第217話 ただ、巻き込まれただけ。


「状況はどうなっている!?」


 張り上げた男の声が悲鳴に近い。


 凄まじい連続した激震と荒れ狂った魔素の暴流が宮殿を激しく揺さぶり、すでに城館が半壊してしまっていた。


「くそうっ、何が起こったというのだっ!? 悪魔共の新兵器なのかっ!」


 石床に転がりながら呻き声をあげたのは、宮殿騎士の長を務めている魔人だった。着ている鎧が派手派手しい音を鳴らして床を削る。


「宮殿上層部が崩壊した模様です!」


「陛下は御無事かっ!?」


「はっ・・な、なんとかっ!・・下層部へ避難して頂いております!」


 轟音に負けじと、宮殿騎士の1人が声を張り上げた。


 完璧な多重結界で護られた空中宮殿である。

 歴史上、このような災禍に見舞われたことが無い。有り得ない・・いや、あってはならない事態であった。


「悪魔共か?」


 石柱に縋り付くようにして起き上がる宮殿騎士長だったが、すぐに再び床を転がり回ることになった。


 今度は真横に・・いや、やや斜め下に向けて連続した強振動が襲ってきたのだ。


「貯蔵している魔瘴気が霧散させられていますっ!」


 誰かの悲鳴が響いた。


「馬鹿なっ・・」


 空中宮殿を浮遊させる魔導炉を動かすための燃料として大量の魔瘴気を貯蔵してある。その貯蔵庫が破損したらしい。


 その上、


「くそうっ・・何なのだっ!」


 先ほどから何度も飛翔の魔法を使おうと試みているのだが、誰1人として魔法を発動できた者がおらず、宮殿ごと揺すられて転がり回るばかりだった。

 魔人の中でも魔法技術に秀でている者ばかりだというのに、体を浮き上がらせる事すら出来ないで地べたを転げ回るとは・・。


「防御の結界を張れっ!」


 宮殿騎士長の怒鳴り声に、


「無理ですっ! 魔導器も、魔法陣も・・何もかもが反応しませんっ!」


 壁際で、額から血を流して倒れている魔人が悲鳴のような声で応えた。


「・・・むっ!?」


 唐突に、静寂が訪れた。


 あれほど揺れていた空中宮殿がぴたりと鎮まり、周囲から一切の物音が途絶えたようだった。


「なんだ・・?」


 宮殿騎士長が腰の長剣を手に周囲へ視線を巡らせた。


「魔法・・依然として回復しません」


 床上に身を起こした魔人が小声で告げた。


「騎士長」


 崩れ去った扉の向こうから騎士らしき魔人が声を掛けてくる。


「・・人をやって陛下の安否を確かめろ!」


 宮殿騎士長が怒鳴った。


「はっ!」


「誰かっ、この状況を説明しろっ! 何が起きたというのだっ!」


「今、上層の庭園へ人を向かわせました」


「庭園か・・魔瘴気の貯蔵庫はどうなった?」


「依然として、漏洩が止まっておりません。魔導炉も停止したままです」


「・・落ちるでは無いかっ!」


「はっ! ただ今、降下中であります!」


「ばっ・・馬鹿を申すなっ! この宮殿を薄汚い下界へ墜とすつもりかっ!」


「・・装置の回復を試みておりますが、そもそも・・検知器も機能しておらず、あらゆる魔法が発動できておりません」


「泣き言をぬかすなっ! 九皇家の筆頭である陛下を下界の汚穢に触れさせるつもりかっ!」


「騎士長っ!」


「・・おうっ! 副長か!」


「陛下が・・」


「むっ!? まさか・・お怪我を」


「軽傷では御座いますが・・」


「何と言うことだ!」


「騎士長っ!」


「今度は何だっ!?」


「得体の知れない結晶体が庭園に出現しております!」


「何だとっ! 結晶体とは何だ?」


「箱型のクリスタルのようですが、光が通らず、内部をうかがい知る事が出来ません」


「破壊しろ!」


「破城槌を使用しましたが、傷一つつけられず・・運び出そうにも重すぎるのか、どうにも動かせないのであります」


「・・・いったい何を言っておる?」


「私自身、己の目で見た事を信じかねております」


「魔法は・・使えぬのだったな。そのクリスタルが原因だな?」


「おそらく、魔素の力を阻害する働きがあるかと」


「・・・庭園を支えている上位層をそのまま切り離して投棄せよ! 陛下には、後ほど儂が謝罪申し上げる」


「はっ!」


「震動は止んだようだな?」


「あれも、クリスタルが引き起こした事象なのでしょうか?」


「他に考えられまい。原理などは分からんが・・まずは宮殿から切り離すことが最優先だ」


「・・・き、騎士長」


「む? 何事だ?」


