2.人を初めて認識した

 映画のポスターが現場近くの公民館に貼られていた。その絵を見て彼女の言葉を思い出す。


「昨日の現場に到着した」


 携帯で連絡を取って、辺りを見回す。ケヴィンは現在ハシュグループがアジトにしていた廃工場に来ていた。目前にある立ち入り禁止のホログラムに触れる。


『ヘイズコードを知ってるかい?』

「うわっ」


 ヘイズコードは国を主張している団体だ。モンテビデオ条約の規定には乗っ取っているつもりでいる。しかし、その成り立ちは歪で血塗られていた。そのため、このヘイズコードは平和を掲げている。同じ過ちを繰り返さないために。

 ケヴィンたちはヘイズコードという国に住んでいる。


「誰か広告を切ってくれ」


 彼の声が聞こえ、現場担当の捜査員が駆けつける。今回の事件は警察と合同で行っていた。特務機関と地域担当が手を組むといっても、警察は後処理をしてるに過ぎない。


「ケヴィンさん。俺たち個別の機械を買う余裕ないですよ」


 予算はハシュを殺害に割かれ、このような道具は特務機関だとしても後回しだ。ほかも同じ状況である。なので、今のように触れると飛ばせない広告が流れる仕組みだった。


「今やどこでも買えますからね」

「それで領域はどうでした」


 担当者は首を横に振る。領域とは黒い影が落とす体液のことで、出生時に登録しなければならない。今回の犯人は登録されず育ったダウナーということだ。ダウナーの犯罪は多く手を焼いている。


「ヘイズコード生まれじゃない可能性もあります」

「ありがとうございます。引き続きよろしくです」


 ケヴィンは主犯格の遺体後に急ぐ。工場を周り、警察関係者に会釈して、たどり着いた。そこでは鑑識が彼の落とした影の欠片を採取したり、彼が凹ませたあとを測っている。

 近くで職員が座り込んで仕事していた。彼は背中に立ち気づくのを待ち、話すかけた。


「すまない。なにか変わったものはありましたか」


 職員は考えるように首をしたに向ける。そして、合掌するよう手を叩き部下に命令した。


「本当は飯塚さんに届けるつもりでした。タイミング良かったですね」


 飯塚とは担当者の名前だろう。彼はぼんやりと考えながら密封された紙を渡される。裏返すと、絵が描かれていた。


「ちょうどあなたの報告通りの下に落ちてました。先が破れてますが、絵だと思います」

「上手いな」

「これ上手ですね」


 ケヴィンは吹き出してしまった。不愉快そうな職員にスマンと説明するため謝る。


「いや、確かにこれは上手だ」

「……私は画家もしてますが、この絵に惚れ込みました」

「これ、食べていけると思いますか」

「伸び代があります。成長した絵を見てみたいですね」


 職員の発言は虚言ではないようだ。健全に成長した姿を見たいと熱望してる瞳だった。


「そういえば絵の学校ってありましたよね」

「ありますよ。かのディックも在籍していたという」

「あのポスター描いた人ですか。あっ、これ預かります。……すみません、名前は」

「斉藤です」


 今のケヴィンは人を見る目がある。斉藤に許可を得て、鞄に仕舞う。担当と挨拶して立入禁止から外に出る。待たせていた車の扉を叩いた。運転席の窓が開く。


「菜月の家に向かってほしい。その前に────」



 扉の前に昨日と同じように停車する。運転席に近くで待機するよう連絡し、インターホンを鳴らした。


『どちら様でしょうか』


 声が低く菜月ではない。夜に見た家のメイドだ。


「先日お伺いした特務機関の者です。菜月様の見舞いに来ました」

『菜月様は疲労しており誰とも面会できません』

「でしたら日を改めます。ただひとつ、落し物を拾ったと伝えてください」


 扉が勝手に開かれる。インターホン越しが騒々しいが、気にせず中へ進んだ。到着までに用意してきたせいで、外は夕方になっている。扉の前でとてとてと聞こえてきそうに菜月が駆け寄った。


