episode2-6:夏の終わりと死にかけのセミ―ハッピーエンド?
二週間後の土曜日。展示即売会の開始1時間前に、理子と希は会場に到着した。
ふたりは会場に到着すると、さっそく事前搬入されたダンボールをほどき、その中にあるケースを並べていく。
ポラリスメイデンの入ったケースだ。
「じゃあ理子、これとこれとこれ、持ってって」
「うん。あとついでにあいさつ回りもしてくるから」
ポラリスメイデンの入ったケースを抱きかかえ、理子は足早に展示ブースに向かってゆく。
希は残ったケースを開封し、ワークショップのスペースにその人形を置いた。
こちらは以前に試作し事務所のディスプレイに飾ってあったもので、希が手掛けたものの中でも特にお気に入りのものだった。
素体の持ち味が分かるように、今回、髪の毛はセミロングで、ベビードールを着せている。
そしてダンボールの奥に入っている無地の箱を取り出し、パッキングされたそれを取り出す。
ワークショップのために用意した、ポラリスメイデンの組み立てボディである。
組み立ての部品は予備も含めて20体分。
一度に作れる人数は、スペース的に4人くらいが限界だし、ガラクタから用意できるのはこれが精いっぱいだった。
ワークショップの参加費は5000円。子供向けのワークショップとしてはかなり高額だったが、人形一体としては安すぎる。理子があれこれ検討してこの金額になった。
一度はガラクタ扱いされたパーツの流用とはいえ、市販されている球体関節人形の値段を考えれば破格の安さでプレゼントすることになる。
理子としては出血大サービスであるが「まぁ今回は宣伝費ってことで」と、この出費を許した次第。
「ただいま、飾ってきたよ」
理子が戻ってくる。
「どうだった、展示ブースの方は」
「今回もドルオタ向け人形が沢山あったね。あ、あと千咲さんも来てた。千咲さんのフィギュアも結構注目度高いみたい。あとでこっちに来てくれるって」
「あっそう」
希は軽く頭を掻いた。別に偏見を持つつもりは無いのだが、その中に自分の作った作品が混ざってると思うと複雑な心境になる。
準備が整うと、理子と希はワークショップのスペースで待機していた。
やがて開催時間になる。イベント開催の音頭があり、来場者がぞくぞくと入ってきた。
しばらくは即売会コーナーを見て回る人たちが多かったが、だんだんとワークショップコーナーへと関心を示すお客が増えてくる。
間もなく、一人の子供がこちらを指さしてきた。
「ママー。あれなにー?」
五歳くらいの女の子と、その母親がこちらに関心を持ったらしい。
ポラリスメイデンと、ワークショップの看板の文字を交互に見ていた。
『親子で楽しむ人形作り。球体関節人形組み立て体験。完成した人形はプレゼント!』
理子がその親子に愛想よく声をかける。
「こちらではお子様に球体関節人形を組み立てて遊んでもらうワークショップをやっています。本日限り、20体限定です。もしよかったらどうですか?」
母親が参加費に目を向け、そして怪訝な顔で理子を見た。
「あの、これって本当に頂けちゃうんですか? 48センチですよね? すごい高そうですが……」
「はい。もちろん、お子さんが組み立てた人形はプレゼントさせていただきます」
「……ちなみに、ウィッグとか衣装とかは?」
「それは持ち出しでお願いしてます。やっぱり髪の毛や衣装は好みに合わせたもののほうが、お人形に愛着がわくと思います。即売会で売ってるものとかをお持ちよりください」
参加費5000円という予算の範囲で準備できたのは、素体の人形一式と事前にほどこしたメイク。せいぜいグラスアイまでだった。それでも材料費や売値を考えれば破格の安さだが。
色々考えた末、ウィッグや衣装といったオプションは全部別売り、もしくはハンドメイドの即売会コーナーで自分の好みに合わせて買ってきてもらうということになった。
もともとは予算の都合であったが、オプションは自分たちの好きなものを買ってきた方がより愛着がわくだろうというのが、理子と希の一致した見解であった。
「サイズ的には良くあるものですよね、大丈夫です、分かりました」
そう頷き、一度その親子はブースを離れる。
「ママあれやりたいよぉー!」
「服や髪の毛がいるみたい。とりあえずあの人形につけたいの探しましょう」
「うん!」
その親子の反応に、希と理子は確かな手ごたえを感じた。
しばらくすると同じような反応を示した親子連れのお客さんがやってくる。
目の前には、バラバラになった素体のパーツをワクワクとした目で見つめる子供たちの姿があった。
いよいよ明坂希のワークショップの開催だった。
「じゃあ、はじめるね」
子供たちが「ハーイ」と明るい声で答えた。
ポラリスメイデンは、テンションゴムで組み上げるタイプだ。必要なパーツがそろっていれば最低限の道具だけで組み上げられるように設計しているのだ。
