13.事件

 ビィが久野を産み出してから二ヶ月も経過していた。クラスの人々や職員は誰も話題にあげていない。彼は夢ではないかと考えたけれど、ポケットに入っているペンダントと、週三回の面談が現実だと証明していた。また今日も彼は権堂に導かれ、薄暗い地下室で面談をしている。施設はケヴィンを介してハシュの技術を聞き出すためで派遣しているつもりだが、本意は権堂がケヴィンを逃がすためビィと計画の正確性を補強していた。


 二ヶ月経てば彼は心境が変化して、その作戦に同意している。まだ遠い存在として霧みたいにおぼろげだが。


 


「それで、調子はどう?」


 


 彼女は久野を産み出したときのような管が通されていない。ベットからも身体を起こして、古びた椅子に膝をくっつけて話をしていた。豆電球の明かりがふたりを交互に照らしている。


 


「前よりも相手の目を見て話す。ビィの実践が成功したかな」


 


 二人の関係は喪失した年数を修復しようと努め、互いに愛着が沸いていた。彼女なら裏切ることはないと心の底から信じることができている。そのおかげで、ケヴィンは愛されていると機械に抱き、多少の無茶もするようになった。


 


「さすが私の息子だね」


「息子と言えば、久野が今日に転入してきたよ」


 


 どうやらビィは聞かされていないらしい。彼の近況を隠せていない。


 


「アイツの伝説を教えてあげる」


 



 


「俺の名前は久野という。早速だが俺に関わらないでくれ」


 


 最近産み出された弟が壇上に登って挨拶する。ケヴィンは久野の無表情で腕を組んだ態度に怒っているのか判断しかねた。


 


「あれ、ミチルと顔が似てるよね」


「ああ。うん」


 


 先生は施設長が用意したシナリオを語り聞かせる。久野は自分の身寄りが不幸な事故で亡くなりケヴィンしか頼れなかった。兄のケヴィンは久野と生き別れの弟だから覚えていない。そんな話にクラスメートは簡単に信じ込む。


 そして、クラスで目立つイシグロが手を挙げて発言した。


 


「久野くん。よろしくね!」


「お前は俺より弱いな」


 


 その一言でクラスの立場が決まった。


 素っ気なく返事して、久野の瞳はケヴィンを見つける。じっと苛立ちを押し込むように数秒経つと、指定された席へ座った。


 


「ミチル。何か敵視されてるね」


 


 野次馬みたく楽しげに耳打ちした。


 イシグロは不遜な態度で腹が立ったらしく、人に当たって気を紛らわしていた。


 


 授業後も彼は調子を崩さなかった。誰に対しても強く当たり、人を寄せ付けたくないというふうに憮然としたまま足を組む。


 何かあれば自身の力をひけらかす。ハシュと呼ばれ周りは納得出来ない様子だった。イシグロは中二病だと囃し立てる。


 


 放課後。


 ケヴィンは普段のふたりと帰ろうとしていた。夫婦漫才の後ろで携帯の画面に目を落とす。誰も久野を不自然だと怪しんでいない。


 


「ケヴィン、ちょっといいか」


 


 振り返ると久野が靴箱近くで待っていた。名指しされ息を呑む。


 


「何か用?」


「少し面を貸せ」


 


 イシグロとユウは関わりたくないとケヴィンから離れていた。彼が携帯を直すと、靴箱から遠のき近くの渡り廊下に歩く。


 人がいない暗い廊下で、彼はケヴィンに質問する。


 


「お前はこの施設を気持ち悪いと思わないのか」


「気持ち悪、い?」


 


 久野は眉を中央に寄せ、腕を組み貧乏ゆすりを止めない。ケヴィンは誰かが通ることを心で祈った。


 


「表向きは身寄りのない子供の入所施設だ。しかし、裏は子供たちを利用した人体実験の坩堝。ハシュであることを望まれる」


「まるで、見てきたような口ぶりだな」


 


 ケヴィンは施設に来て数年になる。その間に謎の採血や不可解な失踪は起きていた。しかし、誰も逃げた痕跡は見つからないし、職員は子供らに優しい。彼は都合よく解釈している。


 


「俺はこの世界を壊したい。こんな身体に作り替えた機械も許せねぇ。第一、人間じゃねえくせに母親ヅラするなよ」


「ビィに手出しはさせない」


 


 兄貴に対して挑発してきて、ケヴィンは敵意を隠さなかった。


 


「こ、交渉決裂だな。お前となら外に出られると思ったんだが」


 


 久野が勢いを取り戻す。腕を解いて歩きだして、距離が縮まっていく。


 


「怖いんだろ」


「……」


「俺はここから出る。それに、俺のような人間を作らないようにしないといけねえ」


 


 ケヴィンの携帯に着信がなる。逃げるように取り出して耳につけた。相手は権堂で、ビィの相手をせよといった命令だ。


 



 


 今日の久野を冗談交えて紹介する。ビィは茶々を一切挟まないで、真剣に彼の輪郭を掴もうとした。ケヴィンは相手を決めつけ、話したことを自信を恥じる。


 


「ねえ、ケヴィン」


「は、はい。何でしょう」


「どうか彼の面倒を見てあげてね」


 


 ケヴィンは萎縮した気持ちを解いていく。彼女は誰よりも寂しそうな目をして、彼の安否を憂う。


 


「私がここから出られたらいいんだけどね」


 


 二人の接触は許されている。ケヴィンは少ない明かりをたぐり寄せ、彼女の冷たい手を包みこんだ。


 


「俺が面倒をみるから心配しないで」


「今度会ってくるね」


 


