episode1-2:起業と雇用-ポラリスメイデンと優奈とオオカミ

 アイファンシーの運営と業務内容について、理子が一通りの説明をする頃には、優奈もおおむねやるべきことは理解できた様子である。

 理子は自分の見立てが間違っていないことに満足した。優奈はこの手の問題の呑み込みが非常に速い。

「システマチックになっているとはいえ、こういうのも勘と柔軟性がないとできないからね」

 管理用のシステムやマネージメントシステムはあるが、通販サイトの運営をするにはある程度パソコン周りの知識が無ければできない。様々なソフトやツールを援用しなければ、円滑に業務を回すことはできない。

 なによりこのショッピングサイトにもアニマのプライベートブランド商品があり、多少は梱包したり発送したり、商品管理をしなければならないので、土台となるパソコンの知識があるのとないのとでは、業務を順調にこなせるか否かは大きくわかれることになる。

 優奈はもともとパソコンを触るのが趣味で、高校の頃、バイトで稼いだ金でノートパソコンを購入したりもしていた。プログラミングまではできないが、HTMLなどでイチからウェブサイトを作るくらいのことは出来るし、オフィス系のソフトも普通に使えた。

 学生時代から理子は優奈の「特技」を知っていた。だから彼女に白羽の矢を立てたのである。

 お昼の時間になり、理子と優奈は持参した弁当を自分のデスクで食べ始めた。貴理子おばさんは会釈だけ残して事務所から出ていった。この時間帯は見たいテレビ番組があるとのこと。事務所だと落ち着いて観れないから家に帰るのだという。

 電話が鳴っているが、12時から13時の間は対応時間外なので放置されている。けたたましい音が鳴っているのを理子は平然とスルーしていた。

「午後には、ひとまず今日ウチから発送予定の商品の梱包と配送手配をお願いね。それが終わったらショップの注文の決済確認と、今来てる問い合わせ対応……まぁそれが終わるくらいには今日の仕事は終わりかなぁ」

「ウチのって、……ドールですか?」

 ちらりとディスプレイに陳列されているドールを見る。具体的な値段はちゃんとは知らないが、恐らく飾ってあるドールの価格は、一つとっても新卒の初任給くらいの額はするはずだ。

 売り上げだけで言えば、あれが月に10個売れるだけでも会社のメンバーの給与が賄えるのではないだろうか?

 が、理子は首を横に振った。

「ううん。今日発送するのはウチで作ってるハンドメイドと衣装周りの商品よ。ドールは注文が入っても直ぐに発送することはないからね。まだ優奈がアレに触る機会はすぐには来ないわよ。がっかりした?」

 からかうように理子は言う。本音を言えば、ちょっとだけがっかりしていた。

「ポラリスメイデンは注文が入ってお金が入金されたのを確認してから製造するオーダーメイド式なの。だから既製品よりリードタイムがどうしてもかかるのよ。最短でも2週間はかかるわ。お急ぎでっていう場合は割増しにするけどね。まぁ、何にしてもポラリスメイデンのスケジュールについては希のヤツから直接言われるからそれまで待ってて」

 そこではっとする。覚えなければいけないことが多すぎて忘れていたが、肝心の人形師がずっと不在だったのだ。

「そういえば明坂さんはいつ来るんですか?」

「希? いるわよ、ずっと」

「は?」

 ぽかんとする。

「ご飯の時間だし、そろそろ顔出すんじゃない?」

 と、「工房」という表札のついたドアが開き、寝ぐせでぼさぼさの頭をした女性が顔を出した。

 明坂希である。

 髪の毛は理子と正反対に伸ばし放題でぼさぼさ。身長は優奈と同じくらいで、割と小柄なはずだ。なのに言葉にできない存在感がある。背丈よりも一回りくらい大きく感じた。

 女性に使う表現はないのだが、彼女の出で立ちはどことなくオオカミを連想させる。

 希は不愛想な顔で優奈を見た。

「新人?」

「忘れたの? 今日から入ることになった私の後輩の西川優奈ちゃんよ」

「ああ、久しぶり」

「お、お久しぶりです。改めてよろしくお願いします」

 ペコリと頭を下げる。当然のことながら面談や見学の際に希とも顔を合わせていた。

 面談時の希は、まだ小ぎれいなOL風の格好をしていたが、今の希は文字通り夜を徹して作業に没頭していた職人そのものの風体だ。エネルギッシュで、カリスマ的、とでもいうのか? そんな空気を感じる。

