7.おもえばここから決別した

 腕の痛みで起床する。ケヴィンは真っ先に白色の天井が視界に入ってくる。彼の家とは違って洋風の建物内だ。そして、ここが病院内ではないと、市販の布団をなでて判断する。


「あ、起きました?」


 胸にかかる程度に髪が長く、モデルのようなスラッとした体型で美人の女性がいた。


「昨日のこと覚えてます?」

「少し、だけ」

「あ、起き上がらないで。傷が広がるよ」


 腕に力を込めなくなった。投げ出された腕に、黒い糸が命令なしで動いている。


「どうやら、迷惑かけたみたいですね」


 この部屋はベットとタンス、窓の外は見覚えのある海が波打っていた。ケヴィンのスーツは掛けられて、自身が着替えていた事を知る。


「貴方は?」

「私の名前は小春です」


 小春はちょっと待っていてください告げると席を立った。

 彼女に悪意は見られない。拘束されている様子はないが、ハシュを治療したことから専門的知識と技術が備わっている。長居は禁物だと結論づけた。


「やあ。やすらぎ以来だね」


 あの日の陰りが明滅する。脳内で主観の短編映画が始まった。やすらぎは施設の名前で、ケヴィンが生まれ達観したところだ。


「私は木村と言って、元やすらぎ職員だよ」

「キムラ……」


 キムラはケヴィンが海の近くで倒れていたと説明した。そこを小春が見つけキムラに連絡して、ここまで運んできたそうだ。


「傷は浅かったよ。相手はわざと外してるみたいな」


 この部屋にはテレビが置かれている。

 キムラは快く頷いてテレビの前のリモコンに触る。


「ほれ」


 彼はリモコンを投げてベットに落ちる。あ、寝ていたなとあからさまな発言をした。



「悪い。つい癖で」


 ケヴィンはなんとかテレビをつけることが出来た。ニュース番組はハシュ殺害事件が話題の的になっている。

 犯人のグループは壊滅したが、主犯格は逃走中。被害者はストレスから女性軽視が加速してストーカー、挙句の果てにパワハラの常習者と明かされた。

 加害者のデュークに対してコメンテーターはハシュの凶暴性を規制しようと提案する。そして、もうひとりの加害者であるロボットは今後制約する法律を作ると政府から通達が来たらしい。


「クソッ」

「え、なんか言った?」

「いえ、何でもないです」

「でもなんか言ったよね」

「権堂に連絡していいですか」

「今日は安静にしていなさい。集会で話すから」

「集会?」

「やすらぎ会議さ」

「な、なるほど」


 キムラは部屋を出ていった。

 部屋はテレビの音だけが虚しく行き渡っている。ケヴィンは独りになるのが怖かった。今までの後悔が後頭部を殴ってくるからだ。


「そういえばケヴィンさん。これ」


 小春はキムラがいなくなってベットの横にたった。ポケットからなにか取り出し、手のひらに乗せる。


「……ああ、あったのか」


 それはビィの写真が入った首飾りだった。蓋を開け、写真は汚れてないとわかり安堵する。


「育ての親です」

「……あ、ごめんなさい。一人にしていた方がいいですよね」

「いやいや。もう少し話をしたいです」

「な、ならいいですけど」


 小春は首を真っ直ぐにしテレビの横に顔を向ける。彼女は活発なのか、よく動いて表情もコロコロ変わった。ケヴィンにとってそれが不思議で、もっと話していたい気さえ湧く。


「ケヴィンさん。記録屋って知ってます?」


 遠いどこかで聞いた言葉だった。しかし、誰が話したのか思い出せそうにない。小春は記録屋が何なのか身振り手振りで教えていく。


「記録屋とは、平たくいえば物に眠った記憶を映像にする技術です。手紙なら普段の筆跡と掛け合わさて算出し、おそらくその首飾りは、かしてください」


 小春は丁寧にチェーンをつまんで、首飾りの裏のデザインに目を通す。その後、満足したように頷いた。


「この首飾りだったら再現できますよ。この写真撮った頃か、首飾りを買った日」


 ケヴィンは唖然としていた。ハシュの存在も特殊だけど、記録屋という魔法に近い技術には感銘を受ける。


「やりますか?」

「うん」


 小春は駆け足でテレビの横に近づき、黒い布を撫でた。その掛けられた布を床に下げる。


「こんな機械があったのか」


 ヘルメットのようなものが機械に立てかけられている。羊羹みたいな長方形が中心に置かれて、その背に細かな配線や基盤が見えるように透明なケースに入れられていた。置かれている台はキャタピラが付けられている。

 彼女はコードに注意しながら横に移動させる。


「それかして貸してもらえます?」


 首飾りは長方形の下に置かれる。すると、その周囲から黒い円が上に被さった。長方形の表面がモザイク色に変わる。機械に付随した椅子に落ち着き、背中を見せる。

 そこでヘルメットを渡されたから、頭に乗せ命令通り動いた。


「目を瞑ってその人のことを思い浮かべてくださ……え?」


 ふと横を気にすると、焦った彼女が機械を弄っていた。長方形の表面は青色が増加している。


「ご、ごめんなさい。旧式だから壊れたかも」


 彼女の呟いた直後、画面は変貌する。荒いモザイクがなくなっていき、初めに瞳、髪の毛と続き肌色の画像が浮かんできた。


「え?」


 長方形の画面にビィが現れた。栗色の髪に黒い瞳、膝までの高さまで映されており、ケヴィンを確かに見つめている。


「ビィなのか?」


 幻かと疑った。確かめるように下から聞くのは、夢を長続きさせたいけど壊したくない一心からだ。

 喉がカラカラに乾いて口は半開きになる。呼吸は荒くなり、怪我したときより動悸が激しい。


「よかった。記録屋によってくれたみたいね?」


 映像がケヴィンの顔を認識し語りかけてくる。瞳は彼を追っかけていて、腕の痛みは嘘ではないから、彼と小春の見間違いではない。ビィがやすらぎにいた頃と変わらない姿で画面の中に生きていた。


