第04話 間抜け魔術師は性奴隷を買う
人差し指を曲げていく。
女は魔術を掛けられたことに気付いた様子で顔をあげると、直ぐにこちらと目が合った。
黒い瞳が驚愕の色を見せている。
女の身体が徐々にこちらへと移動を始める。それは彼女の意志ではない。手も足も動かしていないのに、まるで何かに引っ張られるようにこちらへと近づいてくる。
彼女は、俺の魔術から逃げるように床に爪を立てた。
ぎりぎりと鉄の削れる煩い音が響き渡る。その音に驚いた他の奴隷も女の方を見た。
「お、お客様? 変なことをされては……」
「なに、縄で引っ張っているようなものだ。すぐ終わる」
あの亜人の判断は適当だが、商人も煩いし、手っ取り早い対抗として魔力量を増やさせてもらう。
彼女の脚だけがこちらに伸びる。爪を床に引っかけてなんとか持ちこたえていた身体が少しだけ宙に浮いた。そのせいか彼女の手が地面から離れる。
咄嗟に鉄格子の方に手を伸ばしていたが遅い。すでに届かない位置であり、彼女は一瞬にして俺の目の前まで移動させられた。
「ふぅ」
謎の達成感。
改めて、目の前に引きずり出した少女を見る。
細い身体をしているが、食べていないというほどではない。最低限の食事はしているといった感じだ。
しかしそれすらも感じさせないようにか、所々を薄茶色で汚している?
俺はしゃがみこんで、女をまじまじと見つめる。
汚すにしても、鉄檻の中では土なんて用意出来ないし、こっそり地面に手を伸ばして土を取ったとしても、洗い落とされるはず。
これはそういう類の汚れではない。
水浴びをしても落ちないような土と言ったら、
「唾液に土の魔術をかけて泥にしたのか」
「!?」
俺の呟きに、女が目を見開いた。
この女、どうやら人語も理解できるらしい。
俺が口角を上げてにやりと笑って見せると、女はしまったといった表情を見せて直ぐに俯いた。
「魔術師の方であられましたか。
でしたら性奴隷は不要でございますね」
商人は俺がただの見物客だと今更気付いたらしい。
「この女だが、いくらだ?」
それを無視して、俺は目の前の狐の亜人を指さす。
「は?」
「値段を聞いている」
素っ頓狂な声をあげた商人に再度問いかける。
「そちらの亜人は、金貨十五枚になりますが」
「相場は二十前後だったか? 他に較べて見劣りするにしても高すぎないか?」
この亜人は買われないように魔術で見窄らしい姿を作っているのだろう。
しかし、まだ足りない。
その思惑を利用させてもらおう。
俺は商人の見えない角度に腕を持っていく。その手には勿論チョークが握られている。
「で、ですが体格は他よりも多少大人びており、将来非常に魅力的になるかと」
「それができないからこの有様なのだろう?
それに、あの痣はなんだ」
俺は女のくるぶしあたりを指さす。
そこは皮膚が青くなっており、殴られたような痣ができていた。
「いや、それは奴隷が勝手に」
「商品の管理もままならいと?」
「そ、そんなことはございません。この亜人だけが特別異常なのです」
商人の焦りが増し、言わなくていい負の価値まで付け始めた。
ここが狙い目だ。
「となれば、商品としてこの女は厄介だろう。今なら金貨七枚で買うぞ?」
「七枚!? それはいくらなんでも……」
「考えてみろ」
額に汗を滲ませ頬を引きつる商人へ俺は顔を近づけて小声で語り掛ける。
「今ここで女を売ってしまえば不良在庫が無くなる。
どうせ北の奴隷商から奴隷商へと少しずつ安くなって流れてきたのだろう?
ほら、仕入れはいくらだ?