「そっ、その、う・・上を」


「何だ?」


「・・何だ、これは?」


「眼・・です」


「そ、そんな事は分かっておるっ!」


「魔眼・・しかし、黄金の? 騎士長、これは・・」


「何かは知らぬが・・ここは九皇家の宮殿である! 何者かっ!」


 声を上げた騎士長が叫ぶ姿のまま石化して物言わぬ石像と化していた。


「き、騎士長っ!?」


 驚愕の表情で近寄ろうとした配下の魔人達が次々と石化していく。この階層だけでは無く、宮殿の随所で同様の事態が起こっていた。




「ここ、どこかな?」


 クリスタルの立方体が消え去り、幼女になった俺とユノン、デイジーが姿を見せていた。


 浮気を疑われ、少し意地悪なくらいにユノンとデイジーを襲っていた関係で、色々と鎮まってから回復するまで半月近くが過ぎてしまった。地上に被害が及ばないようにと、デイジーの配慮で寝所ごと結界で囲って高空に浮かべ、正に思う存分に大暴れをやった。


 外部からクリスタルのように見えていたのは、デイジーが張り巡らせた多重結界と魔法防壁だ。外部からの攻撃を防ぐというより、内側からの衝撃だったり、無意識の魔力の発露だったりを抑え込むためのものだった。


「・・魔人の空中宮殿のようです」


 ユノンがそろそろと足を動かして歩きながら言った。その細い腰へ右手を回して、


「魔人の・・じゃ、空の上なのか」


 よろめくデイジーを左手に抱えながら周囲へ視線を巡らせた。


 見上げれば、青い空。

 見回せば、建物の残骸混じりの庭?

 足下の一部が崩落して、どうやら下の階らしき石造りの広間が見える。


「炉が停止して落下中のようです」


 ユノンが、万呪怨マジュオンからの情報を告げる。


「私の防御結界が魔素を吸ったからでしょう。あれは、術者である私が意識を失っても維持できるように、周囲の魔素を吸いあげて結界を強化、再構築し続けるように組み上げてありましたから」


 デイジーが俺の肩に縋りつつ、自身に継続回復の神聖術をかけた。


「デイジーさん、私にもお願いします」


「はい」


 ユノンに頼まれて、デイジーが神聖術を唱える。

 いや、今回は謝りませんよ? 俺はとんでもない汚名を着せられるところだったんだからね?

 ちょっと度が過ぎたかなぁ・・とは思うけど。


 2人が目覚めて身支度が終わるのを待って結界の外に出て来たら、見知らぬ空中宮殿の上でした。

 まあ、どこぞの魔人の浮遊城でしょう。


「地上は、どこの国かな?」


「 でしょう」


「ふうん・・ん? そう言えば、この宮殿の魔人は?」


 結界から出て、ゆっくりと歩いているのに、誰も出てこないけど?


「ひとまず石化させました」


 ユノンが言った。


「へっ?」


「その・・あまり見られたくない姿でしたから」


 夫婦の営みが激し過ぎて腰が立たないとか、確かに他人に見せるような状態じゃ無いよね。


「・・・今回は謝らないからね」


「はい・・疑ったりしてごめんなさい」


 ユノンが素直に謝った。


「こうしてお情けを頂けることは、とても喜ばしい事ですもの。謝るだなんて、仰らないで下さい」


 微笑するデイジーの美貌も、さすがに疲労が色濃い。


「まあ・・もうちょっと丁寧に説明しておくべきだったね。あと・・俺、元の世界に居た時から、女に間違われて男に狙われたりしてたから・・男と浮気とか疑われたら泣いちゃうからね?」


「コウタさん・・ごめんなさい」


 ユノンが泣きそうな顔を伏せる。


「許します。今回の件は、これでお終い! それよりも、ユノンとデイジーとお散歩しよっか」


 両手で2人を抱き寄せながら、俺は地面を蹴って空へと駆け上がった。


「上手に掴まってね?」


「ぇ・・?」


「コウタ様?」


 戸惑う2人を放り上げるようにして、俺はその場で宙返りをしながら巨大な白兎になっていた。

 ユノンとデイジーが後ろ首の辺りに落ちて来て白毛に埋もれるようにしてしがみつく。


『うふふ・・この世界でユノンとデイジーだけにしか赦されない特等席です』


「コウタさん、ふわっふわっです! とっても綺麗」


「なんという心地良さ・・あぁ、これが使徒様の・・」


『行きますよぉ~』


「はい!」


「・・あぁぁぁ、使徒様ぁぁ・・」


 2人の返事を聴きながら、俺(白い巨兎)は軽く空を蹴って走り始めた。


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