episode2-4:夏の終わりと死にかけのセミ―希の思いと噛み合わない現実

 希はヘッドの調整を終え、それをルーペを使ってしげしげと眺めたのち、床にドカッと仰向けに倒れた。

「クソッ。不味いなぁ……」

 この「不味い」とは、出来が悪いという意味だ。イメージした造形から微妙にズレているような気がするのだ。

 周囲に言わせれば、そんな微妙な狂いなんか分からないだろう。一番の理解者であるはずの理子だって分からないに決まっている。

 なにせ目で見てわかるものではない。あくまで「希の美学」という、彼女にしかわからない基準に沿った造形になっているか否かの問題なのだから。

 だが、それはあくまでも自分自身との戦いで、他の人間は関係ない。

 そういう意味では、この前のポラリスメイデン3体に余計なコストをかけたことをたしなめられたのは仕方がない事だったと思う。

 しかし、希にも言い分はあった。納期は守っているし、製造コストも行き過ぎとはいえペイできない範囲であったはずなのだ。オーダーメイド製品の利益率は90%という基準は、あくまで理子の持つビジネスの方針であり、希自身の方針ではない。

 希からすれば、利益率が90%だろうと98%だろうと1%だろうと関係ない。自分の信念やこだわりが、納得のいく形で表現できればいいだけなのだ。

 そういう意味では、この前の人形は失敗も同然だった。結局あの人形に魂を宿すことは叶わなかった。もし自分に非があるとすれば、製造コストなどではなくむしろ信念を貫けなかったことの方だった。

 仮に利益率が99%でも、魂のない人形を売ったら「負け」なのだ。

 そういった葛藤が渦巻いていることを理子は知る由もない。理子からしてみれば、ただの偏屈な職人の我儘のようにしか見えないのだろう。この人形に対する認識の食い違いは大きな問題だ。だからこの前、理子が材料費の事で口をはさんできたとき、話は平行線に終わってしまったのである。

 さらに言えば、ここ最近溜まっている不満もあった。結局、子供たちを笑顔にするための仕事になっていないということだ。結局希の人形を好んで買うのはオタク層であり、さらに歯がゆいことに理子の方もそれを容認している様子なのだ。

 結局今回は怒りのマグマを噴火寸前で押しとどめたのだが、今になって思えばはっきりと不満を言ってしまった方が良かったかもしれない。あの言い合いになってからというもの、職場に来るだけで頭が沸騰し、心臓がいつまでもバクバクとうるさく動悸が酷い。感情が高ぶるせいで作業に没入できず、少しでも感情がささくれ立つと手元がくるって失敗ばかりしていた。

(いや、側には優奈と貴理子おばさんがいたんだ。貴理子おばさんはともかく、アタシの逆上している姿なんか見たら絶対におびえるだろうよ)

 周りから怖がられる経験は何度かあった。前職の玩具メーカーでも、専門学校でも、希は周囲から浮いた存在だった。偏執的な造形へのこだわり。ただの風変わりとも一線を画す情熱は、なかなか周りから理解されることはなかった。

 考えれば考えるほど怒りと自己嫌悪が渦を巻いてしまう。こんな状態で人形作りなんかとても進まなかった。

 だが、展示会までのリミットは刻一刻と迫っている。いつまでもこのままではいられない。

 希が納期にこだわるのは、やはりカナエの存在だった。

 子供が楽しみにしていた玩具が、メーカーの都合でクリスマスに間に合わず、落胆したことがあるという話を耳にしたことがあった。

 それを自分自身の事として置き換えた時、とても怖くなったのだ。

 もしあの時のクリスマスイヴ、カナエが作り手の都合で間に合わずに希のところへ来なかったとしたら……自分の人生はどう変わっていたのか、それを考えると恐ろしくてたまらなかった。

 希にとって人形に魂を宿すことが信念ならば、納期の厳守は一種の強迫観念だった。

 だから納期の厳守を鉄の掟として、かたくなに守り続けているのである。

(展示会を楽しみにしている子供たちのために頑張る。頑張れよ、アタシ)

 はっとする。目を開けると、もう外は真っ暗で、時計を見ると夜の10時を回っていた。

 いつの間にか眠ってしまってたらしい。

 上体を起こすと、自分に毛布がかかっているのに気づいた。

 自分で毛布を取り出して寝入った記憶はない。いったいだれが?

