第189話 焼都


 警鐘が鳴り続けていた。


 朝靄あさもやが立ちこめた神殿の方々からせわしげに打ち鳴らされている。


「何事かっ!」


 狼狽うろたえ騒ぐ神官や修道女達を大喝したのは、神殿騎士団の副団長、ユシーズ・ポリッサルである。


 わずか4歳の時に神々の5柱から加護を授けられた若き俊英だった。全員が加護持ちだという神殿騎士にあって、すでに最強では無いかと噂されている。


 狼狽して青ざめていた修道女達が一斉に表情を明るくして縋るようにユシーズを見上げつつ石床に跪いた。


「ポリッサル副団長・・聖船が・・失われました」


 神官の1人が打ち沈んだ表情で告げた。


「なんだと?」


 ユシーズはいぶかしげに訊き返した。

 神官の言葉の意味が理解できなかったのだ。


「聖なる御船が・・跡形も無く・・」


「馬鹿な・・何を言っている?」


「神綱も切られず、御館はそのままで・・なのに、聖船が消えてしまったのです」


 言いながら、神官が膝から崩れるようにして座り込んだ。


「猊下の御船が・・有り得ん。幻術でも見せられたか・・いや、そうに違いない! 曲者が侵入しているぞ!」


 ユシーズは双眸を険しくして周囲へ視線を差し向け声を張り上げた。


「副団長!」


 回廊の向こうから神殿騎士の集団が駆け寄ってきた。


「どうした?」


「奥の院に侵入者です! 今、騎士団長が警護の兵を連れて向かっております!」


「・・やはりっ!・・緑光隊は聖船の確認。紫光、赤光隊は俺と共に奥の院だ!」


「はっ!」


 副団長の命令を受けて、騎士団が3隊それぞれに別れて行動を開始する。


 その時、耳をつんざくような轟音と共に地響きが伝わって神殿が基礎ごと揺さぶられ、修道女や神官は元より、神殿騎士達までもが為す術無く跳ね転がっていた。


(な・・なんだ!?)


 さすがに動揺を隠せず、ユシーズが床に身を起こしながら慌てた視線を左右させる。他の騎士達も同様で、誰も彼もが顔を強ばらせて未だに揺れる石床に身を伏せて顔だけ起こしていた。


「りゅ・・龍っ!?」


 悲鳴のような声をあげたのは、若い修道女だった。

 最寄りの石柱にしがみつくようにして立っていた修道女には、神殿の中庭越しに空を仰ぎ見ることが出来る。


「・・なんだと?」


 ユシーズが身を屈めつつ回廊の石柱へと駆け寄り、修道女と同じ空を見上げた。

 そのまま絶句して動かなくなった。


(馬鹿な・・)


 褐色の岩石で身を鎧い、紅蓮の炎を纏わり付かせた巨大な龍が、首を上空へと伸ばして燃えさかる炎液を吐き散らしていた。


「猊下は!?」


 誰かが声をあげた。


(そ、そうだ・・猊下をお護りせねば!)


 ユシーズが騎士に向けて叱咤しったの声をあげようとした時、遙かな上方から大量の炎液が噴出し、神殿の回廊ごとユシーズ達を呑み込み、蒸発させながら石造りの建物を倒壊させていった。



 その頃、


猊下げいか・・お下がりください」


 神殿騎士団長、ノイゼ・マルークスが長剣を手に、背に守った初老の男へ声を掛けていた。男は、国王となったデオラーダ9世である。どこか体調でも悪いのか、大きく眼窩が落ちくぼみ、目の下が黒ずんでいる。


「な・・何者じゃ?」


 怯えで血走る目の先には、つるりと凹凸の無い黒仮面を被った男が立っていた。左右には、少女にも少年にも見える美形の2人が寄り添うようにして手にした光る棒のような武器を構えている。


