5.どうして分からない
二人は客間に座って、机にお茶が置かれている。子どもたちは自身の部屋に押し込んだ。
あの子どもたちは幼いハシュで、ヘイズコードの内外で捨てられていたらしい。施設の整っていない場所で彼らを育成し構成員にしていたようだ。
「職場に連れてきてすまない。いつもはこうじゃないんだ」
彼は足を組んで大人の余裕を見せつけている。ケヴィンは挑発だと受け取り、反応しないよう顎を目につける。
「家で決めているんですか?」
「転々としてるさ。捕まったら終わりだからな」
そして、麻薬が差し出された。どれも、白い粉や言われなければ分からない錠剤が用意されている。そのうえでケヴィンは紹介通りのものを手に取った。
「ハシュしか受け入れていないんですか」
「ハシュしか集まってこないな。俺がハシュだから差別されるんだ。それだけじゃなく、ハシュは低賃金で働かされているから、こういうところにしか来られない」
それにしても、店に来るからって畏まらなくていいのに。浦崎はケヴィンを弄って笑いを取る。それに釣られるように頬をゆがめた。
「うん。やっぱり、君は俺の友達に似ているな」
久野はケヴィンと同じプロセスで作成された。それで、彼は突貫工事のハシュだからケヴィンと顔がひどく似ている。
「彼は今出かけているけれど、この街なら出会うかもな」
浦崎は父親の顔をした。正面に置かれた仕事と違和感があって、目を拭く。
「もし、会ったら彼には優しく接してあげてほしい」
「なぜですか?」
「彼は居場所がなくてひとりなんだ。ひとりは孤独で、可哀想じゃないか」
「よく分からない理論ですね」
「君、自分は正しい人になろうとしてないか?」
「それ、あなたが言います?」
彼はおとなしく会話を切り上げる。まるで、自分の都合が悪いことは聞かない切り方だ。ケヴィンは不誠実な人格にじわじわと腹が立ってくる。
「貴方にも人生があって、それを否定するつもりはないですけど」
彼は身勝手な苛立ちが腹の中で燻った。
「でも、正しいだけが人生じゃない。君もなんとなく実感してるんじゃないか?」
ケヴィンは痛いところを突かれて口を閉じた。しばしの沈黙が二人の間で流れる。貧乏揺すりするほど時間が経過し、ケヴィンは退席した。
細長い廊下を一人で歩き、ケヴィンはどうも解せない表情をしていた。
「正しいだけが人生じゃない、か」
彼は自分の行いを正しいと思わない。しかし、正しくあるために何が必要だろう。きっと、白と黒の混ざった灰色だと、リベロで見て妥協点をさぐった。彼は久野の先にある遺体ばかり探していた。それが、正しく自分へ天命だったから。遺体を早く見つけたかった。そこで、ケヴィンはなにか変わると期待している。
するとその時、ケヴィンは視線を感じて首を伸ばした。団体席、二人用の席、カウンター席と順繰りに目を通す。すると、カウンター席の奥で作業着の男が盗み見る。
「ハシュだ」
相手は咄嗟に悟られる。
ケヴィンは現場で何人も殺してきた。染み付いた黒い影の匂いは簡単に忘れられない。
ケヴィンはまたスピカに指名して、相手に理解されぬよう質問する。
「角に座る男性はなんて名前」
「ジョン・デザークさんです」
「デザークさん、ね」
彼は携帯をポケットから抜き出して、画面を表示する。明るさを調整していると気配を感じた。かのバーに座っていた男性だ。
「君、ケヴィン君だろ」
「デザークさんですよね。どうしました」
「デュークでいいですよ」
そこにハシュがいた。背中から黒い糸を抜き出し体に這わせている。デュークはケヴィンの前でハシュの証拠を出した。
「なんの真似ですか」
「君のことは久野から聞いています。付いてきてくれませんか」
時間がないので付いてきてください。黒い糸を直して彼は背中を見せる。警戒しながらケヴィンは続いた。
裏道から賑わいのある街へ返ってくる。空は暗みだし夜になろうとした。人混みをかき分けて目的地をめざす。スーツ姿のケヴィンと作業着のデュークは、傍から見てどう映るのか。彼は人の目ばかり気になった。そこから外れて街頭の明かりが頼りになる。スーツ姿の男性と一軒家が道に増えてきた。
「そろそろつく」
一軒家の角を曲がると、正面に四角の建物が陣取った。上部に『光井病院』と記されている。
「病院だと?」
そのまま進み、病院の近くまで迫った。自動ドアは開かなくて、裏に回りこみひと1人分通れる扉を開ける。彼は裏口からの見舞いに来たようだ。顔馴染みらしく警備員が頭を下げる。
病院内は手入れの行き届いた街に根付いた病院だ。
「今から会わせたい人がいます」
三階の非常用の重い扉を体重乗せて開閉した。看護師がデュークの顔と会わせ誰かの容態を言い合っている。その後、一番奥の病室に進む。名前は斎藤と書かれ、扉を優しく横にスライドした。
「ここは?」
「塚地の被害者です」
一人部屋で天井から近いカーテンは姿を見せないように被さっていた。人の寝息だけが部屋に行き渡っている。その中でデュークは先に歩いて、クリーム色のカーテンに指で触った。
