第102話 邪魔立て
(ふうん・・)
閑静な区画にある立派な館の屋根の上で、俺は手帳を片手に唇を尖らせていた。
登場人物は、8人。それぞれに会話を書き留めてある。追って来ていた15人は、この区画に設けられた門で足止めされて、入れろ入れないと押し問答をやっていた。
まあ、俺の方は屋根をぴょんぴょん跳んで来たので門は通過していません。
状況はシンプルだ。
・掠われた女は、獣人族。
・掠ったのは、クーランスという集団の男達。
・掠えと命じたのは、ロンツ・ギパースという商人。
・掠った獣人を納品する先は、ドルクーレという貴族。
以上。
(・・邪魔しておこうかな)
門での押し問答を聴いた感じでは、ここは他国のお偉いさんの屋敷が建ち並ぶ特別区画で、きちんとした手続きを踏まないと立ち入れない決まりらしい。
ギパースという商人は、納品という言葉を使っていた。掠われた女は薬で眠らされていたが、女の命が危うくなっている事に、掠った者達は気付いていない。
コソコソ忍び込んでいたら時間がかかって間に合わなくなる。力尽くで押し入って強奪、雷兎の瞬足で高速離脱、デイジーを叩き起こして聖術で治療・・という流れか。
掠われた女が閉じ込められた部屋は判っている。
(・・よし)
・・破城角っ!
地響きと共に、木石の破砕音が響き屋根が抜ける。
・・破城角っ!
館全体が揺るがされ、床板が砕け散る。
・・破城角っ!
横壁が粉砕されて吹き飛ぶ。
・・破城角っ!
さらに、部屋の横壁が吹き飛ぶ。
・・破城角っ!
床板が破砕されて下へ大穴が開く。
その穴へ跳び込むなり、腰のポーチに入れていた煙玉を三つ、四つと放った。
(ちょっと、ゴメンね)
寝台に横たえられた女の真上に跨がるようにして降り立つなり、手足を固定する鎖を
すでに、周囲には煙が充満し始めている。
(よい・・しょっ!)
煙玉を周りへ放る。
天井めがけて跳び上がりながら、
・・破城角っ!
宙返りをしながら上の階に着地、さらに上へっ!
立て続けの衝撃で豪奢な館が揺すられ続け、噴き上がる黒煙に部屋という部屋が満たされていく。混乱する声が飛び交うが、すぐに苦しそうに噎せる音に変わる。
毒煙玉である。
少々の解毒薬では治せない。眼と鼻、喉が灼かれ、吸い込めば肺が内側から蝕まれる。その上で、血管に毒素が流れ込んでいく。
デイジーの聖術でも一回では治せない。三度の重ね掛けで命を取り留め、そこから継続治療しないと駄目なくらいの猛毒だった。
(おっ・・と!?)
屋根の上に、人影が待ち構えていた。
痩せた中背の男だ。刃物のような眼に怒りが
(勘が良いな・・)
最初の衝撃音を聞いてすぐ屋根上まで上がっていたのだろう。毒煙は重たい粉を使ってある。上に拡がらずに下へ降りて行く。
上に逃げた男の判断は見事だった。
(・・だけど)
男の右目が充血し、脂汗が顔を濡らしている。わずかに吸ってしまったのだろう。
「死双円っ!」
血を吐くような声と共に、男が倒れ込むようにして両手の短剣を前へ突き出した。
短剣の切っ先から、肉眼では捉えられない透明な刃が大きく伸びて俺を捉える。その不可視の刃が綺麗な弧を描いて屋根の上で一旋された。手応えを感じたのか、男の口元に笑みが浮かんだ。
(残念した・・ハズレでゴザルよ)
斬られたのは遁光術で生み出された
・・雷兎の蹴脚
前のめりになって、振り抜いた短剣を構えている男の頭が爆散した。
直後に、
・・雷兎の瞬足
屋根を蹴って離れた別の館へと跳び移る。
後はもう
屋根から屋根へ、右へ跳び、左へ跳び、雷兎の耳で人の位置を把握しながら目立たないように逃走する。
(追って来ない?)
何人かは追いかけて来るだろうと思っていたのだけど・・。魔法のような別の手段で追尾されているのかもしれない。
(漫画とかだと、魔法の水晶玉で覗き見られていたりするんだけど・・?)
ちらと、そんな事を思ったりするが、俺に把握できるのは半径にして250メートル以内の物音だけだ。範囲外からの探知は諦めるしか無いだろう。
(まあ、良いか)
相手に居場所を知られている前提で行動すれば良いのだ。
とりあえずの用心で、大きく遠回りをしてユノンの待つ旅宿の近くへ到着すると、周囲の物音に耳を澄ませる。
その時、
(おっ・・)
探知の魔法波紋が触れて行った。
さすがはユノンである。
ほとんど物音を立てていなかったはずなのに・・。俺が帰ってきた事に気が付いたらしい。
『出窓を開きます』
耳元で遠話が聞こえた。
3階にある部屋の出窓がそっと開かれるのを待って、俺は屋根から飛び降りた。
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