episode2-1:夏の終わりと死にかけのセミ―怪しい雲行き
事務所の外から、セミの大合唱が聞こえる。
そのセミの合唱の中に電話の音が混ざり、優奈は自分がぼーっとしていたことに気づく。
慌てて電話をとり、用件を確認した。
「――はい、かしこまりました。申し訳ございません。引き続き手配させていただきます。おってご連絡いたしますので――」
受話器を置き、再び受話器を取るとすみやかにクリエイターへ電話をかける。お客から、製品が届かない旨の苦情が入ったのだ。注文した品の送付先が間違っていたようで、届かず困っている旨を告げると、クリエイターはお詫びの言葉を口にして再度手配することを約束した。
配達の送付を確認し次第、再度ユーザーには発送の旨を伝えなければならない。タスクリストにその件を書き残し、後はクリエイターからの再連絡を待つのみとなる。
その間にもリスト化された注文の支払いなどを細かく確認していく。支払いが完了したらその旨をクリエイターへ通知して発送を促し、支払いの遅れているユーザーには振り込みの依頼などをかける。
時間を見てはっとする。そろそろウチから発送する商品の梱包もしなければならない時間だった。梱包自体は貴理子おばさんがやるのだが、送り状や納品書兼領収書の印刷などは優奈の仕事だった。
パソコンの扱いさえできれば、一つ一つの作業はコンビニのレジ打ちのバイトでもできるような簡単な作業である。ただ、やらなければいけないことは多岐に渡り、細かい作業も多いので気を抜くとこんがらがって間違えそうになる。
後はいかにスピーディに、臨機応変な対応ができるかが勝負だった。
「30分くらいの短い集中時間を作って目の前の仕事を処理しつつ、次にやる仕事を組み立てていくのがコツよ」
そう理子から教わった。たしかに一つの事だけに長々集中すると、他の仕事がおろそかになってしまい、それは後になってからトラブルの原因になったりする。とくにお客様の対応については未処理のまま忘れて放置すると目も当てられない結果になるだろう。集中力をどうやって振り分けて仕事をしていくかがカギだった。
理子から教わった通り、ノートに今日一日のタスクと突発的に発生した作業も細かく書いておく。メモの取り方が肝心だった。
これもベンチャー起業の宿命か、システムの穴から出てくる予想外のトラブルは結構多いため、それらを細かくメモして忘れないようにしておかなければならなかった。
最初の数日間はかなり手間取ったが、仕事を始めて五日くらい経過する頃にはこの慌ただしさにも多少慣れ始めた。
優奈が一息ついたころ、ドアが開いて理子が入ってくる。
「ただいまー」
「あ、お疲れ様です」
外回りから戻ってきた理子だった。今日は税理士との打ち合わせだったらしい。
「はい、飲み物買ってきたから、冷蔵庫から好きに持ってってね」
そういってペットボトルを冷蔵庫の中に入れていく。
「ありがとうございます」
「どう? 優奈ちゃん、仕事は慣れてきた?」
「ええまぁ、なんとか」
ボールペンで頭を掻く。
「やっぱり突発的なお客様とのトラブル、多いですね……」
「そう? まぁ最初に比べれば結構減った方よ。ね、貴理子おばさん?」
会議用テーブルを作業スペースにして配送伝票を張り付けていた貴理子おばさんに理子が尋ねる。にこりと笑って「最初は地獄だったよ」とだけ言った。
立ち上げ当初はシステムもバグだらけで、予想外の問題を頻発させていた。支払いトラブルすらかわいく思えたらしく、中でも酷かったのは管理画面から肝心の注文情報が全て消えてしまうという不具合が起きたときだった。不幸中の幸い、メールにて詳しい注文情報を控えていたため、それをもとに手作業で注文情報を普及させたこともあったらしい。
そんなこんなあり、今のECサイト「アイファンシー」はなんとかモールサイトとしてまともに運用できる程度にはバグをつぶすことができた。
