『冥府の河の向こうは綺麗かな。』

朧塚

CASE ストーカー ‐心を病んだ被害者‐

CASE ストーカー ‐心を病んだ被害者‐ 1

「言葉だけで、人間を壊せないかって思ってな」

「うん?」

「いや、言葉だけで人間が壊せるのだとしたら、それは相当に面白い事なんじゃないかなってな」

「はあ、そうか。まあ、本当にお前らしい発想だよなあ」

 セルジュは、この店の主の言っている事に、適当に相槌を打つ。


 店の主である、デス・ウィングはいつものように汚らしいセーターに、いつものようにくすんだ長い金髪の姿だった。

 そして、相変わらず、ろくでもない事を、セルジュに言う。

 セルジュは、少し首を傾げる。


「でも、それって凄く面白いアイデアだよなあ。言葉だけで、他人を壊すか。って事は、他人を殺す事も出来るのかな?」

「そうだな。他人を殺す事か」

 デス・ウィングは、ふと考える。


 デス・ウィングが密かに、経営している骨董屋『黒い森の魔女』の二階だった。そこは、彼女の生活空間になっており、冷蔵庫やテーブル。客室や寝室などの作りになっている。セルジュが見ると、明らかに、いつも部屋のスペースが変わっている。明らかに、外から見た店の景観と、室内の広さが合わない。一階もだ。おそらく、この店自体が異空間に繋がっているのだろう。


 デス・ウィングは、珍しく他人から奇妙な依頼を受けたらしい。


「セルジュ。お前、元々、女のストーカーしていた奴だろ。だから、お前、ストーカーの気持ち分かるだろ? だからさ。ちょっと解決してきて欲しい事件があるんだ。私、なんでも屋とかじゃないからさ」

 彼女は、満面の笑顔だった。


「はっ!?」

 セルジュは引き攣った顔になる。



 玄関の前には、大量のゴミが置かれていた。

 それに混ざって、猫がゴミを漁っている。蛆がひしめいていた。


 瓦屋根(かわらやね)の家だった。

 壁には無数の蔦(ツタ)が這っている。


 真っ黒なゴシック・ドレスに身を包んでやってきたのだが、服が汚れるのは酷く嫌だなと思いながら、彼は不快そうな顔で、その惨状を見ていた。


「あー。依頼で来たんだけどさあ。ごめんくださーい」

 セルジュは玄関のチャイムを鳴らす。

 汚らしい住宅だった。一応、庭はある。


 中から、人が顔を覗き、セルジュを見ていた。

 おはいりください、といったような顔が聞こえた。

 玄関のドアが開かれる。

 セルジュは漆黒のブーツを脱ぎ、家の中へと入る。…………。

 家の中は、禍々しいオーラを放っていた。


 しばらく歩いて、セルジュは客室に連れていかれる。


「女の方だったんですね。……お茶くらいしか出せませんが」

 顔がむくみ、明らかに心を病んだ目付きをしていた。

 女だ。

「あー。一応、俺、男なんだけど。その…………」

 セルジュは、少しだけ困った顔になる。


「このゴミ屋敷。どうにか出来ないのか?」

 彼は少しだけ、鼻を押さえる。

 ああ、大切なドレスが汚れる……。最低だ……。


「最初は、手紙でした」

 女は、セルジュに手紙を渡す。


 彼は渡された手紙の内容に眼を通す。

「日に日に、あいつが私に迫っているのです。今日も、家の外にいました。ベランダから見えました」

「はあ」

 彼は少しだけ、困った顔をする。

 …………、手紙は、白紙で、何も書かれていなかったからだ……。


 デス・ウィングから依頼された事は、探偵業だった。何でも、彼女の骨董品のお得意様で、普通(カタギ)の人間らしい。デス・ウィングは性格的に、他人に悪意ある品物を売るのを好んでいるのだが、この客の場合は、主に彼女が取り扱う、古書やアロマ・オイルといった“無害なもの”を好む常連客だった。一応、この手の客層も付けておかなければ、店の経営費に問題が生じるらしい。


「まあ、いいや。話の続きを聞かせてくれよ。それから、出来れば、その貰った、手紙とか捨ててないか? 取ってあるか?」


 女は頷く。

 そして、家の奥に向かい、何枚もの封筒をセルジュに渡す。

「これです。後、数十通くらいあります…………」

「それは。……なんというか、相当に、怖いな……」

 渡された手紙の中を見てみる。


 ひたすらに、ありとあらゆる画材を使って文字の羅列が描かれていた。マジック、絵具。パステル、クレヨン。墨汁。……種類の分からない画材。…………、どの手紙を読んでも、図形や記号的なものが、ひたすらに並んでいて、何が描かれているのか分からなかった。そもそも、文字と言えるのだろうか。


「相手は何が目的なのでしょうか?」

「うーん、そうだなあ。たとえば、貴方、恨みを買った事はないか?」

「そうですねえ、分かりません……」

「妬まれるような事とか。他にも、誰かに誤解を与えるような事とか」


 女はうずくまる。

 そして、何かをブツブツ、ブツブツと、呟いているみたいだった。

「わかりません、わかりません、わかりません、わかりません。私が、人に迷惑をかける? 憎まれている? 恨まれている? そんな事……、…………」

 彼女はなおも、何かを呟き続けていた。


「とにかく、盗聴器とか監視カメラが仕掛けられてないか調べてくれませんか? 怖くて、夜も眠れないんです」

「はあ。とにかくだなあ。少し顔洗ってきた方がいいんじゃねぇの?」

 彼女の両眼は、目アカが溜まっていた。

 ぼりぼりと、彼女は頭を掻き毟り始める。

 何か、虫のようなものが、彼女の髪の間から、落ちてきた。



 生ゴミを触ってしまったので、洗面台を借りる事にした。

 ……盗聴器に監視カメラねえ、本当に、こんな場所で探すのかよ?