(それにしても、子供たちは凄いな)
希の下手な説明でも、子供たちは持ち前の好奇心でどんどん学び、一つ一つパーツをくみ上げ、一つの人形を造り出していく。
「すごーい」
「かわいいー」
やがて、最初の人形の素体が組み上がり、母親が買ってきた衣装とウィッグで飾って完成だった。
「きれー」
その女の子の表情は、自分がまさにクリスマスで「カナエ」を向かえた時の顔そのものだった。
そう。この顔が見たくて、希は人形を作り続けていた。
念願が一つ叶った瞬間だった。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「うん」
希の顔も自然と柔らかいものになっていく。子供たちにほがらかな笑顔を向ける希を見て、理子はより景気良く呼び込みをしていた。
ワークショップは昼過ぎを迎えるころには大盛況だった。5000円で本格的なドールがもらえるということもあり、見学している人たちも含めるとかなりの人数がワークショップに足を止めていた。
中には親子連れではなく、一人で来たお客も混ざって眺めていた。恐らくドール愛好家なのだろう。そうした人たちがやってくる可能性も考慮して、あえて「親子限定」としたのが利いたようだ。
やがて数人の若い青年や友達連れでやってきた女性たちが理子に声をかけてくる。
「あの、私は参加できませんか?」
「すみません、子供たちのための企画なので」
「人形、売ってないんですか?」
「本日は残念ですが……。でも展示ブースにウチの人形があるのと、それから、ポラリスメイデンは通販でも販売してますので」
丁寧に対応しながら、理子は興味のありそうな人たちにフライヤーを手渡す。その説明で納得してくれているのか、フライヤーを受け取り、展示ブースへ向かう人もいれば、そのままワークショップを見学している者もいた。
「あ、お疲れ様っす。もうワークショップ終わっちゃったすか」
イベント終了2時間前のこと、真砂智咲(まさごちさき)という女性のクリエイターが顔を出した。アイファンシーでも作品を売っていて、希や理子と親しい間柄である。
彼女がやってくる頃には、予備も含めた20体分全てのドールを使ってしまい、子供たちは完成した人形で遊んでいた。
そのほほえましい様子を、千咲は自分のスマホでカシャカシャと撮影していた。
「いいっすねぇ。ポラリスメイデン。そしてそれで遊ぶ子供たちの姿。かわいいっす」
「それ言いにわざわざ来たの?」
「ああいえいえ、あとで打ち上げあるっすから、二人にも来て欲しいって言いに来たっす!」
「オッケーオッケー。じゃあまた後でねー」
千咲は足早に去っていった。
「……にしても、ぶっちゃけ安すぎた?」
ワークスペースには今もなお人形を作った子供たちがワイワイと人形を愛でたり、ままごと遊びをしたりしている。既に名前を付けた子もいた。
「そんなのどうでもいいじゃん」
希はキラキラとした子供たちの笑顔を眺める。子供の手から生まれた人形には、確かに魂が宿っていた。組み立てた子供たちの魂が。
希が理子に向かって拳を向ける。意図を理解した理子も拳を差し出した。
コツンと、拳をくっつける。
「サンキュ」
イベントは無事終わった。
特にトラブルもなく、その後は千咲も含め、アイファンシーで付き合いのあるクリエイターたちと軽い打ち上げをしてお別れした。
希はもう帰ろうと言ったのだが、理子はもう少しぶらつこうと言い、新橋のこじゃれた喫茶店で改めて打ち上げをした。
そうこうしているうちに深夜を迎え、わざわざ埼玉まで戻るのが面倒くさくなってきた。
「明日は休みだし、泊まっていこうよ。ホテルあるよ」
そう理子が言ってきたので、とくに何も考えることなく頷いた。
日中の疲れが押し寄せて、二人してベッドに倒れ込んだ。
「あー、つかれたぁー」
ホテルの天井をぼんやりと眺めながら、オヤジくさいため息をついて、希はぐったりする。
理子も希の横に寝て、一緒に天井をぼんやりと眺めていた。
「今日はよく頑張ったね」
「お互いにな」
「子供たち、すごく喜んでた」
「ああ」
「それに、アンタもね」
「…………」
否定も肯定もしない。ただ、希は満足そうな笑顔を浮かべているだけだった。
「そんなアンタの笑顔見るの久しぶりよ? 煮詰まってたでしょ、アンタ?」
「なんのために人形作ってるのかなって、最近思ってた」
疲れの所為か、あまり考えることなく希は気持ちを吐露する。
「少しは答えに近づけたかな?」
「まぁ、ね。久しぶりに、すごく、楽しかった……」
希の声がだんだん小さくなっていく。そして静かに寝息を立て始めた。
理子は希に毛布をかけ、しばらく彼女の顔をぼんやり見つめていた。
「希……」
理子は希の額に唇をあてた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます