8.人もいろいろ居るんだね

 ケヴィンの黒い糸が肩の中と外から傷を包み込んでいく。身体を動かさなければ黒い糸の治癒能力が働いてくれる。とにかく、彼はキムラの家で健康になる道を選んだ。


「そろそろかな」


 ビィとの再開から四日経った。本調子ではないけれど、力を使うまでに回復する。試しに部屋を出ることにした。

 扉を開けて廊下に出る。正面に俯きながら歩く小春がいて、今にもぶつかりそうだった。


「小春、危ない」

「えっ?」


 彼女はケヴィンの行動に目をむく。そして、傷口を見て納得したように胸を撫で下ろした。


「今までありがとう。仕事場に顔を出してくる」

「まだいていいのに」

「小春ありがとう。でも、やりたいことが溜まってるから行く」


 ケヴィンは小春やキムラの二人と一緒に過ごしてわかったことがある。家族とは一番近い他人だということ。文句を言いあって妥協点を探ることなくとも、生活を続けていくグループと認識できた。


「完全に直ったわけじゃないから、すぐに戻ってくる」

「だったら、甘ぁーいチョコ買ってきてよ」

「パシリかよ」


 二人の距離は四日で縮まった。それはケヴィンでも理解できる。異性とは会話で戸惑う部分があるけれど、思考の違いが楽しかった。この気持ちが小春にも芽生えてたらいいなと、ケヴィンは淡い思いを胸に抱いて、誰にも話すことはない。


「今日は家にいるから待ってるね」

「わかった。首飾り頼む」

「うん」



 雑居ビルに彼は足を運んだ。ケヴィンの持ち場は相変わらず騒がしくて、それが日常に帰ってきたことを強く意識させた。


「ケヴィン! 死んでなかったのかよー」


 同僚のアルバがケヴィンに冗談を飛ばした。彼とは長い付き合いで、一緒に行動した任務もある。


「あいにくハシュ様は人間とちげぇんだよ」

「うるせえ蜘蛛野郎」


 彼の心にある波が収まってくる。怪我してから黒かった海の色は青に戻り、四日かけて浄化された。そして、些細なやり取りが安心感を育ませる。


「おや、ケヴィンじゃないか」


 思い切り肩を引っ張られる。ケヴィンは自分本位な正確に心当たりがあった。


「ツバキ。痛いからやめろ」


 ケヴィンを呼んだのはツバキという女性だ。黒染めされた髪は耳までの長さで、その瞳の鋭さは現場で培ってきた。身長は182cmあり、片腕を機械に改造している。その理由はハシュと互角に戦うためだ。


