10.結局、過去は逃さないんだ
彼女は身体を地面につけていた。
目を覚ましたら左腕の安全装置を取り外す。身体を起こして近くの瓦礫に身を隠した。
ツバキは周囲の散らばる瓦礫に愕然とする。コンクリートに潰された人間は頭から血を出していた。
「おいっ、早く展開しろ」
彼女は自身の腕を肘から揺すった。
その左腕は肌色に擬態しているけれど、目を凝らすと銀色なのが分かる。手のひら側の上腕骨に突起物があり、手の甲側の前腕骨に流せば戦闘が許可され、機械らしく変形した。その機械に感化されたように頸髄の小型アシストが稼働する。この小型アシストは”起こされてる”みたいでツバキを不快にさせる。
彼女の身体が温まった。
「君がツバキか」
左手が銃を展開し打ち込んだ。彼女はその声を聞くと反応するように改造している。
機械が自動的に判断した。ポーチからが黒い固形物が顔を出し、エリアの済へ飛ぶ。
相手は銃弾の雨を浴びたが、手応えが感じられない。ツバキは威嚇を静止した。
声の主は扉の近くで黒い物質を纏っている。
「な、なにがおきて……」
彼の黒い糸は蜘蛛みたいに裂けて動かなかった。久野は背中から黒い糸を出していない。気付いたら彼の横に立っている。
「これは学ばなかっただろ」
本来のハシュは身体と黒い糸に繋がりがある。しかし、彼の黒い糸は独立して地を這う。
「皆は『蜘蛛の足が出てくる』という常識に囚われてる。人間よりも進んだハシュが、人間の発想に囚われてるのは滑稽だ」
ツバキには自信があった。暴走したハシュは大人数で潰していく必要がある。ケヴィンを除いて、彼女だけ1人で対処してきた。
久野の威圧が彼女の心を臆病にさせる。足が止まりそうになり、負けたくないと虚勢を張った。
「なんでこんなことをした!」
「それは弔いだよ。仲間を殺されたんだ。そりゃやるだろ」
「お前が殺した中にも家族がいるのに?」
無警戒に踏み込んでくる。黒い固形物が青白く発光した。ツバキは固形物に接近し、壁に縫いつけられる。その後、左手は久野と衝突した。
彼は身体の周りに黒い布みたいなものを巻き付けている。
「ケヴィンはハシュなのに仲良くするのか?」
地面が震えて、即座に位置を移動させる。彼女のいた場所に針が地面から隆起していた。敵は黒い布を片手で剥いで、目を離さない。
「ケヴィンと俺は同じサンプルから生まれた」
「ケヴィンはお前と違う!」
気付いたら彼女は発砲していた。目を見開いて歯を食いしばっている。
彼女は設置した移動装置で部屋を舞う。
久野に攻撃が通らない。
「ツバキがハシュへの怒りを忘れてないでよかった。来たかいがある」
答えられる余裕はない。彼女の身体が徐々に血が滲んでいく。
「君は俺を恨むべきだ」
手元が狂う。その隙を憑かれ、左手に吸い寄せられる。黒い糸は先端を尖らせた。
「何を言って……、!」
攻撃が命中してしまう。各所の装置は地面に転がる。左手の変形が固まって苦しそうな音を立てた。小型アシストが身体に警戒を鳴らす。
「俺が全ての恨みを背負う。そして、ヘイズコードの幹部を殺す」
「は?」
「ハシュへの恨みを『俺』への恨みに変えたいんだ」
この男は何を言っている? ツバキは背中に悪寒が走る。ほかのハシュと異質すぎた。
「頭おかしいよ」
ツバキは左手に固定されて動けない。久野は無警戒に踏み込んでくる。瓦礫のヤマで彼は囁いた。
「やすらぎ会議はどこであってる」
黒い糸は突然液体になった。体を固定したまま彼女の体を伝う。
「俺は君を殺したくない。しかし、やすらぎ会議の奴らは殺害対象なんだ。それを庇うなら、君も対象になる」
殺意を向けられた。これまで何度もあったが段違いだ。彼の中に悪魔が住んでいる。
ツバキは逆らえばどうなるか分かっていない。むしろ、分からないから恐怖した。
「誤魔化すなよ。ここにいるのは分かってる。だけど、階層まで分からなかった」
ツバキは教えられなかった。だって、そこには宝物が座っているからだ。
「教えたく、ない」
左腕が熱くなる。頭が真っ白になって絶叫した。彼女の左腕が不規則に折れる。