 と、作業テーブルの上に、綺麗に形の整ったおにぎりが三つ乗った皿が置いてあるのに気づく。そして、皿には付箋がついていた。


★ ★ ★

 起きたら食べてね。邪魔になるから先に帰るよ。

 明日朝イチで話したいことあるから、起きててね。

 理子より。

★ ★ ★


 それを見た瞬間、心の中に居座っていた重石のような苦しさが、溶けて無くなっていくのを感じた。

 ありがたくおにぎりを頬張り、希は途中で投げ出していた作業を再開した。


「おはようございます」

「おはよう」

 午前9時10分前。何事にも律儀な優奈は時間にも律儀だ。少なくても理子が知る限りこの二か月の間に遅刻などはしたことはなかった。

「あの、あれから希さんはどんな感じですか?」

「工房にずっと引きこもってるわ。あれからもまだ話してない」

 ――と、

 ガチャリと工房のドアが開き、目の下にクマを作った希が現れた。

「おはよう、今お目覚め?」

「……ああ」

 生返事だけしてカップ麺を取り出し、お湯を注ぎ始める。

 優奈はぼちぼち作業を開始しつつ、二人の様子を目の端で追っていた。

「どう、人形の調子は?」

「普通」

「ふーん」

 また言葉の端々にトゲを感じる。確執は完全に消えたわけではなさそうだった。

 だが、以外にも希の方も会話を続ける努力をしている様子だ。

「で、話って何?」

「……うん。あのね、イベンターの立木さんから電話があったんだけど……」

「今度の展示会の件?」

「そ。でね、突然で悪いんだけど、ワークショップのお願いをされたのよ」

「ワークショップ?」

 ワークショップとは、平たく言えば来場者向けに催されるお仕事体験コーナーだ。

 展示会では単純な人形の展示だけでなく、ハンドメイド作品の販売やクリエイターの講演会、そして来場者が造形を直に体験できるワークショップも目玉の一つである。

「ずいぶん急な話だな。そんなに時間ないのに」

「じつは参加予定だった人が、急遽病気で出られなくなっちゃったらしいの。それでもしウチか、知り合いのクリエイターでできそうな人がいたらって言われたんだけど……。クリエイターに声をかけたくてもみんな今は山場だしさ」

「ワークショップでしょ? なら貴理子おばさんしかいないじゃん」

 優奈はまだ見たことがないが、貴理子おばさんもかなり器用らしく、衣装の他、手芸などを暇な時間を見つけては作っているとのこと。しかもかなり評判がいいと聞く。

「それでもいいんだけどさ、希、アナタに何かやって欲しいと思ってる」

「アタシに?」

「そう」

「けっこう忙しいんだが……」

「知ってる。そのうえで言ってるの」

「…………」

 希は黙りこくる。希の顔には面倒くさいという感情が見て取れたが、理子がダメ押しする。

「あの展示会、結構子連れのお客さんも多いでしょ? 希からしても子供たちを喜ばせる絶好のチャンスじゃない?」

「そりゃ、そうなんだが、アタシに何しろってワケ? 手芸だったら別に他の人とやること変わんないし」

 イベントのワークショップは、基本的に短い時間、それこそ数分から十数分程度で出来るような手芸や手内職で出来る作業が主である。

 そんな短い時間の中で、どうやって希なりに子供たちを喜ばせられるか、いいアイデアは思い浮かばない。

「優奈はどう思う?」

「え? 私ですか?」

 と、突然理子は優奈に話を振った。

「うん。希の開くワークショップ、面白そうだと思わない」

「そうですねぇ……」

 ふと光景を思い浮かべてみる。

 希と子供たちが、造形を通じて和気あいあいとした雰囲気のなか、一緒にモノづくりをする。

 その希の姿は意外と様になっていた。

「いいと思います。すごく素敵です」

 二人のコメントに、希はまんざらでもない様子だった。真剣に考え始める。

「でもどうしよう。何をすればいいのか……」

「あの、私から希望出していいですか?」

 勇気を出して優奈は手を挙げた。理子と希の二人の視線が優奈に向けられる。

「どうせだから、希さんの人形に触れられるようなワークショップにできないかなと」

「人形に触れる?」

 言葉を反復したのは希だった。その顔には怪訝な色が浮かんでいる。

「人形作りのワークショップってこと? さすがにそんなの無理よ。時間もスペースもないし」

「いえ、人形をイチからつくるとかそういうことじゃなくて……具体的には分からないんですけど、子供たちが人形に触れるチャンスって滅多にないと思います。球体関節人形って確かに素敵ですけど、やっぱり高いじゃないですか。見る機会もあまりないし、まして触れる機会なんかもっとありませんし……」

「まぁ確かにそうよねぇ。希大先生の力作は特に、ねぇ……」

 そう肯定したのは理子だった。

「私、希さんからもらったポラリスメイデンに触れて、とても感動しました」

 それは優奈の本心である。さらに続ける。

「イベントには子供たちがせっかく来てくれるんですよね。なのにポラリスメイデンに触れる事もできずに帰るなんて、なんていうか、とてももったいないと思います」

「もったいない……」

 ぼそりと、希はつぶやく。

「だから、どういう方法があるのか分かりませんけど、子供たちがポラリスメイデンに触れられるワークショップにしたらどうかなと思います」

「もう工房に戻っていい?」

 突然話を中断するように言って、希が立ち上がった。

「別にいいけど、とにかくやるってことでいいわね? 何をするかはともかく、イベンターさんにはオッケーしちゃうから」

「わかったよ」

 それだけ言い、希は工房に引きこもってしまった。

 何か失言があったか。そう思い優奈は理子に頭を下げた。

「あの、すみません、勝手なことばかり言って、怒らせちゃいました?」

 だが理子は笑っていた。

「全然。優奈ちゃんの指摘、イイ線ついてたと思う。だから工房にこもって真剣に考えたくなったのよ。またなんかアドバイスあったら遠慮なく言ってちょうだい」

「そ、そんなアドバイスなんて……」

 少し赤くなって手をわたわたと振った。

 そこで話はひとまず一区切りつき、理子も優奈も自分の作業を開始した。

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