いまここで更に損をするより、売ってしまった方が後々の利益になると思わないか?」
そう告げて耳元から離れると、商人は脳を全力で回しているのか顔を顰めて小さく呻いた。
俺はにこやかな笑み(自称)を浮かべて、
「金貨五枚」
「ご……六枚では」
「よし、
交渉は成立した。
***
契約書を交わし、檻から出された狐の亜人である女を引き取って俺は街の中を歩く。
歩いて、歩いて。
しばらく歩き周って人気のない路地裏まで来たところで、
「なにしてんだ俺はーッ!」
頭を抱えた。
勢い余って奴隷を買うとか何を考えているんだ。
しかも性奴隷だぞ。魔術師にいらんだろうが! 余計な買い物どころの騒ぎではないぞ。
寂しいとか独りとか変なこと考えるからこんなことになるんだ。ええいあの奴隷商人め許せない。
「……落ち込んでても仕方ない、か」
俺は一度咳払いをして後ろへ振り向く。布切れに近いフードを頭から被った狐の亜人が訝しげな表情でこちらを見ていた。「この人ヤバイ」と言わんばかりの視線は当然だろう。
「とりあえず、家に戻るか……いや先に飯か」
と言ってもだ。
いつも使っている食堂に向えば「奴隷の入店お断り」。
仕方ないとちょっとランクを下げた店に向えば「奴隷に与える飯はない」。
諦めて立ち寄ったのは、スラム街近くのボロい店だった。
「はぁ」
注文を終えて最初に出てきたのが、自身のため息だった。
悪い癖だ。人見知りで根暗なくせに、魔術が関わることとなると調子に乗り早口で語り出すわ、周りが見えなくなって目的を見失うわ。そういう気持ち悪い癖。
「魔術ってのは碌なもんじゃねえな」
「……」
フードを被ったまま机の向かいに座った女を見て愚痴をこぼす。奴隷なんて買う気はなかった。しかしそれを忘れてしまうほど彼女の魔術に興味が沸いたのだ。
「まずは自己紹介だな、俺はシグロ。人族……ってのはいらないか。
お前、名前はあるのか?
人語は理解できるんだろ?」
問うと、女は少し俯く。人語が理解できても喋れるとは限らないことに今更気付いた。
が、それは杞憂だったらしく、女は小さく息を吐いてからフードを外すと、顔をあげた。
大きな黒い耳をピンと立て、その表情に笑みを浮かべて。
「ヨツノと申します。見ての通り狐の獣人です。
これからよろしくお願いしますね、ご主人様」
「お、おう、よろしくな」
先程までとは打って変わった元気な自己紹介が返ってきた。
ご主人様なんて言われた驚きで口ごもってしまったが、自分を買った相手をそう呼ぶのは当然か。この女はそういう作法を弁えているらしい。
まあ、奴隷の言葉使いなんてわかんないから教えなくても済みそうなのは助かる。
「んで、どうしてわざわざ魔術を使って見窄らしい姿を取っていたんだ?」
「それは……」
ヨツノが言い淀む。
まあ大方予想はついているので、それを提示してみる。
「北の方から売られてきたなら戦争地帯にいたんだろ? なら俺ら人族が亜人にひどいことをすると教わってきたんじゃないのか?