システム面での穴は限りなく減り、後はヒト対ヒトの問題だけである。もっとも、これもシステムが鍛えられていけば改善されるはずだった。
「もしシステムとかで不具合や気になるところがあったら教えてね。色々と面倒な課題も多いけど、そこは優奈ちゃんならできると思うからさ」
「はい、頑張ります」
そう言って再び未処理の作業が無かったかを思い出すためノートに視線を落とした。
そこで一つ思い出す。
「あ、先輩、すみません。サイトの方じゃないんですけど少しだけ気になることが……」
「なに?」
理子はペットボトルを取り出してコップに注いでいた。
「詳細を知らないからはっきり言えないんですけど、ポラリスメイデンの進捗、ちょっと遅れてるんじゃないかなって……」
「え? マジ?」
理子が驚いたような顔をしたので、優奈は自分の勘に自信が持てなくなってしまった。
「まあ、もしかしたら気のせいかも……」
そう言って口を閉ざしてしまう。
優奈は新人だし別に人形作りに詳しいわけでもない。先輩を前に委縮してしまい、言いたいことを言うべきか、迷っているのだとすぐに察した。
だがこんなしょっぱなから遠慮されていては、いい結果を生まない。
理子は問い詰めるような口調にならないよう、言葉を選んで再度尋ねる。
「優奈、遠慮しなくていいから、何が気になったのか教えてくれる?」
「えっと、たまに工房に入って、それで思っただけなんですけど……」
希はよく寝食を忘れて作業に没頭してしまう。優奈は希を気遣って、こっそりとおにぎりなどを差し入れていたのだ。
「今の時期だと、本当はもう表面処理とかメイク作業とかしてないといけないと思うんですよ。一応その作業もしているっぽいんですけど、どうも煮詰まってる気がして……」
オーダーメイドの人形とはいえ、既に原型が出来上がっているものについては型取りしているわけだから、ボディそのものは樹脂を流し込んで複製し、手順に沿って組み立てて磨き上げていくだけのはずだ。よもや希ほどの熟練工が今更そんなところで躓くとは考えられないが。
「いま注文入ってるのって3体だけですよね? パーツによりますけど5~6体分くらい作ってましたよ? アレ、何に使うのかなって……」
「希からは何か言ってる?」
「休憩のタイミングで一応質問したんですけど『納期には間に合う』とだけ……希さんがいうなら間違いないんでしょうけど、ちょっと気になりまして……」
「うーん。そっかぁ……」
引っかかるものを感じ、理子は頭の後ろで手を組んだ。
希の人形へのこだわりは半端ではない。人形の魅力に直結するボディやヘッドの造形はもちろんのこと、関節や全体のバランスなどにもかなりのこだわりがあるらしい。
希はポラリスメイデンのコンセプトを「どんなポーズも取れて、自立できて、子供たちがたくさん遊べる魅力的な球体関節人形」と掲げている。
造形一つとっても、特に手先の表現や目元の処理については、ルーペで確認するほどの徹底ぶりだった。
その一方で、希は基本的にスケジュールに厳格だ。金に糸目をつけず、自分を犠牲にしてでも人形作りに打ち込む癖があるのだが、こと納期に関しては鉄の掟を持ち、ついぞ一度も破ったことはない。
だから納期については心配はいらない。適当なところで妥協するだろうなと、理子はそう思った。
それよりも気になることがある。だがそれを優奈に任せるべきか……少々思案したが一応お願いすることにした。
「スケジュールは大丈夫だと思うんだけどさ、一応3体分のポラリスが出来上がったら、今月の製造費、どのくらいかかったか確認してくれる?」
「製造コストですか? はぁ……分かりました」
「それから話は変わるけど、今日優奈ちゃんの歓迎会するからね」
「あ、はい。ありがとうございます」
ひとまずそこで話を終え、再び二人はお互いの作業に入っていった。
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