episode2-5:夏の終わりと死にかけのセミ―希と理子の新たなチャレンジ

「もったいない」

 優奈のその言葉がやけに耳にこびりついていた。

 ありふれた言葉だが、すごく面白い響きに聴こえたのだ。

 その言葉の中に解決策があると、そう感じたからこそだろう。

(だけど、何がもったいないと思っているんだろうか?)

 優奈の言うもったいないというのとは、また別の何かがあるような気がしていた。

 とはいえ、その言葉が何を意味するのか、希はまだその実体を掴めずにいた。

 展示用の人形は、徹夜のおかげで何とか手ごたえを得つつあった。溜飲が下がったおかげで余計な力が抜け、造形の細部の調整もだいぶ捗っている。

 かなりギリギリのスケジュールだが、なんとかなるだろう。

 そう思った矢先に、希に新しい課題が突き付けられた格好となる。

 だが嫌とは思わない。むしろこういうイベントで、子供たちのためのワークショップを開くのは希にとって本望といえた。

 問題は、どんなワークショップを開くのがベストなのかである。

 手っ取り早いのは、一番ありふれた手段、つまりハンドメイドのワークショップだ。

 希が手内職で作った作品は、アイファンシーでも比較的人気があり、そこそこ売れている。衣装を除けばアクセサリー関連が売れており、ワークショップにはうってつけである。

 だが、せっかくのチャンスなのに、ハンドメイドでお茶を濁すというのはプライドが許せなかった。それなら他のクリエイターにでもできることだからだ。

 だからといってワークショップの狭いスペースで、たくさんの子供たちに人形を一から作らせるなんて不可能だ。物理的な問題もあるし、なによりじっくり向き合って作る人形でなければ価値なんかないのだ。

 考え込んでいるうちに夕方になる。遠くから優奈の「お疲れ様でしたー」という声が聞こえた。

 それからほどなくして、理子が工房に入ってくる。

「優奈も貴理子おばさんも帰っちゃったから」

「そう」

「アンタは帰らないわけ」

「そっちこそ帰れば? 戸締りくらいちゃんとするから」

 その言葉を無視して、理子は「不良品」と書かれたダンボールに近づく。ダンボールには希が作り損ねた人形の素体が山のように積んである。

 その一番上には、6月に作っていたポラリスメイデンの素体が乗っている。理子がそれを抱き上げ、まじまじと見つめていた。

「いい出来じゃない。これの何が気にくわないのか、私にはわからないんだけど……」

「…………」

「分かってるわよ。アナタの魂が宿らなかったって、そう言いたいんでしょ?」

 この前の言い合いの際、理子は希の言葉の節々からそのニュアンスを感じ取った。

「あなたのこだわりがこの製品の魅力だってことは、よく分かってるつもりよ。だから心配なのよ。もしあなたが病気や怪我で仕事ができなくなったら、あなたに何が残るの?」

「この前の話を蒸し返すつもりか?」

「違うわよ。もうその話は良いの。そんなんじゃなくてさ」

 ケンカになることを嫌ってか、理子は希に背を向け、ダンボールの不良品の山に目を落とす。

「優奈ね、アンタからもらった人形、本当にうれしかったんだって」

「そう」

「なんで優奈みたいに普通の大人の女性や、いい歳した男までアンタの作る人形を喜ぶのか。それはアンタが徹底的に人形と向き合って、アンタの情熱と魅力が形になっているからよ。もしあなたが私みたく売り上げばかりを考える人間になったら、その良さが失われて一気に商品価値を失うわ。そうなったら本末転倒ね。それをビジネスとしてやる以上、もしかしたらアンタと私は、一生衝突し続ける運命にあるのかもしれない……」

 理子が何を言わんとしているのか、希には皆目分からなかった。

「どう両立してくのがベストか、まだ分からない。でも今度のイベントで、新しい挑戦をすればもしかしたら見えてくるかも」

「それでワークショップってワケ?」

「そう。それで、私からの提案なんだけど……」

 理子の手にはいくつかの不良品のパーツが握られていた。

「ワークショップでさ、このパーツを子供たちに組み立ててもらって、人形を作ってもらうってのはどうかなって?」

「は?」

 希が眉を吊り上げた。そして再び難しい顔に戻る。

「言ったでしょ。それは失敗作。不良品。それをワークショップで子供たちに作らせて売れっていうの?」

「売らない。参加費を取らず、無料で組み立てて遊んでもらうだけ。優奈が言ってたでしょ。見る機会もあまりないし、まして触れる機会なんかもっとないって。私もそう思う。自分で組み立てた球体関節人形と写真でも撮れば、子供にとってはその一連の体験がいい思い出になる。イベントとして希が手掛ける価値は十分にあるわ」

「組み立てるだけっていっても、けっこう時間かかると思うんだけど」

「ポラリスメイデンのコンセプトならできるでしょ?」

 そう言われて黙り込む。

 コンセプト、つまりポラリスメイデンの設計思想の事だ。

 球体関節人形の中には、設計上の都合から壊れてしまうと直せないものも存在する。

 実は幼いころにプレゼントされた「カナエ」もそういうタイプで、遊んでいる最中に誤って落としてしまい、足首を破損させてしまったことがある。

 その後人形作りを学び、設計を理解して、どうにか専門的技術を駆使して自力で修復できた。が、一般消費者ではそうはいかない問題だ。

 せっかく愛着のある人形が壊れてそれっきりというのは、悲しいにもほどがある。

 そう思ったから、ポラリスメイデンは仮に何かの拍子に壊れてしまったとしても、パーツを代替することで元通りに復元できる設計になっている。

 子供が遊びやすく、子供でも一人で直せる設計。

 自立性と可動性による「遊びやすさ」は表のコンセプトだとしたら、復元のしやすさ、いわば「組み立てのしやすさ」は裏のコンセプトと言える。

 そんなコンセプトの人形なので、確かにコツさえ分かればイチから組み立てるのもさほど難しくはない。

 そしてここにある、完璧なクオリティを誇るガラクタパーツの山。

 これこそが、希が心のどこかで感じていた「もったいない」だった。

 だが、それでも希は首を縦に振らない。

「でも、このガラクタは、私の魂のこもらなかった抜け殻みたいなもの。そんなものを人前に出すなんて……」

「だから子供たちに魂を宿してもらえばいいじゃん」

 はっとする。

「どうせだからさ、子供たちに人形作りの楽しさ、知ってもらおうよ。それが希の作ったボディで実現するなんて、最高だと思わない?」

 希はまぶたを閉じ、強くイメージする。

 ワークショップのスペースで、希の作ったパーツを一つ一つ組み立てていく子供たち。その笑顔を、想像してみる。

 しばらくしてまぶたを開くと、希は首を縦に振った。

「分かった、やろう。でも、そういうテーマでやるなら、やっぱりおカネは取る。そして組み立てた人形はその子に上げる」

「え? あげるの? それでいいの?」

 希の言葉に理子はきょとんとする。出来損ないを売ることを一番嫌っているので、理子は「売らない方が良いだろう」と思ったのだが……。

「だって、子供たちが組み立てたら、それは私の人形じゃなくて、組み立てた子供たちのものよ。せっかく作った人形が子供たちと一緒にならないなんて、そっちの方が可愛そう。私にとってガラクタかどうかは関係ない。その子たちの魂が宿るなら、それはガラクタなんかじゃなくて本当の人形になる」

 それこそ子供のような無邪気な笑顔を希は浮かべた。こんな希の笑顔を見たのは久しぶりである。

 理子の胸に熱いものがこみあげてくるのを感じた。

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