第05話 不幸な魔術師は焔の前で泣き叫ぶ
「けっ、やるってか!」
目の前の一人が早々に殴り掛かってくる。
こちらが何か言う前に手を出すとは。
「
俺は両腕を前に伸ばして人差し指と中指を突き出す。
今回はダブルピースとはいかない。
目標の座標を把握。
三秒で済むだろう。
「はっ! 何の真似――」
「
にやりと口角を吊り上げた男の拳が迫ってくる前に、俺は四本の指を交差させる。
すると、目の前の男たちの身体が宙に浮き、何かに引かれるように真ん中へと集まり――四つの頭がごっつんこした。
「ぶッ!」「ふご!?」「あぎゃ!」「ぐげ!」
豚のような声を上げた男達は意識を失い、身体が地面に落ちて転がる。
「ご主人様一体何を……?」
「お前にもやった魔術だよ」
驚きの声で問いかけてくるヨツノに答える。
彼女は倒れている男達を見つめながら、何か考えている様子で口元に指を当てた。
「移動……基本的なものじゃない。
系統とはまた違う……糸? 違う。
あ、座標を!」
おお、そこにたどり着くのか。
「そう、相手の座標の位置を変えるんだ」
「ですが今の動きだと、指先と相手の座標をリンクさせた上で、自在に操っていたように見えましたが」
まじかよ、そこまで見抜かれていたのか。
「え、あ、すみません」
ヨツノが慌てて頭を下げてくる。俺いま相当やばい顔になってたかも。
「いや、悪い。確かにこの魔術は、指の先を起点とした座標を決めて相手を動かすものだ。
使用魔力は相手の抵抗力とか質量で差が出るが……よくそこまでわかったな」
「えっと、座標の原点はわかりやすいところの方が使いやすいだろうなと思いまして」
この女、相当に魔術師としての才があるかもしれない。
亜人が魔術を使えると言うだけでも天地がひっくり返るほどの大事件なのに、天才級とくればこれは掘り出し物だ。
「おかしいでしょうか?」
「……いや」
不安そうに黒い瞳を向けてくるヨツノに対して俺は、彼女のフード越しの頭に手を乗せてわしわしと撫でた。
「さて、変なのに絡まれて時間を取られたが、そろそろ家に……」
ヨツノをみて、帰る前にすべきことを思い出した。
「その前に、お前を綺麗にしないとな」
***
我が家には浴室なんて置いていない。
だからといって、大勢が使う大浴場に奴隷を連れて行けるわけもないし、そもそもあそこは高い。月に一度使うのも贅沢に思える。
というわけで、大半の市民が利用する、水浴び場を訪れた。
「さ、脱げ」
「え、ええぇ!?」
ヨツノが悲鳴みたいな驚きの声をあげた。
時間が時間なのもあって、水浴び場には俺とヨツノの二人しかいない。多少の悲鳴であれば気にすることでもないが。
「何をそんなに驚いてるんだ?」
「え、いや、だ、だってですよ。
男の人の前で脱げだなんてそんな」
ヨツノは顔を赤くし、それを隠そうとしてるのか自身の顔をぺたぺたと触る。
だが、人族と亜人、しかも彼女は性奴隷。何を恥ずかしがっているのか理解できない。
「お前はもう買われたんだから、そんなに汚れている必要も無いだろう。だから魔術で汚した部分を全部綺麗にするぞッ!」
「ひゃあぁ!」
説明しながらヨツノのローブ、そして着ている服に手をかけて、勢いよく持ち上げる。
ボロ雑巾のような1枚布に穴を開けてを頭から被っているだけなので脱がすのは簡単だった。
小さな悲鳴をあげた彼女はすかさず胸と恥部を両腕で隠しながらしゃがみこむ。
「そのままでいろよ」
俺はポケットからチョークを取り出し、空中に魔法陣を描く。完成した魔法陣が青白く輝くと、そこから放水が始まりヨツノの頭に流れ始めた。
俺は袖を捲り、ヨツノの髪に指を絡める。
「え、あの」
「いいから洗われていろ」
指を左右に動かして撫でるように髪を洗っていく。人族とあまり変わりない、というか寧ろ毛並みが良いように思える。
耳に水が入らないよう気をつけながら、背中を流れる髪を少しずつ扱いていく。
毛先まで済ませたらそのまま尻尾へ。触れると、ピクリと反応を示す。しかし水を含んだせいで結構重い。垂れ下がった毛を撫でて洗う。
頭と尻尾が済んだら、次は肌の方だ。
水浴び場として本来使う井戸の傍に置いておいた紙袋から手拭を取り出す。
皮膚についた汚れは魔術で作り出したものだ。それには魔力が含まれており、ただの水では落とすことが出来ない。
しかしいま使っているのは俺の魔術で出現させた水だ。これには魔力が含まれているから、手拭いで軽く撫でるだけで汚れは落ちた。
数箇所つけた汚れを拭い、それから普通に肩や腕、背中を洗っていく。
観念したのか、ヨツノは抵抗をやめて俺の動きに合わせてくれた。
「ま、前は自分でできますのでっ!」
恥ずかしがるなとは言ったが、さすがにそこは任せた。
