episode3-1:無茶な依頼と無茶する職人―理子の課題と無気力な希

 優奈は目を覚まして布団から身体を起こすと、カーテンを開いて外を眺めた。

 優奈が借りているアパートの外には、集団登校する小学生たちが歩いている。

 7時を少し回っていた。ちょっと寝坊だった。

 慌てて洗顔をして朝食を取り、軽く一息つく頃には出勤時間になっている。

 優奈は身支度を済ませ、自転車に乗って会社に向かう。


 9月に入った。

 越谷は多少まだ暑さが残っているが、真夏に比べればだいぶ過ごしやすい。やかましかったセミの合唱はさすがにもう消え失せていた。

 これからどんどん寒くなる。理子によれば、越谷の冬はかなり厳しいと聞く。理子も希もまだ埼玉に越してきてから2年くらいのはずなのだが、一度冬にひどい大雪にやられ、自宅の給湯器が壊れたり電気が止まったりと散々な目に遭ったという。

 優奈は大きなため息をついた。

 優奈が抱えている憂鬱は、やがて到来する冬の厳しさからくるものではない。

 最近、社内の空気が重いからだった。


「あ~、頭が痛いよぉ~う」

 理子がかったるそうな声を上げた。

 会社に入ってからというもの、大学時代には知らなかった先輩の姿を見てきた。

 優奈の中にあった理子は社交性があって頭が良く皆から好かれるという、一種の偶像のようなイメージが形成されていた。

 だが今目の前にいる理子は、アイロンもかけていないヨレヨレのワイシャツにチノパンというラフな格好で、目の下にクマを作ってパソコンと格闘している。

 その姿は優奈の頭の中で出来ていた「完璧な先輩」のイメージを壊していたが、それはむしろ歓迎すべきものだった。

「大丈夫ですか?」

 苦笑いを浮かべる。理子は最近ずっと根を詰めているらしく、ぐちぐちとぼやくのを何度か耳にしていた。

「もーやだー! もう頭使いたくなーい! 優奈代表変わって~」

「冗談きついですよー」

 優奈は苦笑いする。理子の最近の口癖だ。

 優奈が勤め始めた当初こそ、代表然としたポーズを取っていた理子も、そういうのが面倒くさくなったのか投げやりな姿を見せるのをためらわなくなった。自然体の理子である。

 理子はここ最近、税理士を訪ねたり営業のために外回りに出たりと、なにかと慌ただしくしていた。

 というのも最近になって、アイファンシーの認知度が上がり、法人企業からドール関連の製品や小物、さらには雑貨回りの取り扱いを打診され始めている様だった。

 だが個人のクリエイターを相手にするのならいざ知らず、法人相手の取引は三者三様の条件を提示してきて、なかなかアニマ側のルールに統一することができない。どの会社も零細のアニマよりは規模が大きい会社なので、中には零細企業のアニマの足元を見て「取引してやるよ」と言わんばかりで接してくる業者もいるらしい。ついでに、女性しかいないベンチャー企業ということでやや舐められる向きもあるという。

「販売手数料の利率の問題もあるんだけどさ、問題は在庫よね」

 理子が一番頭を悩ませていた問題はそれだ。

 アイファンシーはショッピングモール型のECサイトであるため、プライベートブランドの商品を除き、在庫はない。種類も多く薄利多売になりがちな小物や衣装の在庫を持つのは危険という判断は最初からあったらしく、基本的にアイファンシーは在庫も配送もクリエイターに任せている。

 しかしその説明をしても、一方的にアニマに在庫を抱えさせようとする業者もいるとのことだった。

「どうしてそこまで無理矢理在庫を抱えさせようとするんですかね? メーカーさんも儲かってないわけでもないでしょうに……」

 優奈が素朴な疑問を口にした。

「アイファンシーの為だけに人を割けないと言われるんだよ」

 アイファンシーというブランドを根付かせるため、アイファンシーで販売する製品を配送する際は、アイファンシーのロゴ入りの封筒ないしはシールをプリントして貼ることを義務にしている。

 だが、そうなれば配送を担う会社の工数が増え、細かい話だが人件費がかさむ。小粒の取引のためにわざわざそんなことをするのは無駄だと思われてしまうのだ。

 なによりメーカー側は一般消費者への小売りを念頭に置いて配達業者と契約していないという事情もあり、アニマという小さい会社の小粒な取引のために、わざわざ会社がしている契約まで変更できないという事情もあるのだろう。

「だからこちらに在庫を持てと、そういうことですか?」

「まぁ確かに他の通販サイトならそれが当たり前だけど、ウチにはそもそもスペースが無いからね」

 アニマ合同会社は、社員が3~4人働けるくらいの事務所、隣に希専用の工房、そして三畳くらいの広さの倉庫があるだけだ。その倉庫も、梱包材やら粗大ゴミやら処分の難しい資料などを置く場所になっていて、とても在庫を置けるようなスペースはない。

「じゃあ、結局どうするんですか?」

 理子は後頭部に腕を回して考え込み、やがて決断するように言った。

「全部見送るわ。二社を除いてね」

 そういって、チラシを見せる。

「一つは、ハンドメイド関連の生地なんかを扱っている素材メーカー。ここは薬置きでいいから置いてくれって言ってる」

 薬置きとは、いわゆる配置販売というもので、在庫を「預かる」かたちで置いておくものだ。そして売れた分だけを都度買い取り、その代金を月ごとにまとめて支払うという方法である。

