1.ぼくたちは進むしかなくなった
首飾りに映る女性の姿。彼は語りかけるように囁いた。
「行ってくるよ」
外した首飾りをロッカーの下に置いて、心の扉を強く閉める。鉄のカゴに人との距離感を直した。
時計の針が2時をまわり、車通りも疎らになった深夜。
高速道路の下に車を3台停めてあり、黒いバンで外側からは中の様子が伺えない。車内は広く成人男性が立てるほどの大きさだ。
『ケヴィン。ハシュのグループを捕まえた』
耳に付けたイヤホンが通報の正確性を鳴らす。
今日の夕方にハシュが人をさらったと通報があった。今回の任務は誘拐犯の殺害および被害者の無傷生還だ。ケヴィンと呼ばれた彼は特務機関に属していて、その手の荒事を担当していた。
更衣室の扉を開けたら職員がモニター越しの敵を監視していた。
「気分はどうだ」
金髪の男性がケヴィンの前で不敵に笑う。
白衣を身につけ、職員の後ろで高そうな椅子に座っていた。
「権堂は来てもやることがないだろ」
冷たいなとわざとらしい演技を振る舞う。権堂は耳元のインカムをいじる。
「お前と俺は困難を乗り越えた仲じゃないか」
「それで状況は」
「玄関に銃持ち2人。中は5人で、今回の事件の主犯格がいる」
廃工場に立て篭もる彼らは今日で楽しいことが出来なくなる。油断は大敵だなとケヴィンは返事を求めず発した。
「このヘイズコードで誘拐とは、ハシュはマヌケだな」
「差別発言は禁止されてる」
ケヴィンは指をさして目線を移動させる。車内の左上にカメラが彼らを写している。赤い点が全てを録音し録画されていた。
「冗談も笑えねえのか」
「突入のタイミングは?」
ケヴィンは会話を切り自分の調整に力を入れ出す。手首に付けたプロテクターを上から撫でる。ブーツのかかとをならしてチョッキの整合部を指で伝った。
「ケヴィン。同胞を殺す覚悟はあるか」
「俺はいつだってハシュとかいうバケモノを殺したい」
車の扉を慎重に開ける。その後に続いて護送した突入隊が外へ出ていく。彼らは緊張し、誰かの呼吸が荒かった。
ケヴィンは注射した腕を振り回し、目的の建物に接近する。
地面の苔は新しい靴の跡が残っていた。周囲には空の弁当箱に虫が集まっている。廃工場は持ち主不明で手入れされてないから、今にも倒れそうなサビで壁は茶色だった。
「ハシュのケヴィン。突入する」
簡単で使い古された作戦を実行する。まず身体の硬いケヴィンが盾となり、あとから別働隊が発砲していく。その間にケヴィンは場を引っ掻き回し、作戦の遂行を働く。
肩の骨、肋骨の下部、腰の後部に内装された刃物が突き刺さる。深く侵入して血液は隙間から滲み出た。それと同時に黒い繊維が下に降りていく。指先をつつみこみ、今度は頭を昇っている。口をだらんと開けて、それ以外に黒が覆う。最後は液体のように垂れてマスクを生成した。
ケヴィンの身体は一見変哲もない。しかし、目を凝らすと肉体の筋に黒い線が走っていた。
「やべぇ。警察だ!」
玄関にいる人間は気づいたが、既に遅かった。 彼らの首筋と腹部に警察の弾がめり込む。だが、弾は躊躇されたのか浅かった。少なくともケヴィンはそう捉える。
「首の血管に当たってない。来るぞ」
ケヴィンは指揮を下げぬよう深呼吸で自分の機嫌をとる。
敵のひとりが隆起する。肉の内側から叫ぶように手の形が背中を突き破った。背中から6本の足が蜘蛛のように生えてくる。血液が凝固したように赤黒い。
蜘蛛の足は身体をキーホルダーのように揺らしながらケヴィンへ猛突進する。
「兵器使用。兵器使用。総員離れたし」
