CASE ストーカー ‐心を病んだ被害者‐ 2


「ほう? それはそれは、とても面白い話だな。流石、私の商品のお得意様だな。やはり、歪(いびつ)だったり、異常だったりする部分を抱えているんだろうなあ」

<おい、それよりも。俺の後をずっと、何かが付けてくるんだ。それが一体、何なのか分からない。幽霊なのか、魔物なのか、それとも超能力の類なのか。一体、何なのだろうな? 本当に困る。正体がまるで分からないんだよ>

 電話の向こうで、セルジュが苦言を言っていた。

「ははっ。でも、お前なら、別に何とかなるだろ?」

<分からないな。本当に奴の実態がつかめない。それにしても、あの女が元々、異常者なのか。それとも、あの俺を追っているナニカによって、異常者なのか。どっちなんだろうな。なあ、デス・ウィング。お前は一体、どっちだと思う?>

「どちらか分からないから興味がある。引き続き、調査を続けてくれないか? ああ、ちなみに、もし興味深い“アイテム”が見つかったら、私にくれないか? 私のコレクションに加えたいんだ」

<分かったよ。あーっと、ちゃんと報酬は寄越せよな?>

「考えておくよ」

 そう言うと、スマートフォンの通話は途切れた。



 次の日の昼だった。


 セルジュは再び、女の家へと訪れる。

 何となく、後ろから付き纏っている何者かの気配は感じる。


 被害者である、女は完全に発狂している。それは確かだった。

 問題は、どうやって彼女から事件の詳細を聞き出すかだ。


 全ては彼女の狂言なのか。


 ……まあ、なんだっていいんだけどな。


 デス・ウィングから、やっかいなものを押し付けられたのかもしれない。


 それに。

 自分を付けてきたもの。

 それは、もしかすると、人間なのだろうか。


 しばらくして、セルジュは、あの女の家の玄関まで辿り着いていた。

 庭の方を見る。

 そういえば、雑草は生い茂っている。

 広い屋敷だ。

 考えてみれば、あの女以外に、他の家族は住んでいないのだろうか。


 セルジュは玄関のチャイムを押す。

 それにしても、今回も、マトモに会話が出来るだろうか。


 あの女がドアから顔を覗かせる。

 セルジュは少しだけ、驚いた。


 かなりやつれているが、女はぐしゃぐしゃの髪を梳かし、顔を洗い、多少、清潔感のある服装に着替えていた。こうやってみると、まあ美人な方なのではないかと思う。


「今日も来て下さったのですね。ありがとう御座います」

 セルジュはゴテゴテのゴシック・ブーツを脱いで、彼女の家へと上がる。


 通り道に散乱していた、ゴミの容器などは片付けられていた。

 まだ酷い異臭が所々から放たれているが、ひとまず廊下と客間だけは片付けたみたいだった。

「ありがとう御座います。貴方が来てくださるだけで、とても安心します……」

「まあ。依頼だからな」

 彼は鼻を押さえながら言う。


「処で、私を狙っているものがいるのです……」

「ああ、そうみたいだな」

 セルジュは気付いている。

 この客間に入った時からだろうか。

 

 ひたり、ひたり。

 何か水が滴るような音が聞こえる。

「天井裏かな…………」

 セルジュは小声で、依頼主の女にだけ聞こえる声で言った。そして、確かに天井裏の辺りから、何者かの気配を感じる。


 観察しているのだろうか……。

 この女が、壊れていく様子をだ。


 そう言えば、悪質なストーカー被害にあったものは心が病んでしまう事もあるらしい。この依頼主は心の病気になってしまって、この家の凄まじい惨状を作り上げたわけなのだが、そもそも、彼女を此処まで壊した原因は、未だ、彼女を見張っているのかもしれない。


「ちょっといいか? この家を多少、壊しても」

 セルジュは、女に訊ねる。

「はい…………。犯人が捕まるのでしたら………」

「分かった。やるぜ」


 セルジュは、部屋の隅にあった箒を手にする。

 彼はその柄の先端に触れる。

 すると、見る見るうちに、箒の柄の先端が、尖った槍の先のような形状に変わる。……女は、それを見て、驚いたような顔をする。セルジュは、ちょっとした手品だ、と呟いた。

 そして。

 彼は、それを勢いよく、天井へと向かって突き立てた。


 箒はまるで、槍のように、見事に天井を貫通させる。


 天井から、真っ赤な血に染まっていく。

「さてと。やったかな?」

 セルジュはそう言うと、女に、家の天井裏に入れる場所に案内して貰う。


 別の部屋の押し入れの中から、一階の天井裏に入る事に出来た。

 狭く這って行かなければならない場所だった。


 セルジュは、当の場所を見る。


“変形させた”箒の先が、突き出ている。

 そこには、血溜まりが出来ている。


 確かに、此処に、人がいた形跡らしきものがあった。

 だが、何処かに行ってしまったみたいだった。


 ……なんだ? あれは……?