 この人が「あの」ドールを作っているのだと、改めてそう認識した。

 希は首をぐるりと回し、かったるそうな視線を理子に向けた。

「てか腹減ったわ。カップ麺残ってたっけ?」

「あるけどまたそんな不摂生するつもり? ニキビ増えるわよ? てかアンタ臭い。せっかくの美人が台無し」

「うっせぇなぁ」

 おおよそ女性とは思えないぶっきらぼうな話し方に優奈は呆気にとられる。それを理子が目ざとく気づく。

「ほら、優奈ちゃん、アンタのアリエナイ姿にがっかりしてるわよ。あの綺麗なドールを作っているのがこんなガサツな女とか幻滅~って感じ?」

「そ、そんなこと思ってませんから!」

 理子の言葉に思わず声を荒げてしまう。慌てた様子が面白かったのか理子はクククと、意地の悪そうな笑い方をする。

 学生時代の理子にも多少のユーモアはあった。でもこんないたずら好きな子供のような理子の発言は初めて聞いたかもしれない。優奈が初めて知る理子の新たな一面だった。

 希はカップ麺にお湯を注いで食べ始めた。その間、優奈と理子は世間話をしていたのだが、希はひたすら麺を啜って一言も発さない。

 理子が希に問いかける。

「もしかして捗ってないワケ?」

「別に普通」

「じゃあどうしたの?」

「…………」

 言うかどうか迷った挙句、希は無遠慮なまなざしを向けながら理子に尋ねた。

「いま注文の入ってるドールだけどさ、注文してきた人ってどんな奴らだっけ?」

 ポラリスドールの件だろうか? 優奈が首をかしげているうちに理子が素早く通販サイトの管理画面から確認する。

「んー……と。詳細は分からないけどほとんど20~30代の男性かな。ツイッターでポラリスを買ったっていう人の投稿見かけたけど、まぁたぶん独身じゃない?」

「あっ、そう。分かった」

 希は天井を見上げて盛大にため息をついた。

 話の内容は断片的で謎めいていたが、少なくても希がご機嫌斜めであることだけは優奈にも分かる。

 やがて希は席を立った。

「一度家に帰る。ついでに気分転換してくるから」

「サイクリング?」

「うん。あと衣装の材料も買ってくるわ。もう生地とか少ないし」

「事故んなよ。後、来週のアレも忘れないでね!」

「分かった分かった」

 そう言って希は出て行った。

 しばらくの間沈黙が流れる。訊いていいものかどうか迷ったが、おずおずと優奈は口を開いた。

「あ、あのぅ。なにかあったんですか?」

「……まぁ、ここ最近ずっと悩んでるのよ、アイツ」

 オフィスチェアの背にもたれかかり、やや投げやりな感じで理子が答える。

「会社自体はECサイトのおかげで軌道に乗ってるし、アイツのポラリスメイデンもそこそこ評判良くて、ちょこちょことだけど売れてるのよ。ただ、ドールの購買層がねぇ……」

「購買層ですか?」

「優奈ってさ、この手のドールを買う人たちってどんな人たちだかわかる?」

「えーと……」

 返答に困る。そういえば、この通販サイトを利用するお客様ってどんな人たちなのか?

 ポラリスメイデンには引き込まれたものの、人形そのものには大した興味はなく、まだ通販サイトの運営について一通りの説明を受けただけの優奈には、具体的な顧客像を描くのは難しい。せいぜい、お人形で遊ぶ女の子や、手芸好きのオバサマくらいしかイメージが無い。

「お人形好きな女の子の、お母さんとかですかね?」

「と、思うじゃない。私も希もそう思ってたの」

「じゃあ、実際は違うんですか?」

「うん」

 そう言って、理子はタブレットで一枚の写真を見せる。なにかの展示会の模様を撮影したもののようで、そこにはかなり大きなドールが飾られていた。

 だがその飾られているドールに優奈は「えっ!」と驚いた。

「な、なんですかこれ? マンガのキャラか何かですか?」

「そういう反応だよねぇ……」

 呆気に取られてそう言った優奈に、理子も呆れたように笑って返した。

 その写真に写っている球体関節人形たちは、おおよそ女の子の遊び道具のそれではなく、大人のオタクが好きそうなアニメのキャラクターが着るような、煽情的なコスプレを纏ったドールだった。