 これならスペースを取るものの、最初に金を払って在庫を抱える必要はない。

 最初は理子も知らないやり方だったが、在庫を抱えない方法を模索しているうちにこの方法に行きついたという。

「これならウチのユーザーとの親和性も高い商品だと思う」

「いいんじゃないですか。素材や道具については、クリエイター側からのニーズも高いですし」

 新規の顧客の開拓ではなく、ハンドメイドをたしなむ既存のクリエイターたちのソリューションとして素材を供給する。そういう意図なのだろう。

「もう一つの会社は?」

「こっちはまだ検討中だけど、これよ」

 そして今度は、手の平に乗るようなウサギのオブジェを優奈に見せた。

「これも既存クリエイターへのアプローチよ」

 その瞬間。

 希が工房から出てくる。相変わらずのぼさぼさ頭で、濁った眼には疲労がありありと浮かんでいる。

 希は特に二人に声をかけることなく冷蔵庫に向かう。喉が渇いているらしく、ミネラルウォーターを取り出した。

 そしてそのまま工房に戻ろうとするのを、理子が制止する。

 優奈に見せたそのウサギのフィギュアを希に渡す。

「ねえ、アンタも興味あったよね、これ」

「なにこれ? ……3Dプリンタ?」

 フィギュアに見えるわずかな積層痕から、希はそう見抜いた。

 そして理子はパンフレットを手渡す。希はパラパラとそれをめくった。

「これをどうしたいわけ?」

「アイファンシーで取り扱おうか検討してるんだけど、アンタはどう思う」

「3Dプリンタを?」

「そう」

 希は仏頂面のままだ。理子は続ける。

「その3Dプリンタは一般消費者や家庭向けで、3万円台で買える格安プリンタよ。品質もかなりイイみたい。ウチで扱うには最適だと思う。積層痕もそんなに目立ってないでしょ? 製造元が国内メーカーだから、注文が入るごとに発注すれば在庫にする必要もないし」

 すらすらと説明する理子。この3Dプリンタの販売に前向きな様子である。

「後は条件面さえ折り合えばウチで売るのもアリかなって考えてるわ。優奈はどう思う?」

「面白いと思います」

 優奈にはあまり3Dプリンタというのは馴染みはなかったが、実際に作られたウサギの造形を見て「結構いいかも」と思った。3万円台なら写真とかの家庭用プリンタとそう変わらない値段だから、お得感もある。販売の条件面さえクリアすれば、新しいアイファンシーの目玉商品になるかもしれない。

 ……だが、こんなものを希が認めるだろうか?

「クリエイターとしてどう思う? これ」

 理子も優奈も、3Dプリンタが、この灰汁の強いクリエイターの目に、どう映るのか気になった。

 新しい製作ツールとして歓迎するか。

 それとも邪道なものとして拒絶するか。

 パンフレットを見終わった希が問い返してきた。

「誰が買うことを想定してるの? 本体が3万円だろ? 素材も含めればもっと高くつく。それだけのコストを払って、買い手にはどんなリターンが見込める?」

「ハイアマレベルの原型師か。あるいは造形を自在に作りたいと思っているオバサマ方を顧客像にして考えてるわ。ウチのクリエイターの中にもオブジェクトや小物、アクセサリをプリントしたい人たちはいると思う。雑貨への転用もできるだろうし……」

「3Dプリンタに興味があるクリエイターは別の販路ですでに買ってる。ただ置くだけじゃ売れない。ましてやアイファンシーの夫人層が買うわけないでしょ? 一般消費者向けの3Dプリンタっていっても、3Dのモデリングへの苦手意識もあって、敷居はまだまだ高いままなんだから」

「でも、3Dモデルはネットとかで入手できるでしょ?」

「そんなあり物のデータで作る造形が、3万円に見合う価値?」

 その指摘は一理あった。理子が押し黙る。

「希は、どうすれば3Dプリンタの敷居が下がるって考えてる?」

「ウチのノウハウ」

 そう一言、希は言った。

「そもそも3Dプリンタはパン焼き機と同じようなもので、ただ作品を作る一工程を担うに過ぎない。パン焼き機があればパン屋ができるわけじゃないのと一緒で、これを持ってても他の作業道具やノウハウがそろってないと活用はできない。もしアイファンシーで売るなら、ウチがこれで売り物になるレベルの作品を造形できるところまで示す必要がある」

「あんた自身に構想はある?」

「ある。でも時間ないから無理」

「……ちなみにどんな構想?」

「3Dモデルも含めた製作ツールのキット販売」

 やや意味が分かりかねて、理子は首をかしげる。希がかみ砕いて説明を始めた。

「ようするに、売り物になるレベルの作品を作るのに必要な素材や道具一式、料理のレシピに当たるような制作のマニュアル、そして当然のことながら、それを作るために必要なハンドメイドやドールの愛好家に特化した3Dモデルも一緒に販売する。すくなくてもハイアマが作れるレベルの作品を、初心者でもそれを買えば手軽に作れる、そこまでのノウハウを3Dプリンタと一緒に販売する。仮に3万円のプリンタを買えば、3万円以上をかけないと手に入らないような作品が手軽に作れる製作ツールを付属させるわけ」

「ただ在り物を売るんじゃもう3Dプリンタは売れない。アイファンシーで買う動機になるだけの付加価値をつけろってことね?」

「じゃないとウチで取り扱う意味がない」

「……もしそれをやるとしたら、いつからできそう?」

「やるとは言ってない。アタシだって大したノウハウないし、いま忙しいし」

「今のはなかなかのプランだと私も思う。3Dプリンタの選定も含めて、もっと具体的に検討したいんだけど……」

「だから忙しいんだよ」

 何故かふてくされたような言い方をして、希は再び工房に戻っていった。

「具体的なビジネスプランがあるなら、ちゃんと言えっつの」

 理子は椅子に座り、パンフレットをデスクに叩きつけるように置いた。

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