第119話 惨歌


(あぁ・・嫌だ)


 衣服をじっとりと湿らせる朝モヤの中、ローラン・ホールズは溜め息をついた。

 80組集まった小隊パーティを取りまとめる大隊長である。


 ・・貧乏クジだ。


 誰もが嫌がり、最終的に実家が小領主だからという虚しい理由で押しつけられた役目だった。


 小隊群は、ひそみ続けていた地下砦から這い出し、認識阻害の魔術を付与した外套を羽織って樹海を目指して進んでいる。手練れを集めた小隊だけあって、誰1人、軽口も叩かず黙々と歩いていた。


 昨夜、山岳地にランドール教会とセンテイル王国の連合部隊が集結したとの連絡を受けた。打合せの通り、ローラン・ホールズの率いる別働隊は、樹海の西側から侵入して、派手に暴れることになっている。


 役回りは、ごく単純な陽動だった。

 山岳地に集結した本隊が、北側から樹海の中心部にある魔の山をめがけて侵攻する。それまでの時間、樹海に浸透行軍して樹海を護る異世界人の注意を引きつけ、できれば何人かを討ち取るよう命令されていた。あの異世界人達には、数多くの加護持ちを討たれている。早々に排除しなければならない非常に厄介な存在だった。


 山岳地の軍勢が突入してから10日以内には、南部から帝国の旅団が突入する手はずである。


 ランドール教会の教皇が主体的に呼びかけ、帝国とセンテイル王国の軍だけで無く、これまで噂でしか聞いたことが無かったランドール教会の神殿騎士団が投入されるのだと言う。神殿騎士は、全員が加護持ちだと言う噂だが・・。


(・・みんな、どうかしちまってる)


 これまで不可侵とされてきた"魔の森"に、国を傾けるほどの軍勢を差し向けている。関わらなければ、森の方から攻めてくる事は無いというのに・・。


 ローラン・ホールズが率いる部隊は、腕は立つが統率の取れていない寄せ集めだ。恐らくは犯罪者達・・裏家業の者達が相当数混じっている。取りわけ、黒衣の外套姿の集団は得体が知れない。寒気がするような冷え切った眼付きの男達ばかりだった。ローランが聴かされているような陽動の役回りの他に、何か特別な任務を帯びた連中なのだろう。


(まあ、いいさ。どうせ、森へ着くまでだ)


 樹海へ侵入後は、各小隊に散って好きなようにやる。そいういう手はずだった。結果として、森の住人を混乱させられれば良い。ローランが首を突っ込まなくても、各小隊がそれぞれの思惑で引っ掻き回すことになるだろう。


(まったく・・こんな事をやっている場合では無いのにな)


 センテイル王国は、魔の森に関わる事変で、王女を失い、主戦力だった飛竜騎士の半数を失い、国が抱える加護持ちの6割を失った。兵力だけで言うなら、国家存亡の危機に陥っている。


 すでにセンテイルの国境近辺では反乱の兆しが見えていたし、王宮内でも後継争いが始まっているという。これを機に隷属させていた小国が離反を始め、争乱の気運を嗅ぎ付けた商人がセンテイル国内での取り引きの荷を減らし、街道の往来を控えるようになり、物の値が上がり始めている。港に寄港する商船も数が減っているという。


 こんな魔境の樹海へ攻め寄せている場合では無いのだ。


(教会にそそのかされて・・魔の森に何があるって言うんだ?)


 かつては賢王などと持てはやされたセンテイル国王も、寄る年波には敵わないのか、このところの失政は眼を覆いたくなるくらいに酷かった。


「・・見られておる」


 不意の声に、ローラン・ホールズはぎょっと身をすくめた。物思いにふけっていて、老人が近くに来たことに気がつかなかった。


 声の主は、不気味な黒衣の集団を束ねる老人だ。声一つ立てない集団だ。名前も知らない。


「敵か?」


 分かりきった事を口にした。


「他におるまい?」


「それも・・そうだな」


 ローラン・ホールズは周囲へ眼を配りながら、背負っていた楯を地面へ下ろした。先に見つかったということは、何らかの方法で先制されるだろう。


「ご老人、敵の位置は?」


「わからぬ」


 老人の掠れた声にわずかな苛立ちが含まれているようだった。


「・・こちらが気付いたことも見られているんだな?」


「無論じゃ」


「よし・・」


 ローラン・ホールズは、楯を手に呪文を唱え始めた。


「上か」


 老人が頭巾の縁を持ち上げて、上空を振り仰いだ。その皺だらけの額に、縦に開いた異様な眼が白銀色に光っていた。


(法の破眼・・呪術師か)