「ふん、我を前にしてひれ伏さぬか、老いぼれめが・・」


 黒仮面の男が吐き捨てるように言った。その声は、やや嗄れているものの、10代の若者の物だった。


「き、騎士団長・・」


「ご安心めされい。たかだか3人程度の賊など、このマルークスが・・」


 長剣を構えたまま、ノイゼ・マルークスがじわりと前に出ようとした。



 ピキュン・・



 短く、間の抜けた音が鳴った。


「マルークス!?」


 声をあげたデオラーダ9世の目の前で、首から上を消失した騎士団長がゆっくりと前のめりに倒れていった。


「・・ちぃっ! 貴様、替え玉・・影武者というやつだな?」


 黒仮面が舌打ちをして罵り、


「殺せ!」


 寄り添っている美少年に命令した。

 その少年の手に、小型の筒らしき物が握られている。


「待てっ・・待ってくれ!」


 デオラーダ9世が声をあげた時、



 ピキュン・・


 ピキュン・・


 ピキュン・・



 少年の手元で、奇妙な音と共に光彩の明滅があり、デオラーダ9世の体は膝下を残して消滅していた。


「・・あれは地龍・・いや、溶岩龍か? 地の底から這い出て来たのか」


 黒仮面が窓の外を見やって呟いた。


「ここはもう保たぬな。鍵は見つからないが・・・ここでなければ、神樹だろう。あの森には、少々面倒な奴が居るようだが・・」


 独り言のように呟く黒仮面の前へ、2人の少年が背にかばうようにして窓際へと進み出た。


「む?・・どうした?」


 いぶかしげに声をかけた瞬間、



 ヒュッ・・・・カッ!



 刹那の切断音がはしり抜けていた。


「ノイエ? ナナ!?」


 声を掛けながら、黒仮面が左手を前に突き出すようにしつつ跳び退すさる。その手元で、2度、3度と空間が軋むような異音が鳴り、プラズマのような閃光が爆ぜた。


「・・何者だ?」


 黒仮面が感情を押し殺した声で誰何すいかする。床には、先ほどまで光る棒を手にしていた美少年が切断面も鮮やかに斬られて転がっている。断面に覗いているのは、血肉では無く、どろりとした金属質な粘体だった。


「アヤ・・と、名付けて頂きました」


 ひやりと背筋を撫でさする殺意の籠もった声と共に、黒髪の美少女が姿を現した。抜き打ちに少年人形を斬った刀は、すでに腰のさやに戻されている。


「あ・・綾子か!? な、なんだ、その姿はっ!? なぜ、我が元へ来ないのだっ!?」


「発見、即抹殺するよう主人に命じられておりますので、悪しからず」


「しゅっ・・しゅ・・主人だとぉっ!?」


 声を張り上げる黒仮面の脇から斜め上へ、銀光が奔り抜け、きらりと頭上で向きを変えて、黒仮面を頭頂から唐竹割りに斬り下ろした。抜く手も見せぬ見事な居合い斬り・・しかし、


「手応えはありましたが、おそらく・・偽者ですね」


 アヤが刀を鞘へ戻しながら唇を噛んだ。


 頭頂から股間まで斬り割ったかに思えたが、寸前で転移らしき技によって逃げられてしまったらしい。

 見回せば、斬り伏せた2体の少年人形の片方も消え去っていた。


「まだまだ、鍛錬が不足しています」


 アヤは小さく嘆息しながら首を振った。


 直後、窓の外で巨大な溶岩龍が派手派手しい悲鳴をあげながら爆散していた。文字通りに、内側から爆ぜたのだった。


 距離は離れているが、そこにアヤの主人が居るのを感じる。作り物の自分を人間だと言ってくれ、名前を与えてくれた主人だ。


(・・そう言えば、ここの・・デオラーダとやらは影武者だと言っていました。あと・・鍵とか?)


 何のことかは分からないが、主人に伝えておいた方が良いだろう。


 色々と思案をしつつ爆散した溶岩龍の残骸に眼を凝らしていたアヤだったが、


「ぁ・・ま、まぁっ!? あのような・・」


 顔を真っ赤にして視線を伏せた。

 最凶の主人が、衣服を失った姿・・すなわち、真っ裸で空に浮かんでいたのだった。両手を腰に当て、開き直ったように高笑いをしている・・ように見えた。やや、ヤケクソ気味ではあったが・・。


 アヤの最凶の主人の足下では、溶岩を纏った巨龍が引き裂かれ、石塊となって辺りへ飛び散っている。おかげで、神殿は元より修道女や神官達の居住区や街区までが次々と火の手をあげて聖都は地獄絵図と化していた。


(さすが御館様です)


 アヤは、全裸でヤケ笑いをやってる主人を見つめて、うっとりと頬を染めた。


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