直ちにケヴィンは手首を前に出した。プロテクターに嵌めた武器を身体に差し込む。傷跡が拡張していき、手が横に裂けていく。そこからブドウのような腕を作った。形は成人男性の二倍もある。
バケモノは彼を喰らおうと上に乗っかる。足の付け根に腕で固定した。
「爆発」化物の体は吹っ飛ぶ。足は脆くも分断され、情けない悲鳴をあげ振動している。彼は片腕のあった箇所が肉が膨れ上がった。
廃工場への突入は順調だ。別働隊に犠牲者はなし、暗闇のなかで発砲の光が散る。
突入隊は建物の扉を壊した。さまざまな銃の演奏が始まる。誰かが悲鳴をあげて血が床に染みた。助けてくれという懇願でさえ銃弾の糧となる。人間は機械よりも機械的に引き金をひく。
その中でも抵抗する者がいた。先ほどの蜘蛛みたいに、体の一部が変化する人間たち。彼らはハシュと呼ばれる異種を殺戮していた。
『ケヴィン見つけた。裏口に少女』
準備運動するように膝を曲げて、跳躍する。黒い布が変な方向に曲がっても、腰のボタンで切り離す。取られた足だったものは黄色い液体で黒い布を満たして跡形もなくなる。また、腰から下から足が生えてきた。彼の片腕は既に治っている。
『ケヴィン、飛ばしすぎだ』
無事トタン屋根に到着する。脆く青い上に衝撃を抜いた。
工場跡のトタン屋根で派手に走る。黒い布は再度傷つけられた跡から垂れていく。
直感に任せて敵の攻撃をかいくぐる。銃撃が黒い布に擦れて出血していた。トタン屋根を蹴って空を泳ぐ。
「見つけた」思わず声が出た。眼下に図太い男性と目隠しされた少女が引きずられている。
黒い布を片腕に集中させた。先ほどの蜘蛛のように黒が盛り上がる。骨の折れる音がして、そのまま地面に叩きつけた。その勢いで男性の顔を陥没させ、少女の手首をつかむ。
「君の名前は」
少女は自分が呼ばれてると分かっていない。いったん間を置いて自分のことかと慌てて答えた。
「な、菜月です」
黒い布が目隠しを外す。
栗色の乱雑な髪の毛に固まった鼻水がついていた。くるりとした黒い瞳にあどけなさが残っている。
「白髪の俺に似た顔の人間は見なかったか」
彼女は緊迫した状況に慣れていない様子だった。体が身を守るために本能で背を丸めている。
「悪い。そんな状況じゃなかった」
イヤホンから終了の報告がある。ケヴィンは工場にはバケモノの血溜まりで息が詰まりそうだった。
▼
作戦は終わり、彼は着替えた。菜月の安全確保するため、ケヴィンと同じ車に乗っている。権堂は勝手についてきた。
「もう安心してくださいね。すぐ到着します」
「貴方たちは?」
「このヘイズコードの平和を脅かすハシュを殺害する役割です。ま、法を犯したハシュだけですけどね」
ハシュとは黒い影を内蔵した子供である。身体的・精神的ストレスを感じた子供は傷口か肋骨の裏から縮小性のある影を出す。その影は身体強化や直接的な武器に変化する。元から保有した機能ではなく、後付けされるものとして扱われていた。そのバケモノを殺すのがケヴィンと権堂の役割だ。
「ともかく無事でよかった。南部さんの娘を殺されては困りますからね」
「はあ……」
作戦は成功して、彼女を車で送っている。
「そう、ですか」
顔をしたに落として目が泳いでいた。誘拐されて疲弊している。それを含めてもくらい表情だった。
「また、お母さんに迷惑かけちゃった」
権堂は和ませようと冗談を放つ。
「怖いの?」
「こ、怖くないです! いい人です!」
「いい人?」
車が大きく揺れる。運転手が石を踏んだと詫びてきた。
「そういえば菜月さん絵を描いてましたよね」
いまも描いているんですか。そう質問したら彼女は聞かれたくなかったと言わんばかりに顔が曇る。