「ごめん、痛かったよね。俺が悪いんだ」
「キ」
久野とツバキは物理的に距離は近いけど、あまりに遠いなと痛みの中で考える。
「気持ち悪い」
「それは別にいいんだけど」
彼は不意に顔を上げる。ツバキは覚えのある緊張に親しみが湧いた。
ツバキは意識を刈り取られる。最後に瞳で捉えたのは、ケヴィンの姿だった。
▼
ケヴィンは黒い糸を犠牲にしてビルの上へ登っていく。空けられた穴から侵入し、覚えのある人物に突撃する。
「ミチル、待ってた」
久野は黒い布を体に戻し、相殺した。周りの瓦礫は飛び、人の身体は転がっていく。
そして、彼の横で傷だらけの女性が白目を剥いていた。
「ツバキ!」
「安心しろ。俺は無駄に殺さない」
「ビィを殺したじゃないか」
「分かってる」
二人は攻撃の行き詰まりから脱する。久野はツバキの横顔を見やり、自身から退いた。久野は遠距離攻撃を得意とする。ケヴィンはそれを考慮して飛べば届く距離に位置した。
「ミチル、特務機関はやすらぎの奴らが働いている。そんな中で仕事が出来るのか」
「俺は特務機関を信じてる」
彼は吹き出した。緊張の糸が途切れる。
「人は分かり合えない! それはお前が実感してきたことだろ!」
だから、俺たちなら分かり合える。そう彼は手を差し伸べる。黒い糸は独立してケヴィンらに眼差しを向けた。
「なぜ特務機関は間違えたハシュを殺す。怖いから殺すんじゃないか」
ケヴィンは過去の自分を見つめ直す。悪しきハシュを討伐する。その言葉の真意、自分の中にあるもの。
「俺は俺を貫くだけだ」
自分に似た別の人間に、しっかりと見据えた。
「助けたいと思う人がいる。だから、それだけを守る正しい人になる」
「都合が良すぎる。それでハシュは救われるのか」
久野は話を誇張させ着地点を壊す。自分の速度に相手を合わせていく。ケヴィンは彼に乗せられ、それに気づいた。
「それは尺度で変わる。それに、ここを襲撃していい理由にならない」
決別が起きた。久野とケヴィンの間には溝が深まっていき、橋は掛けられない。互いは相手の心臓を見るまで狙い続ける。
「やすらぎの人たちを殺させない」
「必ず殺す」
久野の黒い糸が迸る。部屋を充満し針のように展開した。
ケヴィンは会話のおかげで興奮が収まり、傷も治っていく。少なくとも二時間だけ保てたらいい。
部屋が黒く縫われ始めた。ケヴィンは飛ぶ鳥のように重力をなくす。自身に傷を与えてながら久野に刃を突き立てた。対処されるが、ケヴィンは手を犠牲にして上に押しあげる。
彼の身体を僅かながら宙に浮かせた。黒い糸とケヴィンの筋力で浮上させる。しかし、すぐさま足に影を増して軸を戻す。
久野をツバキから遠くに行かせた。
そこでケヴィンは両足に集中した。黒い糸が下降し、分厚い骨に変わっていく。
「ツバキ。起きろ」
足から一筋だけ糸が伸びた。ツバキの左手に打撃を与える。甲高い絶叫をあげて体を振動させた。
「ケ、ケヴィン。来てくれたのか」
「このビルから人を逃がせ。あと会議にいる権堂に協力を求めろ」
ツバキの様子を盗み見る。気後れした少女が普段の仕事をしている人に戻った。すぐさま彼女は立ち上がり左手を労りながら出口へ走る。
「小賢しい真似をしてくれる」
ケヴィンは地面を踏みしめ、黒い糸はコンクリートを突き抜け、敵意を炙り出す。ツバキが歩いていた箇所から、久野の攻撃が無力化される。
「ここに来るまでに助けを呼んだ」
「見くびるなよ。俺には殺す自信がある」
久野は黒い糸を体に収縮する。自動追尾した別位の糸がケヴィンの攻撃を阻害した。
敵の身体は黒く妖しく光る。艶やかな表面は傷一つない。
手をだらんと下にして、再度力を込めた。黒い影が彼の体をまとう。
久野の姿が”二重に被さりブレる”。
「行くぞ」
ケヴィンは寝転がる。いや、気づいたら地面の顔を引っつけていた。
痛みが走る。腹の横、無くしてはいけないものがこぼれてる感覚がした。
「そんなもんか?」
呼びかける久野は規格外だった。自分も本気で取り掛からないと殺される。彼は甘えを捨てたつもりだったけど、常識をそこに流す。