 鏡を見ると、相変わらずな自らの姿が映し出されている。

 かつて、セルジュは好きな女の身体を奪った。

 何度も、彼女の精神の幻影に苛まれる。

 好きだった女の姿が、鏡に映る。

 セルジュは、すぐに、意識を戻す。


 鏡。

 何者かが、掻き毟り、所々にヒビが生えている。

 洗面台の中には、黒い髪の毛がこびり付いていた。

 シャワー・ルームの方を見ると、強烈な腐敗臭が漂っている。一体、何がバスタブの中には詰まっているのか…………。


 ふと、脚元を眼にする。

 すると、そこには奇妙なものが置かれていた。


 それは洗面器だった。

 沢山の血が付着している。

 ……おいおい、なんなんだよ? これは。


 この女が、そもそも、おかしいんじゃないのか?


 ペットボトルのようなものが置かれていた。

 その中には、赤黒い血が入っていた。


 ……おい、待て。やっぱり、この女の方がイカれているんじゃないのか?


 彼は家中を調べるように言われていた。

 とてもじゃないが、調べるなんてものじゃない。まずは、ゴミ掃除をしなければならないだろう。

「まあ、いいや。ひとまず、家具らしきものから調査してみるぜ」

 彼は台所に向かった。

 食器棚の中は、虫などが大量に発生していた。皿の上に乗った蛆虫などは圧巻だった。ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ、と、皿やコップの上を這いずり回っている。ぶわわぁぁぁぁ、と、黒い蝿が別の棚からは飛び出してきた。


 冷蔵庫の中を開ける。


 骨だ。

 骨が大量に入っている。

 ニワトリの骨だろうか。骨の種類は様々だった。小動物らしきものの頭骨もあった。一つ一つが整然と並べられている。剥き出しになって並んでいるもの以外にも、幾つものタッパーがあり、その中には、小さな生き物の骨が詰め込まれていた。


 そして。

 透明な瓶が幾つも、飲みモノを入れる場所に置かれていた。

 中には、ドス黒い血液が入っているみたいだった。

 血液の中身は何なのだろうか?

 動物の血なのか。

 それとも、この家の主の血なのか。

 あるいは…………。


 セルジュは静かに冷蔵庫を閉めた。

 明らかに異常性ばかりを感じた。


 やはり、この女はサイコなのだろう。

 何者かにストーカーされているというのは、この女の妄想の産物なのではないか……。


「おい。冷蔵庫の中に入っているものは一体、なんなんだ?」

 彼は苦々しい顔で訊ねる。

「冷蔵庫ですか? 冷蔵庫には、お飲み物や食品などが入っていたと思うのですが……」

「はあ!? 動物の骨ばかり入っているだろ? 何なら、ちょっと一緒に見ようぜ?」


 彼女はセルジュに言われて、一緒に冷蔵庫を開ける。

「ほら、人参。こちらは大根。こちらはカボチャですよ」

「おい。この瓶の中身はなんだ?」

「ええっ……。お酒ですよ。ああ、今度、お飲み物をちゃんと用意しておきますね」

「いや、本当にいい……」

 セルジュは内心、溜め息を吐いた。


「冷蔵庫の中に、監視カメラとか無いでしょうか?」

「監視カメラってか…………」

 セルジュは、女が野菜といった、動物の骨を弄りながら困惑した顔になる。少なくとも、それらしきものはない。


 しばらく、彼女に言われて、家中でそれらしきものを探していたが、特に監視カメラや盗聴器の類は見つからなかった。それよりも、惣菜の容器や生ゴミなどが散乱している事でとてつもなく、嫌な気分になる。


 しばらくして、夜になった。

「俺はひとまず、一度、帰るぜ。……しかし、服がかなり汚れてしまった。たっくなあ、俺は清掃業者じゃねぇんだぞ」

「お帰りになられるのですか?」

「ああ。まさか、此処で泊まるのも嫌だしな」

「また近々、来ていただけませんか?」

「あー、まあな。依頼された事だからな。行くよ」


 セルジュは玄関の外に出る。

 すっかり、辺りは暗闇に包まれていた。


 ふと。

 誰かが、後ろから後を付けているような気がする。

 ……なんだ?

 彼は、少し違和感を覚えながらも、その気配を一度、無視する事にした。


 こつり、こつり。

 何者かが、電柱の陰から追ってきている。


 セルジュは走った。

 ……ふん。何か、知らないが。


 行き止まりに辿り着く。

 セルジュは…………。


 勢いよく、跳躍した。

 そして、後ろから付けてくる何者かの姿を見ようとする。


 誰もいない。…………。


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