11.やすらぎ施設
連れ去られたケヴィンは、16歳になった
炭酸飲料の缶が放物線を描く。瑞々しい青空を切り裂き、表面に水を浮かべながらながら緩やかに着地する。
「コーラを投げるなよ」
投げた本人は愉快そう笑う。受け取ったミチルは不服そうに缶を開けた。
首をあげて、黒い炭酸を喉に流し込む。
建物の看板が目に入り、クリーム色の高い塀を視線でなぞる。
「やすらぎ。か」
ミチルはやすらぎという施設で暮らしていた。
この塀は学校や寮を取り囲む。ここは子どもの家”やすらぎ”で、ケヴィン達は暮らしている。入口から入所してきて、ここで生活させられていた。やすらぎの職員はケヴィンと同じ子供たちを監視し一日の業務を命令していく。それ以外は日本にいた頃のような日常を約束されている。
「今日も検査きつかったな」
「イシグロ、肩の傷が目立つね」
「え、そうかな」
イシグロが眉を真ん中に寄せていた。
イシグロとは学校で話す唯一の友達だ。彼が話しかけてきたからクラスでは浮いていない。
「それにしても、ミチルは将来どうするよ」
「将来なんて考えてない」
「でも、真面目に考えないといけない時期だ」
20歳になった入所者はやすらぎを出て、大人にならないといけない。言葉が通じない人たちと、わかったフリを繰返して心を強く閉めていく。
「俺は警官になる!」
「え、でも。ハシュは」
ハシュは世間体が悪く、警官の採用率が低い。異種の犯罪率は高いことから、配属されても特務機関の末端だ。
「俺はハシュだから、マトモな仕事に就けないけど挑戦したい」
飲み終わった缶を潰す。片腕に黒い糸が手のひらから垂れていた。
「まったくハシュだからって許せないよな。20歳になったら黒い糸が出てこなくなる可能性だって高い! というか、好きでなったんじゃない」
お前もそう思うよなって、無邪気な促しがケヴィンに刺さる。否定の許されない空間で、友人を演じた。
「俺も、そう思う」
「そういえば。このやすらぎに侵入者がおたらしいんだよ」
「し、侵入者?」
彼は空気を重くした罪悪感から、話題を変えた。
イシグロは侵入者の特徴について語る。
まずは機械で栗色の髪、黒い瞳をしていて、長身の女型ということ。警備員が片腕を撃ち落としているらしい。
「まあ、そんな人がいたら目立つよな」
「名前はわかってないの?」
イシグロは溜め息を吐いていいかと説明してくる。
「機械に名前なんてない」
「そう、なのか」
「また馬鹿な話してるの」
ふたりが振り向くと、そこにユウがいた。仁王立ちであからさまに呆れ顔をしている。
「うるせえな。好きにさせろよ」
「だって、聞こえてくるんだもん。気になるじゃん」
ユウとイシグロは幼なじみだ。同じ時期に入所してから仲が良かった。ケヴィンは二人が両想いだと直感で理解する。
「へえ、侵入者ね」
ユウは話を聞き終えて腕を組んだ。困ったときは癖を出してしまう。
「侵入者も馬鹿ね。職員に殺されて終わりよ」
「そうしなくちゃいけない理由があるんだろ」
「何があるの?」
「それは、知らねえけど。ミチルは分かるか?」
「俺もさっぱりわからない」
その後、ケヴィン達は鞄を背負って下校した。ユウとイシグロは肩を並べて夫婦漫才を繰り返している。その後方で微笑ましく見つめるケヴィン。二人のやさしさに甘えながら学校が終わった。
「でも、俺は思うんだ」
ケヴィンは不意に空を見上げた。検査が終わったあとは頭痛と腹痛に悩まされる。しかし、夕日を眺めたら我慢できた。
「ずっとこんな生活が続いたらいいなって」
「ケヴィンってマゾ?」
「ケヴィンは辞めろって言っただろ!」
ユウは三人の笑いをとった。空気に流されたけど、発言者は慌てて訂正する。検査が気持ちいいって言ってないと必死だ。
「私は検査が嫌かな」
「つうか、検査の目的って何? ミチル、ユウ知ってる?」
彼は自然と輪から離され、ふたりの薄い幕を見守った。自分が入れない仲の良さを彼は最近自覚する。
「ハシュをなくす検査でしょ? そのためにあんな苦しい思いをしてるんでしょ」
「黒い糸を出したり、傷をつけるのが?」
「まあ、逆のことしてそうだよね」
同じ生活を繰り返し、退屈な高校生活と研究対象を往復する。ハシュだから与えられた義務と権利。ケヴィンは外の世界が怖いから、現状に満足していた。
やがて、彼は二人と別れる。空き缶を自転車の籠に投げ込んで、サドルに自分の体を乗っけた。疲れた身体で自転車を漕ぐ。
彼は過去を夢想する。
権堂父は虐待疑惑のビィからケヴィンを遠ざけた。当然、彼女は不服だと申し立てたが受け入れられない。彼は不安だけどやすらぎで生活した。
決して楽しい日々ではない。しかし、辛いことばかりじゃなかった。今は同じハシュの仲間がいて、未来を存分に語り合える。それに、ケヴィンは外の世界に行きたくなかった。いつ、善意を向けられるか怖いからだ。
すると、視野に気になるものが入る。
そこに、右腕のない女性がいた。赤色のながい髪に灰色のパジャマを着ている。そして、片腕の断面からは鉄の擦り切れたあとがある。
「腕、大丈夫?」