「来てください」彼女は昨日とうってかわり気品に溢れていた。何かを守るように取り繕っている。先ほどの使用人は頭を下げケヴィンを見送った。

 やがて一つの菜月の部屋に立ち止まる。中に入り、適当な椅子に座った。


「どうぞお二人共」


 メイドが二人にお茶を入れてくれる。机に置かれたコップに手をつけお礼した。ついでにと質問する。


「他の使用人はいないのですか」

「今は私だけいます」

「ありがとうございます」

「それにしても、良かったですね」


 メイドはお盆を胸にして、立ち話に参加しようとした。菜月より態度が大きいのは、この屋敷の立場を明確に示している。


「ハシュなんて滅んでしまえばいいんですよ」


 ケヴィンは不安に思われないように、なるべく心を落ち着かせた。


「その通りですね」


 メイドは満足したように頷いた。菜月の反応を見て彼は一度帰ってもらうことにする。

 さてと、彼は椅子に深く座り直した。鞄を足の下にして目線を合わせない少女に申告する。


「最初に言います。今回のことは誰にも報告するつもりはないです」


 鞄から紙を取り出した。彼女は盗まれた物を取り返すように、腕を伸ばし胸のうちに収める。


「これ最近描いた絵ですよね」

「よ、よく分かりましたね」


 その絵はヘイズコードの町並みを俯瞰していた。絵の中に工事中の建物が写っており、そこは今も立て直しが行われている。


「上手です」

「引きこもってたくせに何してんだって思います?」


 彼女は心のない人たちからひきこもりだと噂されている。世の中に耐性がないとか、父親の教育が悪い。そういった意見が菜月にはよく届いた。


「俺は純粋に好きですよ。誰かにそう言われたんですか」

「い、いえ」


 とつぜん菜月は椅子から立ち上がる。扉の方を睨んだらクローゼットの方に進む。取っ手の前でケヴィンを手招きする。


「これ、見てくれませんか」


 クローゼットの中は絵の道具が並んでいた。複数の紙が並び中の壁にまで絵の具が滴り固まっている。


「隠れて描いていたわけですか」

「忘れられなかったんです。描きたいというか衝動で、『あ、ここ描きたい』とか気持ちとか」


 南部菜月の独白が始まる。それなりに窮屈な人生を送っていたようだ。優秀な家計だから勉学に励まなければならない。最初の頃は絵を褒めてくれたけど、今は熱中する姿に嫌悪してるようだった。

 

「だから、ありがとうございます。私、自信が出ました」


 彼女は頬に手を当てて自分の世界に入った。ケヴィンはその仕草を無くしたくないなと思い、勝手に口走る。


「貴方の友達は褒めないんですか?」


 不意に顔を上げる菜月。目線が交差しケヴィンは顎を引く。


「あの後、私たちに聞いてきたんです。菜月は無事ですかって」

「……いい人たちです。こんな私でも友達になってくれて、母さんのことをオカシイって言ってくれて、絵も褒めてくれた」


 彼らに返せるものがない。そういう横顔は幸福に満ちていた。


「私も貴方の絵は好きです。写真のように場面を移していない。貴方が見る世界を描いている」

「そ、そんな急に言わないでください」

「それに、いい友達もいる。彼らは私に行ってきたんです。助けてあげてって」


 彼女の弱点に指をつける。痛がるように下唇をかんでいた。どうしても、いての感情を表出したい。個人的な偽善がケヴィンの心の中で働いている。


「あっはは。照れ、ますね。お母さんも悪いところばかりじゃないんです。今は疲れてるだけなんですよ」

「あなたは疲れてないんですか?」

「私は、絵をかけたらそれで……」


 ケヴィンはクローゼットから離れて、腰をかがめカバンに手を突っ込む。パンフレットを掴み、彼女に戻っていく。表紙が見えるようにした。


「ディックって知ってますか」

「い、いちおう」

「これは彼が在籍していたパンフレットです」


 そのパンフレットは絵の学校で、ディックも在籍していたと有名なところだ。

 今まで見たことない食べ物をさわるように、パンフレットの先に指をつける。手を離せば上部が曲がった。彼女は背に手を当てページを開く。


「あなたはこの生活に満足してますか」


 ページに夢中なふりをしている。変わらずケヴィンは続けた。


「すこし遠回りしてもいいんじゃないんですか」

「ダメ、です」

「なぜ?」

「ダメなんです」

「飛び出した景色を見てみたいと思いませんか」


 その時、彼の携帯に連絡が届く。相手は権堂で、彼のメッセージを受信していた。仕事用のタブレットを操作して耳に近づける。


『ケヴィン。今どこにいる』

「仕事で外に出ている。何かあったのか」

『先日のハシュグループについて調べていた』


 権堂は後処理として金の出どころや、何が目的だったのか探っていた。前に権堂は、拷問の効かぬハシュに苦悶を示していた。


『アイツらは雇われて被害者をさらった』

「身代金を狙おうとしたのか」

『いや、ただ攫って監禁するだけだ』


 彼らと思わしき講座に多額の賞金が振り込まれていた。そして、監視カメラにグループのひとりが誰かと話している映像が写っていたようだ。


「権堂の特権はえげつない」

『からかわないでくれ。それよりも、金の出どころはどこか分かるか』

「優性遺伝くん教えてくれ」

『南部京子だよ』


 正面に彼女がパンフレットを眺めている。同封されている夢を探すように真剣だ。


『南部京子は娘をさらうように依頼していた。しかも、自分が敵視してるハシュというバケモノを使って』


 その犯罪で誰が得するのかという思考を忘れてはならない。口酸っぱく友人は告げてきた。この場合、京子は何をしたかったのか。


『彼のやったことは違反行為だ。直ちに拘束しにいく』

「わかってる」

『それで、今どこにいる』


 突然、部屋の扉がノックされる。彼女はパンフレットをクローゼットの中に直して、駆け寄った。

 取っ手を引くと、立っていたのは彼だった。


「南部、京子……」


 南部京子が面倒そうにまゆを潜め睨んできた。菜月の明るかった顔つきはたちまち曇る。


「な、なんで貴方がここに?」


 南部京子は菜月に目も触れない。肩で風を切り、ケヴィンの前で啖呵をきった。


「私は特務機関所属のケヴィンです。調査に来ました」

「ああ。何だ」


 電話越しに権堂は耳にしたようだ。すぐに向かうと焦るように電話を切った。

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