それで奴隷になってしまったが買われたくないために、わざと魔術で見た目を汚くした」
「……はい」
本人がはっきりと言えないのは、既に奴隷という立場上、買われたくないとは言えないからだろう。その考えが既に人族に敵対していると捉えられてもおかしくはない。
「不相応な考えをお許しください」
「いや、なりたくて奴隷になったわけじゃないだろうし。その考えは別に気にしないが。
どうせやるなら火の魔術で顔を炙るくらいはしないとな。特に人族は亜人の見た目にこだわりが強いし」
「ひ、火の魔術は使えませんので……。
ご主人様も、何かなされましたよね?」
ヨツノは顔を少し引き攣らせながらも、自身のフードを捲る。彼女の踝あたりには青いアザのような後がまだ残っていた。
「ああ、お前と似たようなことしただけだよ」
俺は隣に置いてあった紙袋から小さな青い木の実を取り出す。
「これは本来、食べ物に混ぜると旨味とかの成分を増幅する便利な木の実なんだが、如何せん色が濃く出すぎて調理にはあまり向いてない」
実を指に挟んで力を軽く入れると簡単に潰れて青い果汁を零した。
「これを同じように土の魔術でお前の皮膚に刷り込み、アザのようにみせたんだ。
おかげで、ヨツノの値段がだいぶ下がった」
「そ、そうですか……」
「内緒な?」
「はぁ」
こんなこと自慢げに言われても困るか。ぶっちゃけ商人にバレたら何を言われてどんな目に遭わされるかわかったもんじゃない。
「まあ、あの時は俺もどうかしてた」
「ご、ご購入頂いたからには、これからご主人様の奴隷として、誠心誠意尽くさせていただきます!」
「一緒にダンジョンに入っもらうが、いいか?」
「大丈夫です、これでも力には自信ありますので!」
亜人は人族よりも圧倒的に力が強いというのは有名な話だ。
「ほ、他にも、私に出来ることであれば何でもしますので!」
「うーん、それなんだけどな」
ヨツノ両手の拳を胸元でぐっと握るが、額からは脂汗が滲み出ている。顔に「ほんとは嫌だけど」と書かれている。
そんな不本意垂らしまくりの頑張りますアピールをされても正直困るところなのだ。寂しさの勢いと魔力抵抗力が気になったから買ってしまっただけで、冷静になれば要らないよねっていう、ちょっとした間違いで起きた購入なのだから。
だが彼女にそんな真実を告げられるはずもなく。
俺の微妙な反応を見て、困ったような表情を浮かべるヨツノの前に食事が並べられる。
「と、とりあえず飯を食おう」
「私は待っていますので、どうぞ」
「は? いや、お前も食べるんだぞ?」
「え?」
どうやら何か勘違いしているらしい。
奴隷にご飯を与えず目の前で食事を楽しむ外道だとでも思っていたのだろうか。
「見窄らしくするためにちゃんと食べてなかったんだろ。
まずは食え。生き生かされ生命の温もりを味わいなさい」
「は、はあ……」
不安そうな面持ちのまま、ヨツノは木製のスプーンで目の前のスープを掬い口に入れた。
「お、おいしい、です?」
なぜに疑問形。
自分もスープを口に運ぶ。
「すまん、スラム街だとこんなもんなんだ」
おいしいとは言い難い味に二人で顔を顰めながら食事を進めた。
***
「そもそもだ、亜人が魔術を使えるってのがおかしな話だよな」
店をでて、俺は唐突にヨツノへと言葉を投げかける。
スラム街の遠く、つまり街の中心の方からカンカンと火事を知らせる音が聞こえてくるが気にすることではない。どこかで
「…………」
ヨツノの額からじわりと汗が滲んでくる。どうやら魔術については理解しているらしい。というか、俺がその事を知らなかったらそのまま通す気だったのだろうか。
反応を待つと、お手上げといったように、彼女は小さくため息を吐いてから口を開いた。
「ご主人様は、よくお分かりになりましたね。
魔術師として相当いい腕をお持ちだと思います」
「ん? 俺なんか独学だから、基本なんてこれっぽっちもわからんぞ」
そう答えると、ヨツノは目を見開いて首を傾げる。梟みたいな顔になってんぞ。
「で、では私の身体を動かしたあの魔術は……?」
「移動魔術か、それは――」
説明しようとしたところを、僅かな悪意が神経を通過していく気配を感じた。
と言っても、単純に俺が敵意に気付いただけだ。周囲を見るといつの間にか数人の男が俺たちを囲っていた。
「へへ、にーちゃん良い
「ちょっとオレらにも貸してくれよ」
「返す前に壊しちゃうかもしれねーけどな」
「痛い目にあいたくねーよな?」
全部で四人か。
ゲラゲラと汚い笑い声で合唱するのはスラム街の住人だ。
亜人狩り、ではなく単純に人の奴隷を盗ろうっていう輩だろう。スラム街ではこういうおかしなヤツらも少なくないと聞く。
「丁度いい。移動魔術がどんなものかもう一度見せてやろう」
俺は庇うようにヨツノの前に立った。
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