9.力の使い方

 キムラは似合わないスーツを着て、席に座りながら呆然としていた。


「えっと、なんて?」

「だから、今日は早めに帰って来てください。一緒にご飯食べませんか」


 ケヴィンの身体は8日で完治していた。そのお礼として食事しようと提案している。


「それは構わないが、君そういうタイプだったか?」

「貴方には恩があるので……」

「ま、まあ今日は早く帰ってくるよ」


 キムラはやすらぎ会議に赴くらしく、朝から用意していた。その会議とは権堂も参加する会議で、場所は雑居ビルで行われるようだ。


「それにしても、分かりにくいところにある。めんどっ」

「特務機関は存在を隠さないとダメですからね」

「その割には特務機関って名前をよく聞く」

「特務機関があるだけで安心する人もいるんですよ」


 彼はなんとか場を和ませる。ケヴィンは食事に誘う人間ではないが、これには理由があった。時間は一時間前に遡る。



「キムラを今夜食事に誘ってほしいんだけど、手伝ってくれない?」

「えっと、どういうこと?」


 小春はポケットから携帯を出して、サイトを前に持ってくる。それは料理サイトで肉じゃがと書かれていた


「キムラが誕生日だから母さんの料理を振る舞わなくちゃいけないの」

「料理できたのか」

「できるわい! 肉じゃがだけだけど」

「できるわいって何語?」

「ねえ、思ったんだけど。私がなんで『キムラ』と呼ぶか疑問に思わなかった?」

「実は思ってる」

「でしょうね」彼女は前よりも過去を話すようになった。ケヴィンは心開いてくれたようで傾聴できる。


 小春の父は、小春が産まれる前に空へ昇った。小春の母はシングルマザーとして、非認可幼稚園の深夜託児サービスを受けながら働いたらしい。

 小春は今の妹と親密になって、キムラと母が交流するようになった。そして、書類上婚約。しかし、小春の母は過労死した。


「だから、キムラなのか……」



 そして、時間は約束の三十分前に戻ってくる。彼女は食事の下準備を終え、すぐ出せるように動いていた。ケヴィンもそれに習う。


「私の妹って誰と思う?」

「え、わからん……」

「ツバキ」

「と、特務機関の?」


 気が利かない態度は似ている。だとしても、結びつかない二人だった。


「エリートでしょ?」


 彼女はケヴィンが使っていた部屋にいて、既に自立した身のようだ。


「彼女にも酷いことしちゃった」

「今からだよ。今から」

「うん」


 このタイミングなら話せると、ケヴィンは意を決して発言した。


「なぜ俺を助けた」


 彼女は台所での手を止める。俯き、纏めた髪が落ちそうだった。


「私、自分が嫌になると海に行くんだ。家から近いし」

「俺と同じだ」

「うん。で、君を見たんだ」


 ケヴィンは海に一番近いところに行く。後ろの方は気にしたことがなかった。


「ずっと前から気になってたんだ。いつも辛そうな顔をしてるって」

「……恥ずかしいな」

「そしたら重症で来るんだもん。ビックリして家に連れてきちゃった」

「ほんと、俺は運がいいな」


 ケヴィンは人に助けられてばかりだと、胸の奥が痛くなる。それを小春は同調しないで、手を動かしだす。


「キムラは前から君のことに気付いてたよ。それでも、話しかけなかったってさ」


 小春は高揚して饒舌になる。きっと、彼女は冷静になったら忘れてと懇願してくるはずだ。ケヴィンは気をそらそうと別のことを考えた。


「……」


 食事の用意は終わり、二人は時計の針が進むのを待つ。

 これは小春が振り向かないで歩いていくために必要だった。その間も冗談を言い合って、自分の近いところを探し見つけて微笑んで、最後の日を楽しむ。


「ねえ、ケヴィン。また記録しない?」

「またやってくれるの?」

「うん。だって、今日のこと手伝ってくれたから」

「毎年してるの?」

「だって、私がやれることはそれしかないから」


 指定の時間が近づいた。玄関の扉が開く気配はない。足音さえせず、小春の表情が曇ってくる。テレビは小春が率先してつけた。不安を紛らわせたいとか、自分に言い聞かせる脳に。

 ケヴィンは帰ってくることを祈った。権堂に連絡してもいいが、説明が長くなってしまう。


「ごめんね。私の行動に付き合わせて」

「そんなことはいい。けど、俺は居ていいの?」

「いいよ。ひとりだと不安だから」


 肉じゃがは冷めないよう保温されている。炊飯器は米が炊けたと湯気をだす。二人に不安が被さって、会話が重くなっていく。次第にケヴィンは貧乏ゆすりを始めた。自分の誘い方が悪かったのか、外の暗闇さえ責めてきたように錯覚する。