「私たちも会社を立ち上げた後で知ったんだけどね、今、立体造形界隈ってこういうオタクな愛好家向けの造形が流行ってるのよ。それこそダッチワイフっていう、大人の男向けの人形とかもあるのは知ってたし、たしかに可愛いっちゃ可愛いと思うんだけど……まさかこういうイロモノを作って楽しむ人たちがドール業界を盛り上げてるってのは知らなかったわ」

 といいつつ、フリックして別の写真を見せられる。優奈は「うわっ」と声を上げた。可愛らしいドールたちが、アダルトな何かを髣髴とさせる卑猥な衣装やパーツを纏わされている。

「びっくりした?」

「そ、そりゃあ驚きますよ」

 未知の世界だったとはいえ、この愛らしいドールたちが一方でこんなイロモノ扱いをされているという事に、少なからずショックを受けてしまっていた。

「まぁもちろん、こんなものばっかりってわけじゃないし、ウチの取扱商品ではここまで卑猥なものは扱っていないんだけどね。ただ、とにかく今のドール愛好家は子供とかよりもむしろ成人ユーザーの注目がすごいってことよ。お金の出し方もファミリー層より男性ユーザーの方がよっぽどすごいしね」

「そ、そうだったんですか……」

 あまり男性との交流を持たない優奈は、こんなかわいい女の子のドールをどうやって男が愛でるのか、想像するのも難しい。

「で、話を戻すと、希はもともとこういう男性オタクのためにドールを作ろうとおもったわけじゃないのよ。あくまで子供たちや、その親御さんのためにと思って作ったのがポラリスメイデンだったの」

「えーと、つまり、男のオタクさんのためにドールを作りたくないって、そういう感じですか?」

 だが理子は首を横に振った。

「別に相手がオタクだろうと誰だろうと、アイツは人形作りで妥協なんかしないわ。ユーザーが誰かなんて関係なく、人形に向き合って魂を込めて作るのがポリシーだしね。そうじゃなくて、子供たちの手に届けるという目標に、なかなかたどり着けないことにイラついてるんだと思うわ」

 なるほど。だから依頼主の素性を聞いたわけか。希の不満の片鱗が少しだけ見えた気がした。

「あの、ポラリスメイデンはともかく、アイファンシー全体の客層はどういう人達なんですか?」

「それは結構バラつきがあるかな。やっぱりメインは人形用の衣装やオプション、インテリア、ハンドメイドの小物が中心だから、その辺りはむしろ女性の方が多いし、もちろん子供のいる親だっているわよ。ただやっぱりアニメっぽいキャラもののウィッグとか衣装も結構売れ行きは良いみたい。うん、ぶっちゃけ子供が遊ぶのを想定している製品は大して売れてないかなぁ」

「……希さんがそれを不満に思ってるのは分かりましたけど、えっと、理子さんはその辺りどう考えてるんですか?」

「私? 私は売れるなら誰が買っても良いんじゃないってスタンス」

 理子はざっぐばらんにそういう。

「優奈とは長い付き合いだからぶっちゃけるとね、子供向けの商品ってどうしても単価が下がるから、でかい流通に乗せられない限り採算が合わないと思うんだ。ウチみたいにベンチャーでファブレスでやってる零細企業で、子供を相手にした商売なんかペイできないと思うし……。それに比べるとオタクは趣味にかけては金払いがすごく良いわけよ。ぶっちゃけ人形作りなんていうニッチな業界からすれば、金払いの良い層が入ってきたのはむしろ歓迎すべき事だと私は思う。要するにオタクは凄く羽振りの良いお客様なわけよ。イロモノ扱いってのが女として気にならないかと言われれば気になるけど、まぁそこは清濁併呑ってことで」

「……なるほど」

 としか言えない。

 理子のスタンスは単純明快だ。売り上げになるかならないか。たったそれだけだ。

 しかしその時、胸に別の、実体のない疑問がわいた。が、

「さ、13時になったわ! 午後の仕事開始!」

「は、はい!」

 その理子の言葉に、疑問の靄が、形を成す前に吹っ飛ばされてしまう。

 その後、定時になるまで仕事は続き、その湧いた疑問の事はすっかり忘れてしまった。

 後日その疑問はようやく輪郭をなした。

 じゃあなんで理子は、そもそも売れるかどうかも分からないドールの会社なんか立ち上げる気になったんだろうか? と……。

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