彼が失敗すれば叱りつけ、悪事に手を染めればケヴィンが正す。成功すれば褒めて伸ばす。すべて、サキやビィが教育として施してきたことだ。


彼のなかに脱出という二文字は存在を強くした。ケヴィンと久野、そしてビィと供に旅に出る。昔みたいな日常を羨望するように気持ちが回復している。黒い糸も人の形からかけ離れた。


 


「ケヴィン、時間だ」


 


 権堂は室内にアナウンスを流した。近くの警備員が慎重にビィを拘束したら、鉄の扉が開閉され熱風が流れ込む。


 汗を掻いた権堂とケヴィンは二人で廊下を歩く。彼は職員に信頼されて警備員は付かなくなった。男二人は夏の蒸し暑さに負けている。


 


 彼は運転手に彼に機密事項を伝える必要があると降りてもらった。後で迎えに来る約束の後、運転席に彼はまたがる。


 


「ケヴィン、作戦の目処が経った」


 彼は手のひらに収まる紙を渡してきた。


 作戦は外部の敵襲があり、施設内がメルトダウン。飼育されているハシュの逃避によりパニックを誘発して、権堂が脱走をアシストする。そして、外部には諜報員を紛れ込ませ、施設長の異常性を暴くというものだ。


 


「暴くって何?」


「ここがハシュを前線に作る施設だと誰も知らない。だから、多数派は日常の裏を知らなくちゃいけない」


 


張り付いているマスコミや政府のハシュを良く思っている人に情報を流した。ハシュは再犯率と凶暴性から隔離すべきという意見が通説だ。しかし、ハシュに救われる人もいて、彼らを創作物や印象操作で動かしたらしい。簡単じゃなかったと彼は付け加えた。


 


「名家は凄いな」


 


 権堂家は長年続く武器産業の家系だ。ケヴィンの保有する教科書にも、彼らの経歴が記されている。ケヴィンを騙した父親は死に、長男は政治家。末っ子はハシュ解放運動の前線に立つ活動家だ。権堂瑞樹は三男に当たる。


 


「施設がハシュを隔離するなら別だ。しかし、この施設はハシュに『作り替えている』 この事実は自分に牙が向くかも知れないと恐怖をあおれる」


 


 手渡された紙を飲み込んで証拠をなくす。


 三人の逃亡が近くに迫ってきた。権堂は建物を出る前に振り返り、再度確認した。


 


「ケヴィン、いまさら心変わりはないよな」


 


 一ヶ月の会話が彼のなかで育っている。特に脱出のことは対談で話していないけど、ビィを心から尊重していた。


彼は学校と同じ仮面を被る。


 


「権堂。施設の皆を助けられないのか」


「お前はそうしたいのか?」


 


 彼は胸に手を当てて、彼の行為に向き合おうとした。


「心変わりと言われて、俺はどうやったら外に出られるのか考えた。それは、学校の友達や自分を認めてくれる人達が平等に助けられることだ」


 


 車内の窓に生徒たちが写った。ケヴィンに関わりがない人々でも会話は交わしたことがある。このやすらぎは兵器の製造所だと揶揄するなら、自分だけ逃げる事実に罪悪感を抱きたくない。その成功体験が外の世界への恐怖を軽減できる。彼はやっと自身の心を整理した。


 


「ビィは俺へ正しい人になりなさいと言ったけど、その答えは教わっていない。自分の見つけた正しいはきっとこういう事なんだと思う」


「わかったよ」


 


 権堂は彼の寮に到着して停車した。座席を斜めにして後部座席に顔を向ける。ケヴィンに安心させるよう微笑みかける。


 


「ワガママ言ってごめん」


「でも、成功する保障はないし、ビィとは一緒に出るんじゃなく、時間差で合流することになるが」


 


 その時だった。


 彼の窓付近に成人男性がケヴィンらを刮目する。次第に大人の影が寮の出入り口を塞ぐ。権堂は躊躇わず窓を下ろした。


 


「施設長、どうしたんですか」


 


施設長と呼ばれた男性はサラリーマンのようなスーツを着用し、金色の腕時計を撫でている。話が出来るように、腰をかがめて、カーブミラーに自身の横顔を晒した。


 


「ハシュを逃がそうとしているというタレコミが来た。君、会議をするから乗せてくれないか」


 


 後ろに座る不安げな友人を盗み見る。


 


「良いですけど被検体を家に届けてからで良いですか?」


「それは厳しいだろう。彼にも用事がある」


 


 半ば強制的に車の扉が開かれてしまう。権堂は思案し、抵抗するよりも受け入れた方が得策と判断を下す。


 そして、ケヴィンの隣に施設長と銃を持った人間が挟む形で座る。権堂が発進させると黒い車が隠れていたように車の背に付いた。


 


「俺を疑っているじゃないですか」


「今後はビィと会わせず、久野に役割を与える」


「それは、俺の仕事だ!」


 


 強い衝撃が脇腹から広がっていく。ケヴィンは何が起こったのか頭が追いつかないで、目を白くした。


 


「ケヴィン!」


「権堂、ハシュを管理する立場を忘れるな。感情的になれば仕事はできない」


 


 ハシュは感情で突き動かされ、黒い糸を暴走させる。しかし、ケヴィンは幼少期の後遺症から臆病になっていた。それを見越して打撃を加え屈服させた。


 ケヴィンは身柄を拘束されることになる。


 


「俺の、俺の仕事なのに……」


 


 彼の身体が痛みで震えている。気をぬいたら意識を手放してしまいそうだった。


 


 権堂は彼を拘束所に安置し、どこか遠くに走らせる。


 それから「やすらぎ事件」は発生した。


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