15.『2章』開幕

 あの事件からケヴィンは15日も昏睡状態だった。彼が普通の人間なら既に他界しているが、彼はハシュという異種なので生存が可能になっている。最初の一週間は医者も気を張った治療を施していたが、持ち前の治癒能力が効力を発揮して目を覚ました。


久野は特務機関のビルを崩壊させたが、資料に甚大な被害もない。この事件においてマスコミは特務機関の防御性が低いと指摘。特務機関は国民の個人情報は一切漏洩せず、周辺の住民を含み重軽傷者数名と表向きの被害を報告した。久野の足取りは現在調査中と答える。特務機関は『ハシュ対策』という信頼性を失ってしまい、これは世論の風向きを大幅に変えてしまう。無関心が批判的という刃に変わり、今後は謝罪を繰り返すことになる。


 


 彼は一通りの説明をツバキの口から聞いた。つまり、風当たりは強いけれど特務機関の面々は生存したということだ。


「ま、生きてりゃいいことあるから」


「ツバキはもう動いて大丈夫なの?」


 彼女は片腕は機械に改造していたが、久野によって故障させられてしまった。横に立つ彼女は包帯を巻いて車いすに座っている。


 


「怪我したものの動けるようにはなった」


 


 君のおかげで大怪我にならなかったよと、素直な感謝にケヴィンは言葉を詰まらせる。


 


「それで、君の方は?」


 


 ケヴィンは前のように動けると保障され、そのためのリハビリを計画するため質問や診断が開かれた。また、ハシュの機能を確認するため専門医が付くことになる。彼の機能は著しく低下しているからだ。


 


「時間経てばスケジュールが管理されることになる。専門医が意見してくれるから一般とは違うカリキュラムになると思う」


「人間とは速度が違うんだっけ」


「リハビリは人間と一緒だけど、黒い糸が補佐してくれる」


「一時的な行動制限みたいな感じかな」


 


 ケヴィンは早急に退院して現場に復帰したい理由があった。


 久野が最後に権堂へ何をささやいたのかを聞き出したい。おそらくビィの遺体に関連することだ。彼は確信めいた自信があった。


 じっと自身の手に巻かれた包帯を眺める。


 


「それで、私の姉がお世話になったみたいで」


 


 彼の背筋が正される。顔は青ざめ目を見ることができない。


 


「こ、小春さんとは仲良くさせて貰っています」


「おらー!」


 


 病人が病人に殴りかかった。脇腹に狙いを定めて、当たらないで足に直撃する。


 


「おい病人だぞ」


「私も病人だから殴って良いんだよ」


「頭も故障したのか」


 


 車いすが衝突しても接近した。身を乗り出して、ケヴィンは羞恥より恐怖が勝る。


 


「姉泣かしたら殺す」


「小春さんが大好きなんですね」


「当たり前だろ。たった一人の姉なんだから」


 


 小春は自分と向き合って、家族と理解ができたのだろうか。ツバキの瞳にそれを問いかける。


 


「分かってる」


 


 ツバキは報告と弄りに気が済んだ。車いすに持ち直して、挨拶をする。そして、彼女はその場から立ち去った。


 取り残された彼は窓の景色を眺める。目を覚ました彼は階段に近いところへ病院を移された。


 


「テレビでも付けるか」


 


 テレビ横のカードを穴に差し込む。テレビは起動してイヤホンを耳に付けた。


 画面はニュース番組を映していて、今回のコメンテーターが紹介されている。


 


『本日のゲストは権堂ワタルさんです』


『よろしくお願いします』


 


 権堂ワタルは活動家で、ハシュの平等化を掲げている。彼を支持するのはハシュや人間を問わない。そして、彼は武器やIT系の分野を手広く開発する権堂家の末っ子にあたる。


 


『はい。今回の特務機関へ襲撃をするというのは非常に大胆で狡猾です。しかし、これは特務機関の効力を軽く見られただけで片付かない問題なんです』


 権堂は垂れ目で父親似だけど、このワタルは兄貴に似つかない。肌は麦色に焼けて、眉は手入れされた細さで、切れ長の二重な瞳。台に置いてる手の薬指には、結婚指輪が装着されていた。


『襲撃より前に麻薬組織リベロへ強制捜査が入りましたよね。あの主犯格は久野だと指摘されているんです』

『つまり、どういうことでしょうか?』

『久野は我々に何かを訴えたいのです。強者を下すだけの彼はテレビを見ている皆さんに伝えようとしていました』

『犯罪者を擁護するということですか?』

『私はハシュを擁護しています。久野は暴力で伝えるから支持しません。それに、彼をどうにかしようという活動が水面下で起きています』


 彼には凄みがあり、冷やかしを許さない姿勢だった。質問していた司会者は口を閉ざす。


 すると肩を叩かれた。イヤホンの片耳を外して反応する。小春が中腰でケヴィンに近づいていた。


「テレビ見てるの?」

「何があるか気になるから」


 そのまま椅子を持ってきて腰を下ろした。彼女は妹との話が終わったみたいだし来ちゃったと舌を出す。


「いつも看病来てくれたんだ。ありがとう」

「結局、ボロボロになって帰ってきたね」


 ふわりと雰囲気が変わった。窓のカーテンを閉められて、緩めの昼間みたいな日差しが入ってこなくなる。代わりに緊張した冷たさが肌に伝う。


「悪かった」

「キムラが治した意味ないじゃん」


 彼は器用に頭を下げた。機嫌取りとは違って、心の底から詫びている。


「君の言ったことを守りたかったんだ。ふたりを連れ帰るって」

「ケヴィンはこの仕事が好きなの?」


 仕事が好き?