 ローランはちらと黒衣の集団へ視線を配りながら、絶対防壁の魔法楯を発動させた。護れるのは、せいぜい自分自身と他数名といったところだが・・。


「む・・?」


 老人の左右へ、黒衣の者達が身を寄せた。


 直後に、



 ゴォォォォォーーーー



 下から上へ、紅蓮の炎柱が噴き上がった。

 直径100メートルほどの炎柱が赤から白へ色を変じながら灼き尽くして行く。

 一瞬で、秘やかに行軍していた500名の大半が炎に包まれてしまっていた。ぎりぎりで加護を発動していたローラン・ホールズ、そして黒衣の者達の数名を残して・・。


「儂に魔術は効かぬ・・しかし・・有り得ぬ威力じゃ」


 黒衣の老人が怒気に顔を歪めながら左右に立っていた黒衣の者達を見た。


「尊師・・古代魔法のようです。我らの魔除けタリスマンでは防げぬ魔法でした」


 囁いた声は若い女のものだった。


「・・魔導唇の持ち主がおるか。厄介な敵じゃ」


 黒衣の老人が空を見上げた。いつの間にか、大翼を拡げた鳥人が上空を舞っていた。


「これほどの威力となると、加護など意味を成しませんな」


 もう1人、生き残っていた黒衣の男が言った。

 灼けた地面の上には、黒衣の3人とローラン・ホールズだけが生き残っていた。


「よう防いだの」


 黒衣の老人がローラン・ホールズを横目に見てわらった。


「護りこそが、私の加護ですから」


 ローラン・ホールズは、かれた地面から立ちのぼる熱気に顔を歪めつつ周囲へ視線を巡らせた。

 今の魔法がもう一度放たれれば、もう防ぎようが無い。

 老人には言わなかったが、ローランの加護は、手にした物の性能を引き上げるものだ。ローランの加護を付与すれば、劣化した傷薬も神薬に化ける。ただし、触れなければ効果は半減するし、上乗せした効能が続くのは1分間だけだ。相手の力を見定め、使い所を探りながら戦わなければならない。


「さて・・大した威力じゃが、魔法が効かぬとなれば、どうするかの?」


 黒衣の老人が口元に皮肉な笑みを浮かべた時、


「・・尊師」


 女が緊張した声を掛けた。


 周囲一帯が、次の魔法の範囲に捉えられていた。魔法陣こそ見えないが、広範囲に及んで狙われている気配が伝わる。


 だが、"法の破眼"を顕現させた老人に魔術は届かない。すべてを無効化させることが出来る。


「芸の無い事じゃな」


「いえ、これは我らが呪技に似た技・・」


「なんじゃと?」


 聞き返した黒衣の老人が、いきなり何かに鷲掴みにされた。


 直後、


「じゅ・・ぁきゃっ」


 黒衣の老人が雑巾ぞうきんでも絞るように捻られ、大量の体液を流して絶命した。あまりに一瞬の出来事だった。


「そ、尊師っ!?」


 黒衣の男女が凍りついたように立ち尽くす。



 ギャギャギャ・・・



 乾いた笑い声が響いた。いきなり空間が裂け、辺り一面に金色に輝く無数の目玉が現れた。同時に、明るくなり始めていた空が、ドロリとした黒色に塗り潰される。


「よ、妖魔・・」


「邪眼の・・」


 男女が呻いた目の前で、ねじ切られた老人がボリボリと音を立ててかじり喰われている。



 ゲギャギャッ・・



 無数の目玉を細めるようにして気味悪く笑うと、音もなく透けるようにして消えて行った。



 ドオォォォォォーーーーー



 不意に周囲が強風に包まれた。上位風魔法の竜巻・・。


「む、無駄だっ! 我らにそのような魔法など・・」


 女が声を上げた時、暴風の風が漆黒に色付いた。


「気を付けろっ! 邪法だ!」


 男の声が風音に引き千切れる。取り囲んだ暴風壁からドロリと黒い液体を滴らせる腕が生え伸びて掴みかかって来ていた。一本、二本では無い。次から次に、鉤爪が生えた節くれだった細い手が生え伸びる。


 黒衣の男女が互いに背を合わせて舞うように短剣を打ち振るって斬り払うが、液体を切る希薄な手応えがあるばかりで伸びてくる腕は一向に減らない。



 ゲギャッ・・ゲギャッ・・



 どこからとも無く笑い声が響く。


「・・先に逝く」


 黒衣の男が意を決した声で告げ、手にした短刀を逆手に握って自分の胸に突き立てた。その身体に黒々とした腕が掴みかかり鉤爪を食い込ませる。


「呪血応変・・」


 血を吐きこぼしながら男が声を振り絞った。


 しかし、


「なんだと!?」


 呻いたのは、女の方だった。



 ゲキャキャキャキャ・・



 嘲笑う声が上から、下からまとわりつくように聞こえて来る。受けた傷を相手に返すはずの呪技が効果を発揮しないのだ。



 ブチッ・・ブチッ・・



 嫌な断裂音が聴こえて、黒衣の男が頭を引き抜かれ脛骨を引き擦りながら吊るされていた。その足下に、三日月状の大口が引き裂け、麺でもすするようにして男を呑み込んでしまった。


「おのれっ!」


 まなじりを吊り上げ、黒衣の女が外套内から白々と輝く宝珠を取り出し、先の男と同様に自分の胸へ短剣を突き入れる。


「ぁっ・・」


 掲げ持った宝珠が物悲しい破砕音を残して粉々に砕け散ってしまった。どこからか飛来した小さな金属球が打ち砕いたのだ。


「ぉ・・おのれ・・」


 血走った双眸で邪魔をした者を見定めようとするが、



 ゲェキェキェキェキェ・・



 楽しそうな笑い声が足下から聴こえると同時に、女の両足首がドロリとした黒腕に掴まれ、足を上に逆さまに吊り上げられてしまった。


「がっ・・ぁあぁぁぁ」


 竜巻から生え伸びた黒腕が女の胸に突き立っていた短剣を握って、グリグリと乱暴に捻りながら腹部へ向けて切り開き、こぼれ落ちた臓腑を三日月状の大口が呑み込み啜る。生気を失い虚ろな女の双眸が、最後に残ったローラン・ホールズを探して動かされた。


 そこに、ローランだったモノが立っていた。顔も身体も虫喰い状に喰い散らかされ、着ている金属鎧の隙間から黄金の目玉が無数に覗き見ている。兜のひさしの下で、三日月の形をした口が引き裂けた。



 クケクケ・・



 ローラン・ホールズだったモノが愉快そうに、ガチャガチャと鎧を揺すって笑い始めた。


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