 セルジュは、ドレスが汚れるのも気にせず、その場所へと近付く。

 犯人と思われる者の服が落ちていたからだ。


 それは、血に塗れた白装束だった。

 とんがり笠(かさ)らしきものも落ちている。

 よっぽど慌てて逃げたのだろうか。

 地面に、赤い血が点々と付着していた。

「なんだ? これは?」

 彼は思わず、呟いていた。


 犯人らしきものの血痕は、ある場所で途絶えていた。


 それは、天井裏に出来た大きな水たまりだった。



「ストーカーの正体だけどな。生きた人間じゃない可能性があるな。あるいは、そもそも、人じゃないのかもな」

 セルジュは、客間に戻って、結論だけ言った。


 女は少し震えだす。

「では、幽霊か何かの類でしょうか……?」

「さあな。知らない。しかし、この家は呪われているのか? それとも、お前が呪われているのか?」


 女は少しだけ、正気に戻っているみたいだった。

 セルジュが、彼女を狙うものの正体を探る事によって、彼女は心の安定を少しずつ取り戻していっているみたいだった。

「…………、家、もう少し、片付けないといけませんね」

「そう言えば、盗聴器や監視カメラが仕掛けられているなんて、なんで思ったんだよ?」

「ずっと、声が聞こえてくるんです。視線も感じます。ずっとです」

「いつから」

「数か月くらい前でしょうか…………」

 そして、彼女はふと、思い出したように言った。


「あるものが送られてきたんです」

「あるもの?」

「私の声を録音したボイス・レコーダーと、それから生活を撮影したビデオ・テープです」

「…………、はあ? なんで、そんなものがある事を……。お前、最初に言っておけよっ!」

「怒られるかと思って…………、その……」

「その…………」

「ゴミに捨ててしまったんです。あまりにも、怖くて……」

 セルジュはそれを聞いて、大きく溜め息を吐く。

 だが、……考えてみれば、そんなものが送られてきたら、パニックになってゴミに捨てるというのもありえる。


 セルジュは立ち上がって、屈伸運動を行う。

「まあいいさ。俺が始末してやる。ああ。そういえば、……お前、名前なんだったっけ? まだ、聞いてなかったなあ」

「シャクナゲ、と申します」

 女は、そこで初めて自らの名を口にした。そもそも、セルジュが彼女に興味を持った。

「あの、セルジュ様」

「なんだ?」

「もしよければ、今宵は泊まっていきませんか? お夕食は……」

「泊まるのはいいが、夕食はいらねぇからなっ!」

 セルジュは冷蔵庫の中を思い出して、引き攣った顔になる。



 夜の事だ。

 セルジュは布団と毛布を借りて、この家で張っている事にした。

 羽毛布団だ。

 畳の敷き詰められた部屋だった。


 ……それにしても、どうしたものか。

 この部屋は片付けたとはいえ、やはり、臭いがまだ酷い。

 虫が湧いている部屋はまだ幾つもある。


 シャクナゲの心は崩壊している。

 そして、セルジュが会話をしたり、犯人を突き止めようとする度に、少しずつ正気に戻っていっている。


 シャクナゲが言うには、捨てたテープの中には、愛している、恋している、といった言葉が入り込んでいたらしい。


 ひたり、ひたり。

 水が滴る音だ。

 それは、近付いてくる。


 セルジュはカーテン越しに、その姿を眺める。


 それは白装束に身を包んでいた。

 笠をかぶり、金剛杖を持ち、数珠と鈴を鳴らし、足袋を履いている。

 しゃん、しゃん。

 金剛杖にくくりつけられた、鈴が鳴る。

 

 そいつは、庭の向こう。

 塀の外にいた。

 こちらを覗き込んでいる。


 セルジュは、そいつと眼があった。


 そいつの顔が、ぐちゃぐちゃに崩れて、鼻が溶け、唇が剥がれ、ぼろぼろの歯が剥き出しになっていた。顔全体が膿のようなもので覆われている。耳も溶けていた。

 あの異形のものが、シャクナゲに向かって、恋慕の感情を伝え続けているのだ……。


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