洗っていて気付いてしまったのだが、髪のしなやかさや肌のなめらかさが人と全く違う。外見も含めて、美という点で人よりも優れている。奴隷として重宝されるのも頷けるわけだ。獣臭くないし、寧ろ人の良くない心を高ぶらせるような淫靡な香りが鼻腔を掠めるほど。
これ以上続けていたら、俺もさすがに意識してしまいそうだ。
洗い終わったところで、さらに魔法陣を描き、風を作り出す。ある程度乾かしたところで、紙袋からもう一つ手拭を出し細部を拭いて終了。
「あ、服を洗ってないかった。もう少しそのままで待ってて」
「……ご主人様は特殊な性癖をお持ちのようで」
わざとではないのだが。
聞こえなかったことにしよう。
***
ボロ雑巾のような服を洗うとさらにボロくなってしまったが、服屋も既に閉まっているしローブを上から羽織るのでいいだろうとそのまま着てもらった。
明日はダンジョンのあとに服を買いに行かないといけないな。
そんな予定を立ててながら帰り道を歩いていると、ふいにヨツノが質問してきた。
「ご主人様はどちらの宿に泊まっているのですか?」
「俺は宿じゃないぞ。ちゃんと持ち家がある」
「ご自宅があるのですか?」
「まあな。ちょっと前に買ったばかりでまだローンも沢山あるけど」
「家を買われるほど稼いでいるのですね、さすがご主人様です。
ですが、冒険者なのに家を買うものなのですか?」
「冒険者だからこそ、買ったんだよ」
冒険者といいながら、街に定住する者は結構多い。というのも、結局は安定した収入と生活を求めるものが大半だからだ。
俺もご多分にもれず、この街で生きていくつもりで家を買った。パーティーであったトライアンフの一員としてずっとやっていくつもりだった。
「まあでも、すぐ売るかもしれないけど」
「なぜ?」
「この街を出るかもしれないから」
パーティーを追放され、ギルドを追放された以上、俺がこの街でやっていくのは少し難しい。鉱石だけで収入を得るというのも限度があるだろう。
「なんの音でしょうか?」
「火事の警鐘だな。誰かの家でも燃えたんだろ」
街に響く音が長く続き次第に大きさを増したせいか、ヨツノがようやく気にかけたので説明を加えた。
鐘は街の中央に備え付けられたものがカンカンと生き急ぐように叩かれるだけなので、実際に燃えているのがどこかは煙を見ないとわからない。
この街――『サヨシィ』は都市部よりは小さいものの、それなりの大きさをもった街だ。
周りの建物も街の景観を維持するために色調をクリーム色に統一され、灰色の石畳の所々は色の着いた模様が嵌め込まれている。
このようになったのはつい最近のことで、どうやら街を観光する、なんて物好きが増えているらしい。
数年前はスラムの人間ももう少し目立っていたもんだが、いまではギルドが冒険者を使って端に追いやっている。
「あ、煙」
ヨツノが呟いたので、自然と俺の視線も空の方へ向けられた。
どの家も二階以上の建物だが、その家並の隙間から黒い煙が立ち上っている。
「ちょうど俺の家がある方だな」
「え、もしかしてご主人様の家が燃えているのでは?」
「なわけ。俺の家には魔術に関する本が色々置いてある。だから火の元になるようなものは一切置いていない」
「……それで生活できるのですか?」
「まあ食事はほとんど外になるが、それ以外で火を使う機会もないしな。
必要なのは料理屋と鍛冶屋だろ」
「冬はどうやって過ごすのですか?」
「冬……ここらへんは年中気温に変化がないから、冬なんてものはない。
というか、よくそんなもの知ってるな。俺だって童話でしか聞いたことないぞ」
「そう、ですか」
そう言ってヨツノは黙り込む。
亜人の住んでいる場所には冬があるのだろうか。冬が大好きだから残念がっているとか?
と、話している間に煙の臭いが鼻先を掠め始めた。
まあご近所なら火が移る可能性もあるから、早々に消化作業に加わるべきだろう。
「あそこらへんは魔術師も多いから……いや水系統を使えるのは少ないか」
そんなことを呟きながら歩みをを進める。
進めて、進めて。
――走り出した。
いや、まさか。
そんなはずはない。
ありえない。
しかし、でも。
「そんな……」
黒煙の中で炎が身を滾らせ家を包んでいる。
その周りでは水系統の使える魔術師が魔法陣から水球を放ったり、周辺の住民がバケツリレーで水を掛けたりしていた。
「ご主人様?」
だが、そんな光景よりも。
目の前で燃えているのは。
「俺の家ぇぇええええ!!」
「うぇぇぇぇぇえ!?!?」
俺とヨツノの絶叫が、炎の雄叫びに溶けていった。
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