 くらい夜道、面会室、死体の転がる庭、その都度見た顔に違いない。

 ケヴィンは彼女の現れた顔を記憶した。大切な人はいつ居なくなるか予測できないからだ。死んだはずの家族が画面越しに臆する笑みを浮かべている。


「ねえ、ビィ。なんでこんな回りくどいことを?」


 栗色の髪が風に当てられたように揺れる。顔の画像は鮮明で近くに立ってるようだった。


「回りくどいっていうか、これを見てるってことは私は廃棄されたんでしょ?」


 ケヴィンは冷水をぶっかけられたように落ち着いた。口を閉じてベットのぬくい布に視線を落とす。罪悪感で頭を垂れた。


「分かってる。だから、首飾りに搭載した私が発動したんだ」


 彼女は苦悩を語る。やすらぎは彼女の自由を制限していたから、機械イジリさえ不可能だった。その中でも、こういった機能を付けられる。ケヴィンは改めてビィを見直した。彼にとってビィは家族であり、会うたびに驚きのある女性だ。


「ごめんね、ケヴィン。この私は長くないの。だから、伝えられることだけ伝えるね」


 まるで初対面と同じ焦らせ方だ。この状況でも懐かしむ余裕が、ケヴィンの中で復活した。


「なあ、俺いろいろあったんだよ」


 ビィに話したいことが沢山あった。権堂と友達になれたことや人を傷つけてしまったこと。いろんな失敗を分散したかった。


「そうだろうなーって」

「君が褒めてくれたところで失敗してしまったよ」

「大変だったね」

「大変なのは巻き込まれた人たちだ」


 ケヴィンは自分の心に刃を突き立てる。自分で自分を傷つけるほどの快楽は少ない。お手頃な自傷で逃れようとしていた。


「俺は力を使えなくなりそうだ。今回の件で、力と正しさが怖くなった」

「……」


 ベットのシワは緩やかになくなって、強ばった指は和らいでいく。


「いっぱい悩みなさい。そして、君は正しい人になりなさい」


 彼の家族はケヴィンへのろいとも取れる後押しをする。彼の根底にある思いは、彼女だけが今まで肯定してくれた。それをまた、自信の無くした時に教えてくれている。


「ありが、とう」


 ビィは慈しむ声で彼を包んだ。そのために出てきたような響きだった。


「わたし、やすらぎで壊れちゃってごめん」

「あれは久野が殺したんだ」


 ビィはひどく感傷的な嘆きに似た顔をする。誰に殺されたのか覚えていないのかと、ケヴィンは勝手に結論づけた。


「私は平気だから君は生きて」

「貴方の死体を見つけられなかった」


 平気なわけあるかと突っかかるように捲し立てる。否定されたくない夢を否定された勢いだ。


「私はあなたに貰ったものを何も返せてない」


 事実は言葉にすれば残酷に姿を現す。萎んだ風船のように気が縮んだ。


「ミチルくんが目指してるのはなんだっけ」


 ケヴィンは上手い回答ができないかと顔を歪める。


「絶望したくないことです」


 ビィの画面がざらついた。時間少ないといったように彼女の顔が霞んでいく。


「振り向かないで歩いていくだけだよ。ミチル」 

「振り向かないで歩いていくだけ……」


 画面は黒に戻った。首飾りを覆った画面は下に落ちていく。


「ケヴィンさん。彼女って」

「やっぱり分かるよね」


 ケヴィンの過去を図らずとも理解してしまった。語らなければ不誠実になる。


「ご存知の通り、ビィは『ハシュ製造』のパターンが組み込まれた機械だ」


 呆然とする2人にテレビの雑音が空白を埋めていき、それがケヴィンの救いにもなった。


「小春さん。ありがとう」


 不意な感謝で慌てる小春。機械から目を離すと、彼の横顔があった。何かを決意して再出発するような男子の顔だ。


「小春さん。俺の携帯って服の中?」

「え、そうだけど。あ、ダメだよ!」


 ケヴィンはベットから身体を離した。ふらつく足は地面をしっかりと踏みしめる。小春の制御虚しく立て掛けられた服に寄りかかった。


「小春さん。悪いね」


 権堂の着信が何度も来ていた。彼は携帯を操作し耳に当てる。ワンコールで友達は繋がった。


「ケヴィン! 今どこに……」

「今、療養中だ」

「良かったな。なんともないんだな」


 権堂とのやり取りで、ケヴィンは体調不良扱いで今日は休みとなり、その後は有給を消費する運びになった。


「小春さん。ここに何日いたら治りますか」

「ハシュは治り早いから10日かな」

「10日だけ休む」


 権堂は返事をせず無言だった。名を呼ぼうとしたら震え声が聞こえる。


「女の声がした。おい」

「し、したない」

「彼女か」

「違う」

「キスしたのか!」

「やかましい!」


 電話を勢いで切る。引き返そうとして、心配そうに見つめる小春を見られなかった。


『ビィを見殺しにしたお前がいうのか?』

「クソッ」


 権堂はケヴィンを責めなかった。

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