最終話 次元の魔術師は奴隷と街を出る
***
続けて訪れたのはトライアンフのメンバーがいる病室なのだが。
「最低ッ!」
入った途端、頬を思いっきり叩く音が響き、思わず顔を顰める。昨日同じような音を聞いたばかりだ。
「本当に、すまなかった」
片頬を真っ赤にしたアルクがベッドの上で深く頭を下げる。痛そうに手を抑えているのは当然レネだ。
「でも、レネが好きな気持ちは本物なんだっ! それだけは信じて欲しい!」
「それなら尚更、こんな酷いやり方を選んじゃいけなかった!
あなたはシグだけじゃない、私たちトライアンフの全員を裏切ったのよ!」
レネの涙ぐんだ声が響く。どうやらアルクたちが目を覚まして、レネが見舞いに来て、そんでアルクの謝罪が始まった感じだろう。
化神と戦う前は許してあげそうな雰囲気だったのだが……言い訳を間違えたか、それとも動機が相当許せない内容だったのか。どちらにせよ、この件で一番怒っていいのはレネたちだ。俺はパーティーを追放されただけだが、レネたちがもっと酷い被害を受けている。
まあ、変な道具を使ったのはメリィだが。あいつ自身はまったく別の目的で動いていたし、唆された上、みんなを騙したままダンジョンに入ったのは他でもないアルクなので、ここはすべての責任を負ってもらう他ない。
俺が入ってきたことに気付いたのか、リカルドとタマラが視線だけをこちらに向けてニコリと笑う。二人は大丈夫そうだが、止める気はないらしい。
「小さい頃からずっと一緒で、パーティーを作ってからも仲間としてやってきたのに、信じてたのに……。
どうして私たちを、シグを裏切ったの。昔のあなたは、いつもみんなのことを考えていて、困っている人がいたら自分のことなんかそっちのけで助けるような、そんな人だったのに」
「僕は……」
俺も昔のアルクに救われた一人だから、レネの言いたいことはわからんでもない。昔のアルクであればパーティーメンバーを陥れるようなことは考えなかった。それがあったから俺も追放宣言を受けた時に余計な疑問を抱かなかったし、レネたちが危険にさらされるまでアルクが犯人だと考えに至らなかった。
でも、少し考えればわかる事だ。
人はいつまでも同じでいられるわけがない。
「違うんだ。僕はそんなお人好しじゃない。誰も彼も救っていたのだって、結局は自己満足で、レネに褒められたくて……。
でも、レネの気持ちがどんどん遠くに行ってしまって。
焦ったんだ。嫉妬したんだ。僕は……」
と、顔をあげたアルクと目が合った。レネも気付いてこちらへ振り返る。
「シグ……」
「レネ、アルクを許してやってくれないか……」
「でも、こんな……シグだって」
「長い間アルクの優しさに頼りっぱなしだった俺たちも悪いんだ。もっとお互いを見て、お互いの気持ちが分かっていたら、こんなすれ違いでおかしくなることはなかったかもしれない」
そうだ。俺たちはアルクの手を握り返しといて、その彼が倒れそうなことに気づいていなかったのだ。「貰う」ばかりの立場に甘んじていたんだ。
「シグロ……」
「アルク、お前が本気で反省してるなら俺は許す。
小さいころ、差し伸べてくれた手は本物だったって俺は信じたいんだ。
だからまたいつか、一緒に酒を飲んでくだらない話でもしようぜ」
「シグロ……本当に、すまなかった」
アルクは再び深く頭を下げた。
「リカルドとタマラも、いいか?」
「俺もアルクの奢りで酒飲めるならいいぜ」
リカルドはいつもの調子だ。だがタマラの表情は険しいままだった。
「正直、私は許せないわ。今回はパーティー内だったから、私はリカルドに襲われただけだけど。状況によってはどうなってたか分からない、絶対に許せない結果になっていたかもしれない。人の感情をあんな魔道具でどうにかしようだなんて、外道のすることだわ」
タマラの言い分はもっともだし、本来は許される行為じゃない。今回使われた手段はそれだけ危険が孕んでいたことも承知している。
「それにさアルク。シグロを追放するために受付の子を抱いたでしょ」
「……ああ」
まじか。あの子がやけに俺にきつかったのはそのせいか?