ケヴィンは力を制御することで黒い糸を纏える。しかし、久野を倒すには対等の立場になるしかない。つまり、久野と同じく狂うしかない。
その手に持つ刃物を額に突き立てた。
「あっハハハハハハ」
「そうだミチル。心を解放し―――」
黒い繭が犯罪者の周りを包み込む。地面は耳障りな高音を書き散らし、やがて沈んでいく。
これでもケヴィンの理性が働いた。部屋に倒れる人々を考慮して、大技を仕掛けられない。彼は狂ってしまえば勝てる。
穴はひとりして落ちていく。久野は抵抗するように繭が不規則な形をした。下の部屋は既に避難している。
「やるじゃねえか」
久野は世界を振らして殻を突き破る。彼は下降して、溜めた足で壁を駆け回った。瓦礫を投げながら視界を奪っていく。不規則に殴打を繰り返す。防戦一方は代わる代わる。気狂い勝負はビル一つで物足りなくなった。ビルごと破壊しかける。
ケヴィンは愉快な気持ちが腹の底から湧き上がる。いけない動きに似た快楽が押し寄せ、他人の指が肌をなぞらせてるようで笑ってしまう。
これは久野も一緒だった。片目が陥没して、左手が脳幹の命令を無視して、髪の毛が血濡れになって、喉が渇いたと悠長に口を開ける。
彼らはスレスレの恐怖が心地よかった。この状況が生きた証だと、今のふたりなら連想する。酩酊した思いは互いの刃を鋭くした。
久野の晒されたピンクの心臓を潰したい。ケヴィンの大腸を床に散らして踏みつけたい。飼っていた加害が己の時間と踊っている。これこそがハシュだとヘイズコードの一角に刻みつけた。彼らは伝説になりたい大人ぶった男の要素を躾する。
「―――ン」
空は明かりが落ちていてヘリコプターが中継している。雑居ビルの秘匿性はハシュの突撃で破壊されていた。
権堂は老人の背を押しながら入口へ走った。ツバキは近くの救急車に乗せられる。彼は彼女を心配しつつも友人を憂う。崩壊したビルに衝撃音が続く。
「ケヴィン君。いいのか?」
ケヴィンはまぶたが重くなり手足は痛みで震えていた。首を強引に上へあげ、声の方向を見る。同じように傷だらけの似た顔がいた。
「上から人が落ちてくるけど」
彼は黒い糸を使役した。奇襲先の地面を落とし、人が落ちてくる。
ケヴィンは身体から糸を抽出する。一つ一つが人を包み、近くに寄せた。
「しまっ……」
久野が黒い糸をくぐり抜けて、軽やかな速度のまま体をぶらす。その手が、二つ、三つに重なり、指の先を剣に尖らせた。
「またなケヴィン」
彼は横をすり抜けていった。そのままビルの外に乗り出して、救急車に殺意を向ける。
「おい、待て!」
片手に黒い糸が集中される。勢いは重りに生じて加速した。その瞳は権堂の心臓を目指していた。
「じゃあな、権堂」
その次、彼の真横で衝撃が加わる。久野は狙いを外して横にそれた。地面に突き刺さり、周りが盛り上がる。足場が転倒して権堂は尻餅をついた。右目の上から出血する。
「クソッ。失敗か」
そう言うと彼は片腕を切断した。そこから総取りするように腕が補充される。残された腕は暴発し、取り押さえようとした周りを出血させる。
「権堂。ケヴィンに伝えとけ」
「え、え?」
「俺はビィの遺体を持っていない。それだけだ」
彼はそのまま駆け抜けていった。
ケヴィンは眺めることしかできなかった。
久野の襲撃は効果絶大だった。雑居ビルに保管されていたデータは壊される。バックアップこそ残っているものの、完全に無事と言う訳ではない。
ハシュを取り締まる特務機関の敗北。死者こそいないが、信頼は絶大に落ちた。
ケヴィンは人を降ろして気絶する。
その後駆けつけた救命係は彼が死ぬと思いながらも汗を垂らして運んだ。揺すられないよう気を使われながら、ケヴィンは深い眠りに落ちる。
彼は気持ちを心内に落としていき、簡単には起き上がれない深層に到達した。
ケヴィンないしミチルは暗い闇のなかから美化された過去を取り出した。アルバムをめくるように、ビィとの思い出を走馬灯のように思い出していく。
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