CASE ストーカー ‐心を病んだ被害者‐ 3


 この家から出てはマズイだろう。

 少なくとも、シャクナゲは。


 シャクナゲは、湿ったタオルなどで顔を拭いたり、髪を整えていた。見れば、それなりの美人だった。変な男に魅入られるのも分かるような気がする。

 彼女のそんな変化とは、対比的に状況は悪化しつつあった。


 べたり。

 沢山の手形が窓に張り付いていた。

 それは、いくつもの赤い手形だった。

 彼は玄関に回って、覗き穴から外を見る。

 すると、玄関の周り、周辺には、子犬や子猫の死体、他にも、牛や豚か何かの臓物らしきものが大量にまき散らされていた。


 家の電話を使うと、電話線が切られていた。シャクナゲが言うには、以前は何度も、無言電話が送られてきたらしい。今は、電話線が切られている。


 この家から出したくない。

 そんな意思のようなものを感じた。

 此処に、彼女を閉じ込めているのだ。


 セルジュは、ふと気付く。

 こいつは、シャクナゲを、この家から出したくないと考えているのだ。

 つまり、この家自体に“監禁”しているのだ。彼女は、この家の外に出られない。


 しばらくして、夜が明けた。

 シャクナゲは、布団にくるまって、ガタガタと震える。

 

「シャクナゲ。お前さあ、まともにご飯とか食べられていないだろ?」

 セルジュは大きく息を吐く。

「野菜、やさい、食べて、ます、から…………」

「どっから、調達したんだよ? それ」

「段ボールいっぱいに、送られてきて………。野菜なんです。だって、野菜って紙に書かれていたから…………」

 セルジュは、はあっ、と溜め息を吐いた。


 近くに、確かコンビニやスーパーがあった筈だ。

 この女の為に、マトモな食事を買ってこよう。

 彼は、シャクナゲから家の鍵を借りて、外に買い物に行く事にした。


 ……はあ、それにしても、この俺って、そんなキャラだったかなあ?

 セルジュは、少しだけ頭を抱える。


 玄関を開ける。

 歩いていけば、ドレスや靴が汚物によって汚れるだろう。セルジュは両足を屈めると、そのまま、跳躍して数メートル先に着地する。


 そして、ひとまず、近くのコンビニで弁当を、スーパーで缶詰などを大量に買う事にした。


 三十分後の事だろうか。


 セルジュは、シャクナゲの家に戻る。


 そして、言葉を失った。


 河だ。

 まるで、シャクナゲの家の周りが、河のように浸水している。庭などは水の中へと沈んでいる。セルジュが此処に来てから、ストーカーの方は焦ったのだろう。徐々に、シャクナゲの心を破壊するつもりが、セルジュの存在が誤算だったみたいだ。なので、すぐにでも、自分のモノにしようと決めたのだろう。


セルジュは買い物袋を地面に置くと、跳躍して、家の中へと入った。

 

 家の中も、水が浸食していた。

「おそらく、あいつ、生きた人間じゃないな…………」


 家の中で、シャクナゲの姿を探す。

 彼女の気配が無い。


 セルジュは、ひたすらに、彼女の姿を探す。

 一階にも、二階にもいない。

 では、一階の天井なのだろうか?


 セルジュは、押入れから、一階の天井裏を調べる。……いない。


 ふと、セルジュは思い至った。


 洗面所……、バスルーム。

 バスルームへと向かう。


 すると、ごぼり、ごぼり、と、湯船の中が溢れていた。


 湯船から汚れた水が溢れている。

 底は見えない。

 凄まじい程に、淀みのようなものが溢れていた。

「おい、此処なのか? 本当に、ふざけやがって…………」

 セルジュは半ギレになりながら、湯船の中へと潜る。


 まるで、バスタブの中は、湖の底みたいだった。

 かなり広い空間になっていた。


 周りを見渡すと、小さな舟の残骸などが沈んでいる。

 いつの時代なのか分からない、骸骨などが漂っている。

 ゆらゆらと、海藻がゆらめき、魚なども泳いでいた。

 このままだと、溺れ死ぬかもしれない。

 セルジュは、ふと、そんな事を思った。


 ふと。

 光のようなものが見えた。

 彼は、その光へと向かう。


 彼は、水の中から上がる。

 息が出来た。


 すると、一面が花畑になっていた。


 此処は、この世とあの世の中間地点なのだろうか……?