「私が一番許せないのは、女の気持ちを利用したってことよ。男として最低だわ」
外道だの最低だの散々な言われ様だが、アルクは俯いたまま素直に受け入れている。自分の犯した過ちは十分に理解しているはずだ。
「アルク」
一度深呼吸したレネが、再びアルクを見つめる。
「私はあなたが嫌いになりました。人としても、幼なじみとしても、パーティーメンバーとしても、もう関わっていけません」
「……ああ、トライアンフは、本日をもって解散する」
「その上で、あなたが許して欲しいというのなら……まずは受付の子に謝って。
そして、彼女の気持ちに向き合ってください」
彼女がこちらへ振り返る。その視線を辿ると、
「アルクさん……」
件の受付嬢がドアの隙間から涙目でこちらを覗いていた。
ずっと見ていたのだろう。振り向いたレネは気付いたから、あんなこと言い出したわけか。
「……わかった」
俯いたままアルクは答えた。何粒かの涙が落ちていくのが見えただけだった。
***
「ごめんね、私のせいでシグを巻き込んで」
受付嬢と入れ替わりでレネと部屋を出ると、開口一番に謝られた。
「いや、今回は俺たち全員の問題だったんだ。俺がもっと早くに気付いていればこんなことにはならなかった」
思えばアルクが酒の席で言っていたことは全部嘘になる訳だ。あいつはレネと付き合ってないしベッドにも入っちゃいなかった。
それを知ったところで、今更どうということもないが。濡らした枕は乾いても、俺の心から流れた涙は戻ってこないのだ。
「違うよ、私がもっとはっきりとさせておけばよかったの」
「はっきりって言っても、それならアルクがまず好きって言ってこなきゃどうしようもないだろ」
「……ねえシグ、何の話をしてるの?」
「レネがアルクと恋人になる気はないって話だろ?」
「うん…………うん?」
レネが小首を傾げる。
結局のところ、アルクはレネが好きだった。でもレネはそうじゃない。だからレネははっきりと好きじゃないと伝えるべきだったと。でもそれならアルクが想いを伝えていなければ始まらない。
「あれ……もしかして、始まってすらない?」
「何が?」
「……ううん。何でもない」
レネは落ち込んだ表情で僅かに俯く。やはり、いままでずっと一緒にいた仲間とのパーティー解散は悲しいのだろう。俺だって追放されたときは結構辛いところはあった。今は別の目的が出来たからいいが、レネはまずそこからだ。
「シグはもう、行っちゃうの?」
「目的ははっきりとしているからな。
ヨツノを獣人の地まで送る。だから、この後すぐに街を出るよ」
「そっか……うん、わかった」
レネはにっこりと笑い、
「私もすぐに追いつくからね」
「ああ、頑張れ」
レネもきっと、新たな目的を見つけて旅立つのだろう。
次に会うのがいつになるかは分からない。でもその時は、互いに成長した姿であればいいと思う。
レネとその場で別れて出口へ向かおうとすると、
「あ、あの」
後ろから誰かに呼び止められた。
今日は特に人と話す機会が多いな。
振り返ると、白くて長い耳を垂れさせ、怯えた様子でこちらを見つめる兎の亜人――七番がいた。
「……ど、どうした? ヨツノならここには」
「い、いえ、あなた様に」
予想外の相手に驚きつつも、もしかしたら別の人に用事かと思ったがそうではないらしい。
拳を交えたヨツノにならまだしも、俺に何の用事だろうか。あの女戦士に一発殴ってこいとでも命令されたか。
「お、お礼が……言いたくて、です」
「お礼?」
「ご、主人様たちに、耳を治してくださるように、計らってくださいました。
その、あ、りがとうございました」
七番は深く頭を下げると、顔を真っ赤にして脱兎の如く逃げていった。
そんな気はなかったし、ヨツノに助けてと頼まれたから言ったことだったんだが、改めてお礼を言われるとなんとも言えないむず痒さがある。
「えらく嬉しそうだね、シグロくん?」
「おわっ!? ヨツノいつの間に」
突如耳元で囁かれて身体が飛び退く。
気付かないうちにヨツノが後ろにいた。目を細めて何やら疑っているような視線を向けてくる。
「ずぅーっと下で待ってたのに、ちぃーっとも来ないから探しに来てみれば。
やれやれ、ロリコンシグロンはああいう子がお好みなんだね?」
「おい変なあだ名つけるなよ」
「じゃあ、お兄ちゃん」
「もっとやめろ。
ばばあがゲームを仕掛けてきたせいで長引いたんだよ」
「それは女の子のところを回って落とすゲームかな?」
「そんな最低で外道なことはしてない」
「どうだかっ!」
何か知らんがヨツノがツーンと口を尖らせる。相当に不機嫌らしい。待たされたのがそんなに嫌だったのか。というか、どこから見てた?
「ばばあからお土産貰ってるが、いるか?」
「え、なになに! 神狩りのペンダント?」
囁くと、がらりと表情を変えたヨツノが瞳を輝かせて顔を寄せてきた。
本当に現金な奴だな。
「よし、目を閉じろ」
「え、そんな……変態」
「どうしてそうなる?」
「プレゼントとか言ってキスする気でしょ!
