて、チームでやってもらう体制に切り替える。それで負担は軽減されるし、希も他の仕事に使う時間を増やせる」

「最初の二つはともかく、最後の分業、希さんが納得しますかね?」

「しないでしょうね」

 あっさりそういう。

「ですけど、ビジネスである以上、分業も避けては通れない道ですよ」

「それは希自身が一番自覚してると思う。だから最近ずっと思い詰めてるのよ」

 理子はお冷を口に含む。

「このままでは継続はできないのは目に見えている。かといってこれまで大事にしてきたこだわりや情熱を捨てるのは嫌。いったいどうしたら良いんだろう? ……ってね。なんでも一人で抱え込んでしまうのは、希の悪い癖よ」

 ポラリスメイデン然り、3Dプリンタ然り、希は仕事や自分の考えを溜め込んでなかなか表に出そうとしない。

 一人のクリエイターであるうちは良い。だが希はまがいなりにも経営者なのだ。

「まぁ希の件は、私がちゃんと話すよ。てか、優奈にこんな話までしちゃってゴメンね」

「そんなそんな! 私、理子先輩と一緒に仕事ができるだけでも嬉しいですから!」

「優奈は良い子だな」

 理子は本心からそう口にした。経営者が二人して思い詰めていれば不安になるだろうに。

 いや、一応優奈なりに前向きになれる根拠はあるのだろう。ゆくゆくは経理を担当する立ち位置のため、現在の財務面や収支などの状況は彼女なりにモニタリングしているし、顧客というものの見方も理解している。壁にぶつかっているとはいえ、アイファンシーという長丁場を乗り切っていけるだけのビジネスがあることから、現状をそこまで憂いてはいないのだろう。

「ま、なんとかやっていけるさ」

「はい」

 二人はレストランを出て帰路についた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る