咄嗟に声をかけた。彼女の黒い瞳は俺に向けられた。
「あれ、なんで君がここに?」
「へっ?」
そこにビィが座り込んでいた。
「……私は機械で腕は大丈夫だよ」
二人は壁の側面の砂利道にいた。人通りも少なく怠惰な警備員は足を運ばない。
そして、機械の視線は横の壁に注がれる。クリーム色で、人間が登れないほど滑らかで高い塀だ。
「ケヴィン、ここはどこなの?」
彼女はこの施設に疑問を抱いていた。学校やスーパー、畑に寮がありつつ、高い壁が彼らを取り囲んでいるこの場所を。
「そんなことはどうでもいい」
彼は自転車を投げ捨てて駆け出した。夢であるかもしれない、そんな小言が耳の内からしている。それを振りほどいて手を伸ばした。
「母さん!」
指先に懐かしい感触が広がった。人間のように柔らかい擬似の皮膚。抵抗しない細い両腕、高身長の彼女。
「生き、てたんだ」
「ずっと、ずっとケヴィンを探していた」
あの頃のビィが生きていた。片腕がなくても故障していない。
「待って。ケヴィン、身体見せて」
彼は言われた通り上着を首まで持ち上げる。皮膚の下は切り刻まれた傷や、変色した脇腹が切除されないで残っていた。
「ごめん。ごめんね、助けてあげられなくて」
「こんなことより、見せたいものがあるんだ」
彼は自転車の近くを指さした。すると、黒い影が自転車の下から縫うように立体化し、それを持ち上げ鍵をかけた。人形の黒い糸が二つ目を揃えてじっと指示を待つ。
「こんなことできるようになった」
「そんなこと覚えちゃダメだよ」
彼女は叱るときよりも冷たい声を出す。気圧されてすぐさま引っ込めた。自転車の鍵は地面に落ちる。
「黒い糸は心を移す鏡だから、人形にするとなると心身が摩耗する。それに、それが出来るとなるとかなりストレスが掛かるよ」
「そ、そうなんだ」
彼の顔が本に青かったから、ビィは咳払いをした。せっかく再開したのだから手順を済ませて、楽しい思い出にしたかった。
「行くところあるから付いてきてくれない?」
▼
プレハブ小屋の建物が残されたように建っている。周りのビルは壁と同じ色に対して、この小屋は錆び付いて青かった。
「付いてきなよ」
「ここは何……」
物言わず扉を開ける。触るのを躊躇うほど汚れていた。
小屋の中は悲惨だった。濁った水たまりに虫が湧き、天井の穴から光が差し込んでいる。この劣悪な環境で何を探しに来たのか。
ビィは先へ進む。やけに湿った黒い布を掴んだ。それを勢いよく剥がす。
「こ、これは……」
胎児のように丸まった男子が真空パックの中にいた。それは1人だけではなく何十人と折り重なってる。袋詰めされた人間がいた。
「これはハシュ製造機」
袋詰めされた人間は決まって子供だった。
「ハシュは子供の武器。世の中を守るための檻でしかない」
「檻?」
彼は目を離せなかった。興味が先に来て、その人間達を凝視する。よく見ると、袋の上に穴があり鉄の棒が通されている。目線でたどると大きな機械が鎮座していた。
「ケヴィンならこれが何かわかるよね」
「何でこれがここにあるの?」
頭痛がした。目がチカチカして膝をつく。
太ももが最初に震え、体全体に伝わった。恐怖で奥歯が噛み合わない。
「これは貴方と共に盗まれたもの」
この装置は研究施設に保管されて、ビィが責任もって管理していた。彼女らの子供たちは暇つぶしで作業を手伝うこともある。ケヴィンもそのひとりに過ぎない。
「ケヴィン、ここから出よう。これも一緒に持って帰って」
彼女はまっすぐ見据える。あの頃と変わらなかった。
親に捨てられ街の片隅にいて、女神のような機械が立っていた。彼はそれに信仰され、母親と決めて生活していく。それと同じ光景だ。
「それに、私たちには協力者がいる」
機械の影から人が現れた。大きな管を下にして接近してくる。髪をオールバックにして白衣を着た友人だった。
「権堂、何でここに……」
「久しぶりだな。ケヴィン!」
彼は以前より調子がよかった。やたら上機嫌で時間が開けた距離を詰めていく。その強引さに彼は疲弊した。
「実はやすらぎの職員として配属されていたんだ」
施設は職員と警備員が常備している。警備員は侵入者や脱走者を捕獲する仕事で、身柄を職員に渡す。職員は侵入者は罰金を契約させ追い返し、脱走者は教育し講座を開く。
権堂は人を割り振る仕事に就いたようだ。彼いわく、そのクラスはエリート街道の途中にある職らしい。
「まあ、やすらぎ施設の構造を熟知してると言ってもいい」
俺を褒めろと要求してくる。
その姿にケヴィンは立ち去りたい気持ちが湧いてくる。彼の冷静な部分が、友と対等になれないと騒がしかった。
「ケヴィン。長い間またせたな」
握手しようと手を差し出す。再開を祝うなら喜んで返した。だけどケヴィンは事情が違った。
「あのお家に帰ろう」
「そ」
ケヴィンは差し出された手を握れなかった。
「それは嫌だ……」
ケヴィンの額を狙った銃が、今も空想の中で狙って、行動を縛っている。
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