 時計は無残に進んでいく。ケヴィンは連絡しようとしたが、小春が必死に止めてきた。携帯電話をもう腕は下に降ろすしかない。


「やっぱり、わたしはダメだな。キムラに嫌われたら終わりなのに」

「小春、テレビ見て」

「いいって。気を使わなくて」

「テレビ見てくれ!」


 その時、テレビが現実を知らせてきた。レポーターはすごい剣幕でつばを飛ばす。


『皆さん速報です。立てこもり事件が発生しました』

「ここって……」


 ケヴィンは画面に釘付けだった。小春は悲鳴をあげる。そう、二人はどこで立て篭りが起こっているのか察した。


『犯人は指名手配犯の久野と見られます。彼は友人を殺されたとして特とくむきかん? の上層部を差し出すように要求してきます』


 レポーターの後ろで雑居ビルの上部に穴が空いている。その雑居ビルはケヴィンの職場だった。また、”やすらぎ会議”が行われている場所でもある。

 中継映像で雑居ビルから人が血を流して倒れていた。


「キムラはここに向かったって言ってたよね」


 画面から目を離すと、小春は膝を地面につけ体を震わせていた。呼吸が荒れて口を大きく開けている。


「小春。ちゃんと息を吐こう」


 片手で菓子袋の中身を下に捨てる。それを口にあてがい背中をさすった。小春は過呼吸になっていた。

 数秒たって、彼女の息が安定してくる。動揺していた身体が床に降りてきた。


「わ、わたし。また間違っちゃった」


 もういいと袋を片手で跳ね除けられた。ケヴィンは優先すべきこととして従う。


「間違ってないよ。ゆっくり呼吸をしようか」


 彼女は混乱からまくし立てた。とにかく言葉を吐き出したいと訴えてる。


「私、わたしこんなこと望んで、望んでないよ。何で、いつもこうなるの」


 背中を優しくさすった。身体は痩せて骨が皮越しに当たる。彼女はケヴィンに最近ご飯を食べられないとよく語っていた。


「どうしよう、ケヴィン」


 彼女の瞳から大粒の涙が滴り落ちる。ケヴィンは過呼吸になりそうで彼女の行動を観察した。


「私、父さんのこと好きじゃない」


 ケヴィンの浮いた片腕に彼女の腕が重なる。掴まれ距離は縮まった。鼻の先が当たりそうになる。


「私は母さんがいない家が辛かった。だから居場所が欲しくて命令に従ってた。そしたら、ツバキは私を馬鹿にした目で見てくる。それに耐えられなくて、心に蓋をしたいたのに。ダメだった」

「うん。うん」

「私、キムラのこと大っ嫌いなんだ。自分勝手な行動や当たり前を当たり前と思ってるところが。ごめんなさい。ごめんなさい」


 無意識に彼は好きな人の片手を握らせて、その上からかぶせる。空いた手は背中にまわして優しく撫でた。

 ケヴィンは彼女が冷たくなっていきそうで恐れをなした。


「な、ええ?!」

「嫌だったらやめるよ」

「い、嫌ではない、けど」


 彼女は浮ついた心を落ち着かせた。なぜなら、相手の鼓動が自分よりも早くて耳が赤かったからだ。その両手は次第に場所を離れて、彼女の肩に乗せている。


「小春。一つ賭けをしないか」


 ケヴィンは自身の軽率な発言を悔やんだ。子供が親を好きなら、子供が親を嫌う家庭だってある。それを忘れていた。


「俺がキムラを助けたら素直になる」

「え、だめだよ!」

「あそこに権堂がいる。力は使えるし、本気を出したら互角だ」

「でも、病み上がりじゃん。また怪我したらどうするの。それに……」


 ケヴィンは口角をあげて目を細めた。


「キムラのことが嫌いなら本人に言わないと始まらない。その人が死んだら嫌いでも美化してしまうものだから」

「でも、でも……」


 小春は優しい人だった。でも、彼女は自分の優しさに気づいていない。それにケヴィンも自分の長所に気づいていなかった。


「だから、君に無事のキムラとツバキと対面させる」

「ケヴィンがまた怪我するじゃん!」

「俺はハシュだから治りが早い。安心してくれ」


 ケヴィンは極限状態で楽しくなってきた。自身の肘を曲げて肩から手を離す。足も地面にしっかりつけた。


「好き嫌いは、その人が生きているうちにしてみたらどうだ」


 小春の瞳はケヴィンをしっかり捉えるようになった。目線が交わり、ケヴィンは動揺を隠せるようになる。首につけていたアクセサリーに触れた。心の中で彼は仕事用の自分に切り変わろうとする。

 彼は首飾りを外して、彼女に両手を出させた。

 その細い指にチェーンは収まって、首飾りは巻かれていく。

 彼はふと、ビィの正しい人に自分は当てはまるのか考え、笑ってやめた。この行動は自分から発生したものだと思いたかったのだ。

 テレビからは相変わらず速報が告げられる。久野の経歴や、やすらぎ事件を掘り返し。警察もビルの下でバリケードを貼っていた。そこに知り合いの顔もいる。


「死なないで帰ってきてよ」


 目線を彼女に戻す。その目尻には涙が残っていた。


「初めて言われた」

「ねえ、ケヴィン。言えなかったことがあるんだ」

「なんだ?」


 彼女が飛びついてきた。首に手を回されて、ケヴィンは紅潮する。


「へっ?」

「ビィさんが出てきた映像。あれ、私がしたんじゃなくて、ビィさんが予め仕込んでいたみたいなんだ」

「小春、その調子だ」

「帰ってきたら、本当の記録見せてあげる」

「そのためにも帰ってくるよ」


 これ以上時間を潰せない。ケヴィンは覚悟を決めて、振り向けなくなった。扉の奥から気をつけてと送り出してくれる。ケヴィンはそれだけで力になった。


 彼はポケットから護身用のナイフを各所のポイントに刺していく。そのナイフは自分に突き刺すために常備していた。その傷穴から黒い糸が排出され、身体を覆っていく。

 今回の彼は防具がない。それでも、特例で駆け抜けなければならなかった。守るべき人を見誤ってしまわないように。


 彼は自分の使い方を知った。誰かを守るために使えばいいと。

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