そう言うのは好き同士じゃないと意味ないんだよ! 一方的にやったら犯罪なんだから!」
「それだとまるで俺が一方的にお前を好きみたいになってるんだが?」
「え、まさか両想いだと思ってたの!?」
「話が拗れてる。いや、でも昨日も言ったが、お前のことは大事な仲間だと思ってるよ」
「……真顔で言われると寒気がするね」
「いいから目を瞑れ」
無理やり目を閉じらせた所で、ポケットから取り出したものを首に取り付けた。
「目を開けていいぞ」
「ん……え、なにこれ」
「もし人族に襲われそうになったら守ってくれる凄い魔道具だ。
ただし主人への忠誠心がないと自分の首が締まるぞ」
「奴隷首輪じゃん。いらない……」
といっても魔道具なので力づくでは外せない。有難く頂いておけ……ってペンダントの時も思ったな。
ぶーぶーと文句をぶうたれるヨツノの声を聞かされながら階段を下ると、酒を飲んで騒いでいた冒険者達が一斉にこちらを睨んできた。
おおう、これが神狩りに向けられる殺気か。今回は他の冒険者を差し置いて俺だけで戦ったからな。機会がなかったという意味でもこれくらいは仕方ないのだろう。
「かっかっか! 言い様だな、坊主!」
と、大きな笑い声を上げて近寄ってきたのは女戦士と、コルネフォロスのメンバーだ。
「そっちはダンジョンの踏破祝いか」
「状況はどうであれ、メンバーのメリィが最上階層のボスを倒してくれてたみたいだからな。前祝いだ」
苟且の因の最上階層にも一応ボスがいたらしいのだが、メリィが単独で倒しておいたらしい。化神を呼ぶために化け物染みたことをしてるなあいつ。天才の一言で片づけていいのか怪しくなってきた。
ともあれ、ダンジョン踏破は冒険者としての功績になるし、コルネフォロスは短期間で成し遂げたのだから、実力は確かなものだ。
「どうだ、神狩りになった気分は」
「あんたが来なきゃ最悪にはならなかったな」
「かっかっか。それは悪かったな!」
そう言って女戦士は俺の肩に腕を掛けると、大きな顔を隣に寄せて囁いた。
「今回はメリィの件もあるから手柄をくれてやる。次はないからな」
「そんな簡単に災厄が起きてたまるかって話だ」
「違ぇねぇ」
ドン、と背中を叩かれ出入り口まで追いやられる。俺が出ていくことはコルネフォロスの連中も知っていることだ。
ジーマが俺の前に立つ。
「どこかで会うことがあれば、是非また手合わせ頂きたい」
「ああ」
魔術師ってのは、杖舞試合でお互いの成長を見ることがある。手っ取り早しな。
そういう意味での挨拶だ。
七番はその後ろで小さく手を振っていた。剣士は結局一度も会話しなかったな。
「新たな神狩りの門出に乾杯!」
女戦士の大きな笑い声だけがギルド内に響く。そんな様子を尻目に、俺とヨツノはギルドを出た。
***
「忘れ物はないな」
「うん、大丈夫だよ」
街の出入り口に立った俺たちは、改めて互いの荷物を見て忘れ物がないか確認する。といっても、ほとんどは俺のアイテムボックスだし、困ったら現地調達でいいんだけどさ。
「長旅だからな。あまり荷物を増やさずに行きたいな」
「馬車なら荷物も気にならないんじゃない?」
「残念だがお金がないから徒歩で行くぞ。まずは中央都市だ」
「うげぇ」
「最終目的地は、獣人の地か……もしくはお前がここで良いって言った場所だな」
「そうだね……。えへへ、よろしくねシグロくん!」
「おう、じゃあそろそろ行くか」
改めて街の方を見る。
冒険者になって七年を、親に捨てられてからだと……忘れた。
ともかく、長く世話になった街だった。
小さいころよりも見た目が大きく変わってしまってるが、それでも生まれ故郷のように思っている。
「寂しがってるのかと思ったら、なんか嬉しそうだね」
「そうか?」
「笑ってるよ、シグロくん」
ヨツノが笑みを浮かべて俺の顔を覗いてくる。
「……まあ、冒険がダンジョンから人生になったんだ。
わくわくしておかなきゃ、勿体ないさ」
そして俺は街を出た。
新たな冒険に向けて、歩みだした。
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その日は天候が大きく荒れ、街の中は豪雨に見舞われていた。
街の中を出歩いている者など一人もいない。誰もがそれを当然だと思っていた。
もちろん、礼拝堂の長椅子に座り、ステンドグラスの前でのんびりと煙草を吸っていたテレマ・クロウリーだって例外ではない。
彼女が煩い雨音に子供たちが泣き喚かないかと考えていた時だった。