「しばらく描いてないです」
「勿体ないですよ」
「私の友達と同じこと言うんですね」
車は三人を揺らして屋敷に到着する。成人男性よりも大きい門が開かれて、車は噴水をまわり入口で停止した。
その扉には通報者の南部京助と使用人が到着を待っている。
「降りるよ」
「は、はい」
権堂は椅子から立ち上がり、襟をただして扉に手をかける。彼女も浮かない顔のままついていく。
「ケヴィンはそこに」
「分かってる」
彼は椅子から上半身だけ身体を起こし、権堂のやり取りを俯瞰した。硝子にうつる自分の顔を見て、頭を戻す。
「久野、どこにいる」
「ケヴィン、菜月は虐待を受けているな」
彼は扉を開けて車内の椅子に腰を下ろす。
「青あざはなかった」
「アホ。心理的虐待だ」
虐待は暴力やわいせつな行為だけではない。子供に対して罵る、無視することさえ含まれる。
「彼女は家に引きこもってる。まさに悪循環だ」
「児相は何もしてないのか」
「してるに決まってる。まあ、教育と評して子どもの心を壊す。そんなゴミはたくさん見てきた」
「子ども、か……」
寝転がる友人の顔に目線を移す。彼は不思議そうに首をかしげた。
「お前が興味を持つなんてめずらしい」
「そうでもない」
首飾りをつまみ、目の高さに持ってくる。石の奥に女性の写真が添付されていた。
「ハシュは不確かなところがある。それに、ハシュは子供に定着しやすい。あの黒い影ってのは子供の武器かもしれない」
彼は吹き出して口を抑える。鼻水を啜って笑う。「なんだそれ」
「ビィが言っていた」
「ああ、アイツか」
彼は体を起こして椅子に座る。自分の弁当を手にして口に運ぶ。刃物指した傷は既に処置を済ませている。
突然、車は急停止した。ケヴィンはとっさに起き上がり、車の窓に目をつける。
「子供が複数いる。ハシュではないようだ」
子供は車の窓に対して何かを問いかけていた。権堂は警戒しつつ開けていく。
「菜月は?!」
「へ?」
「菜月は見つかったんですか!」
子供は顔を青くして懸命に聞いてきた。権堂とケヴィンは見合わせ、友達だろうと推察する。
「助け出したけど、どうしたんだ」
「よ、よかった……」
複数の子供のひとりが倒れ込む。その中のひとりが、慌てて二人に説明した。
「菜月と私たち、お泊まり会したんです。そうしたら、どっかに連れ去られたって使用人の方から聞いて……」
権堂は運転手にアイコンタクトした。そろそろ移動するという合図だ
「とにかく、君たちは帰りなさい」
車の窓が閉まっていく。それを子供たちは気づき、見開いた。
「菜月を助けてあげてください!」
「助ける?」
「菜月を好きにさせてやってください……。私たちには、できなかったことだから」
ケヴィンはその言葉は胸に落ちてきた。でも、車は勝手に発進して行き先を告げる。
「ケヴィン、また海がいいか? 色々考えたいだろ」
「……ああっ」
「お前はハシュから恨まれてる。ハシュを殺しまくって恨まれてるし、ハシュを嫌う人間もいるからな。気をつけろよ」
彼はわかっているというふうにあえて信念を告げた。
「俺の目的は久野の殺害し、ビィの遺体を回収することだ」
「何回も聞いた」
彼は菜月を握った腕を掲げる。彼の指先は菜月が作ったペンダコを思い出した。
「権堂、菜月を助けてってどういうことだと思う?」
「あの虐待を子供たちは知ってるんじゃないか」
ケヴィンはハシュで黒い影を持ち、同種のハシュを殺している。目的は一つ、久野の殺害である。
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