「すまん。ハシュは勝手が分からんからな」


 そう言って豪快に口を開けた。男勝りの性格に職場の男は勝てない。ケヴィンを抜けば特務機関の要と行っていい戦力だ。


「それよりも、久野に負けたそうじゃないか。だから、アイツと関わるなと言ったんだ」

「……悪い」

「せっかく私が久野を担当しているんだ。私に任せればいいものを」

「あ、そういえばさっき権堂がケヴィンを呼んでたぞ」

「ツバキ、また今度」


 同僚に会釈して二人から離れる。


 ケヴィンは細い通路を歩いた。何度も往復した角を曲がって、すりガラスの窓がある扉をノックする。


「権堂。帰った」


 中では権堂が弁当を食していた。書類の山から目を出して、箸を止める音がする。


「おー、もう平気なのか?」

「歩けるようになった」


 権堂はケヴィンが苦しくて切なくなる顔をする。

 権堂は部屋の扉を閉めたら指定の席に着き、彼も同じ行動をとった。どちらかが口火を切ることを待つ。


「……久野はどうなった」

「見つかってない」

「あの時の、その、発言。悪かった」

「何のことだ?」

「見殺しが、ソの」

「やめろよ湿っぽい。ケヴィンのせいじゃないし、俺は戦いに参加できなかった。それでいい」


 空調の音が部屋の中を満たす。権堂は膝に腕を置いて、口を指で隠した。


「で、彼女なの?」

「は?」

「電話越しの相手だよ」

「まさか、ずっと気になってたのか?」


 権堂はいつになく真剣な眼差しを向けている。久野と対峙した時より気迫があった。


「ここは取調室になった。言わないと許さん」

「キムラさんの家に住む娘さんだ。彼女じゃない」

「余裕そうなのが腹立たしい」

「なんて言えば正しくなる」


 権堂は友人に人差し指をさした。


「お前は周りに異性がいる」


 指を権堂自身に向け、自分の瞳がある位置で固定する。


「俺の周りはむさ苦しい男たち。ここに大きな違いがあるやろがい!」

「……」

「俺も、出会いてぇよ。てか何で接点ができたんだよ」


 そこはケヴィンも考えた。血だらけで倒れている人を助ける。その判断が取れることが不自然だ。


「海で俺を見かけたらしい」

「怪しくない?」

「悪い人じゃないと思う」

「結婚詐欺に引っかかるなよ?」

「調子いいやつだな。殴るか」

「やめて」

「はい。権堂、話を戻して」

「久野を追った結果、単独行動をしていないことが分かった」


 久野は自分の信念のためならプライドを曲げられた。その様子は記録にも乗っていている。


「久野には強力なパトロンがいる」

「捕まえられるか?」

「俺の血筋使っても時間がかかる。しかし、今回でわかったことはあった」


 久野は表舞台に顔を出す。廃工場にも潜伏してる可能性はあったし、デュークの件もそうだ。


「アイツは権堂一族と、あの研究施設に住む人々を殺している」



 彼は用事を済ませ、荷物片手に階を下った。

 ケヴィンは雑居ビルを出て外風に当たる。枯れ葉が地面を滑っていき、1人の人間に当たって逸れた。


「ケヴィンさん、ですよね?」


 当たった足がケヴィンと距離を詰めていく。その相手は小さな子供だった。


「私、ゆりって言います。菜月ちゃんの友達です」

「助けてくださいの人か」

「その節はどうも」


 菜月の友人で、ケヴィンに菜月を助けてほしいと懇願してきた。

 ゆりはポケットの中から四角いものを出す。


「本当に、本当にありがとうございます」

「俺は何もしてない。それに、彼女の戦いはこれからじゃないか」


 彼女の手にあったのは手紙だった。

 菜月はケヴィンに向けて手紙を書くと言ってくれたことを回想する。


「ありがとう。わざわざ持ってきてくれたの?」

「やっぱり手渡しがいいかなって」

「菜月さんとは仲良しにしてる?」

「はい。バラバラになっちゃったけど、今は手紙や機械があるから」


 今呼んでくださいと告げられ、封を切った。


『お久しぶりです。今、私は寮生の学校に通ってます。あの時のことは、うまくかけません。あと、ゆりは離れ離れになって遊ぶ機会がなくなりました。親しい人と離れるのは、自分を切り離すみたいで痛くて泣きそうです。でも、学校を卒業したら取り返すように遊ぼうねと手紙で約束をしました。私にとって手紙は許しなんです。ケヴィンさん、私が辛くなったら手紙を送り付けます。それを許してくれませんか』


 ケヴィンは読み終わって大切にしまった。彼女の友人はあえて何も聞いてこない。


「ありがとう。ゆりさん」

「私だって、お礼しかないですよ」


 一息ついたら視界が広がる。排気ガスを散らす車や、ベビーカーをひく親子連れ。ささやかな約束はとつぜん目の前に現れた。


「そうだ。ゆりさん、チョコってどこで売ってる?」

「チョコ? 何で?」

「あげたい人がいるんな」

「彼女?」

「命の恩人。それで、知ってる?」

「わかった。案内するね」


 その後、ふたりは会話を楽しんだ。小学生でも様々な悩みを抱えている。人と合わせる苦労や自分の夢を笑われたくないなどの事だ。おそらくふたりは今後会わない。だからこそ、腹を割った会話ができたのだろう。

 少女に店を案内されて、解散する。彼は店員におすすめを聞いて購入した。両手が塞がったままで療養先に足を向ける。


 職場と小春の家は遠いところにある。海を好むのは、それも理由になっていた。タクシーを呼び指定した先に向かってもらう。



「ありがとうございます」


 タクシーは指定したところに停車する。朝に出た場所へ戻ってきて、渡された合鍵を穴に入れていく。鍵を回して玄関に入ると、小春がたまたま外にいた。


「あ、おかえりなさい」

「た、ただいま」


 ケヴィンは一人暮らしをしている。おかえりと言われたことがなかった。小春にとっての当たり前に、彼は気後れしてしまう。それを隠すように片手に持つものを差し出した。


「これで良かった?」


 小春はケヴィンから小包を受け取った。不審そうに袋を開けていき、中のチョコレートに目を丸くする。彼は律儀に約束を果たしていた。


「本当に買ってきたんだ」

「迷惑だった?」


 彼にとって恩返しのつもりだった。

 小春は丁寧に袋の包装を戻していく。


「ありがとうケヴィン」


 その声は嬉しそうだった。ケヴィンは間違ってないと安堵する。

 玄関から自身の部屋に帰っていく。そこで、小春は冷やかすようにひっついた。


「あれ、御機嫌ですね?」

「ああ。珍しいことがあったんだ」


 特務機関の帰り際でお礼をされたと話した。見せてくれた手紙も彼女に貸す。


「ケヴィンさん、偉いですねー!」

「馬鹿にしてるな?」


 彼女は公園にいる子供のように笑っていた。その姿は嘘偽りない気がして指摘できない。


「そういうの、踏まえてさ。特務機関にいて分かったことがある」


 まぶたの裏の暗闇に慣れる。記憶から過去の事件を思い返していく。菜月の一件は家族を特に表していた。


「みんな色々あるんだなーって」

「ボンやりしてるね」


 彼女は手紙を返してくれた。ケヴィンは元の場所へ丁寧に直し、家で保管しようと決める。


「そんなもんだ。小春もそう思わない?」

「記録屋してると、思うかな」


 彼女はベットのフチに両手を置く。目線をケヴィンと合わせ話を続けた。


「私、父さんと仲良くしなくちゃいけないんだ」

「なんでって、聞いていいかな」

「私は死んだ母さんの連れ子だから」

「……」

「妹や父を見てると責められてるみたいで、辛い」


 私はダメな子供だね。そう呟く彼女は傷つくことを望んだ。ケヴィンは小春の痛ましい表情に胸が痛む。その痛みは一緒に居る高鳴りと同化した。だんだんと彼の思考能力が抜け落ちていく。


「俺はここでビィと話したけど、前はそんなんじゃなかった」

「……」

「でも、久しぶりに会ったら心から話せた。きっと、俺達はそういうふうに出来てるよ」

「出来てるかな」


 気づくと部屋は窓が空いていた。外からは潮風の心地よい音が流れ込んでくる。

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