 ケヴィンの中で正反対のものが用意されて戸惑いを隠せない。好きと仕事が頭で結びつかなかった。


「ケヴィンは、自分のやりたいことをやるべきだよ」

「俺は、この仕事でやることが、ある」


 ビィの遺体を回収して弔う。そして、技術が悪用され内容監視しなければいけない。ケヴィンは使命感に囚われていた。なぜなら、ビィの作品は自分と犯罪者しかいなかったから。


「それは終わらせられる?」

「この手で引導を渡す」

「その後はどうするの?」


 小春の目線が顔の傷に向いていた。額の大きな切り傷と、右耳から鼻筋を通り左耳にかけた日焼け跡。首に癖つけた仕事の痕跡。


「そんなに自分を痛めつけないといけないの?」

「俺はこのやり方が力を使える。それが『俺の信じること』だから」


 ケヴィンは彼女の瞳が揺れる気がした。そして、目線を外したのは小春が早くした唇をかむ。


「ごめんね。助けてもらったのに性格が悪かった」


 気落ちして頭が自然と下がっている。まるで謝られてるようで気分が悪い。ケヴィンは誰が悪いとか考えたくなかった。


「え、あーいや。悪くはない……、でしょ?」

「助けてもらったのに、ダメだね。はぁーっ」


 警戒せずベットに手を添えている。

 彼女はケヴィンが男だと理解していない素振りだ。


「話せたよ。ふたりと」


 自分を正直に表して、辛い荷物を下ろしていく。その約束を果たしていた。


「なんか、アッサリだったよ。キムラは『そっか』って言って、ツバキは『だと思った』って笑ってたよ」


 彼女はその上で姉を好いている。そう発言していたわけだ。


「ツバキ、強いな」

「だから嫌いなんだよー!」


 ケヴィンは破顔した。小春も釣られて肩をゆする。彼女は笑う顔を人に見せない。


「ねえ、ケヴィン。私って記録屋と言ったじゃん」

「あー、前に失敗したっていう」

「違う。あれは組み込まれてて!」

「分かってるって」


 記録屋の仕事を見せてあげる。そう告げると彼女は外に出ていき、また戻ってきた。両手いっぱいの重そうな機械を持ち上げている。


「前より、小さくないか?」

「これは最新版だよ」


 記録屋とは機械の測定と対象者の証言から記憶の風景を保存し、記録として小型の再生機に埋め込む技術。その再生機は好きな物品に付けられる。


「今の時代、そんなことも出来るんだな」

「ねえ、ここでやれると思わなかったでしょ!」


 この機材を外に置いたのは、ケヴィンを驚かせるつもりらしい。彼は疑問を飲み込んだ。


「まっ、技術はいつでも進歩していくものだからね」

「何に記録してもらおうかな」

「よし。リベンジするよー」


 今回の品物は彼女が持ってきたようだ。それは、懐中時計と呼ばれる丸い形をしたものだった


「これかっこよくない?」

「え、ああ。格好いい」

「おけ。なら、なんの記録を入れる?」


 彼はピンと来ていなかった。説明された記録に半信半疑だ。それでも、誠実に対応しようと、心の中にしまっていた記録を呼び起こす。


「俺にはイシグロって友人がいた」

「その時に持っていたものはある?」


 首飾りが彼女の手に収まる。機械は前よりも正確に動き、黒い画面はぼんやりとした人の顔を載せていた。


「イシグロとユウは俺の親友だった」


 施設では浮いていた彼に話しかけてきた。二人は打ち解けさせる努力をして友達にしてくれる。ケヴィンは感謝を一向に忘れない。


「今は無事なのか、わからない」


 頭にテープがはられる。そのテープの膨らみから細い管が機械に繋がっていた。


「うん。できたよ」


 彼女は黒い画面を裏返しにして、ケヴィンに見せるよう配置してくれた。眼下に縦長い映像が再生される。


『君の名前は何ていうの?』


 イシグロだった。紛れもなく、汚れもなく、美化されていない彼が光を背にしている。その横で興味を隠さないユウがいた。


『分から、ない。ケヴィンって言っちゃダメなんだ』

『だって人さらいにあったんでしょ? その人がつけた名前なんて怖いよ』

『ちょっとユウ!』


 イシグロは相手へ怒れる人間だった。この世には自分が引き下がることしか知らない人もいる。


『君はミチル。そう呼ぶよ』


 映像は本当が流れている。

 ケヴィンは冷たかった肌に温もりを見出した。この自分に甘い時間は似合わない。それでも、手触りを確かめたかった。この最初の出会いという淡さを。


「どうだった?」

「すご、い」


 涙をこらえるのがやっとだった。

 あの時の安らぎが心のどこかに生きている。久野を追いかけたかったけど、同種を殺すことしか出来なかった。悪い存在としても、正しい枠組みから外れてしまっている。


「へへっ。そうでしょ」

「ねえ、小春。時間あったら俺のところに来てほしい」

「へ? うん」

「そしたら、それも記録にしてくれないか。忘れたくない記憶を鮮明なまま撫でたい」


 それからケヴィンはリハビリに専念した。急性期の病院は90日しか滞在できないため、地方の療養できる病院に移動する。家から近いところで黒い糸の出し入れや歩行訓練を繰り返した。


 全盛期とは言わないが、彼は体を自由に動かせるようになっていく。

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