「斎藤、起きてるか?」
そこには痩せこけた男性がいた。頬は肉を削ぎ落とし、青白い肌は不健康だ。
「斎藤は塚地のブラックな扱いで倒れました」
「君は塚地の下で働いていたのか」
塚地の名前を知っていて、過労で倒れた人間の病室を知っている。
「あの男はひどい人間です。ハシュを使い潰し、自分はスピカに入れ込んでる」
この斎藤という男は低賃金で働かされ、ついに倒れたらしい。
「俺が働いていた大手企業の労働環境は悲惨です。何度申告したかわかりません。彼らはハシュだから取り合わないんじゃなくて、下の人間の話は聞かないんです」
ハシュは人間が作り出した異種で、彼らの権利は軽視されがちだ。今では風向きは変わったけど、上の世代は認識を改めない。
「労働省は動かなかったのか」
「動いてますけど対応が遅いですね。あと1歩だったんですが、彼は死にました」
デュークはカーテンを閉め、空いた手は宙を掴んで固まっている。
俺がやりましたとつぶやく。
「え?」
「俺、デュークが塚地を殺しました」
どうやらデザークはケヴィンを潜入捜査官と勘違いしているようだ。しかし、好都合だからケヴィンは傾聴する。
「……」
「塚地も過酷な板挟みだったと聞かされたんですよ。でもね、虐げられた側はそんなこと知らない」
ハシュの働き口は少なくて、怪しくても飛び込まなくちゃいけない。独り言のように呟いたデュークに、ケヴィンは身勝手な傷をつけた。ハシュは境遇で適応する場所が変わる。
ケヴィンは権堂が近くにいたから思想のもと動けている。
「俺が彼を殺しました。だから、誰も関係ないです」
「現場から久野の領域が落ちていた」
相手は意欲を喪失しているから、身の上で揺さぶりをかけた。むしろ、自白して軽くなったようだ。
「俺がまいたんです。あの時は気が動転していて」
デュークは久野を拾い、リベロに誘った恩人のようだ。そんな彼は咄嗟に罪を擦り付けてしまった。その時点で心の中にある扱いが明るみに出た。
彼の自白に斎藤の病室が必要だった。ケヴィンは自分の原点に触らないといけない。何をもって決意をするのか。
「詳しく話を聞こう。外に出て」
病室から出て廊下に来る。面会時間を終えるアナウンスが放送された。二人は歩きながら話を続ける。
「あの日、塚地を法的に追い詰めようとしたところまで来たんです」
「うん」
「したら、塚地はバーにいて笑っていたんですよ。従業員のスピカ相手に」
「デュークさんとスピカさんは、実際どういう関係なんですか」
彼は緊張した顔を破顔した。おそらく、最後に見る気の抜けた顔になると、ケヴィンは邪な考えが走る。
「俺の叶わない片想いです。ストーカーされてると聞いたから、彼女を守ると店長に言って、それ以上は進展ないです」
それで、と彼は話を戻した。
二人は階段に到着して下に降りていく。病院の明かりが最小限に抑えられていた。
「その日もスピカは働いたあとに、買い出しに行っていたんです。たまたま、俺が見かけて……すると、塚地が付けてたんです」
デュークは立ち止まる、ケヴィンよりも上にいる彼は拳を握っていた。その握りこぶしを足の太ももに当てている。
「斎藤がこんな具合になったのに、自分はストーカ?! 何だよそれって思ったら」
ハシュは身体的・精神的ストレスによって黒い糸を身体から表出する。それは武器にもなり肌を守る鎧にもなった。この時、その力が悪く作用したということだ。
「ハシュの力って怖いですね。気がついたら俺が殺していたんです」
だから、犯行ギリギリにきたのは俺なんです。そうケヴィンに向けられずつぶやく。
「ハハッ。俺殺されますかね」
「君は刑法で罰されるべきですね」
ケヴィンはそこで最初の会話を思い出した。
「久野とはどんな関係なんですか」
「彼は俺が拾った子どもだよ。何も信頼していないけど、最近は笑ってくれるようになった」
ケヴィンの右足が痙攣し、ポケットの上を撫でる。仕事用の携帯が呼び出した。
彼は失礼と言って耳につける。相手はまた権堂だ。
『ケヴィン、犯人がわかった』
「ああ、俺もわかっ―――」
『犯人はリベロの構成員だ。現時点で、久野とは離反して、俺らの業務に移行する。明日、突入だ』
ふとデュークの顔を見る。すると、視線の先にある窓の星をずっと羨望していた。
権堂はことの経緯を語る。
塚地は兼ねてより殺害に目撃者がいたらしい。犯人はリベロの元構成員で、今のうちに殺しておきたいようだ。
「本当に構成員なのか?」
『リベロは構成員の脱退が多い。そんな連中を信じられないな。目撃者で構成員だと判断ついた。遺体を回収したかったけど最優先がある』
これは正しいのだろうか。ケヴィンは心の正しさに問いかけるけど沈黙しか提供されない。
『どうした。嬉しくないのか』
権堂は既に作戦が成功したと言いたげで浮き足立っている。
階段を降りようとするデュークの後ろ姿、店で働いているスピカの形が脳裏をかすめた。
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