 小さな石が積み上げられて山のようになっており、そして、幾つもの風車が地面に突き刺さり、くるくる、くるくる、と回っている。


 セルジュは息を飲む。

 美しい姿のシャクナゲの姿があった。彼女は真っ白なドレスを着て、花畑の中でうずくまっていた。服は代えさせられたのだろう。

 

 そして、彼女の背後には、昨日見た、顔が崩れた白装束の男の姿があった。男は崩れた指先をシャクナゲの顔に這わせていた。


「あー、お前、なんだっけ?」

 セルジュは訊ねる。


 顔の崩れた男は、ごぽり、ごぽり、と何かを言おうとしているみたいだった。

「ずっと、……、彼女の事が、好きだった……。同じ会社の同僚の時代から……」

「ああ、そうかよ」

「うみ、海辺で、彼女が泳いでいるのを見て、溜まらずに。……でも、彼女には、男がいて……」

「ああ、そうか、よ」

 セルジュは溜め息を吐く。

「で、なんで、そんな姿になってまで、追ってきているんだ?」

「ねが、願いの儀式を行って。自らを生贄にして、願望をかな、える、崖があって、そこから、俺は、海に身を投げて、海の魔物達が、死者の世界に連れていってくれ、て……」

「はあ。それで、お前は永遠に呪われた死者として、シャクナゲを狙っていたわけか」

「彼女、を、……俺の…………、世界に、……連れていく…………」

「依頼だからな。お前を始末して、その女を現世に戻すぜ」


 此処は、冥府の河のほとりなのだろうか。

 この男は、この冥府に存在する水を自在に操れるみたいだった。水が花畑へと這い上がっていき、花を枯らしていく。男は、シャクナゲの頬をナマコみたいに腐敗した舌で舐めまわしていた。


 セルジュの周りに腐臭を放つ、水が集まってくる。

 冥府からの死者、おそらくは、溺死者達の末路が、次々と水の中から腕や頭を上げて、セルジュに向かって襲いかかってくる。

「まあ、いいけどさ」

 セルジュは、真っ黒なドレスの腰に差しているものを取り出す。


 それは、短剣だった。

 彼はドレスの中に、この短剣を仕込んでいたのだった。

 鞘を引き抜く。


 すると、炎のような形状の剣が姿を現す。鞘の形状とまるで合っていなかった。長さもだ。それは、さっそう長剣と呼べるものだった。


「全員、喰い殺してやれよっ!」

 セルジュは剣に向かって叫ぶ。


 死者達が、明らかに狼狽していた。

 セルジュの抜き放った剣が、変形していく。


 剣は、三つの頭を持つ、首の長い犬の姿になっていた。獰猛な、漆黒の狼のような姿の犬だ。そして、犬の頭は一斉に、セルジュに近付いた死者達の頭を、腕を食い破っていく。


 シャクナゲをつかんでいた男は、その光景を見て、明らかに怯え始めていた。

「な、なんで、なに、おま、お前…………?」

「さあな?」

 セルジュの抜き放った剣によって、既に、彼を襲撃しようとしていた死者達は喰われてしまっていた。


 男は白装束を脱ぐ。

 すると、胸から腹にかけて、腐った臓物が露わになり、肋骨が露出していた。

「彼女は、誰にも渡さない…………っ!」

 男は叫んだ。

 そして、肋骨と臓物で、シャクナゲの全身を飲みこもうとする。


 セルジュは跳躍していた。

 三つの獰猛な犬の頭を持つ剣が、次々に、男へと喰らい付いていく。


 シャクナゲは地面へと倒れる。

「さて」

 セルジュは嘆息する。

 彼はシャクナゲを担ぎ上げる。


 そして、元来た道を辿り、水の中へと潜った。

 しばらくして、光が見えてくる。


 光から出ると、バスタブの中にいた。

 セルジュは、シャクナゲをバスルームへと投げ捨てる。

「さて、と」

 セルジュは大きく溜め息を吐く。

「案の定。せっかくのドレスが汚れた。最低だ、クソ。クリーニングで、汚れとか、落ちるかな」

 彼は、忌々しそうにそう告げた。



「で、それから。自分の命を犠牲にしてまで、ストーキングする力を得た男によって、ストーカーされた女はどうなんだったんだ?」

 デス・ウィングは、骨董品店の二階で、セルジュに訊ねる。

「シャクナゲか? あいつ、俺に手紙送ってくるんだ。しつこつ……」

「はあん? ラブレターか?」

 デス・ウィングは鼻を鳴らす。


「そうだよ。“女の人でも良いのでお付き合いしたいです。男の人はもう怖いです”だってよ。俺は男だって言っているだろうが。ほんと、しつこい」

「ああぁ。そのシャクナゲって女も、ストーカー気質があるのかもなあ」

「ほんと、その通りだよっ! 最低だっ!」

 セルジュはふて腐りながら、ソファーに寝っ転がっていた。

 どうにか、ドレスの汚れはクリーニングで、落とせそうだ……。


「おい、それにしても、デス・ウィング。お前、それ何に使うんだ?」

 セルジュは、デス・ウィングが真剣に手入れしている、ソレを見ながら気持ちが悪そうな顔をする。


 それは、道祖神のようなものだった。

 まるで、水死体のような膨れ上がった人間が彫られた石だ。


「シャクナゲのストーカーが身を投げた崖まで行ってきて、取ってきたんだってな?」

「ああ、当然だろ。売る」

「…………、………………」

「ネット・オークションで“片想いの好きな相手をどうしても振り向かせる為の素敵なアイテム”として売る。面白いだろう? 自らを生贄にして、恋する相手を手に入れるアイテムってのはなっ!」

「ああ、もう本当に勝手にしろっ!」

 そう言いながら、セルジュは、こいつの依頼なんて二度と受けるか、と心の中で固く誓ったのだった。


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