「誰か、誰かいないか!」
戸扉を強く叩く音が響いた。一瞬気のせいかと思ったテレマだったが、雨の音に交じり何度も響くそれが何か焦った様子だと気付き、カンテラを持って礼拝堂の入り口を開く。雨が我先にと床を濡らし始めた。
立っていたのは、雨に濡れた金髪の男。白いローブを身に纏い、両腕には大きな白い布で包まれた何かを抱えている。
すぐに男が魔術師の類であると判断したテレマは、いくらか己の中の警戒度を上げて相手を見る。
テレマを見つめる瞳ははっきりとしていて、人がいたことに安堵したように柔らかくなっていた。
襲撃等ではない、とテレマは警戒度を通常に戻す。
「なにさ用かね」
「ここは教会か?」
「まあ似たようなものだよ。あんたは?」
「頼む、この子を……シグロを引き取ってくれ」
男は白い布をテレマに差し出す。テレマが受け取ると、抱き慣れた感覚の重さだった。布を少し捲ると、隙間から頬を赤くした子供の顔があった。
四歳か五歳くらいの男の子だ。
テレマは露骨に顔を顰めた。
「風邪を引かせてるのかい? 馬鹿かあんた、こんな雨の中に子供をこんな格好で連れるなんて。行くなら医者に行くんだよ」
「医者は最後まで面倒を見てくれない。僕が探しているのは引き取り手だ」
「……幸か不幸か、確かにここは親を亡くしたり捨てられていた子を引き取って育てている。
だがこの子の親はお前さんだろう? 捨てるって言うのかい?」
「捨てるんじゃない。託すんだ、未来に!」
男の表情は真剣そのものだった。決して、子育てが嫌になったとか、望まぬ子だったとか、親の自分勝手な都合とはまた違った理由があることは、テレマにも伺えた。
だからこそ、テレマはさらに声を大きくする。
「託す? ふざけるんじゃないよ。
親が隣にいてやらないのは、そりゃ押し付けるっていうんだ。
お前さんがしようとしてるのは、言い訳を並べて子供を守る義務から逃げる行為だよ」
「……確かにそうだ。僕は逃げてきた。でなければ、この子の命も危なかった」
そう言いながら、彼は自分のローブの胸元を裂いた。
そこから出てきたものに、テレマは目を見開く。
「ッ……なんてもん受けてるんだい」
男の胴体には巨大な黒い穴があった。
ただ空いているのではない、何かが渦巻いている、底なし沼のような丸い穴だ。
「呪術かい……厄介ごとに巻き込まれたか」
「一個人に呪われただけだ。大丈夫、その子に降りかかった分もすべて僕が受け止めている」
つまりは、男と子供は命を狙われているのだ。なんとか逃げてきて、街の中で見つけた教会らしき建物の扉を叩いたのだろう。
子供の面倒を見てもらうために。
「……わかったよ」
数秒の沈黙のあと、テレマが答えた。
これまで子を預けたいという親を何人も見てきていた。
どれも理由がひどく、テレマが説教をして追い返していた。しかし今回は状況が普通ではない。そして知ってしまったからには、テレマは手を差し伸べる性格だった。
「預かった子は必ず守る。このあたしがね」
「お願いします」
男は膝をついて深く頭を下げたあと、両腕を伸ばして子供の頬に手を触れる。
「シグロ……シグロ・ネメア。生きてくれ。
僕はもうダメだろう。だけどシグロにはまだ先がある。
生きていける時間がある。だから精一杯、幸せに」
「この子の名前は、シグロ・ネメアだね。確かに預かった。
お前さんの名前も一応教えておきな。本人に伝えることはないだろうが、あたしが知っていれば将来何か役立つかもしれない」
「僕はこの地の生まれではないので、役に立つことはないだろうが。
名前は、カイロス。カイロス・ネメア」
そして男は俯いて、小さく呟く。
「誰かに未来を託すのは、これで二度目だな」
豪雨の中でも、テレマにははっきりと聞き取れた。
それがどういう意味なのかを聞くことはなかった。
否、聞けなかった。
「……最後まで、親の責任は果たしたんだね」
テレマが見つめる男は、膝をついたまま事切れていた。
胸元にあったはずの黒い穴は役目を果たしたのか、いつの間にか消えていた。
テレマは抱きかかえた子供を温めるように強く抱きしめる。
「大丈夫さね。せめてお前さんは、笑って生きていけるよう……」
雨が地面を強く打ち付ける。
泣き声のような音が降りしきる中。
小さな命の寝息が、テレマには確かに聞こえていたのだった。
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